2014年9月12日金曜日

私は、「孫子」を読んで、読書感想を書いた。

私は、「孫子」を読んで、2009年3月、下の通り読書感想を書いた。写真は、幕張で開かれている、宇宙博で、ロケットを足元から、先頭に向けて、撮ったものである。読書感想とこの写真は、直接には関係がない。でもロケット技術も、戦争とともに発展した。孫子は、戦争を論じている本だから、まんざら関係がないわけではない。

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読書感想文(孫子・・・孫武、孫臏 訳 金谷 治)

<孫子>

「孫子」は中国の春秋時代(紀元前770年~403年)に書かれた、兵法書です。春秋時代の孫武が書いたのですが、これをブラッシュアップするプロセスでは中国の戦国時代(紀元前403年~221年)の孫等が関与しました。

兵法書「孫子」は、名文です。内容も深く、そして具体的でもありました。「孫子」を学んだ人(歴史上の人物も含めて大勢の人が学びました)が、世界の兵法書のなかでも「孫子」が一頭抜け出ているというのは、この本を読めば分かります。

「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」も「孫子」です。武田信玄の「風林火山」というスローガンも「孫子」からとりました。「孫子」は13篇からなります。1篇が500文字程度ですから、全部でも漢文は6500文字足らずでしょう。短いので一度読んだほうが良いと思い、私も20代前半から、ときどき思い出したように読んで来ましたが、本当は、まだ理解できていません。

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<孫子を訳して、この本にした金谷治さん>

金谷治さんは、私は良く知りませんがウィキペディアによると、1920年2月三重県に生まれて、東北大に行って、2006年5月死にました。中国の春秋時代、戦国時代の思想を中心に研究し、大学の教授もした東洋学者だそうです。

今から約2500年前のこの時代は、儒教の孔子、孟子なども生まれましたし、道教(老荘の思想)の老子、荘子も生まれました。金谷治さんは、この人達の本等を書いています。易の本も書いていますから、もっと古くからの中国を研究していたのかも知れません。金谷治さんが書いたこの時代は、中国の豊饒の時代だったように思えます。

この本は、岩波文庫の本で、1999年に出されたものです。原文である漢文と、読み下し文と、口語訳を対照して記しています。私は本屋で安いので買いました(これまでもときどき、思い出したように「孫子」を買いますが、私はそれを、これまで全部なくしていると思います)。

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<孫武、孫臏>

孫子を書いた孫武(紀元前5世紀頃の人=呉の闔廬に仕えました)も、それから孫臏(紀元前4世紀頃の人=斉の威王に仕えました)も、「史記」に名戦略・戦術家として出て来ます。

史記は、中国の春秋・戦国時代を中心に書いた、紀元前1世紀の人「司馬遷」の、書として有名です。孫武、孫臏の二人の事跡も、その内容が事実であったのかどうかは、別にして話せば大抵の人が聞いたことがある話で、有名でした。私には、史記の話はうまく出来すぎているような気がして、作られたもののような気もするのですが、事実は分かりません。

孫武、孫臏とも、斉の田氏(斉は太公望の国で、その子孫、桓公が有名ですが、田氏は桓公の子孫ではありません。斉は桓公の後裔の時代、陳氏=後の田氏に簒奪されたのです)の子孫です。

「孫子」は、孫武が書いたという伝説がありました。が、孫武は史記以外には出てこないのです。それで、孫武の存在を疑問視する人がいて、「孫子」は孫臏の書いたものではないかとも、言われていました。しかし、1972年に中国山東省で漢初の墓が発掘され、その中に孫臏の兵法書もあり、「孫子」が孫臏以前からあったことがわかり、やはり伝説どおり孫武の作であろうということになりました。

しかし、「孫子」は古くからありましたが、その後多くの人にブラッシュアップされたことも事実で、孫臏がその有力な一人であったと思います。それで、二人の名前を著者としてあげました。

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<この本の種本、「魏武注孫子13篇」>

後世の中国での種本も、この本の種本も魏武が「孫子」の注を書いた、「魏武注孫子13篇」だそうです。

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<三国志>

魏武とは三国志で有名な、魏の曹操のことです。曹操は三国志において悪役で出てきたりもしますが、三国志の実質的な主人公であった人で、戦争をやり続けました。教養人でもあったそうです。

魏は卑弥呼で有名な「魏志倭人伝」の魏ででもあります。話が三国志に飛びますが、「魏」は曹操が起こし、結局、三国を制したのが、「魏」です。しばらくは「魏」が天下をとりました。三国の残りの2つは、「蜀」と「呉」です。

「蜀」は劉備が起こしました。「蜀」では、関羽(中華街で祭られている関帝廟は、曹操が関羽を義理堅いと言ったことから、関羽が死後神格化され、商人の神として関羽を祭ったものです)、や諸葛孔明が有名です。三国志演義は、この「蜀」を主人公にしたものでした。またしたがって、三国志演義を数多く演じている、中国の京劇でも有名です。

三国志演義は、中国人の三国はこうあって欲しいとの想いを小説に、そして劇にしたものであって、事実はもう少し泥臭いと思います。

「呉」は孫堅がたて、その子、孫策がつぎ、孫策が若くして死んだものですから、孫策の弟、孫権がそのあとを継ぎました。「魏」の曹操と戦うことを決意した孫権が、昔からの盟友で部下の周瑜等の活躍により、誰もが勝つと思っていた「魏」の曹操の軍を長江で破ります。この「赤壁の戦い」で「呉」は有名になりました。

「魏」は、「蜀」の天才軍師であった諸葛孔明のライバル、「魏」の軍師司馬懿仲達が諸葛孔明の死後、「蜀」を倒し天下をとります。が、さらに司馬懿仲達の孫が、その後、「魏」を倒し「普」を建て、天下をとりました。

魏武から脱線して思わず、三国志を語りましたが、戦争を続けた、魏武(魏の曹操)は、「孫子」を読んだし、戦争も指揮者として体験していたので、その体験をもとに、この注を書いたのでしょう。戦争が国を作っていくことになったので、曹操の「孫子」にかける想いは深かったと思います。

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<孫子の構成>

「孫子」は、「計篇」(1)、「作戦篇」(2)、「謀攻篇」(3)、「形篇」(4)、「勢篇」(5)、「虚実篇」(6)、「軍争篇」(7)、「九変篇」(8)、「行軍篇」(9)、「地形篇」(10)、「九地篇」(11)、「火攻篇」(12)、「用間篇」(13)の13編からなります。

この本の最初の解説を要約してみると、この各篇は、最初の1~3の3つが「戦争の一般事項を扱った総説」、次の4~6の3つは、「戦術原論(戦争の一般的な構造規定)」を扱っています。後は各論になるが、7~11は「実践にあたっての有益な細かい配慮の行き届いた戦術」で、12は火攻めを説き、13は用間(スパイ)の活用を説いています。

短いのに、いずれの篇も戦争を、言い換えると人生を、網羅するように書いているように思えます。「孫子」は、原文が漢文ということもあって、読むのが大変ですし、私の理解は断片的だと思いますが、読めば、粛然とした気持ちになりました。

戦争が世の中を支配する時代は終わると思います。だから、今回最初にこの本を読んだとき、「孫子」の最初に「兵とは国の大事なり・・・」が出てきますが、世の中はそれだけではないでしょう、と思いました。でも、この本に書いてあることを、完全に理解していない私としては、もう一度噛みしめて、読んでみたいとも思いました。そして、以下に各篇を感想というより、私の理解の範囲ですが、短く要約してみます。

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戦争の一般事項
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<「計篇」(1)>

「計篇」(1)の最初には、しびれるようなことが書いてありました。「戦争とは国家の大事である。国民の死活がきまるところで、国家の存亡の分かれ道であるから、よくよく熟慮しなければならない」です。これを原文の漢文で読むと、格調高く、それはそうだなと私に思わせました。

「それゆえ、5つの事がらではかり考え、7つの目算で比べあわせて、そのときの実情をもとめるのである」。道・天・地・将・法が5つの事がらであり、君主・将軍・自然界のめぐりと土地の状況・法令・軍隊・士卒・賞罰が7つの目算です。

「戦争とは詭道(正常なやりかたに反したしわざ)である・・(だから)・・」「私は以上の廟算ということで観察して、事前に勝敗をはっきり知るのである」。事前に勝敗をはっきり知るなどと書いてあるのは、なんとも恐ろしくもありました。しかもこの本では断定的に書いているのが印象的です。

が、著者の二人が、春秋・戦国時代の戦争で結果を出していることから、戦争をやる前に戦争の結果は分かっていると言っていることが、妙に説得力を持っています。

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<「作戦篇」(2)>

「作戦篇」(2)には、戦争のロジステックのことが書いてあります。1つの戦争を遂行するためには、ロジステックを考えなければならないが、それは思った以上に大仕掛けのものだ。だから戦争には拙速ということはあっても、巧く長い戦争を戦ったものというのは、聞いたことがない、と「孫子」は言っています。ロジステックの観点から、その作戦の良い悪いも判断しなければならないとも、言っています。

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<「謀攻篇」(3)>

「謀攻篇」(3)では、戦争は表でするだけでなく、普段から継続的に実施していなければならないと言っています。戦争の起こる予兆をみて手を打たなければならない。謀りごとを進めている敵があれば、それを謀りごとのうちに対処しなければならない。

戦争に勝つのは華々しいが、それは上善ではない。事前に手を打つのが上善で、それは一見何の価値もないように見えるが、価値のないように見えるものにこそ価値があると、言っています。

そして、将軍と兵士は心を合わせなければ、勝てないし、国君(国の君主)はそれを阻害してはいけないと言っています。「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」が出てくるのも、この篇です。

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戦争原論
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<「形篇」(4)>
 
「形篇」(4)からその後の(6)までは、これまでの(1)~(3)の戦争総説から、それを受けた、戦術に入っていきました。「形篇」に書いてあることは、勝つ人は、勝つ体制を作ったうえ、相手が負ける体制になるのを待つ人だそうです。

そして戦争で何が勝てる要因で、何が負ける要因かを見極める能力は、残念ながら誰にでもあるというものではなく、見極める能力のある人が勝者になる、と言っていると思いました。そして勝つ人はいつの間にか勝っているので、ほかの人は、その人が勝ったことさえ分からないことが多いと言っています。

この篇ではほかに、戦争を5段階で計ることの重要性も言っています。戦場の広さ・距離、投入すべき物量、必要な兵数、味方と敵の質、そして勝利の条件。最後に「孫子」は、「形篇」をこう締めくくっています。「勝者の民を戦わしむるや、積水を千仞の渓谷に決するごとき者なり」

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<「勢篇」(5)>

「勢篇」(5)は、人は強にもなるし、弱にもなる両面性をもっており、それを強にするのは勢いだと説いています。大勢をコントロールするのを、小勢をコントロールするように、安々とやってしまうのは組織が整備されているからであり、兵士に今の戦争で何がなされているかを分からせる、道具立てが良いからだと言っていました。だから良く戦う人は、勝ちを勢いに求めて、人を責めないそうです。

戦争では、(変化に応じてする)奇法と(定石どおりの)正法との使いわけのうまい人は、決して負けることはないと言っています。「故に、善く人を戦わしむるの勢い、円石を千仞の山に転ずる如くになるものは勢いなり」で、この篇を締めくくっています。この(5)に(4)をあわせ、形勢になりますね。

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<「虚実篇」(6)>

「虚実篇」(6)をひとことで言えば、味方の「実」で、敵の「虚」を撃てと言っていました。これは心理戦に勝て、人間の心理を知り、そのうえで果断に動け、それが戦に勝つ秘訣である、と言っていると思います。より深く人間心理を読んで、より多く我慢して味方と敵の心を理解することが大事なのでしょう。

この篇ではこう書いています「そこで、戦の前に敵の虚実を知るためには、敵情を目算してみて、利害損得の見積もりを知り、敵軍を動かしてみて、その行動の規準を知り、敵軍のはっきりした態勢を把握して、その敗死すべき地勢と、敗れない地政を知り、敵軍と小競り合いをしてみて、優勢な所と手薄な所を知るのである」。極めるところ「微なるかな微なるかな無形に至る。妙なるかな妙なるかな無声に至る。ゆえに良く敵の司命を制す」のでしょう。

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戦争各論
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<「軍争篇」(7)>

「軍争篇」(7)から戦争の具体論に入ります。(1)~(6)は戦争の一般論でしたが、ここからは具体論です。読んで、なるほど戦争はやって見なければ分からないな、と思いました。

軍争とは「将軍が主命の命令を受けてから軍隊を統合し、兵士を集めて敵と対峙して止まるまでの間で、これほど難しいものはない」そうです。これをうまく行うためには、「同盟する諸侯の腹を読み」「地形を理解し」「土地に詳しい案内者を使う」と言っていました。

ここでは、戦争の立ち上がりが重要だと言っていると思います。そして、虚実(戦争の心理)を言っていました。また、風林火山はこの篇に出てきます。「其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山、・・・」ですね。ここ言葉は、武田信玄が旗印にしたことでも有名になりました。

戦争を知らない私に、なるほどと思わせたのは「口で言ったのでは聞こえないから、太鼓や鳴り物を備え、指し示しても見えないから、旗や幟を備える」とあることです。私の若いとき、良く組合の動員で、メーデやデモに行きましたが、大勢の集まる場所に行くと、旗や幟が頼りになりますし、鳴り物は良く分かるだろうなと思いました。

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「九変篇」(8)

「九変篇」(8)は戦争でのべからず集です。印象に残った言葉は、相手を追い詰めてはいけない、追い詰めた相手と戦ってはいけない、餌にくいついてはいけない、でしょうか。

勿論、戦争ですから、弱い相手は叩きのめさなければいけないし、強い相手は、相手にしてはいけないとも書いてありました。このほか、考えるときは、利と害を両方考えろと言います。害のあることには、その利点も考えるから、(害で生まれる)心配も(利点で)解消すると言っているのが、私には印象的でした。

9つのべからず集の具体論は次のとおりです。「高いところにいる敵」「丘を背にして攻めてくる敵」には逆らってはいけない、「険しい地にいる敵」には、長く対峙してはいけない、とあります。また、「偽りの退却」を追いかけてはならず、「鋭い気勢の敵」には攻め懸けてはならず、「釣りの兵」に食らいついてはならず、「国に帰る敵」を引き止めてはならず、「包囲した敵軍」には、1つの逃げ道を用意し、「進退窮まった敵」を追い詰めてはならない、としています。これが、9つの戦いにおける心がけだそうです。

将軍にとっての5つの危険も心に残ります。私はこれらが出来てないな、これらが私の反省点だな、と思いました。それは「必死は殺され」「必生は虜にされ」「忿速は侮られ」「廉潔は辱められ」「愛民は煩わされる」です。「凡そ此の5つの者は将の過ちなり、用兵の災いなり」。なるほど、ウーンと唸りました。

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<「行軍篇」(9)>

「行軍篇」(9)は、行軍と敵と遭遇したときの戦いについて書いています。山、川、沼沢地、平地。これらには有利な場所と不利な場所があり、そのときどうするかを書いています。軍隊を駐めるべき場所も書いています。書いてあることは、とにかく具体的です。例えば、渡ろうとしている川の、洪水の前触れとその対処も書いています。

5つの天険の地も書いています。天険の地から、味方は遠ざかり、敵はそこに向かうように仕向けよとあります。また伏兵がいる5地も書いてあり、こういう土地では良く調査しろと言っています。

戦形についても書いています。「ここまで具体的に書く」と言いたくなるほど細かく書いていますが、それは戦では切実であるからでしょう。敵の誘導、攻撃、伏兵、奇襲、戦車の兆しも書いています。敵の構えとその心理も書いていています。戦争も普段の延長だというのが分かります。

全部、それはそうだと思わせますが、やっぱり自分には将はできないなと思わせるほど、この篇は具体的に戦争を書いていて、恐ろしいようです。自分にできることは、捨てることしかできないなと思わせ、また何故か「振り下ろす刃の下は地獄なり、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉を思い出しました。

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<「地形篇」(10)>

「地形篇」(10)には、地形のいろいろと、相手の条件に応じた6つの戦い方が書いてあります。また将と軍吏と兵隊の関係において、敗北するときの6つ関係が書いてあります。どれも実戦においては役に立つのでしょうが、そこまで考えて自分を律するのは面倒という気もしてきます。それぐらい私が普段、戦いを考えるのを放棄しているのですね。私ももう61歳になって、世の中も分かって来たかなと思っていましたが、「上には上がいる。考えることもまだまだ多いな」と思いました。

勝てるときは攻め、勝てないときは戦から離れる。それを「味方の状況」と「敵の状況」と「土地の状況」を見定めつつ行え。そしたらいつでも勝てる。そう言っていると思います。この本は条件つきですが、勝てるとばかり言っています。みんな勝ったらどうなるのだろうかなどと、私は心配してしまいますが、負ける人もいるから心配はいらないのかも知れません。

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<「九地篇」(11)>

「九地篇」(11)は九地について、次のように書いています。「戦争の原則としては散地(軍の逃げ散る土地)があり、軽地(軍の浮き立つ土地)があり、争地(敵と奪い合う土地)があり、交地(往来の便利な土地)があり、衝地(四通八達の中心地)があり、圮地(軍を進めにくい土地)があり、囲地(囲まれた土地)があり、死地(死すべき土地)がある」。そして、それぞれの土地のさらに詳しい説明があり、その土地に応じた戦い方が示してあります。

戦争では、敵も味方も同じ考え方にたどりつき、鎬をけずるのです。深くこれを理解し、一貫し、しかも変化に応じて対応するものが、勝者になるのでしょうか。「戦争の実情は迅速が大事」ともあります。

ここに常山の蛇である率然(蛇の名前です。頭を打つと尾が、尾を打つと頭が助けにくるし、・・・)が出てきて、呉越同舟(呉の人と越の人は仲が悪いが、一緒に乗った船で大風に合えば助け合う)もでてきます。呉越同舟の船の条件をつくれば、軍隊を常山の率然のように出来ると言っていました。そのため、ここでいう「九地の変」と「軍隊の屈伸」と「人情の理」を、十分に考えなければいけないと言っています。

はじめは(おとなしい)処女のごとく、その後脱兎のように(鋭く攻撃)すると、敵は防ぎきれなくなると、でてきました。処女と脱兎の組合せは、ここに世界で初めて出てきたのでしょうか。

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その他の戦争
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<「火攻篇」(12)>

(7)から(11)までは、戦争の進め方の具体論ですが、この篇から2つは別な趣です。「火攻篇」(12)を読んで、戦争では火攻めは、紀元前の昔から使われていたのだな、と改めて思いました。書いてあることは、現代人の私にも、みんなもっともだなと思わせます。

「火攻めの種類」、「火攻めには日と時があること」、「火攻めとセットの攻撃のありよう」について、この篇は書いています。攻撃は観察をベースにしているのだと思いました。戦争とは科学であるのが、この篇でも分かります。

戦争では思い込んで先走ることは、負けにつながります。勝者はいつもこうなのか、と感心させられました。今まで勝者になれなかった私は、おっちょこちょいであったと思います。慢心こそ、敗者の条件かも知れません。慢心が今までの私には、あったと思います。この篇を読みながら、そういう感じを持ちました。

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<「用間篇」(13)>

「孫子」の最後は用間(スパイ)篇です。「用間篇」(13)は、日本人が最も嫌いで下手な、スパイについて書いていました。何故、日本人がスパイを嫌いかというと、必要な嘘をつくのがスパイの仕事であるからだと思いますが、日本人は嘘をつくのは、疲れるし嫌いなのだと思います。でも、戦争ではこの用間(スパイ)が、もっとも大事だと「孫子」は言っていました。

「孫子」のこの篇にはこう書いてあります。「故に三軍の親は間より親はなく、賞は間より厚きはなく、事は間より密なるはなく、聖智に非ざれば、間を用いること能わず、仁義に非ざれば、間を使うこと能わず、微妙に非ざれば、間の実を得ること能わず・・」。

用間(スパイ)が、その人の(他の人の)誰にも分からない部分を作っていくのだと思います。しかし、用間(スパイ)を使う人が失敗するとき、失敗の理由もここにあると思いました。

この篇には、ほかに用間(スパイ)の種類と、その使い方が書いてあります。また、用間(スパイ)の用い方は、「すぐれた(神紀の)働きぶりが、人に知られないことである」と言っていますが、これは人間性に反するかも知れないという考えが、私の頭からは離れませんでした。

「孫子」を読んで、感じたことは、これが2000年以上も前に書かれていて、これらを理解し、実践した人がいたのだし、それにもまして、書いた人がいたことが凄いということでした。

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