2014年11月10日月曜日

桜井章一さんの書いた、「負けない技術――20年間無敗、伝説の雀鬼の「逆境突破力」」を読んで、読書感想を書きました。

桜井章一さんの書いた、「負けない技術――20年間無敗、伝説の雀鬼の「逆境突破力」」を読んで、2009年10月、私は下の通り、読書感想を書きました。写真は、本の表紙を、撮ったものです。

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読書感想文(負けない技術――20年間無敗、伝説の雀鬼の「逆境突破力」・・・桜井章一)

<本の表紙に「敗者の99%は自滅だ」と書かれていて、負けるときはたいていそうだと共感して、すぐ本を買ってしまいました。>

桜井章一さんは、1943年8月東京の下北沢に生まれ、早稲田大学に行きました。大学に行っていたとき友達から誘われて麻雀を知り、のめりこんで強くなり、半年後には麻雀の代打ち(裏プロ)としてデビューし、強かったので有名になりました。

「宿(新宿)の雀鬼」と言われたそうです。裏プロですから、積み込み等におけるイカサマもできましたが、自分ができれば人がやるのも分かる。真剣勝負ではイカサマはやらない、というのが信条だったようです。大学を卒業したのかどうかは知りませんが、その後、新宿、町田を根城にして麻雀で20年間、ご飯を食べていました。20年で代打ち(裏プロ)をやめて、それからは、雀鬼会を主催し若い人を育てているようですが、本も沢山書いています。

私は桜井章一さんの顔を本の表紙で見たとき、人を見透かしたような顔になにか反発を感じて、桜井章一さんが書いた本も買う気が起こりませんでした。そういう状態がしばらく続いたのですが、この本の表紙に「敗者の99%は自滅だ」と書かれていて、負けるときはたいていそうだと共感して、こんどは、すぐ本を買ってしまいました。読み終わって、徹した人、勝った人は皆、美学を持っているし、その美学は哲学に通じる。

それが、この本の感想です。この本には、いいことが沢山書いてありました。なお桜井章一さんは20年間無敗だったそうですが、それは1度につき20回の半雀をやり、その合計で負けなかったということだそうです。

それとは別に、私もサラリーマンとして麻雀を沢山やったときもありますので、ウイキペデイアに書いてあった、桜井章一さんの次の言葉が、頭に残りました。こんど私が麻雀やるとき(そんなときはもうないのかも知れませんが)は、こういう精神でやってみよう。そう思いました。全部の考えが妥当な気がしましたし、これなら出来そうです。

ツモ重視

意図的な迷彩をしない

鳴きと面前は1対1

満貫を基準に手を進める

ドラは聴牌か広いイーシャンテンになるまで切るな(後に、聴牌まで切ってはならないと規制が厳しくなる)

100%攻撃(制約によりベタオリもあるが、全ツッパではなく攻撃を受けながらも攻撃する)

いい牌勢で降りてしまうぐらいだったら、振り込んでしまったほうがいい

最終形は立直

点棒レベルの麻雀をしない(ぶっちぎりのトップでも常に上を捲くる気持ちをもって攻める)

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<桜井章一さんが麻雀に強かった背景は、こんなところにあるのかな>

桜井章一さんが麻雀に強かったのは、この本を読むと分かるような気がします。桜井章一さんは、何故みんな負けるようにやるのか、分からなかったとも言っている。さしずめ私など、負けるようにやっている一人だと思いますが。桜井章一さんの勝つ理由は、その考え方のなかに、感覚、素を大事にする桜井さんがいるからだと思う。一流になった人は違うと思った。それを感じさせた文章を抜粋してみます。

―――夏休みには毎年、雀鬼会のメンバーと伊豆の海に行く。そこで「なにか捕まえてこいよ」と若い道場生たちに素もぐりをさせるのだが、30分経っても、1時間経っても、彼らは獲物を捕らえられない。 そこで今度は私が潜る。そして数分で獲物を捕まえて陸に上がると、道場生たちは「なんで、こんなに短時間に捕まえられるのですか?」と驚く。 私は海の中では素の状態でものを見ている。見ているという表現は適当でなく、この場合は“感じている”といったほうがいいだろう。素の状態で感じているから、他の人には見えないタコやヒラメが見える。

―――勝負の世界で生きてきた経験から言うと、「感ずるままに生きる」ことが人を強くする、といえる。 勝負と言うものは常に変化している。われわれが生きる社会も同じように変化している。いつも、永遠に一定ということはありえない。 そんな中で悩んだり、考え込んだりしてしまうのは、変化に対応できていないからだ。現代には変化に弱い人があまりにも多いのだ。

―――私が幼かったころ、私の父はギャンブルに狂い、母を泣かせていた。母が大好きだった私は、母を泣かせるギャンブルを、そして父を憎んでいた。いつしか私は、敗者となった対戦相手の向こう側に、そんな父の姿を見るようになった。

―――麻雀は伏せて積んである牌、相手の牌、勝負の流れなど、目に見えないものを次々と読んでいかなければならない。そういう状況下においては、耳を澄ませるように感じ取ることがとても大切になる。対局中、私は耳を澄ませることで相手の牌をとる音、捨てる音の微妙な変化を感じ取る。「テンパってるな」「迷ってんな」「勝負にきたな」・・・そういうことが手に取るように分かる。相手の顔色を読み取ろうとするより、耳で見ようとしたときのほうが状況がはっきりとわかることがあるのだ。

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<この本で最初に読んだのは、褒めるのはいけないと言っているところ>

私は船井幸雄さんの「教育とは褒めること」という言葉と初めて出会ったとき、笑いたくなったと同時に、すごく嬉しかったのを覚えています。吉田松陰が松下村塾で、生徒のいい点を見つけて褒めた。それが短い期間しか、吉田松陰は松下村塾を開いていなかったのに、松下村塾が明治元勲を輩出した背景だそうです。それを引いて、船井幸雄さんは、褒めることの大事さを語っていました。そして短所を忘れて、長所を伸ばせといっています。

この文章とは関係ありませんが、子供の本で有名な「宝島」を書いたスチーブンスンが、吉田松陰の伝記を書いたはじめての人とのことです。「私の好きな寅次郎の物語」というのがその題名です。寅次郎は吉田松陰の本名で、スチーブンスンのうちに灯台の勉強に行った、吉田松陰の友達が、いつも吉田松陰のことを語っていたそうです。それでスチーブンスンは吉田松陰を書いたのですが、なぜか私はこの話を吉田松陰の名前を聞くと思い出します。

褒めることを船井幸雄さんが推奨して、私も納得しているのに、この本には「『褒めて育てる』への疑念」「『褒める』が生む危険な人間関係」「不得意を克服すると得意も伸びる」と書いてあったのです。

こう書いてありました。

―――先日、ある教育関係の企業から講演会に呼ばれたことがあった。そこで聞いたのは、現代の教育方針として「褒めて育てる」というものがあるということだった。・・・しかし、指導する対場の人間がその「褒めて育てる」という方針を持っていては、教え子を「負けない」人間へと導くことは決してできないだろう。

―――私は基本的には、「得意技を磨くより、不得意を克服したほうがいい」と思っている。不得意なほうを克服したほうが、その相乗効果によって、自分の“間口”がどんどん広がっていくからだ。・・・本来人間は、得意・不得意両方を見ながら、バランスよく生きていくことが望ましい。

私は読んで、桜井章一さんのように、結局勝てる人は、自分の短所にチャレンジして、短所を克服して大きくなっていくのだ、と思いました。山本周五郎の何と言う本かは忘れましたが、こう幸せになることが分かっていたら、もっと苦しめば良かった、というのがあります。同じように、自分の短所を修正できれば、自分の間口が広がっていくと思いました。

しかし、私ら凡人は、「自分の良さ」を認識したときに、元気がでるし、やる気も生まれるのです。そして、毎日明るく過ごしたいという自分がいました。だから、凡人の私は、今も「褒めて育てたほうが良い」と、思っているのです。ここのところは、桜井章一さんと意見が違うのだなと思いました。

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<桜井章一さんのいい言葉。負けない技術。シンプル イズ ベスト。ミスはいつもある。それを乗り越えていく。目よりも耳で見る。・・・>

桜井章一さんは、元々よさも持っていたと思いますが、それ以上に、麻雀の実践を通じて、自分の世界観を作っていったと思います。この本にも、いことが沢山書いてありました。そしてそれらの言葉は、桜井章一さんが実際に麻雀の世界で勝ち抜いてきたから、説得力があります。それらの言葉を以下に抜粋して見ます。

―――人間には欲があるから「勝ち」にいってしまう。「勝ち」にいく勝負が欲の支配する戦いだとすると、「負けない」というのは人が持つ本能からくる戦い方だ。欲のない動物や生物は「勝ち」にいくことはない。生きとし生けるものすべてが本来持っている戦う姿勢が「負けない」なのだ。

―――勝負を続ける中で、だんだん分かってきた。勝つことがどれほど、負けているものを傷つけているかということを。勝負を続ける中で「勝ち」が重なってくると、欲がどんどん膨らんでくる。それが人間性である。だからこそ、その欲をできるだけコントロールすることが大切だ。欲にまみれた勝ち方ほど、格好の悪いものはない。

―――毎日を納得して生きていると、そこに「感謝」の気持ちがおのずと起こってくる。人生の質はこの「感謝心」がどれぐらい多いかで決まる。大切なものを沢山持っている人は自然と「感謝心」が多くなっている。

―――中には、善の方が悪の分量より多い人もいるだろう。しかし、それはあくまでも分量の違いであって、善と悪とを両方持っていることには変わりはない。人間を表裏一体と考えるように、善と悪も分けて考えるのではなく、「両方持っている」と捉えることが大切なのだ。

―――「シンプル イズ ベスト」の考え方は、勝負事のみならず、その人自身の生き様にもいい影響を及ぼすようになる。・・・そんな世の中だからこそ、複雑さを整理してシンプルに考えることが必要だ。雀鬼会でも、私がやるとシンプルなのに、道場生にやらせると複雑にしてしまって、できないことがある。道場生たちは複雑にすることで、自分の知識が広がる、力ものびるという教育を受け、育ってきた。そして、その思考の癖から逃れられないでいる。だから私がシンプルにやることを真似できない。

―――確証がないと人間には不安や恐怖といった気持ちが起こってくる。それは人間の本能とも言えるもので、この私も、確証や保証を求める気持ちを少なからず持っている。しかし私は、その一方で、最終的に確証などこの世に存在しないと知っている。確証がないと思っていれば、答えや確証を求めることもなくなる。確証を求めるのは、確証がない世界から脱出するためであって、それは人間の根源的な弱さからくるものだ。

―――まだ赤ん坊の孫が母親を求めて泣いている姿を見て「人は“すがる”生き物なのだ」と深く感じた。・・・「三つ子の魂百までも」の言葉にもあるように、人間は三歳までの間に親に“いいすがり方”ができたかどうかで、その後のすがり方が決まってくる。つまり子供が求めるタイミングで親がどれだけ、子供にすがらせてやることができるかどうかが、その子にとって人生の大きな分岐点になるのだ。

―――弱くなって、負けの込んだ人生を抜け出すためには、まず自らの依存症を自覚し、その偏りを正していく必要があるだろう。自分のすがりかた方は偏っていないか? 依存になっていないか? と。

―――物理的な“片づける”という行動が心理面にも多分に影響することがわかる。そしてこの“片づける”という感覚は、仕事や人生における勝負においてもとても大事なものなのだ。

―――人間の怒りは、人にもともとある“被害者意識”から起こってくることが多い。・・・そのためには、自分の中に、“加害者意識”を持つことが必要だ。人間が元来持っている被害者意識を薄めるために、加害者意識がないといけない。むろん、多く持ちすぎて不必要な嫌悪感や罪悪感まで持ってしまってはダメである。

―――ミスも注射と同じで対処方法がある。痛みを精神的に抑えるように、ミスもそれ以上広がらないように精神で抑えていく。痛いのは当たり前、ミスも当たり前。それは誰でも同じ。そう思ってその痛みやミスがそれ以上大きくならないように気をつければいいのだ。ミスをしたときに「まずい」と思わず、ミスをしてしまった面白さを感じられるようになったとき、初めてそのミスが生きてくる。・・・「おれ、ミスしちゃった。おもしろいなあ」というくらいの余裕を持ってやっていると、それは後でよい結果をもたらしてくれたりする。

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<この本を読み終わって>

「道はいろいろあるが、たどり着く先は一緒」という言葉を、この本を読んで思い出しました。桜井章一さんが、名ある麻雀のプロと言うもが分かりました。名人は、自然にうまく行くのです。そして、語っていることは、つまるところ最後は「感謝」なのでしょう。私も、こうして生きていて、この本も読めることを「感謝」したいと思います。いろいろな形で人は生きていくのでしょうが、自分の生き方を見つけて、今日も歩いていきたい。

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