2015年11月30日月曜日

今日の夕食で、今日いただいた箸置きを、さっそく使った。

今日の夕食で、今日いただいた箸置きを、さっそく使った。
写真は、今日の夕食を、撮ったもの。
写真手前下が、お湯をいれてお茶。
写真上左が、今日の夕食のインスタントラーメン。
写真上右が、箸置きにおいた、箸。

この箸置きは、おしゃれだ。
味が一段上がった感じ。

今日の夕食には、30種類の食材を煮て、冷凍した具材に
肉、卵、海鮮かき揚げ、とろろこぶ、
26日に横浜で頂いてきたゆずを混ぜ褪せて煮て、
そこにインスタントラーメンを、いれたもの。
食べ終わって、リンゴも食べた。

夕食は、カレー味、みそ味、シチュー味、
インスタントラーメンを繰り返して、食べているが飽きない。
不思議だ。
そのうち飽きるかな。
そしたら別な料理を覚えるかな。

私の知人が、箸置きをもってきてくれた。これから、ごはん時は、この箸置きを使おう。

私の知人が、箸置きをもってきてくれた。
これから、ごはん時は、この箸置きを使おう。
写真は、もってきてくれた箸置きを、撮ったもの。
箸の先端の下に、箸置きがある。
もう一つが、その右上にあるのが写っている。

ベニスのお土産だとか。
ありがたく、もらっちゃおう。
高かったらしい。
2つ持ってきたのは、一人の私が
だれかパートナーを見つけるのを期待してだとか。

うーん、私は何が楽しくって生きているのだろう。
最近、足が悪くなって、女性への興味も失せた。
というか、妻が生きていた時から失せたな。
妻が、「あなた下手なんじゃないの」と、言っていた。
私は、「私は自分勝手だからな」と思った。

人は、なにかの使命をもって生まれてくるらしい。
私はどんな使命をもって、生まれてきたのだろう。
まあ、わからないけど、とにかく生きよう。
できるなら、楽しみながら。
でも波乱万丈の人生が、普通らしいから、
楽しめない人生もありだな。

2015年11月29日日曜日

小田実さんが書いた、「大阪シンフォニー」を読んで、読書感想を書きました。

小田実さんが書いた、「大阪シンフォニー」を読んで、
2011年11月、私は下の通り、読書感想を書きました。
写真は、本の表紙を、撮ったもの。

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読書感想文(大阪シンフォニー・・・小田実)
 
小田実さんは、1932年大阪で生まれ、
<天王寺中学-天王寺高校-夕日丘高校
<(戦後のゴチャゴチャで小田実さんは動いていないのに、
<学校が勝手に変わりました)から、
<東大に行き、卒業後は代々木ゼミナール講師。
 
<でも私には「ベ平連」で
<活躍した人として記憶に残っています。
<本も沢山書きました。
<そして2007年東京で胃ガンのため死亡しています
 
小田実さんは、戦後の「焼跡派」の代表の人のようですね。
この「大阪シンフォニー」を読んで、そう考えました。
ウィキペディアには、
小田実さんは「進歩的文化人」を代表する人とありました。
 
私は小さいときから、「進歩的文化人」と称する人たちは
何となく嫌いで
 
(父親の思想の影響かな。
私の父親は、思想などという高尚なものとは
無縁だったのですか、
その考えは私に引き継がれたと思います。
私は交渉ごとではすぐ妥協する癖に、
妙に意固地なところがあって、
良く考えると右翼的だったのではないかと思います。
 
私は組合活動をするなど、
左翼的な行動が多かったと思いますが、
そういう父親の影響で、
心情的には右翼的だったのだと思います)、
 
だから小田実さんも「胡散臭い人」と
ずーっと思っていました。
そういう意味では、小田実さんは、
私の反対側から私の青春時代を彩る人でした。
 
友達の奥さんは、
福島県の楢葉町で公民館の図書館に勤めています。
そこで、古くなった本を
“棄てるのは勿体ない”ということで、
ラベルのところにリサイクルと貼った本を、
図書館で希望者にくれたそうですが、
その何冊かを私にくれました。
 
そのとき小田実さんを、
「私は嫌いだったのではない」のではないかとフと思い、
この人の本を読んでみようかなと思って、
友達の奥さんがくれた本の中から、
この本を選び出します。
 
しかしやっぱり食指が動きませんでしたので、
出したままおいておきましたが、
結局今回縁があったのだと思いますが、
読むことになり、読んでみました。
 
小田実さんの経歴を始めてジックリ見ましたが、
東大に行くなどエリートのルートを歩いているのですね。
代々木ゼミナールの講師を自分の最初の職業に選んだのは、
異色ですが、
この人はそれだけ生きることに自信があったのでしょう。
 
今回本を読んだのもあわせて考えてみると、
この人は別段、思想が左翼思想でなくても良く、
思想は何でも良かったのではないかと思われてきます。
そういえばこの人は、大勢の人を動かした。
 
思想なんかとってつければ良いと言っているよう。
「行動するのが大事なんや、思想なんてそのための道具や。
どんな思想でも行動の引き金に出来ればいいのや」、
そういうのが聞こえてきそうです。
 
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<この本との出会い>
 
友達の奥さんがくれた本のなかから、
小田実さんの本を選び出してみて、
そのまま置いていたのですが、
そのとき神戸から友達がやってきて、
私はその友達と懇親しました。
 
その友達も、
なかなかダイナミックな人で面白いと私は思っています。
まったく偶然ですが、「小田実は面白い。
あの地べたを這い蹲るような姿勢が面白い」と、
友達は酒に酔ったせいもあると思いますが、言いました。
 
その友達の言葉を聞いて、
私はこの本を読んでみる気にもう一度なりました。
へー、この人は遠慮しながら人生を生きてきた
私などと違って(そう自分で私は思っています)、
 
有名になったこの人の
著書の題名「なんでもみてやろう」(1961)そのままに、
「なんでもみた」人だったのですね。
 
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<この本の構成>
 
この本の構成は、次の通りです。
( )内はページ数です。
 
―第1楽章 原野の落日-荘重に、また、猥雑に
(42ページ)
-第2楽章 月光月影-華麗に、また、強靭に(46ページ)
-第3楽章 おれとお前の闇市-
きわめて現実的に、また、幻想的に(42ページ)
 
-第4楽章 ぬばたまの闇のなかのケモノ道-
ケモノのごとく素早く、また、重厚に(32ページ)
-第5楽章 すべての世はダイジョウビ-
にぎやかに、また、さびしく(46ページ)
-第6楽章 あの世とこの世―
深遠に、また、軽薄に(40ページ)
 
-第7楽章 白昼堂々-剛胆に、また、細心に(44ページ)
-第8楽章 原野の祝宴-美味、ケンランに (42ページ)
-第9楽章 風のたわむれ-あくまで軽快に (63ページ)
 
舞台は、戦後の大阪の焼け跡。
主人公と、
主人公がマルコポーロと渾名した年上の少年と、
その妹でクレオパトラと渾名した少女が凄い。
 
焼け跡で、主人公と友達になった兄は
不良アメリカ人MPと組んで一儲けしようと思っているし、
妹はナイフを使って、MPからお金を巻き上げたり、
泥棒に入ったりする。
 
主人公も、頭のよい二人と波長があうのか、
二人と丁々発止のやりとりをしながら、
知り合いになって二人から影響を受けていく。
朝鮮人が仕切る闇市で「ピョン」という、
朝鮮人と日本人のハーフとも知り合う。
 
戦後の大阪の雰囲気が良く出ていまいした。
戦後すぐはこうだったのだな。
朝鮮人が闇市などで元気を出した時代でもあったようです。
そういえば、戦後の日本の創業企業の創業者社長は、
朝鮮人が多いと、宋文州さんが言っていましたが、
それがわかるようです。
 
大阪人は、こういう雰囲気でも、
明るく生き抜く性質を持っているのかな、と思いました。
これからは、大阪人の感性が、
日本で浮かび上がってくるかも知れない。
 
+++++++++
<小田実さんの生き様とこの本の面白さ>
 
この人の本を読んで、
「仮説と検証」とういう言葉を思い出しました。
人は「仮説」を立てながらそれを検証して、
やって見て「仮説」が違っていることが分かれば、
「仮説」を修正していく。
 
男の一生は、その繰り返しと思います。
小田実さんは、「なんでも見ながら」
それを、やり続けてきました。
 
この人たちが創設した「ベ平連」は一世を風靡し、
私の組合活動
(といってもベトナム反対運動でのデモの
思い出だけですが)も、
引っ張っていった側面があると思います。
 
その「ベ平連」は小田実さんと吉川勇一さんが、
牽引していました。
ソ連崩壊後の1991年、
ソ連時代の機密文書が現れています。
 
その機密文書で、小田実さんと吉川勇一さんが、
ソ連がお金を出したときの
「ベ平連」のソ連窓口だったと書かれていました。
「それは事実でしょう。だから何が問題なのだ」と、
私など思います。
 
「ベ平連」はベトナム戦争での
アメリカに反対していたのですから、
ソ連が金を出すのは当たり前だと思いました。
 
が、吉川勇一さんがその事実を認めたのに、
もう60歳になろうとしていた小田実さんは、
その事実を認めません。
年が行って、小田実さんには「仮説と検証」を
繰り返す柔軟性が、もうなかったのでしょうか。
 
その小田実さんがこの本を、
1962年頃中央公論に書きはじめ、
1997年に書きあげました。
そして、本書が出版されたのが1998年です。
 
この本を読んで、
「人間に正義だとか、正義でない」とかないと思いました。
戦後の焼け跡で、人は生き延びればいい。
だから正義論で語れば面白くなくなった(と私は思います)
小田実さんが、書いたこの本を、
戦後の現実はこうだったのだと思えば面白かったのでした。
 
++++++++
<人生を切り開く生き方>
 
私は、女性は別だ
(「話を聞かない男、地図を読めない女」という
ベストセラーになった外国生まれの本があるように、
男と女の考え方は違うと思います)
と思います。
 
男は仮説をたてて、一時的にはそれを信じて、
その仮説で突っ走るところがあると思います。
この戦前軍国主義だった少年
(小田実さんの分身と思います)は、
先の大戦、太平洋戦争でアメリカに完膚なきまでに負けた、
日本の現実を踏まえて行動します。
 
男は、基本的にオッチョコチョイなのでしょうか。
立てた仮説が、間違っていても、
観念でその間違いをやり続けるところがあります。
私も自分への反省から、(もうすぐですが)
 
64歳の今頃になってようやく男が、
自分自身が分かって来ました。
なにか最近、歌の文句ではないですが、
「女が偉く思えてきた」という気分になっています。
 
外から見れば間違いが分かっているのに、
自分の仮説をやり続ける男を見ると、惨めにも、哀しくも、
そして笑いたくもなるように成りました。
小田実さんのこの本を読んで、哲学なんてクソ食らえ、
行動こそに価値がある、と言うような小田実さんを感じます。
 
戦前は軍国少年だった
小田実さんは「ベ平連」を立ち上げました。
そういう意味では、戦前も戦後も、
小田実さんは一貫した反米主義なのですね。
 
この本では、不良米軍兵士とのおつきあいが出てきますが、
基本は反米的というか、
反権力主義を押して出して生きますが、
私は自分に都合のよいものならば
何でも受け入れてしまうのが、
小田実さんなのだと思いました。
 
この本を読んで小気味良かったのは、
主人公の少年が妥協せず、
MPに向かっても、闇市での朝鮮人との付き合いでも、
マルコポーロやクレオパトラとの付き合いでも
自分の力を精一杯出していくところです。
 
ある意味、自分を表に出していくのは
疲れますが、それを粘り強くやっていました。
なるほど、これが大阪人か、
小田実さんかと思います。
 
+++++++++
<日本の戦後の雰囲気と、私の若い頃の組合運動>
 
私は、電電公社に入って、最初組合に入りませんでした。
そのころ何か組合には嘘があると感じられていたのです。
分会長が組合に入るように説得に来ました。

また、組合運動では共産党の活動も盛んでした。
 
私は誘われて共産党主催の
労音に行ったりしていましたから、
私はノンポリだったのに、
今思えば体制側から見ると、
危険な人物だったのですね。
 
多分私は、戦後の日本の思想が
欺瞞的だったのを感じていたから、
今思えば変な行動をとったのだと思います。
分会長の説得に、何か自分の心は動いたと思うのですが、
結局組合に入りました。
 
若い時、組合には動員があり、
私もその動員で良くデモに参加しています。
 
デモではシュプレッヒコールを
先導者に合わせてするのですが、
あるシュプレッヒコールのとき、
言っていることは私の意見とは違うと思って、
そのシュプレッヒコールのとき黙っていました。
 
そのとき一緒にデモで歩いていた人
(その人は電話局の庶務課に勤めていて、
大学のときは卓球の選手と言っていました)が、
私が黙っているのを見て、声をかけてきます。
 
私が黙っている理由をいうと、
その人は、「シュプレッヒコールの言葉の意味なんて
どうでも良い。先導者のシュプレッヒコールに合わせて、
大きな声を出してみろ、気持ちが良いから」と言いました。
 
なるほど、そういう体育会的な考え方もあるなと思って、
大きな声でシュプレッヒコールをしたら、
確かに気持ちが良い。
 
それから、ときどき私の意地も出しますが、
状況に合わせて生きるようになりました。
田舎モノの私は、
説得されて分会の執行委員になったりします。
 
ベトナムへ戦車を米軍が送るのに反対し、
徹夜で行なわれた「村雨橋闘争」に行きました。
機動隊とも最前列で口喧嘩しています。
 
後ろのデモ参加者から押されて、
道路に押し出されたときは、両隣の人と腕を組みましたが、
道路では機動隊に足を蹴られたり、
髪の毛を掴まれて逮捕のため、
機動隊に引き抜かされそうになりました。
 
でも何より痛かったのは、棍棒でヘルメットをかぶらない頭
(電電公社の全電通は当時、
ヘルメットを被らない運動をしていましたので、
私もヘルメットを被っていなかったのです)を、
思い切り叩かれたことです。
 
気絶しそうになりました。
でも隣の人の腕を離したら、
会社をクビになるかも知れないと思い、
必死でスクラムを外さずにいます。
そのうちジグザグデモは、歩道にあがっていて終わりました。
 
そんなとき「ベ平連」がいつもいて、
あの人たちはどんな人たちなのだろうと、
私は思っていました。
 
多分、「ベ平連」の主役の小田実さんは、
私がしたように、流れに任せて、
そのときそのときの自分の意地に随って、
生きて「ベ平連」にも取組んだのでしょう。
今回の読書で、そう感じました。
そうか、
そこにこそ大阪人の意地があったのかと思ったのです。