2015年5月6日水曜日

飯田史彦さんの書いた、「幸せ思考」を読んで、読書感想を書きました。

飯田史彦さんの書いた、「幸せ思考」を読んで、
2010年12月、私は下の通り、読書感想を書きました。
写真は、本の表紙を、撮ったものです。

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読書感想文(幸せ思考・・・飯田史彦)

飯田史彦さんは、1962年に広島県で生まれ、
<学習院大学で経営学を勉強し、
<2009年3月まで福島大学で経営学の教授をし、
<今は無償でセラピーや講演等を行っています。

<書いた「生きがいの創造」シリーズは
<170万部を超えて売れた、ベストセラーになりました。

飯田史彦さんは、1962年に広島県で生まれ、
学習院大学で経営学を勉強し、
2009年3月まで福島大学で経営学の教授をしていました。

私も福島県出身なので、何か親近感を持ちます。
それに確か3年ぐらい前、
飯田史彦さんは高血圧で倒れていますから、
それも私と同じです。

10年ぐらい前、本屋で見つけた
この人の「生きがいの創造」を読んで、
私の目から鱗が落ちました。
読むと、私の心が落ち着くのです。
あまり感動したので、下の娘が就職したときも、
「生きがいの創造Ⅱ」をあげました。

娘に尊敬されていない私があげても、
娘は多分読んでいないと思いますが。
それから、飯田史彦さんの本はマークしています。
でも、その後あまり本は読んでいません。

書いた「生きがいの創造」シリーズは、
2009年5月現在、170万部を超えて売れた、
ベストセラーになりました。
今はもっと増えていると思います。
これの印税だけでもバカにならないなと思いながら、
私は本屋でこの人の本を眺めるようになりました。

去年の3月大学教授をやめて、
今は「光の学校」を開いています。
そこでカウンセリングや講演を、
基本的には無償でするようになりました。

高血圧で倒れる人は、何でも一所懸命やる人だと思います。
自分もそうでした。
私はエゴが強いので、一所懸命やると、
人に迷惑をかけることが多いと思います。
でも人の迷惑顧みず、一所懸命でした。
それが私の性分なのです。

私は3年半前、出張先の長野で脳溢血により倒れました。
その時大勢の人に、助けられています。
脳溢血で倒れて、頭蓋骨を外す手術で、
小脳のところから血を抜き、そして3週間、
長野の病院に入院しました。

長野の良さを分かったことも良かったですが、
私がそれからなんでもユックリになったことは、
良いことだったと思います。

飯田史彦さんは、私とは比べものにはならないぐらい
凄いと思いますが、やはりその立場で、
一所懸命やってしまうのでしょう。
(もう十分役にたっていると思いますが)
だから高血圧で倒れたと思います。

倒れてから人生観も、少しは変わったのでしょう。
去年の「光の学校」の開設と、
無償のカウンセリングや講演は、
拍手を送りたくなるぐらい素晴らしいと思います。

がそれは、飯田史彦さんが、
自分の人生観に忠実でありたいという気持ちが、
倒れていっそう強まった結果なのでしょう。

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<エドガー・ケイシーさんの「神の探求」と、
飯田史彦さんの「幸せ思考」

「幸せ思考」は、
本屋でずーっと見ていましたが、買いませんでした。
「もう飯田史彦さんは卒業しよう。この本もどうせ
スピリチュアルな本でしょう」と思っていましたから。

しかし、今回エドガー・ケイシーの
「神の探求」を読んでいて、
本が読み進まないので私は悩んでいました。

その目に本屋で、この「幸せ思考」の本が目にとまります。
目にとまったついでに、買って読みました。
そしてこの「幸せ思考」を読んでみたら、
すいすい読めるのです。
「神の探求」はなかなか読み進まないのに、
この「幸せ思考」は何故読み進む? 私はそう思いました。

エドガー・ケイシーの「神の探求」
(現在のキリスト教が否定する、
輪廻転生の思想が入っています)は、
私はこれこそ、人がなんと言おうと
本物のキリスト教の本だと思います。

私は子供の頃からキリスト教の話を、
日曜教会の牧師さんや、
ラジオのルーテルアワーの時間などで、
何度も聞かせられました。
 
そして、そのたび私は子供の頃からずーっと、
キリスト教を考えています。
でも違和感もあり、少なからず抵抗感を持っていました。
その抵抗感は、私の心にこびりついていたのでしょう。
その抵抗感を、「神の探求」を読むたび、思い出したのです。
 
「神の探求」にはいいことが沢山書いてあるし、
全部正しそうに思えました。
が、「どこかに嘘があるのではないか」。
そう思っている自分がいます。
だから、読み進まなかったのです。
 
飯田史彦さんは、
「輪廻転生」を踏まえていろいろな本を書いています。
スピリチュアルな人だと、私は思っていました。
 
死んだ松下幸之助さんが枕元に出て、
枕元の松下幸之助さんから頼まれて、
それまで立てていた予定を変更して、
「松下幸之助に学ぶ人生論」を書いているほどです。
だから、飯田史彦さんは、
私は「面白いけれど、もう良い」と思っていたのでした。
 
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<「幸せ思考」は、
<「どう考える」と良い人生が送れるかという本です。
 
でもこの本を読んで見たら、この本は、
読者にスピリチュアルであることを要求していません。
ただ、「どう考える」と
良い人生が送れるかを考えて、論を進めています。
 
この本では、飯田史彦さんのカウンセリングでの実体験、
つまり患者さんと向き合って
話したことを中心に書いていました。
そして、カウンセリングで分かったことは、
日本人が世界の人と違うところです。
 
世界の普通の人と違って、日本人は一般に、
最後は「神も仏も信じていない。
自力でなんとかしたいと思っている」ということに、
カウンセリングを通じて気がつきました。
 
「努力」することに、喜びを感じるのが、
日本人の特徴です。
それなら、「それを是とする考え方」を見つけようと、
追求した結果が、この本で書いていることです。
 
凄くこの人の頭は、柔軟なのです。
「幸せ思考」を読んで、私も心の底では、
スピリチュアルを信じていない、
日本人なのだと思い知りました。
 
その私をこの本は、肯定しているようなのです。
今回また一段と、
「この人の言うとおりだ。
私は『私のやり方』で良いのだ」と思いました。
 
私は40年頃前に、
近くの少し年上の人が人に言っている言葉を聞いて、
目から鱗が落ちる思いをしたことがありました。
それ以来何かあると、その言葉に戻ろうと思っています。
 
その言葉は、「自分の思ったようにやれ」という言葉でした。
人が意見を言っていたのを聞いて、
「ごちゃごちゃ言う前に、正しいと思ったら、
そのようにやってみて、違っていたらやり直せば良い」と
いうものです。
 
「そりゃ、そうだな」と、その時思い、
それからそれが私の座右の銘になりました。
今はスピリチュアル系もあるかも知れないと思っていますが、
私の基本はそういう精神で、
基本的には「自力本願」なのですね。
 
だから、エドガー・ケイシーが(他力本願?の)
キリスト教精神を書いた、「神の探求」を
読み進めなかったと思います。
そしてその自分を、この「幸せ思考」が
肯定していると思ったら嬉しくて、
この「幸せ思考」をスラスラと読めたのです。
 
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<この本の構成>
 
この本構成は、次の通りです。
( )内は説明されているページ数です。
 
-プロローグ ~今すぐ幸せになるために   (4ページ)
-はじめに ~入学試験に合格する方法   (15ページ)
-第1章 脳で思考することの意義     (12ページ)
-第2章 努力することの価値       (16ページ)
-第3章 挑戦することの価値       (18ページ)
-第4章 ノン・スピチュアル系で生きる極意(29ページ)
-エピローグ ~いつでもそばにいるよ   (10ページ)
おわりに ~読者の皆様へ          (8ページ)
 
各章の感想というか本の引用を、
このあと順に書いていきたいと思いますが、
ここでは「プロローグ」「はじめに」「エピローグ」
「おわりに」でどんなことが言われているかを、
書きたいと思います。
 
「プロローグ」では、
「今すぐに幸せになりたい」という人に、
「いつか幸せになる」のは難しいけれど、
「今すぐ幸せになる」のは
考え方を変えれば、簡単と言っています。
 
この「プロローグ」では、
その答えは本文をみれば出ていると言っていました。
でも結論をいえば、「目標を達成したら幸せ」ではなくて、
「過程に対して幸せ」を感じる。
 
「自分が努力している過程に幸せ」、
つまり自分は偉いと感じる。
これなら、努力を始めれば、
幸せを感じることが出来ると言っています。
 
「はじめに」には、受験する学生に話す形で、
飯田史彦さんが言いたいことを書いています。
入学試験に合格する方法は、4つあると書いてありました。
何よりも合格するために必要なことは、
「ライバルよりも高得点を取ること」ですが、
これに4つの方法があると言っているのです。
 
「ライバルより頭を良くする」
「ライバルより長時間勉強する」
「ライバルより効率的に、かつご機嫌に勉強する」
「神様に合格をお願いする」の4つと言っていました。
 
この最後の4つ目は、
これまでの飯田史彦さんが書いて来た発想に近いと思います。
そのために、良いことを考えなさいとも
言っていると思いますが。
 
最初の3つは、ノンスピ系(ノンスピリチュアル系)で、
後の1つは、スピ系(スピリチュアル系)です。
飯田史彦さんは、実際のカウセリンクを通じて、
ノンスピ系とスピ系のバランスを取ることが重要と、
考えるようになりました。
 
そしてこの「複眼的思考」の意味と効果を伝えることが、
本書の価値と言っています。
 
「エピローグ」では、複眼的思考を広く知らしめて行きたい。
諸外国の方から一笑に付されても、と言っていました。
そうです、諸外国の人と日本人は違うという体験を、
飯田史彦さんはしたのです。
 
「おわりに」には、ノンスピ系とスピ系の両方の観点から、
「自分なりの考察を深めて頂きたい」と、書いてあります。
私がこの「幸せ思考」に素直に入っていかれるのは、
この「自分の考え」で進めというのが、
飯田史彦さんの基本的スタンスだからだろうと思いました。


たとえ「自分の考え」が、間違えていても。
 
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<脳で思考することの意義>
 
これは飯田史彦さんの本書内の言葉を、
そっくり引用したほうが良いと思うので、引用します。
私もまったく同感しましたから。


キリスト教圏の人と日本人との発想の違いが、
日本人の私が聖書に関する本を素直に読めなかった、
理由だったのだと思いましたので。
 
―――トールの著書のみならず、欧米の思想書や小説などは、
暗黙の了解として、唯一絶対の神の存在や、
聖書の内容を前提に書かれています。


また、書物のみならず、
欧米の社会システムや組織運営の方法などの広範囲に渡って、
宗教的思想が強く反映されていることを、
海外の大学で教授を務める日本人の先生方が、
著書などを通じて強く指摘しています。

―――その根底にあるのが、「絶対的な宇宙意思
(いわゆる神様)に対する信仰心を持ち、トランスパーソナルな
(脳を超える存在を認める)概念を受け入れている人」が、
脳による余計な思考を(邪念)を捨てれば、
心の真ん中にきちんと存在している
神様の御意志に従うことができるようになり、]
より愛に満ちた自分らしい生き方が実現する、という発想です。


絶対的な宇宙意志に対する信仰心の薄い多くの日本人は、
心の真ん中に「人生を導いてくださる神様の言葉
(聖書のような行動規範)」は存在しておらず、
その代わり脳で、「自分はどのように生きるべきか」と
「思考」しながら生きています。


したがって、その貴重な思考さえも捨ててしまうと、
ただの「何も考えないで自己中心的に生きている人」に
成り下がってしまうだけで終わるのです。


ーーーこのような人生観においては、
失敗や挫折に見舞われた時に、
自分という人間を救ってくださる神や仏は存在しないため、
あくまで自分自身の精神力によって、
あらゆる困難を克服していかなければなりません。


ーーーそれでは、私たち人間は、
ノンスピリチュアル系の人生観がもたらす逆境の中で、
次々に襲いかかってくる様々な試練を、
どのようにして乗り越えて行けば良いのでしょうか。
 
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<努力することの価値>
 
 「安楽な生き方の弊害」を、
次のサイクルに陥るからと言っていました。
これは飯田史彦さんが、
うつ病の人などへのカウンセラーの経験から言っています。
私も、まったくそうだと思いました。


人は安楽を求めて、生きているのではないのです。
自分への自尊心を求めて、生きているのです。
私たちは、楽なんか求めていないのです。


① 努力しないで安楽に過ごそうとする → 
② 努力していない自分に(内心で)幻滅する → 
③ 自尊心を失い、
  自分が存在することに価値を見出せなくなっていく → 
④ 人生を切り拓く精神力が枯渇する → 
⑤ 無気力になったり、命を投げ出したくなる


 「努力する生き方の効果」を、
次のサイクルが起こるからと説明しています。
私など、当たり前でしょう。こういうことを言うから、
私は飯田史彦さんを、好きになるのだと思いました。
そして飯田史彦さんが、自分が別に書いた「愛の論理」について、
この章の最後に言っていることも引用します。


① 努力する → 
② 自分の努力を自覚する → 
③ その自覚を、誇り(自尊心)へと転換させる → 
④ その誇りを、人生を切り拓く精神力へと昇華させる → 
⑤ さらに努力を重ねようという意欲が高まり、
  より高いレベルで①からの流れが実現していく


ーーー神様」にゆるしてもらえる方が幸せなのか、
「自分」で自分をゆるせる方が幸せなのか・・・
どちらが自分にフィットしているかを
「心地よさ」の観点から自問してみれば、心の奥に潜んでいる
本当の自分が見えてきて、自分はスピリチュアル系なのか、
ノン・スピリチュアル系なのかを、
感覚的に確認することができるでしょう。
 
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<挑戦することの価値>
 
挑戦することには、価値があると言っていました。
まったく私も、同感です。
どうせこの世に生を受けたのなら、「思ったら」やってみよう。
今の私はそう思っています。


私は「損して得とれ」や
「損と得の道があれば、損の道を行け」という言葉が、
今まで生きてきたなかで好きになりました。
次に私が参考になったこの本の言葉を、引用してみます。


ーーー人生の岐路において、
スピリチュアル系の発想を持ち込むならば、
「本来は魂である自分が、
この物質世界に生まれてきた使命は何なのだろうか?」
「神様は自分の人生に何をお求めだろうか?」


「地球上で生きる数多くの人生の中で、
今回の人生では自分は何を学ぶ番なのだろうか?」
「いま自分が置かれている状況には、
宇宙の仕組みのなかで、どのような見えない意図や、
いかなる必然性が隠されているのだろうか?」などと、
様々な問題意識を膨らませることができます。


ーーーノン・スピリチュアル系の概念では・・・
人生に隠された奥深い意味や仕組みなどに、
余計な思いを巡らせて思い悩む必要などなく、
とにかく目の前の課題に果敢に挑戦し、
乗り越えていけば良い・・・


もしかすると、このようなノン・スピリチュアル系の
方法論こそが、実はスピリチュアル系の人生論者の説く、
「もう思い悩むことはやめ、余計な思考は捨てなさい」
という主張を、わかりやすく実現するものではないだろうか・・
 
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<ノン・スピチュアル系で生きる極意>
 
次も引用です。同感することばかりなので、
余計な説明をせず、引用をもってこの感想を終わります。
最後の方のアメリカ人宗教学者の話は、
キリスト教世界では通用しますが、
日本では飯田史彦さんの考えで行くべきと私は思います。


ーーー 一方で、ノン・スピリチュアル系の
人生観で生きていくと、どうしても、
「目標を達成でき、成功した時に、初めて幸せになれる」
という発想にとらわれがちです。


人生展開の奥に潜む深い意図の存在など認めないため、
「失敗したら不幸、成功すれば幸福」という
表面的な判断基準によって
人生を評価することになるからです。


ーーーそこで、数多くのカウンセリング経験をもとに、
私がご提案したいのが、
「結果ではなく、過程に誇りを持つ」という思考方式です。
そして、そのキーワードこそが、本書を通じて強調してきた、
「努力」であり「挑戦」にほかなりません。


ーーー実は、「何事にも懸命に努力するように心がけて、
その努力している自分を誇りに思えば良い」という考え方を、
世界各地の生活経験を持つ
アメリカ人の宗教学者さんに紹介したところ、
彼は大笑いして、次のように教えてくれました。


ーーー「オー、そりゃおかしい? 
努力こそが人間にとって最も大切な行為なんて言ったら、
欧米人もアラブ人もインド人も、みんな大笑いするよ。


だって努力したってしなくたって、
すべては神のご意志で決まることなんだから、
何でも神にお任せして、
人間はのんびり気楽にしていればいいんだよ・・・
だから、神を信じたら楽になるんだ・・


あ、もちろん、神に祈って忠誠心を伝える努力だけは、
きちんとしておかないといけないけどね。


ーーー私が、「なるほど、だから諸外国の信仰深い人々は、
とっても気楽で陽気に生きているんですね・・・
だって、神様に祈ってお願いしておけば何とかなるさ、
と思えるんですから」と答えると、


彼は「その通り、僕がガンになってしまったのも、
神のご意志だからしょうがないのさ、
だから僕はハッピー」とにこやかに笑いました。


そして、「だけど、『努力』を異常に重視するその思考法は、
信仰心の乏しい日本人にはとてもフィットしていると思うし、
もしかすると、勤勉で有名なドイツ人の一部にも
好評かもしれないね(笑)」と、
お茶目にウインクしてくれたのです。

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