2015年4月30日木曜日

今日(4月30日)も、NTT東日本関東病院に行った。背中のMR検査のため。

今日(4月30日)も、NTT東日本関東病院に行った
。背中のMR検査のため。
私の足の引き摺る感じの原因は、分からない。
それでも、分かるまで、動いてみようと思う。
そしたら、分からなくても肩たたき合える。

写真は、NTT東日本関東病院の入口を、
撮ったもの。

2015年4月29日水曜日

1時間弱の掃除が終わって、お茶を飲みながら、姉とその娘の姪と話した。

1時間弱の掃除が終わって、お茶を飲みながら、
姉とその娘の姪と話した。
写真は、お茶を飲んだテーブルを、撮ったもの。
手前の椅子に、私が座り紅茶を飲んだ。
その左に姉が座り、向こう側に姪が座って、お茶を飲んだ。

写真には、私が飲んだ、紅茶のカップだけが残っている。
二人は、このあと用事があるとのことで、
お茶の時間も早々に、11時20分頃、帰っていった。
お金をあの世に持っていっても、しょうがないから、
年金の管理は、自分でやるようにして・・・・。

なるほど。

今日(4月29日)、朝9時20分電話があって、10時10分、姉が私のいるマンションに来た。

今日(4月29日)、朝9時20分電話があって、
10時10分、姉が私のいるマンションに来た。
茨城県つくば市に居る姉は、用事があって、
江東区豊洲にいる自分の娘の家に、昨日泊まり、
そこから電話をしてきたらしい。

そして、10時10分には、私の家の玄関にいた。
一昨日来てくれた姪も一緒だった。
姉と姪は、つくなり台所を掃除をしたり、
掃除機をかける。
その時間、1時間弱。

写真は、掃除後きれいになった、ガス台を、撮ったもの。
女性は、短い時間のあいだに、サッサと
作業を終わらせてしまう。
まるで、つむじ風が襲ったようだった。、

2015年4月28日火曜日

エドガー・ケイシー口述,、AREスタディグループ編集、訳光田秀の、「神の探求1/2」を読んで、読書感想を書きました。

エドガー・ケイシー口述,、AREスタディグループ編集、
訳光田秀の、「神の探求1/2」を読んで、
2010年12月、私は下の通り、読書感想を書きました。
写真は、本の表紙を、撮ったものです。
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神の探求1/2・・・エドガー・ケイシー口述、
AREスタディグループ編集、訳光田秀

エドガー・ケイシーさんは、1877年に
<アメリカ・ケンタッキー州の片田舎に生まれ、
<1945年に死亡した霊能力者です

エドガー・ケイシーさんは、1877年に
アメリカ・ケンタッキー州の片田舎に生まれ、
1945年に死亡した霊能力者です。
寝ているときに、関係者が質問をすると、
本人も知らない内容のことを話しました。

それを関係者が筆記したものを、
エドガー・ケイシーのリーデングと言います。
40年以上にわたって行われ、
その件数は、14000件以上に登りました。

リーデングの対象は、
最初は病気の治し方だけに絞っていましたが、
後半は、物理や化学、電気工学、考古学、神学、心理学、
政治経済などもリーデングの対象になっています。

アメリカの電気機器の発明家で有名な、
ニコラ・テスラやエジソンと共同研究も行い、
ラジオ等のFM放送の原理は、
この共同研究から思いつかれました。

エドガー・ケイシーさんは
義務教育しか受けていませんでしたが、
その内容の深いことは驚くばかりで、
世界各地にリーデングの内容は配布され、
今もその研究が進められています。

いろいろな霊能力者がいますが、
その足跡が本などの形で残っており、
世界で、歴史上で有名なのは、スウエーデンボルグ
(1688年~1772年、スウエーデン)と
このエドガー・ケイシーの2人でしょう。

霊を研究しようと思った人は、
この2人を勉強しなければいけないと思います
(私は、聞きかじりだけで、勉強をしていませんが)。

エドガー・ケイシーさんは、
邪な考えが浮かぶあるいは悪い質問があると、
良いリーデングが出来なくなると、言っていました。
だから、常に
心を素直に、謙虚に、清浄に保っていたようです。
質問する人は、奥さんか長男に絞りました。

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<この本の執筆グループ、及び訳者>

AREスタディグループのAREは
Association for Research and Enlightenment
(研究と啓示の協会)の略です。
AREはアメリカの財団で、1931年に出来ました。

「神の探求」というこの本は、自分を高めたいとする
エドガー・ケイシーを信じるグループが、
寝ているエドガー・ケイシーに生き方を訊ね、
その答えをリーデングとして整理したものです。

質問したグループの人は、言われたことに熱心に取り組み、
その進捗に応じ、リーデングが進み、終わるまで、
1931年から13年間もかかりました
(これが終わってすぐ、
エドガー・ケイシーは死んだことになります)。

取組んだ人は12人ですが、そのうち脱落した人も出て、
あとからこのグループに参加した人もいたとか。
いくら先を促しても、参加した人が
リーデングの内容に至らないときは、
眠ったエドガー・ケイシーさんからの
その先の回答はなかったそうです。

だから、完成までに時間がかかったのですね。
それでも終わったときには、
キリスト意識に達していた人も出たとか。

参加者に与えられたリーデングの内容は、
テキストとしてその都度、
まとめられ他の人にも配布されました。
全部終わって本として纏めたとき、
改めて「神の探求(A Search for God)」という
本の総称(名前)がつけられたそうです。

訳者の光田秀さんは、1958年広島で生まれ、
京都大学・大学院を卒業し、
政府系研究機関(茨城県東海村4年間在籍)にいました。
が、その研究所をやめ、その時の退職金も利用して、
学生時代に本を読んで傾倒した
エドガー・ケイシーを普及する活動に入り、

今は日本エドガー・ケイシーセンター
(Edgar Cayce Center in Japan (ECCJ)
=アメリカのAREの認可も受け、
2002年にはNPO法人の認証も受けています)
の会長をしています。

光田秀さんからは、
エドガー・ケイシーに対する愛情さえ感じるほどで、
この本の訳者には適任だったのでしょう。

この訳本が本になるまで紆余曲折があって、
世に出されるまでには、
光田秀さん自身の準備が必要だったのだと思います。

訳し始めたのは、1987年で
2年間かけて推敲を重ね出来上がったのですが、
納得がいかなくて推敲したものを
書庫にしまってしまいました。

1つにはエドガー・ケイシーが敬虔なプロテスタントで、
キリスト教に対する理解が深く、このリーデングは、
そのキリスト教に対する理解がベースになっています。

2つには、この本が現代のキリスト教を超える内容で、
それらを説明するためには、
より深い咀嚼が必要だと感じたことがありました。
光田秀さんは旧約聖書も新約聖書も読み、
このリーデングの内容の理解を
約10年かけて深めていきます。

そして、1999年、今度こそ仕上げるときだと考えました。
それで書庫の奥から翻訳原稿を引っ張り出し、
再度、翻訳に取り組み始めたのです。
1つ1つの文章について、
AREのマネージャにも問い合わせていきました。

出来上がった原稿について、
日本のエドガー・ケイシーの権威にも読んでもらい
意見を貰い、修正をしています。
日本人になじみの薄い聖書用語には脚注をつけました。

原文そのままでは日本人には分からない部分は、
光田秀さんの体験も踏まえ、訳しています。
そういう意味では、
この本は読みやすく私でも読めました。

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<私のこの本との出会い、この本とキリスト教>

本屋に行くとこの本が、ズーっと置いてありました。
でも私には読もうという気は、しばらく起きなかったのです。
でも先日急に、この本を読んでみようという気になり、
買ってきて読み始めました。
その間私も、この本を読む心の準備をしていたのでしょうか。

エドガー・ケイシーさんは、ユダヤ人ですので、
内容はユダヤ教のこと、
あるいは宗教とは無関係のことかと思っていましたが、
この本の内容は、
ほとんどイエス・キリストが言ったことでした。

そういえば、イエス・キリストもユダヤ人ですものね。
この本は、まるでキリスト教の本かと思うような内容です。
イエス・キリストがこう言ったということが沢山出てきて、
キリストが言ったことを、おさらいしているようです。

この本はキリストの新約聖書の原本になっても、
良いような本だという印象を持ちました。

キリスト教国家である西欧は、
大航海時代以降、植民地をたくさん持ちました。
まず、善意の宣教師がその国に入っていき、
その後、軍隊が入って、それらの国を植民地にしていきます。
善意の宣教師は、日本にも来ました。

きっとマザー・テレサも善意の宣教師なのです。
しかし、善意で人の国の地盤を緩め、
そこに軍隊や、エゴイストの商人が入ってくると、
結局その国は西欧の植民地になってしまいました。

キリスト教の善意は信じます。
しかし植民地にされたほうは、たまりません。
善意って何なのかと深く考えさせられます。

最初の私は、キリスト教に対して抵抗感を持っていて、
この本にも抵抗感を持っていました。
しかし、この本を読み進むうち、
心構えを素直にすればいい、
人に親切にする心があれば良いと思うようになってきます。

そしたら、この本に対する抵抗感が少なくなってきました。
(本当は、抵抗感はまだあります。
しかしこの本の私の理解を深めるためには、
一度自分のモヤモヤを捨ててみよう。
そう思ったのです)

きっとイエスがいたころ、
イエスが説いたことも、そういうことだったと思います。
時間がたつとキリスト教も権力を持ってきて、
そこに人に強制する内容が追加された。

その結果、イエス・キリストが説いたことと
違うキリスト教に変質してきて、
キリスト教が今に至ったのだと思いました。

だからこの本に出てくる、祈りの言葉も、
天国いたるための「水路」となれ、
あるいは「私の小さきものにしたことは、
私にしたことと同じだ」と言う言葉も、
イエス・キリストの言葉です。

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<キリスト教とこの本と輪廻転生>

私は植民地(私は悪かったと思っています)を作った、
西欧人の基礎にキリスト教があると思っていますので、
一神教のキリスト教には抵抗を感じています。
塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読んだ、
影響もあるのでしょう。

塩野七生さんは、
当時のローマ人(紀元0年前後300年間ぐらいの)を、
世界でもっとも理解できるのは、
今も多神教の日本人だと言っていましたから。

「ローマ人の物語」のローマ人たちは、
最初の大部分の人が多神教でした。
「ローマ人の物語」の最後半部分で
キリスト教がローマ帝国の国教となりますが、
それからまもなく、ローマは滅びます。

つまり、「ローマ人の物語」のローマ人たちの勃興期は、
何かをなした人たちの大部分が多神教でした。

多神教が人間の自然で、
今この思想を一番世界中で持っているのは、
「八百万の神」を信じている日本人だと
塩野七生さんがいうのに、
私は日本人として内心誇りを持っています。

スキピオ、カエサル(英語名シーザ)、
アウグトヌス、ベスパシアヌス、トライアヌス等が
ローマを作ってきたのですが、
この人たちはよく現実を見て、現実対処にあたって
一番良い方法を、自分の頭で考えて実行して来ました。

「それが良いに決まっている。
だからこの人たちと違う一神教のキリスト教徒は、
自然に進歩した人たちではない」、
というのが塩野七生さんから学んだ
私の今の世界観なのです。

この本の内容は、
ニール・ドナルド・ウオッシュさんの書いた、
「神との対話」以降の本と凄く似ていました。

ただニール・ドナルド・ウオッシュさんは、
「明日の神」という本も書いているように、
今までの宗教(欧米の今の中心的宗教はキリスト教です)を
離れて、神の言葉として無宗教的に本を書いています。
そこがニール・ドナルド・ウオッシュさんの本と、
宗教的なこの本との最大の違いだと思いました。

ニール・ドナルド・ウオッシュさんの本と、
この本の共通点は、現在のキリスト教と違って、
どちらも輪廻転生を前提に書かれていることでしょう。
今のキリスト教は、輪廻転生を否定しています。
その輪廻転生の思想を除くと、
この本はキリスト教の本と言っても良いものだと思いました。

プロテスタントでもある、エドガー・ケイシーさんは、
最初リーデングに輪廻転生が書いてあったのを見て、
驚愕しました。
現代のキリスト教は輪廻転生を否定していますので、
「私は異端ではないか、
私は悪魔に魅せられたのではないか」と悩んだそうです。

しかしそのことに関する、リーデングを通じて、
輪廻転生を信じることが、
信仰をより深めることになると考え、
その後のエドガー・ケイシーは
輪廻転生を受け入れるようになりました。

輪廻転生の思想は、ヒンズー教や仏教のように
インド哲学・東洋思想に今でも顕著ですが、
古いエジプトやギリシャ・ローマも、輪廻転生思想です。
今の、大部分のユダヤ教やキリスト教やイスラム教の
一神教だけが、輪廻転生思想を信じてなのかも知れません。

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<この本の構成>

この本(1/2)についての構成は、次の通りです。
( )内は説明されているページ数です。
最初、瞑想のリーデングはなかったのですが、
リーデングでこれが追加されたそうです。

良い考え方を自分のものとしていくためには、
瞑想が欠かせない手段なのですね。

-はじめに           (4ページ)
-瞑想             (36ページ)
-第1課 協力         (14ページ)
-第2課 自己を知る      (18ページ)
   
-第3課 理想を定める     (12ページ)
-第4課 信じる心       (16ページ)
-第5課 徳と理解       (18ページ)
-第6課 親しき交わり     (24ページ)
-第7課 忍耐         (16ページ)

-第8課 扉を開く       (22ページ)
-第9課 神とともに      (20ページ)
第10課 十字架と栄冠    (26ページ)
第11課 主なる汝の神は一つ (18ページ)
第12課 愛         (20ページ)

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<本を読んだ感想>

この本の各課は、リーデングの内容をまとめたものですが、
輪廻転生を前提に語っていることを除けば、
私がかつて聞いたことがあるキリスト教の話だと思います。
この本で初めて聞いた話は、なかったような気がしました。

アフォメーション(祈りの言葉)があって、
そして説明があります。
あまり抵抗なく読めて、どれも、
ああ聞いたことがある話しだなと思いました。

私たちは知らないうちにこれらの話を、
どこかで聞いているのです。
昔、ラジオのルーテルアワーの時間に聞いた話もありました。
もうまったく、言っている通りだと思えるのです。
だから予備知識は、十分なのでしょう。

でもこの本を読んで、
私はアンチ・キリスト教だったのが、分かりました。
というか、最近の世界を牛耳ってきた欧米にたいして、
アジア人の一人として、これからの時代には、
今の世界と違う哲学があるのではないかと思っているのです。

そしてこれからの時代を動かすのは、アジアの哲学だと
(私もナショナリストなのですね)。
だから欧米哲学のエッセンスとも言える、
この本の哲学を疑りながら、読んでいたのです。

本当にここに書いてあることは信じられるのか。
この本にはいいことが書いてあります。
「人の助けになりなさい。妬みを持つより、
どんな試練を与える人でも好きになってしまいなさい」。
その通りでしょう。

しかし、その結果が
現代の西欧文明が主導する世界になって来ています。

でもこれは、
これから変化しなければならないのではないでしょうか。
そういう意味では、
この本にはどこか間違いがあるのではないか。
そう思って読んでいました。

だから、1課1課それなりに一所懸命読んだのです。
でもこの本の論理に、私の能力で見分けられるような
破綻はありませんでした。
理解するのにも努力が要るのに、
疑って読んでいては、読むのに疲れます。

だから途中から、信じて読むことにしました。
批判は理解できてからの話です。
そうやって読むと、
この本は私がこれまで、いろいろな本を読みながら
打ち立ててきた私の哲学を、軽やかに超えていました。

これが欧米哲学なのだな、と思わせるものです。
この本を読みながら、
欧米のあるいはキリスト教の凄さが改めて分かりました。
完全に腑に落ちたわけではありませんが、
2/2も一生懸命読んでみようと思います。

姪は、ヒジキを混ぜたおこわと、鳥肉のから揚げを持って来てくれた。

姪は、ヒジキを混ぜたおこわと、
鳥肉のから揚げを持って来てくれた。
写真は、それらを、撮ったもの。
あと、2パックも持って来てくれたけど、
それはもう食べてしまった(笑)。

残りの2パックを写真に撮った。
写真のうえのほうが、鳥の空揚げ、
下の方が、ひじきの混ぜおこわ。
最近、食欲がなくなっていたが、
昨日は、沢山、食べてしまった。

姪は、来て、マルエツの前で、
私の歩く姿を見ていた。
初めて入った、私の部屋も、
さりげなく眺める。
どう、思ったのだろうか。

ご飯を食べながら、四方山話をした。
姪のお母さん(私の姉)には
「遺言も書いておいてよ」と言っているらしいが、
私の姉は、聞き流すだけだとか。

でも、今度の私の足の不調で、
死ぬことも真剣に考えなければならないと思った。
その為には、たくさんのハードルがある。