2015年9月30日水曜日

お店での買い物で、今日はニンジンとピーマンとトマトを買った。

お店での買い物で、
今日はニンジンとピーマンとトマトを買った。
写真は、買ったニンジンとピーマンとトマトを、撮ったもの。
ニンジンとピーマンは、生のまま
この一部を切ってゴマダレをかけて食べる。
 
生野菜をボリボリ食べる。
特にニンジンをボリボリ食べると、顎がきたえられるな。
トマトは、買ってきてすぐ、切って食べた。

さつま揚げの各種を、買って来た。

さつま揚げの各種を、買って来た。
写真は、買ってきた7種類の
さつま揚げ等を、撮ったもの。
この一つを電子レンジで温めて、これと
納豆と梅干しで、毎朝ご飯を食べている。
 
段ボール揚げを、この前食べたので、
今日もお店にあるかと思ったが、今日はお店になかった。
代わりに、写真下の「いかたこ天」と
「れんこん天」があったので、買ってきた。
「段ボール揚」は、この形だった。
 
そうか、いつも何気なく買っているが、
お店のこういったものは、時々種類が変わるのかと、思った。
今週は朝、これの一つを電子レンジでチンをして食べる。
その他の物も、この前あって、
今日はなかったものもあったな。

NSビルの銀行のATMに、お金の振込に行った。NSビルの中では、大時計が動いていた。

NSビルの銀行のATMに、お金の振込に行った。
NSビルの中では、大時計が動いていた。
写真は、ATMのある3階のエレベータのところから、
ビル南側にある大時計を、撮ったもの。
大時計は、左下のエスカレータの右下にある
水車で動いている。
 
 

新宿ワシントンホテルの中から、ガラス越しに北側の道を見た。

新宿ワシントンホテルの中から、ガラス越しに北側の道を見た。
写真は、その風景を、撮ったもの。
左側の手前高いビルが、都庁第二庁舎、第一庁舎。
左側のその向こうに小さく茶色に見えるのは、
小田急第一生命ビル。
 
右側の手前のビルは、NSビル。
手前の木は、街路樹。欅の木。
手前左を、もっと上の方を見ると、
都庁第二二庁舎のてっぺんが見える。

今日(9月29日)も快晴。部屋の温度は25℃、湿度は22%と両方とも低く、爽やか。

今日(9月29日)も快晴。
部屋の温度は25℃、湿度は22%と両方とも低く、爽やか。
写真は、7時30分、ベランダから東北の方向を向いて、
今朝干した布団を下に、空を、撮ったもの。
空は、雲一つない、快晴だった。
 
それにしても湿度が22%というのは低い。
湿度計を見て、間違いじゃないかと思って、見直した。
間違いじゃなかった。
布団を干したほか、朝、洗濯もしている。
写真真ん中上の高いビルは、住友不動産ビル西新宿5号館。

2015年9月29日火曜日

浜町公園の、楓でもう少し赤く色づいていたものがあった。今年は寒いから、色づくのが早かったのかな。

浜町公園の、楓でもう少し赤く色づいていたものがあった。
今年は寒いから、色づくのが早かったのかな。
写真は、浜町公園のなかで、少し色づいた楓を、撮ったもの。
赤くなった、原因がほかにあったのか、私は知らない。

浜町公園のグラウンドでは、高校の体育祭が行われていた。綱引きを応援する、ドンドンという音が聞こえてきた。

浜町公園のグラウンドでは、高校の体育祭が行われていた。
綱引きを応援する、ドンドンという音が聞こえてきた。
写真は、体育祭が行われているグラウンドを、撮ったもの。
向こうに小さく見える、黄色の服を着て座っている人々の
向こうで、綱引きをやっていた。

都営新宿線で、「浜町」に行った。「浜町」駅A2出口を出ると、銀杏並木と明治座が迎えてくれる。

都営新宿線で、「浜町」に行った。
「浜町」駅A2出口を出ると、銀杏並木と明治座が迎えてくれる。
写真は、A2出口を出て、銀杏並木と明治座を、撮ったもの。
写真で道路の両脇に銀杏並木がある。
右側の高いビルは、明治座が下に入っている、明治座ビル。

新宿駅南口地下道の新宿プロムナードギャラリーで、写真展をやっていた。

新宿駅南口地下道の新宿プロムナードギャラリーで、
写真展をやっていた。
写真は、写真展で展示されていた写真の内、
1枚を、撮ったもの。
女性が写っている。
 
頭にかぶっているものは、なんだろう。
それに、何か太い紐のようなものも、
その上から、肩下まで垂れ下がっている。
分からないことが多いけど、女性は華やかで良い。
他の写真は、風景写真等。

新宿ワシントンホテルの「ゆで太郎」で、蕎麦を食べて、続いて隣のQBハウスで1000円の散髪をした。

新宿ワシントンホテルの「ゆで太郎」で、蕎麦を食べて、
続いて隣のQBハウスで1000円の散髪をした。
写真は、QBハウスの、散髪屋の内部を、撮ったもの。
短く、バリカンで刈上げて、髪を分けて、
と言って、散髪をして貰った。
 
昼食が560円。
散髪が1000円。
ここでは、安くできる。
新宿ワシントンホテルは、中国人や外人に人気がある。
そして、サラリーマンの味方でもある。

新宿ワシントンホテル地下1階の「ゆで太郎」で、鳥・舞茸丼と冷たい蕎麦セットを食べた。

新宿ワシントンホテル地下1階の「ゆで太郎」で、
鳥・舞茸丼と冷たい蕎麦セットを食べた。
写真は、鳥・舞茸丼と冷たい蕎麦セットを、撮ったもの。
実は、少し、冷たい蕎麦を食べてから、
思い出して、写真を撮った。
 
ここの蕎麦は、ボリュームがあって、
おいしくて、そして安い。
何しろ、これで560円。
2~3年前は、毎日、ここで昼食を食べていた。
ときどきは、朝の納豆蕎麦定食も、350円で食べた。
 
冷たい蕎麦は、葱、山葵、たれで食べる。
蕎麦には海苔もついている。
それに、山形で蕎麦を食べたとき
おいしかったので、唐辛子も蕎麦にかける。
 
鳥・舞茸丼には、たっぷり鶏肉を揚げたものが入っている。
それに舞茸、ご飯に、紅ショウガもついている。
例によって、完食。
終ると、どんぶりに蕎麦湯をいれて、たれを淹れて飲む。
560円を、味わい尽くすように、食べた。
 

新宿ワシントンホテルから、都庁、NSビル、住友三角ビルを見た。空は快晴だった。

新宿ワシントンホテルから、
都庁、NSビル、住友三角ビルを見た。
空は快晴だった。
写真は、新宿ワシントンホテルから、
北の方を向いて、撮ったもの。
 
写真左側のビルは、都庁第二庁舎、第一庁舎。
写真右側のビルは、NSビル。
向こうに木の向こう側に見えるビルは、住友三角ビル。
空の青さが目立つ。
空気は、まだ9月なのに、肌にひんやりしていた。

今日の朝、雲は多かったけれど、温度・湿度とも低かった。部屋の温度は25」℃、湿度は34%。

今日の朝、雲は多かったけれど、温度・湿度とも低かった。
部屋の温度は25」℃、湿度は34%。
写真は、部屋から南西の方を向いて、7時撮ったもの。
右側のビルが、オペラシティ―ビル。
左側のビルが、NTT東日本本社ビル。
 
天気予報によると、冬型の気圧配置とか。
大陸の乾いた空気が、日本に入ってくるそうだ。
今年のお盆以降の夏は、涼しかった。
このまま、秋になっていく。
昨日は、沖縄、台湾では台風が凄かった。

2015年9月28日月曜日

今日は、スーパムーン。東南の空に、スーパムーンが輝いていた。

今日は、スーパムーン。
東南の空に、スーパムーンが輝いていた。
写真は、21時、窓から東南の上空に輝く
スーパムーンを撮ったもの。
 
昨日、フェースブックを見ていたら、ある人の投稿で、
今日がスーパムーンだというのを知った。
それで昨日も撮ったけど、今日も撮った。
雲がきれて、スーパムーンが
東南の上空にくっきり見えた。
 
スーパムーンは、1年のうちで満月が地球に
もっとも近づいて、もっとも大きく見えるときだそうだ。
そういえば、満月は普段より大きい(と、見える)。
部屋の窓から、簡単に満月が見られるので、
昨日に続いて、スーパムーンを撮った。
 

今日は、夕飯時、りんごを食べて、柿を食べて、栗を食べた。

今日は、夕飯時、りんごを食べて、柿を食べて、栗を食べた。
写真は、食べ終わった夕飯と柿と栗を、撮ったもの。
右側と上のお椀が、食べ終わった、
ご飯とおかずをいれた食器。
 
下の皿に盛ったのが、柿を剥いたもの。
左の袋に入っているのが、新栗をふかしたもの。
今日の、夕食時は、ご飯を食べ終わったあと、
リンゴと栗と柿を食べた。
 
今日は、昼は生のニンジンに、ゴマダレをかけて食べた。
なんか、昼食といい、夕食といい、ご飯以外を、
この2、3日、食べ過ぎの感じ。
栗は、昨日、6個、今日は2個食べた。
明日から、また食べるのを、セーブしよう。

今日、夕飯時、ご飯を食べながら、りんごを剥いて、食べた。

今日、夕飯時、ご飯を食べながら、りんごを剥いて、食べた。
写真は、器に盛り付けた、剥いたリンゴを、撮ったもの。
夕飯は、今日は具をいれて、肉と卵をいれ、
シチューで味付けしたものが、おかず。
ご飯には、鮭のふりかけをかけた。

今日(9月28日)は、晴れた。それで、東側のベランダに布団を干した。

今日(9月28日)は、晴れた。
それで、東側のベランダに布団を干した。
写真は、7時20分、ベランダに干した布団を、
東側を向いて、撮ったもの。
空には、雲がまだ多いが、天気予報は晴れときどき曇。

2015年9月27日日曜日

フェースブックで、中秋の名月が写っているのを見た。南南東の空を見ると月が輝いていた。

フェースブックで、中秋の名月が写っているのを見た。
南南東の空を見ると月が輝いていた。
写真は、21時40分、窓から南南東の方を向いて、
フェースブックに載っていた中秋の名月を、撮ったもの。
綺麗だった。、

塩野七生さんが書いた、「「ローマ人の物語」スペシャル・ガイドブック」を読んで、読書感想を書きました。

野七生さんが書いた、
「「ローマ人の物語」スペシャル・ガイドブック」を読んで、
2011年9月、私は下の通り、読書感想を書きました。
写真は、本の表紙を、ウェブから、撮ったものです。
 
++++++++
読書感想文(「ローマ人の物語」
スペシャル・ガイドブック・・・塩野七生)
 
「ローマ人の物語」は、
<塩野七生さんが1992年から2006年まで、
<年に一冊ずつ15巻にわたって、
<紀元前753年から、紀元526年までの
<ローマを書いたものです。
 
私が昔よく本を読んでいたロケット博士の糸川英夫さんが、
20年近く前に、もっとも科学的な日本人は、
(科学者ではないのに)
司馬遼太郎さんと塩野七生さんの2人だ、と
本で言っていたのを読みました。
 
司馬遼太郎さんは、私も含めたたいていのサラリーマンなら、
その本を読んで知っていると思います。
でもそういう普通のサラリーマンの私は、
塩野七生さんは初耳でした。
へー、どんな人かなと思って、簡単に読める「男達へ」と
言う本を買ってきて読んだら、やはりこれが面白い。
 
だから年末に、もう既に3冊でていた
「ローマ人の物語」を、区民図書館から借りてきて、
1月4日までに読み終わりました。
多分、1994年末に借りて
1995年の1月4日に読み終わったのですね。
 
1巻「ローマは1日にしてならず」、
2巻「ハンニバル戦記」、
3巻「勝者の混迷」の3冊です。
 
最初は、塩野七生さん流の癖のある文章に
(例えば、「であるならば」などが多用されていて、
すぐ他の人と文章の違いがわかります)、
少し読むのに手間取りました。
 
が、文章になれてくると、
そして本に沢山でてくる地図を読みこなすと、
情景がだいたい分かります。なるほど、
こんな感じで読んでいけば、現代西欧の枠組みを作った、
ローマ時代が分かるなと私は思いました。
 
そして、4巻「ユリウス・カエサル-ルビコン以前」が、
1995年10月に印刷され本屋に並んだのを、
私は本屋(新宿の紀伊国屋書店)で見つけます。
 
今思うと、このシリーズで一番厚いし、
一番面白かったカエサル(英語ではシーザ)のことを
書いた本でした。
これも買って一気に(近く短い期間で)、読んでしまいます。
 
塩野七生さんを読んでいて、
なんと言っても面白かったのは、
当時の多神教であったローマ人を一番抵抗なくわかるのは、
一神教を信じる現代のヨーロッパ人でなく、
今も多神教の日本人だと言ったことです。
 
そして塩野七生さんは、
歴史的に有名なローマ時代の歴史家たち
(私だったら、ひれ伏すばかりの人たちです)を、
「それは良く間違える」などと、
一刀両断に切り捨てたりもしていました。
 
この人は権威なんかよりも、
自分の感性、常識を信じるのです。
なにか笑いたくなるほど、その心構えは痛快でした。
 
そして、「ローマ人の物語」が毎年10月か11月頃、
タイトルが変わって少しずつ年代を下げながら、
出てくるのを待って、
私は本屋でその都度、このシリーズを買って読んでいます。
 
そして、読み終わって、
少し「ローマ時代」の変遷が、
そして現在のヨーロッパの人たちの考え方の
背景がわかるようになりました。
 
中国のことは、「史記」に題材をとった宮城谷昌光の、
中国の歴史ものをそれこそ
ほとんど読んで分かった気になっていた私は、
この「ローマ人の物語」と合わせ、
世界の考えが少し分かったような気になったものです。
 
「ローマ人の物語」は、
ローマ世界に関する良い書き手を得て、分かりやすく私など
日本人に西欧の歴史というものを分からせてくれました。
出版されているあいだ中、この本が日本の経営者たちにも
人気があったというのも、なんとなく分かります。
 
++++++++
塩野七生さんは、1937年東京に生まれ、
<学習院哲学科にいっています。
<そしてイタリアの歴史を小説に書いている
<イタリア在住の女性です。
 
塩野七生さんは、1937年東京・北区・滝野川に生まれて、
日比谷高校を卒業し、学習院大学に行って哲学を学びました。
学生の頃からオーソリティの言う定説とか、
常識に囚われずに、
先生に「何故何故」と聞く、生徒だったようです。
 
1963年から1968年はイタリアに学び、
日本に帰ってくると、
中央公論に「ルネッサンスの女達」を書いて、
文壇デビューしました。
 
1970年には、ローマ教国の教皇の子供で、
ローマ教皇軍の司令官だったボルジア
(私には織田信長みたいな人だったかと思われますが、
相手を騙すためには、味方も騙す=しかも死を持って、
味方もビックリさせる人です)を描いた、
「チェザーレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」で、
毎日出版文化賞を受賞しています。
 
少し脱線しますが、同じ塩野七生さんが後に書いた
「わが友マキャベリ」に出ていたのですが、
マキャベリがまだ若いとき、
このボルジアのところに交渉にいきました。
 
そしてそのときマキャベリは、
いたくこの人を尊敬し、
マキャベリの「君主論」は、
このボルジアが主題になっています。
 
塩野七生さんは1970年から、
再びイタリアに行き住みつきました。
そして医者のイタリア人と結婚して、
子供を1人生みます。
 
ご主人のイタリア人のお医者さんが学会で日本に来たとき、
日本のお医者さんは
「塩野七生さんのような人を、
イタリア人に取られてしまったのは、
日本男性として情けない」と会議で発言しました。
 
これか笑ってしまったのですが、
そのときイタリア人のご主人が、日本人の医者に、
「いやあなた方は正しかった。
それは一緒に生活してみれば分かる」と言ったそうです。
 
このご主人の言ったことに、
私はイタリア人の会話がしゃれていると思いました。
しかし、のちにはこのご夫婦は離婚していますから、
このときイタリア人のご主人は思ったとおりのことを、
言っただけかも知れませんが。
 
塩野七生さんは、今もイタリアに住み続けています。
そして、著作はルネッサンスやローマ時代のことなど、
イタリアに関係したもの、
つまり自分が生活して体験し、
博物館などを見て感じたものを書いてきました。
 
私がみたところ塩野七生さんは、
イタリアの歴史上の人物では、カエサル
(英語読みではシーザ、紀元前1世紀の人)と
マキャベリ
(ルネッサンスの時代の1500年前後の人)が好きです。
 
もっと他にも塩野七生さんが好きなのだと
思う人がいますが、共通しているのは、
誰がなんといおうと一貫して仕事をしている男達でした。
ぐずぐずしている男達は嫌いなのだと思います。
 
そして何事かを成し遂げた男たちでした。
あまり歴史上では好かれていない、
スッラやティベリウスやハドリアヌスなどが、
塩野七生さんは好きですから、私はそう思います。
 
++++++++
<この本との出会い>
 
私は本屋に、ここのところ私が刺激を受けている
加治将一さんの、
「アルトリ岬」(最近文庫版が出ました)を
買いに行ったのですが、
まだ本屋には「アルトリ岬」の文庫版は出ていませんでした。
 
代わりにこの『「ローマ人の物語」
スペシャル・ガイドブック』を、見つけます
(実は本屋ではこの本を、前から横目で見ていたのですが)。
そしてこれを見た瞬間、どうせ買って読むことになるから、
買おうと思って、買ってしまいました。
 
この本は、15巻にわたって(15年にわたって)
書いたことを一冊にまとめていました。
どうせ写真中心の要約版だろうと思って、
この本を読み始めたのです。
 
が、読み終わってみると、これはこれで、
紀元前753年のローマ建国の時から、
476年の西ローマ帝国の滅亡までの、
1200年もの間のローマ時代が、
塩野七生さん流の価値観で、
それを創ってきたローマ人たちの考えを通じて
一通り捉えられていて、面白いのでした。
 
私は塩野七生さんの本を見ると、いつも思います。
この気宇壮大さは何だろう。
常識を認めず、自分の価値観で書き続ける塩野七生さんに、
読む前の私の抵抗感なんか吹っ飛んでしまって、
いつも感心してしまいます。
 
塩野七生さんは自分の頭で深く考えて、
その考え続けたことを書いているから、
読む私たちに説得力を持つのでしょう。
 
++++++++
<この本の構成>
 
この本の構成は、次の通りです。
( )内は説明されているページ数です。
 
-第1部 ローマ人の物語を訪ねる(1巻から5巻編)
(60ページ)
-第2部 皇帝達たちの愛した街(32ページ)
-第3部 『ローマ人の物語を訪ねる(6巻から10巻編)
(60ページ)
 
-第4部 帝国の属州を歩く(31ページ)
-第5部 『ローマ人の物語を訪ねる(11巻から15巻編)
(56ページ)
-第6部 ローマ人と友達になるための美術館めぐり
(42ページ)
 
塩野七生インタビュー 
なぜローマ人は「寛容」だったのか(34ページ)
 
最後の塩野七生インタビューは、面白かった。
質問した人が、私達の気持ちを
代弁して上手にインタビューしたのもあると思いますが、
塩野七生さんが率直に回答し、
そしてそこに独特な塩野七生さんの作法があって、
面白かったのだと思います。
 
そして、改めて塩野七生さんが、
この小説にどう取組んだか分かりました。
私はこの全体を読む最初に、
このインタビューを読んだのですが、
ここを読んだだけで買って良かったと思ったものです。
 
以下、インタビューとその回答を引用します。
インタビュアーが言ったことと、
塩野七生さんが言ったことが、
チャンポンになって出てきますが、
分かりやすくするために、誰が言ったかは書きません。
 
両者とも考えは一致していたと思うので、
不要と思いましたから。
 
それにしてもこのインタビューを読むと、
『ローマ人の物語』15巻で、
塩野七生さんという人の本を読んだのは、
私も稀な経験(塩野七生さんの経験の追体験)が
できたものだと思いました。
 
――「寛容」という言葉に、
読んでくれた人が敏感に反応してくれたのは、
今の世界がだんだん「寛容」では
なくなってきているからではないでしょうか。・・・
 
自分の考えていることは、
もしかしたら半分しか正しくないかも知れないというような
疑いを、常に持つのが「現実主義者」です。・・・
 
「現実主義」を突き詰めたら、
異なる意見にも耳をかす「寛容」へたどり着くところが、
うらやましい気がします。・・・
今の世界は何でこうなってしまったのだろう、という
問題意識が常にあったからなのでしょう。
 
歴史家となれば常に、
その時代の子なんですよ
(八木感想・・・人にはそういう制約がある)。
 
――キリスト教化される以前の時代のローマ皇帝は、
行使する権力を人間から委託された存在でした。
人間に委託されている限り、委託するのをやめました、
と改めることは可能です。・・・
 
権力は神が依託したとされる時代がきます。
どうするんですか? 
この人は悪帝だと言ったって、神が委託したのですから、
神が雷でも落として
殺してはくれなくてはいけないとなります。
でも、落としていないということは、
神がまだ委託しているということになる。
 
(八木感想・・・だからキリスト教化してから、
ローマは衰亡した。
キリスト教をローマの国教にしたコンスンチヌス帝は、
ローマ帝国の運命を変えた人なのですね。
善悪は長い歴史で考えなければならないし、
ひょっとしたらそんなものはないのかも知れませんが)
 
――神の後ろ盾がない時代のローマ皇帝は、
成果主義の極みなので、すごいプレッシャーだった・・・。
それでもなりたがる人がいて、
立派に務めを果たした人がいました。
不思議です。・・・
 
所詮は自分自身に対する誇りだ、と思います。
他の人と同じようなことをやって
一生を終えるのは嫌だと思ったり、
始めた以上は絶対にやり遂げるとか・・・
そうですよ。
自分のやりたいことをして生きたいってね。
 
――『ローマ人の物語』というのは、
ローマ人の肉体生理まで伝えようとしたから、
長くなっちゃたのね。
 
――昔からそうなんですが、
お金のあるなしにかかわらず、
自分が知らない所へ行くときは三顧の礼を尽くして、
その土地の最高のガイドを頼むんです。
 
そうすると、ほとんど当地の大学の先生ね。
言葉にしても、イタリア語か、フランス語か、
それともラテン語か、もうまぜこぜです。
 
でも、「どうしてですか? なんでですか?」って
しつこく聞くと、
「いや、それならば
この近くにあるあれを見たほうがいい」って
親切に教えてくれるようになる。
 
最後はたいてい、
「楽しかった。お金はいらない」って
言ってくれました(笑)。
 
++++++++
<『ローマ人の物語を訪ねる(1巻から5巻編)>
 
この章の1巻から5巻はタイトルが、
1巻「ローマは1日にしてならず」、
2巻「ハンニバル戦記」、
3巻「勝者の混迷」、
4巻「ユリウス・カエサル-ルビコン以前」、
5巻「ユリウス・カエサル-ルビコン以降」です。
 
1巻で、ローマが王政から、共和政(元老院政)になります。
この変化をなした人は、ローマで専横を欲しいままにして、
結局追放された7代目タルクイントス王から、
「阿呆(ブルータス)」と呼ばれていた、
王の甥っ子のルキウス・ユニウス・ブルータスでした。
この人はあだ名が名前になったのです。
 
2巻「ハンニバル戦記」は面白いですね。
天才ハンニバル親子とローマの戦いは、
プロの味わいがあり、これを読みきったところで、
私は「ローマ時代の物語」の
面白さが分かるようになりました。
 
ローマに大スキピオが出て、
結局、ローマがハンニバルのカルタゴに勝ち、
ローマが地中海を支配するようになります。
 
3巻「勝者の混迷」は、なんだったのでしょう。
大スキピオの娘を母に持つ、グラックス兄弟が出てきます。
強くなったローマが新たな矛盾を抱え、
そこから脱出しようと、
グラックス兄弟はいろいろな施策を提案しますが、
結局元老院に殺されます。
 
ローマ軍の地方の司令官だったマリウスや、
スッラもローマの宰相として出てきました。
しかし、これは血を血で洗う、粛清をともないます。
ユリウス・カエサルは
スッラに殺されそうになりました。
 
4巻「ユリウス・カエサル-ルビコン以前」、
5巻「ユリウス・カエサル-ルビコン以降」は、
この『ローマ人の物語』シリーズで一番面白かった。
 
ユリウス・カエサル(英語読みではシーザで、
私はシェークスピアの戯曲で名前を知った)は、
殺されたとき「ブルータス、お前もか」と
言ったと聞いています。
 
しかし、それは事実ではないでしょう。
この2冊を読んで、
ユリウス・カエサルは、天才だと思いました。
 
「ルビコン河を渡った(賽は投げられた)」
「人は見たいと思う現実しか見ない」など、
いいことを沢山言っています。
人の心を分かる人だったと思いました。
 
そして、後継者には
若干18歳のオクタビアヌス
(後にアウグストウスと名前を変える)を指名します。
紆余曲折がありましたが、アウグストウスは
パックス・ロマーナ(ローマによる平和)を実現しました。
 
紀元前1世紀の人、ユリウス・カエサルは、
ローマを共和政(元老院政)から帝政に変える
シナリオを書いた人でもあります。
だから、時の既得権益者である
元老院の人々に殺されました。
 
++++++++
<皇帝達たちの愛した街>
 
ここには、『ローマ人の物語』全体に出てくる
皇帝の別荘が、
ハドリアヌス皇帝の別荘の例で説明されています。
ローマ時代末期、首都はイースタンブールに移りましたが、
このイースタンブールも写真で説明されていました。
 
また西暦79年ヴェスビオス火山の噴火で、
一瞬に埋もれてしまった、
ナポリ近郊の都市ポンペイで、
当時のローマの標準的街の様子が説明されています。
 
一瞬で埋もれてしまったので、
当時のローマの標準的な様子が、そのまま残りました。
それにしても、紀元1世紀の遺跡なのですが、
その近代的であることには、驚くばかりです。
これが普通の一つの町だったなんて信じられないようでした。
 
++++++++
<『ローマ人の物語を訪ねる(6巻から10巻編)>
 
この章の6巻から10巻はタイトルが、
6巻「パックス・ロマーナ」、
7巻「悪名高き皇帝たち」、
8巻「危機と克服」、
9巻「賢帝の世紀」、
10巻「すべての道はローマに通ず」です。
 
6巻「パックス・ロマーナ」はアウグストウスの物語です。
まず、カエサルを殺した人々に勝利しました。
次に、クレオパトラと組んだアントニウスを
「アクテウムの海戦」で破ります。
そして紀元前29年、ローマに凱旋しました。
 
それからアウグストウスという名前を
元老院から送られますが、帝政への道をひた走ります。
帝政に反対する元老院に、文句を言わせない。
むしろ応援させるテクニックは、鬼気迫るものがあります。
 
そして、「パックス・ロマーナ」を築き上げますが、
アウグストウスは空気のようになりました。
つまり、真のコントローラは、
いつの間にか空気のように誰からも見えなくなるのです。
 
まったく、孫子の
「微なるかな微なるかな、無形に至る、
妙なるかな妙なるかな、無声に至る」になりました。
自分の理想を黙ってやるぬく姿勢には、
まったく脱帽します。
 
7巻「悪名高き皇帝たち」には、
ティベリウス、カリグラ、クラウデウス、ネロが
出てきました。
この皇帝たちの評判は悪いです。
 
しかし、特にティベリウス、クラウデウスについてなどは、
むしろ善政を行なったとして、
塩野七生さんは評価しているぐらいでした。
そして彼らの努力もあって、
このあとも帝政は継続されたとも言っています。
 
8巻「危機と克服」は、「国家の敵」として
断罪されたネロの後、1年で3人の皇帝が生まれますが、
どの人も上手くいきません。
ローマの危機です。
 
そこで、推薦されて、
ユダヤ方面の司令官をしていた
落ち着いたヴェスパニアヌスが皇帝になり、
彼が財政再建などに取り組み、
危機は克服されていきました。
 
9巻「賢帝の世紀」です。
2世紀はローマが、
もっともダイナミックに動いた世紀でした。
ヴェスパニアスの次男が長男の後を継ぎましたが、
そのドミアテヌスが元老院と対立し、暗殺されます。
 
そしてそれ以降5賢帝の世紀が始まりました。
この期間歴代の皇帝は、養子等が継いで行きます。
つまり、歴代の皇帝に血のつながりはありませんでした。
 
元老院から推薦されて皇帝にショートリリーフ的に、
なった初代のネルバ。
最もダイナミックに動いて、ドナウ川からゲルマン民族が
押し寄せてきたのに、応戦する格好で戦争をして
ダキアをとった、2代目トライアヌス。
 
皇帝である間、広大な帝国内の辺境の
ローマ軍団基地を3回も歩き回り、
そんなことなら皇帝なんかにならないほうが良いと
周りからいわれた、
天才オルガナイザーの3代目ハドリアヌス。
 
なにもしなかったけど、治世は上手く行った、
4代目アントニオ・ピウス。
そして、5代目が統治に苦労しまくって、
ラインの軍団基地で死んだ5代目、
哲人皇帝マルクス・アウレリスス。
 
最後の5代目から、
ローマの衰亡が始まったのでしょう。
5代目マルクス・アウレリススは11巻の
「終わりの始まり」の中心人物になります。
 
10巻は「すべての道はローマに通ず」です。
この巻だけ特別で、この巻は皇帝の歴史は語られません。
広大なローマ帝国内に、道路と水道を張り巡らせる、
ローマ軍の話が展開されます。
なるほど帝国が長く続くのには訳がある、と思わせました。
 
創るのも徹底していますが、
そのメンテナンスに力を注ぐのが、
ローマ軍なのです。
そして医療や教育などソフトなインフラ作りにも
力をいれたのが、ローマでした。
 
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帝国の属州を歩く>
 
ローマ帝国は広大です。
西はスペイン、イギリス。
北は、ライン川のドイツ、
東はドナウ川とそれから小アジアと呼ばれる
トルコ・イラクの当たりから、シリアまで。
 
南は、北アフリカ、もちろんエジプトも含まれます。
これらの地中海を取り囲む広い地域を、
歩いて写真を取りまくったうえで、
感想を書いているのが、この章です。
 
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<『ローマ人の物語を訪ねる(11巻から15巻編)>
 
この章の11巻から15巻はタイトルが、
11巻「終わりの始まり」、
12巻「迷走する帝国」、
13巻「最後の努力」、
14巻「キリストの勝利」、
15巻「ローマ世界の終焉」です。
 
この5冊が、ローマが崩壊する過程を書いたものでしょう。
まったくローマ帝国衰亡史なのです。
 
最初の5冊が、ローマのスタートから、
カエサルの活躍までのローマの勃興期。
真ん中の5冊が、ローマの最も華やかだった時代の、
ローマを描いています。
 
だからこの衰亡史のシリーズの読書では、
私も失敗はどこで生まれるのか、というのを
考えながら読んでいました。・
 
11巻「終わりの始まり」は、
賢帝の世紀の最後の5代目
マルクス・アウレリススの奮闘を書いています。
 
前の4代目皇帝の時代には奇跡的といっても良いほど、
ローマ帝国内にはなにも起こらなかったのに。
マルクス・アウレリススの時代には、
ゲルマン民族が攻めてくるし、
天変地異も起こりました。
 
これらと格闘したのが、
哲人政治家マルクス・アウレリウスだったと思います。
だから後世の人は、彼を誰も攻めません。
そこで、ローマの崩壊が始まったのは、
彼の子供で次の皇帝になったコモデウスが悪いからだと、
歴史ではなっています。
 
12巻「迷走する帝国」は、
3世紀の危機といわれたローマの、73年間に
22人の皇帝が現れた時代を書いています。
 
ほとんどの皇帝が、どこかの軍団の司令官でした。
皆それぞれに努力しましたが、
どれも上手くいかなかったというところでしょう。
たくさん物語があって、今では私もどんな物語があったのか
忘れてしまっているのです。
 
日本の首相も輪にかけて、短い期間で変っているので、
もう一度ここを読んで、
何が起こっていたのか、
ゆっくり考えてみたほうがよいのかなと思います。
 
13巻「最後の努力」は、
3世紀の危機の最後のほうの皇帝、
ヌメリアヌス帝の警備隊長だったデオクレティアヌスが、
兵士達の推挙で皇帝となりますが、
この人の努力を書いています。
 
デオクレティアヌスは、
広大なローマ帝国をよく統治するため、
始めは2頭制、後には4頭制を実行しました。
つまり、ローナ帝国を分割して、
複数の人間で分担統治をしたのです。
 
機能面ではうまく行きましたが、
税金が高くなった等の弊害もあったのでしょう。
今の官僚組織の肥大化と同じですね。
そして瓦解し、
最終的にコンスタンチアヌスが、勝ち残ります。
 
そして、コンスタンチヌスは
キリスト教を帝国の宗教としました。
それで現在の西欧人は、ほとんどがキリスト教徒ですから、
コンスタンチアヌスは大帝と呼ばれるようになります。
 
多分、コンスタンチアヌスはキリスト教を国教とすると、
一族が神に指名されて皇帝になるので、
世襲がしやすくなるとの読みがあったのであろうと、
塩野七生さんは言っています。
 
14巻「キリストの勝利」は、
だんだんキリスト教が、
ローマ帝国内で力を得ている様子を書いています。
 
そこには、官僚として偉くなったアンブロウスが、
歳がいってからミラノ司教となり、
そこで時の皇帝等を相手に活躍しました。
まるで宗教の心理トリックを見るようです。
 
こんなことで、
ローナ帝国が変質していくのかと思いましたが、
ファクト イズ ファクトですね。
 
15巻「ローマ世界の終焉」には、
ゲルマンがローマ帝国内に押し寄せ、
実権を握って行く様が書かれています。
それにしても、ローマ市民が敗者になって
餓死するさまは凄いですね。
 
それを塩野七生さんは克明に書いていきます。
そして、被害はゲルマン人の支配よりも、
西ローマ帝国への、東ローマ帝国の干渉のほうが、
悲惨な状況を作ったと、
塩野七生さんは言っていました。
 
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ローマ人と友達になるための美術館めぐり>
 
西欧のローマ時代の、
遺品を並べてある博物館を沢山紹介しています。
それはイタリアが中心ですが、大英博物館もありました。
 
こういうのを見ながら、
塩野七生さんは考えていたのだなと思います。
思うとそれはどんどん発展するのですね。
そのお裾分けを、私たちは貰っていたのだと思いました。