2014年11月29日土曜日

今日(11月29日)、渋谷区スポーツセンターのプールで10往復(500m)泳いだ。

今日(11月29日)、渋谷区スポーツセンターの
プールで10往復(500m)泳いだ。
写真は、泳ぎ終わって、その上の空が晴れてきた
スポーツセンターを、撮ったもの。

向こうの、下の方に見えるのが、
渋谷区スポーツセンター。
その上の青空は、さっきまでの雨が嘘のように、
晴れ渡っていた。
右側の欅(?)の木も、なにか清々しく見える。

毎週、泳ぐのは、私の血圧対策。
血圧対策なら、経験的にいうと、
最低6往復泳げばいい。
しかし泳げるだけ、泳ぎたい。
体がすっきりするのだ。

40代までは、30往復泳いだ。
50代になって、20往復。
そして、今60代になって、
いつの間にか、10往復になってしまった。
ままよ、歳だからしょうがない。

渋谷区スポーツセンターへは、玉川上水あとの緑道を歩いた。

渋谷区スポーツセンターへは、
玉川上水あとの緑道を歩いた。
13時半を過ぎたころ歩く。

写真は、初台付近から、幡ヶ谷方面に
向かって緑道を、撮ったもの。
雨の緑道は、風情がある。
ここを30分程度かけて、ゆっくり歩いた。

今日(11月29日)、渋谷区スポーツセンターのプールへ、雨の中を行った。

今日(11月29日)、
渋谷区スポーツセンターのプールへ、
雨の中を行った。、
写真は、オペラシティ―ビルの端から、
西新宿四丁目交差点を、撮ったもの。

西新宿四丁目交差点は、
甲州街道と、山手通りが交差するところ。
写真の上に見えるのは、
甲州街道の上を走る、首都高。

雨が降っていたので、信号が青になるまで、
オペラシティ―ビルの端の、
雨が避けられるところで、雨宿り。
そして、信号が青に変わって、
交差点を渡って、甲州街道の南側に行った。

一昨日(11月27日)、西の空にぽっかり、月が浮かんでいた。

一昨日(11月27日)、
西の空にぽっかり、月が浮かんでいた。

写真は、私の居るマンションのそばの、
都バスの空が開けた車庫から、
オペラシティービルの右に浮かぶ
月を撮ったもの。
真ん中、少し上に、小さく月が見える。

一昨日(11月27日)、企業見学会を終えて、初台に戻ってきた。

一昨日(11月27日)、
企業見学会を終えて、初台に戻ってきた。
オペラシティ―ビルのB1の中庭に出ると、
色が変わる、イルミネーションが目に飛び込む。
写真は、そのイルミネーションを1階から、撮ったもの。


一昨日(11月27日)、柴又帝釈天を見て、山田洋二ミュージアムと寅さん記念館を見て企業見学会のコースは終わり。

一昨日(11月27日)、柴又帝釈天を見て、
山田洋二ミュージアムと寅さん記念館を見て
企業漢学会のコースは終わり。

写真は、帝釈天のお寺を、撮ったもの。
それから、山田洋二ミュージアム
と寅さん記念館に行った。
二つを見て思った。

日本の一つの情景を、切り出したのが、
寅さんの演技だったし、山田洋二さんの感性だった。
「幸せの黄色いハンカチ」を、
良しとする日本人の(人間のかもしれない)
感性を、なんか上手に描いてきたなと思った。

企業見学会が、終わって、事件が発生。
私が時間を間違えて、
バスに乗るのに遅れてしまった。
かけつけたときは、バスが出発したあと。
携帯電話をして、ここから電車で帰ると連絡した。

柴又あたりは、懐かしい。
40年以上前、通勤で利用したルートだ。
柴又から高砂に出て、昔こんなだったかなと思った。
北総線が、乗り入れて、駅の様子も変わったみたい。

帰りは、柴又~高砂~東日本橋
→馬喰町~初台と帰った。

一昨日(11月27日)、企業見学会のあと柴又帝釈天に行った。

一昨日(11月27日)、企業見学会のあと
柴又帝釈天に行った。
写真は、柴又帝釈天の門を撮ったもの。

川千家で、遅い昼食をたべ、界隈を歩いた。

一昨日(11月27日)の、ユーザ協会の企業見学会で、赤坂溜池の山王パークタワービルにある、ドコモ本社ビルに行った。

一昨日(11月27日)の、ユーザ協会の企業見学会で、
赤坂溜池の山王パークタワービルにある、
ドコモ本社ビルに行った。

写真は、27階の受付の隣後ろから見える、
外の風景を、窓から撮ったもの。
手前の大きなビル2つは、議員宿舎。
真ん中に小さく見えるのが、国会議事堂。

ドコモからは、企業が、今使えるものと、
未来に向けた、ドコモの研究が説明された。
私は、自分の仕事の関係で、
車両位置管理システムに興味があった。
そうか、今、ドコモはこうなっているのかと思った。

2011.3.11の東日本震災以降、
災害用に衛星携帯電話が、
売れ始めたというのが印象に残った。
そうか、こんなに小さくなったのか、
日本沿岸を走る船なら、もう実用的に使えると思った。

昨日(11月28日)、NTTユーザ協会新宿・池袋支部の企業見学会「に行った。

昨日(11月28日)、
NTTユーザ協会新宿・池袋支部の企業見学会に行った。
バスで行ったが、
集合場所はJR池袋駅西口、東京芸術劇場前、
集合時刻は8時45分。

少し遅れていくと、もうすでにみんな集まっていた。
会費を払って、空いている席に座った。
写真は、席から、バス車内を、撮ったもの。
隣に座ったかたが、面白い方だった。
昭和16年、岡山県の生まれの方。

歌の司会も経験もしたし、結婚式の司会も沢山した。
そして、味わい深いことばを、
熟語辞典などから、5つ選び出したらしい
経験も豊富、覚えておくべき言葉を、5つ教えて貰った。

曰く、1.一期一会。
2、コミュニケーション。信という字は、人が言うと書く。
3.おなじ釜の飯を食った仲。
4、寝食をともにした仲。
5.結婚。・・・性という字は心が生れるとかく。

なるほど。
その他、面白い話が多くて、聞いていて、飽きない。
もう好々爺の感じだが、
若いときの写真も見せてもらうと、
若いときは、こうだったかという感じ。

有名な、芸能人も沢山、縁があったようだ。
赤塚不二夫、山本リンダ・・・・

2014年11月26日水曜日

藤原ていさんの書いた、「運命」を読んで私は、読書感想を書いた。




藤原ていさんの書いた、「運命」を読んで、
私は次の通り2009年11月、読書感想を書いた。
写真は、東横線の渋谷駅を、撮ったもの。


本のタイトルと写真の映像とは、何の脈絡もない。
あえていえば、戦争末期の満州も、
今の渋谷も、同じ日本人が生きているということ。


++++++++
読書感想文(運命・・・藤原てい)
 
<藤原ていさんは、戦後満州から帰った体験記
<「流れる星は生きている」を遺書のつもりで書き、
<これが戦後の大ベストセラーとなりました。
 
藤原ていさんは、1918年に生まれ、
長野県茅野市県立諏訪高等女学校を出て、
21歳のとき新田次郎と結婚しました。
 
新田次郎は、「強力」、「八甲田山死の彷徨」、
「剣岳-点の記」、その他の小説を書き、
小説家として有名です。
 
新田次郎は20歳から55歳まで、
気象台に勤めていましたが、
戦争前は満州に課長として行っていて、
奥さんの藤原ていさんも一緒に満州にいました。
 
戦後、新田次郎は満州の組織にいる敗戦国の人間として
捕らえられ、シベリアに抑留されました。
それで藤原ていさんは、子供3人をつれて、
満州、朝鮮と渡って日本に帰ってきます。
その時の体験記が「流れる星は生きている」になりました。
 
戦争前に満州や朝鮮にいた人が、戦後
日本に戻ってきた話しを聞くと、悲惨でやり切れませんが、
だからこそ、その体験記「流れる星は生きている」を
読んだ当時の日本人は、
拍手したのだと思います。
 
新田次郎がシベリアの抑留生活から帰ってきて、
長野の新田次郎の実家にいた、藤原ていさんと
その子供を見たときに言ったのが、「生きていたのか」
という言葉だったそうです。そしてその後、
新田次郎は努力して、作家になったと思います。
 
お二人の子供は、息子さんが2人に、娘さんが1人で、
満州から藤原ていさんと帰ってきたときは、
3人とも栄養失調になっていたとか。
3人とも今は立派になられて、
次男の藤原正彦さんは、2005年に「国家の品格」
という本を書いて有名になられました。
 
新田次郎は1912年に生まれ、
67歳にして1980年亡くなりましたが、
藤原ていさんはまだ生きています。
 
が、藤原ていさんも80歳を過ぎた頃から認知症になり、
その頃から一線を退きました。
この「運命」という本は、
1990年の前ぐらいのエッセイが中心です。
 
++++++++
<エッセイを読んで、
<藤原ていさんの人となりを私なりに理解しました。
<強い人だと思います。
 
この本を図書館で見つけ、借りてしまいました。
まったくこの人の本を読む気はなかったのですが、
図書館の大活字本の1冊にあったので借りたのです。
 
この文章が書かれた1990年の前といえば、
1989年にベルリンの壁が崩壊していますから、
冷戦が終結したころかその前の話でした。
それから平成元年は、1988年です。
 
しかしエッセイでは、冷戦のことや平成の始まりのこと
には触れずに、藤原ていさんの旦那さまである
死んだ新田次郎のこと、満州から帰還したこと、
今の世相等に関わることが述べられていました。
 
藤原ていさんの子供時代は、女ながら
男の子もひきつれて歩いたガキ大将であったようです。
そして、その気の強さで県立諏訪高等女学校に行きました。
 
戦争前に新田次郎と結婚したのですが、
どういういきさつだったのか分かりませんが、
大した理由はないはずです。
新田次郎はエリートではなかったはずです。
 
しかし、新田次郎も藤原ていさんのお二人とも
小説を書いて名をなしたところは凄いと思います。
 
新田次郎が満州に行ったとき、
藤原ていさんはついていきました。
そして日本が戦争に負けて、
藤原ていさんが満州から日本に帰った来た話が、
エッセイの中に出てきます。
 
新田次郎がシベリアに抑留され、
藤原ていさんが子供たちを連れて帰ってきた話です。
満州から朝鮮を通って帰ってきたのですが、
子供たちは栄養失調になってしまいました。
 
満州から日本に引き揚げてきた話は、
凄まじいの一語に尽きます。
藤原ていさんも、乞食のようなこともしたようです。
ましてやその子供達は、どんなだったのでしょうか。
 
もう満州から帰って来たというだけで、何でも許せる。
そういう気持ちになります。
 
藤原ていさんは、長く人生相談もしたようです。
エッセイを読むと藤原ていさんが、
何にでも一生懸命で生きて来たのが分かります。
もう少しいい加減でもいいような気がしますが、
それは藤原ていさんの生き様だから、
そういうものなのでしょう。
 
藤原ていさんは、真面目な人だなと思いますが、
ついていけない感じもあります。
が、次男の息子さんの藤原正彦さんが、
このエッセイのなかで、良い味を出していると思います。
 
藤原ていさんは、率直に言って
私はこの人には負けるという気持ちにさせて、
宇宙人のように感じますが、
藤原正彦さんは、分かるのです。
 
親父も死んでまで、おふくろに尻の下にしかれて大変だ、
などと藤原ていさんに言います。
それをエッセイのなかに書く
藤原ていさんも偉いと思いますが、
何箇所か藤原正彦さんが出てきて、
私はむしろ藤原正彦さんのファンになってしまいました。
 
なるほど。「国家の品格」で、
日本人をひきつけただけの事はあると思いました。
 
++++++++
<私の父親の両親は満州へ行き、
<そして私の父親が3歳から5歳のとき
<亡くなってしまいました。
 
私が満州に魅かれるのは、私の父親の両親が、
満州に行っていたからかも知れません。
父親がなくなったとき、
戸籍をさかのぼって調べたのですが、
父親の両親とも大正の初めのころ、
大連の満鉄病院で亡くなっていました。
 
父親の父親は満州で警察をしていたらしいです。
大正の初めのころ亡くなったとのこと。
父親の母親はその後、朝鮮で助産婦をしていたらしい
ですが、やはり早く亡くなってしまいました。
 
父親は、両親を小さいときになくしてしまったので、
苦労したと思います。
 
昔、明治の終わりの頃、日本は日露戦争に勝ち、
南満州鉄道を手にいれたので、
日本で成功が見込めなかった人は、一攫千金の夢を見て
満州に行った人が多かったのでしょう。
私もその流れの中にいるのだと思うと、
感慨い深いものがあります。
 
そういうなかで、
藤原ていさんも生き抜いてきたのだと思うと、
その是非はいろいろあるでしょうが、
それだけで偉い人だと、私には思えます。
 
新田次郎も偉かったのですね。
昔の人は将来に向かって、努力しました。
武士道精神が脈打っていたと思います。
これからの私たちも、諸先輩を見習って雄々しく生きたい。
そう思った読書でした。

朝、夕、味噌味、カレー味、しちゅー味、ラーメンを、この1年間ほど、代わり番に食べて」来た。

朝、夕、味噌味、カレー味、しちゅー味、ラーメンを、
この1年間ほど、代わり番に食べて」来た。
具には、3週間に一回料理をして、
タッパ―にいれて、冷凍しているものを、使っている。

写真は、具に水をいれて、肉をいれて、
シチューをいれたものを、撮ったもの。
これを10分煮る、5分目には卵をいれる。
これでできたものに、梅干し、お茶をつけて
食べている。

朝の主食は、いつも納豆、オクラ、鰹節、ご飯。
毎朝これらを食べるなんて、65歳まで、ほとんど台所に
入ったことのない私には、昔は、想像したこともなかった。
昔私が、台所に入ると、女房が「台所に入らないで」と、
怒っていたから、ほとんど入っていない。

でも、女房が死んで料理をしてみたら、面白かった。
それで、続いているのだと思う。

今日(11月26日)朝、雨が降っていた。


今日(11月26日)朝、雨が降っていた。
写真は、今朝7時ころ、窓から手摺り越しに、「
NTT東日本本社ビルとオペラシティ―ビルを、撮ったもの。
写真下の方の、手摺りの下には、
雨の水滴がついていた。


両方のビルの窓には、もう灯りがついていた。
あそこでは、徹夜で働いていたのかな、と思った。

2014年11月25日火曜日

昨日(11月24日)、弁慶橋を渡るとき、濠を見たら、鷺がカニか何かを狙っているのが見えた。

昨日(11月24日)、弁慶橋を渡るとき、
濠を見たら、鷺がカニか何かを狙っているのが見えた。

写真は、弁慶橋の上から、鷺を狙って、撮ったもの。
真ん中に、白い鷺が見える。
種類の違う鷺が、真ん中の鷺の
上の方に居たのだが、それは写真ではわからない。

昨日(11月24日)、女房の三回忌をした。

昨日(11月24日)、女房の三回忌をした。
杉並の、お寺に私も含めて8人が集まる。
お経をあげ、お焼香をし、それから、昼食。
昼食は、ホテルニューオータニのレストランで
中華を食べた。

写真は、ホテルニューオータニの
赤坂見附へでるあたりで、
ホテルニューオータニを、撮ったもの。

昨日(11月24日)、いつものように、朝の体操を、1時間以上布団の上でした。

昨日(11月24日)、いつものように、
朝の体操を、1時間以上布団の上でした。
写真は、体操が終わって布団を、撮ったもの。

2014年11月24日月曜日

昨日(11月23日)は、晴れていたので、ベランダに布団を干した。

昨日(11月23日)は、晴れていたので、
ベランダに布団を干した。
写真は、干してあるところを、撮ったもの。
写真には、隣のマンションが写っている。
向こうには、青梅街道沿いの西新宿の高層ビルも見える。

そして今日は?。
一日パソコンゲームをして過ごした。
ご飯も食べずに。
いつも、これで私は自己嫌悪に陥る。

すんでのところで、友達が来て、
私は救われた。
そう人は、
いつも誰かと一緒にいることが、幸せなのだ。

人間万歳。
それは、好きでもない人もいるさ。
でも、そういう人も含めて、
人と一緒にいると、勉強になる。

2014年11月23日日曜日

一昨日(11月22日)、23時過ぎ、六本木から大江戸線に乗って、家に帰った。。

一昨日(11月22日)、23時過ぎ、
六本木から大江戸線に乗って、家に帰った。
遊びあるいて、こう夜も更けてから
帰るのは、若い時は多かったように思う。

写真は、大江戸線「六本木」駅の入口を、撮ったもの。
入口は、東京ミッドタウンのビルにある。
東京は、なんでも、おしゃれだ。

それに引き替え私の人生は、女房に迷惑をかけ、
父母姉弟・娘、縁のある人に
迷惑をかけるだけだった、ような気がする、
イモ侍、そういう人生だったな。
しかし、それでいいのだ。いや、それしかなかった。

まだまだ、イモ侍でいくぞ。
なんて、変なところで、開き直る。
まあ、これからは、肩の力を抜いて、
思ったことは、やり続けよう。

一昨日は、恵比寿で懇親会を開き、六本木でカジノを経験した。

一昨日は、恵比寿で懇親会を開き、
六本木でカジノを経験した。
一昨日は、参加している、
月一回の奴隷解放クラブの日。

写真は、23時になって帰るとき、
六本木交差点から、森タワーの方を、撮ったもの。
写真の向こうに見えるのは、森タワー。
真ん中を横切っているのは、首都高。

六本木は、23時なんて、宵の口。
外人も多く、ある意味異様かな。
私は、用事も終わって帰るときなので、
すべてに無関心で、歩いた。
これも日本と思った。

奴隷解放クラブは、人気放送作家の安達さんと、
多くのベストセラー本の編集人、
長倉さんが、開いている。
私たちは、自分の常識の奴隷になっているから、
その常識から、解放されようという趣旨の会。

ひと月に一回、これまで四回、会合を開いて来た。
一次会はお二人と、私たちメンバーが
グループに分かれて、話し合い。
恵比寿で懇親会もかねて、行った。
そして、二次会は、六本木でカジノを経験した。

ここに来る楽しみは、3つ。
1つは、お二人から感じる風圧。
一流の人は違うといつも思う。
一緒にいいて、楽だけど、
またほかにないものも感じる。

2つは、ここに来るほかのメンバーが面白いこと。
全部で30人ぐらいが集まるが、
みんな魅力的で、話していて面白い。
少し、男性が多いけど、男性も女性も、
それぞれに、個性的。何よりも若い。
というか、年寄は私だけかな。

3つは、毎回新しいところに行って、
珍しい飲み屋街や、お店に行く。
私も東京に45年ぐらいいるけど、
経験は狭いと思わせられる。
昨日のカジノの店も、面白かった。


2014年11月21日金曜日

毎朝、お茶を飲んで、梅干しを食べて、納豆でご飯を食べて、味噌汁かシチューを食べている。

毎朝、お茶を飲んで、梅干しを食べて、
納豆でご飯を食べて、
味噌汁かシチューを食べている。

写真は、食べ終わった器を、撮ったもの。
食い意地がはっている私としては、
食べる前は、もう胃液が分泌しはじめるので、撮れない。
写真は、食べ終わってから、撮った。

下の左のコップには、お茶をいれて、お湯を注いで飲む。
下の右の小皿には、梅干しをいれている。
上の左の茶碗では、納豆をかきまぜ、
それに、オクラ、鰹節、ご飯を入れTれいる。

納豆は好きだから、女房に言って、
結婚してから、ほぼ毎朝食べて来た。
それが、今も続いている。

上の右の御茶碗には、今日は味噌汁をいれた。
これは、事前に3週間分を下ごしらえしたものに、
肉、卵をいれ、味噌を容いで作っている。
3週間分の下ごしらえするときは、30種類以上の具材を、
使っているから、この味噌汁にも、沢山の具材が入る、

これが、私の毎日の朝食。
1年間は、これが続いてきたから、
毎朝の食事の過程は、私の性にあっていたのだと思う。

朝のいっぱいのお茶は、一日の難逃れ。
梅干しは、毎日たべろ。
味噌を食べれば、医者いらず。
昔の人は、うまいことを言った。

こういう生活になったのも、
女房のお母さんの妹さんのせい。
この叔母さんには感謝している。

浜町公園の秋の銀杏を見て、春の花盛りの浜町公園もいいが、この寒々しい浜町公園もいいなと思った。

浜町公園の秋の銀杏を見て、春の花盛りの浜町公園もいいが、
この寒々しい浜町公園もいいなと思った。
写真は、浜町公園の一角に立つ
銀杏の木を、撮ったもの

浜町公園にも秋は来ている。

浜町公園にも秋は来ている。
写真は、浜町公園にある木を、撮ったもの。
木が、赤く色づき、秋が来たなと、思わせた。

昨日(11月20日)、訪問した浜町のビルの1階ロビーには、昇竜の彫刻が飾ってあった。

昨日(11月20日)、訪問した浜町のビルの1階ロビーには、
昇竜の彫刻が飾ってあった。
写真は、その彫刻を、撮ったもの。

2014年11月20日木曜日

京王新線「初台」の駅に戻ると、戻ってきたという感じになった。

京王新線「初台」の駅に戻ると、
戻ってきたという感じになった。
写真は、初台のオペラシティービルの中庭の
イルミネーションを、撮ったもの。

青から、赤に変わる。色の三原色ということばがあるから、
色が変わるときは、点灯する電灯が変わるのではないか、
と思い、目を凝らしたが、分からなかった。
別な、現象を活用しているのかもしれない。

一昨日(11月18日)帰り、初台のオペラシティ―ビルの中庭から、音楽が聞こえてきた。

一昨日(11月18日)帰り、
初台のオペラシティ―ビルの中庭から、音楽が聞こえてきた。
写真は、中庭のイルミネーションを写真に、撮ったもの。

イルミネーションの色が、音楽にあわせて変わる。
電気は、いろいろなことが出来ると思った。

一昨日(11月18日)、鬼怒川から帰って、、新橋で寺島実郎の講演会を聞いた。

一昨日(11月18日)、鬼怒川から帰って、
新橋で寺島実郎の講演会を聞いた。
写真は、会場の新橋東急ビルの入口を、
講演会が終わって帰るとき、撮ったもの。



講演で印象に残ったのは、次のこと。
私たちは、私たちの環境のなかにいる。
だから、良く生きるためには、
環境を読まなければいけない。



環境で、読めるのは人口構成の変化。
少子高齢化の時代を、良いものにするため、
考えなければ、ならない。



国民総生産で、中国は2040年前後には、
アメリカを抜いて、世界一になるだろう。
日本の人口、約1億に対し、
中国人17億人のポテンシャルは、無視できない。



アメリカは、衰退傾向にあったが、
ここ2~3年、持ち直した。
それはシェールガスが原因。
マイクロソフト、グーグル、アップルなどITも強い。
アメリカは、なかなかに粘れる国だ。


日本の最近の衰退は、牽引する産業がなくなったこと。
牽引する産業を、新たに作らなければならない。


友だちに言わせると、寺島実郎は
団塊の世代の上には人気があり、
団塊の世代の下には、人気がないらしい。


寺島実郎は、「こうしなければならない」という。
それが、団塊の世代の上下で、
評価が分かれる理由だろう、という。
団塊の世代の下に相当する、友達は、
寺島実郎をあまり評価してないという。


友だちは、できることをやっていくのが、いいことで、
「こうしなければならない」というのは、
誤りが多いという。


寺島実郎と同じ、昭和22年の生まれの私は、
寺島実郎のいうことに、なるほどと思う。
そして、友達のいうことにも、
なるほどと思った。

2014年11月19日水曜日

鬼怒川公園駅から、直通の東武特急の「きぬ」はないので、次の鬼怒川温泉まで電車で来た。

鬼怒川公園駅から、直通の東武特急の「きぬ」はないので、
次の鬼怒川温泉まで電車で来た。
写真は、駅前にあった鬼怒太の銅像を、撮ったもの。

ゴルフをしに行った人も多くて、この駅には3人できた。
あとから、北海道から来た、元指揮者のかたも、
奥様と一緒に合流する。

最初の3人のうちの一人、関東逓信病院にいた、
女性はもう75歳と言っていた。
私は、その人と話していて、
女房のお母さんの妹さんを思いだした。

二人に共通していることは、
縁のあった人に、やさしいこと。
駅で待つ間、ゆっくり話せてよかった。

それぞれ、自分の家に向かって、行き先(降りる駅)は違う。
そして、時間が来て、私は浅草まで、「きぬ」で帰った。
そこから、営団地下鉄銀座線で、
次の目的地のある「新橋までいった。

鬼怒川公園駅前にある、赤く紅葉した、木はきれいだった。

鬼怒川公園駅前にある、赤く紅葉した、木はきれいだった。
写真は、駅から出て、鬼怒川に向かって、撮ったもの。

写真の真ん中には、赤く紅葉した木が見えた。
これが左側に、連なっていてなかなk壮観。
写真の左側、電柱の向こうには、銀杏も黄色くなって見えていた。

鬼怒川の紅葉は、綺麗だった。

鬼怒川の紅葉は、綺麗だった。
写真は、泊まった旅館の部屋の窓から、
上流に向かって鬼怒川を、撮ったもの。

もう紅葉の盛りは過ぎたのかもしれない。
写真には、あまり紅葉は写っていんなかった。
それでも、ここに来ると自然を感じる。

朝風呂にも入り、気持ちのいい朝になった。

昨日(11月18日)は、秋の鬼怒川の景色を楽しんだ。

昨日(11月18日)は、秋の鬼怒川の景色を楽しんだ。
写真は、旅館の部屋の窓から、
崖の下を流れる鬼怒川を、下流の方に向かって、撮ったもの。

一昨日は、懇親のあと、2次会もして、いろいろ話した。
なにしろ、毎年会う人もいるが、40年ぶりの人もいる。
それは、話も弾む。
夜の12時ごろ、お風呂で温泉を楽しで、寝た。

昨日は、その夜明けである。

「鬼怒川公園」駅には、17時過ぎついた。そこで、40年前一緒だった人16人が集まって、懇親をする。

「鬼怒川公園」駅には、17時過ぎついた。
そこで、40年前一緒だった人16人が集まって、
懇親をする。
写真は、「鬼怒川公園」駅を、撮ったもの。
もうあたりは、暗い。

私は40年ぐらい前、コーラスをしていたのだ。
私がコーラスなんて、似合わないが、
指揮者の人が、声が出なかったら、息をだせ。
息をだせば、それがほかの人の声を、客席に運ぶ。
そういった。

それなら、私でもできる。
そして舞台の上で、客席に向かって、一所懸命息を出しtた。
みんな、一所懸命歌っていて、
そのなかにいる自分は、のびのびしていて、気持ちがいい。
終わって、なんか満足感があった。、

同じメンバーで、若いころ、
年に一回、麻雀を泊まり込みで、計10回ぐらいここ鬼怒川でした。
だから、鬼怒川というと、私は麻雀をを思いだす。

そのメンバーが集まる。奥さんを連れてきている人もいて、
計16名。懇親は懐かしかった。

鬼怒川に行く経路にある、日暮里の駅で、山手線から常磐線に乗り換えた。

鬼怒川に行く経路にある、日暮里の駅で、
山手線から常磐線に乗り換えた。
写真は、日暮里の駅で改札を、撮ったもの。

ここは、15年近く前、
ほぼ毎日通勤に使っていた、駅だから懐かしい。
駅の改造で、構内が広くなったので、
新しい可能性も感じる。

改札を左(西)に出て、歩くと、お寺がある。
お寺の門には、彰義隊の鉄砲のあとも、沢山あった。
「夕焼けだんだん」を行き過ぎて、谷中銀座。
蛇道。不忍通りをわたって、須藤公園。
と、その他も含めて、思い出す。

一昨日(11月17日)、鬼怒川に行った。電車では徐福伝説を読んだ。

一昨日(11月17日)、鬼怒川に行った。電車では徐福伝説を読んだ。
経路は、初台~新宿~日暮里~北千住~鬼怒川公園の順に行く。
写真は、田端尾久でホームから、改札方面を、撮ったもの。
経路に田端尾久はないが、ここで間違えて降りてしまったので、
ついでに写真を撮った。

なぜ間違えたかというと、
それまでの車内で本を夢中になって読んでいて、
田端尾久に着いたのに気が付いて、慌てておりてしまったもの。

読んでいたのは、「ロマンの人・徐福」。
この前、横浜に先輩の家に行ったとき、
貰った(借りた?)もの。

本には、次のことが書かれてあった。
徐福伝説は、事実であろうこと。
日本が、縄文時代から、弥生時代に変わったのは、
徐福が日本に来てからだろうというもの。
徐福の伝承は、日本各地に残る。

徐福が、薬草を求めて、大勢で日本に来て、
そして、別れてあちことちに行って活動したから、
徐福伝承が、日本各地に残っているのは、当然かも知れない。

読んで、なんで日本の歴史のオーソリティは、
こういうことを、話題にしないのだろうか、と思った。
歴史なんて、分からないことだらjけだし、
真実も、見方によって変わるのだろうと思う。

そしたら、民間伝承に残っていて、
大勢の人が語っているのんなら、
そこから日本の歴史を始めればいいと思う。

精緻にこだわって、大局観がなくなっている面が、
日本の一部の歴史学会にはあるような気がする。


2014年11月17日月曜日

一昨日(11月15日)、ボランテア勉強会「流通楽座」で、中国でのビジネスの話を聞いた。

一昨日(11月15日)、ボランテア勉強会「流通楽座」で、
中国でのビジネスの話を聞いた。

写真は、私の部屋から、東北を向いて撮ったもの。
写真左下では、病院を建設中で、今はシートをかぶっている。
中国と言うと、今は建築ラッシュの中国を思い出す。
それで、この工事中のビルを思い出した。

話は面白かった。
現実にそこでビジネスをしている人から、
生の声を聴けるなんて、幸せだ。
価値観の違い、考え方の違いを乗り越えていく、話は面白い。

煎じ詰めていうと、15億の人がいて、動き出している、
中国を無視してはいけない。
しかし、価値観・考え方には、日本人と
大きな違いがあるから、そこは、理解しなければならない。

そう思う。
決めて、それで世の中が回るほど、ビジネスは甘くない。
経験を積みながら、一歩ずつ前進しなければならない。
中国は、今や世界2位の大国で、
10数年後には、アメリカをも抜くと、いう分析もあるらしい。

理解できなくても、付き合わなければならない。
そして、そのうちに理解できるようになるのでしょう。

昨日(11月16日、渋谷区スポーツセンタのプールで、10往復泳いだ。

昨日(11月16日、渋谷区スポーツセンタのプールで、10往復泳いだ。写真は、私の部屋から、南西の方を向いて、撮ったもの。右側のビルが、オペラシティ―ビル。左側は、NTT東日本のビル。渋谷区スポーツセンタは、ちょうどオペラシティ―ビルの向こう側にある。

そこまで、玉川上水あとの緑道を、歩いて行く。緑道は歩いていて、気持ちが良い。木々の紅葉などからは、秋も感じられた。プールについて、泳ぐ。血行が良くなって、帰ってから、思わず寝てしまった。

2014年11月14日金曜日

昨日(11月13日)、物流サロンに参加するため、御茶ノ水の明治大学に行った。

昨日(11月13日)、物流サロンに参加するため、
御茶ノ水の明治大学に行った。

写真は、JR御茶ノ水駅をおりて、駿河台下の交差点に向かう途中、
交差点から、明治大学を撮ったもの。
右側に見える大きなビルが、昨日行ったビル。
一番左のビルの上の方はかすんでいて見えないが、
これは、リバティタワー。

物流サロンは、面白かった。みんなそれぞれの場所で、
分からなくて悩む時は、その人の人生をかけて悩んでいる。

西新宿KDDIビルと、甲州街道の間の通りは、いつも通った道。

西新宿KDDIビルと、甲州街道の間の通りは、いつも通った道。
ここも、昨日(11月13日)の空は、青い。

写真は、西新宿二丁目交差点から、
西の方を向いて、撮ったもの。
右に高く見えるのは、KDDIビル。
写真の左側は、甲州街道

写真正面より少し左側は、甲州街道から、水道道路に行く細い道が
分かれるところにところにある、三角地帯。
手前の道路では、予期してなかったバスが通っていた。