2014年9月30日火曜日

なかにし礼さんの「兄弟」を読んで、私は読書感想を書いた。




なかにし礼さんの「兄弟」を読んで、私は2009年6月、次のように、読書感想を書いた。写真は、先日まで幕張であった宇宙博で、撮ったもの。撮ったものはなんだったかわすれたが、ロケットの何かと何かをつなぐものだったと思う。それは、縁をつなぐ兄弟に 似ていると思ったので、ここで使った。


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読書感想文(兄弟・・・なかにし礼)


<なかにし礼さん>


なかにし礼さんは1938年9月に、小樽から満州に渡って酒造業で成功したお父さんの下で生まれました。14歳うえのお兄さんがいて、7歳うえのお姉さんがいて、その次ぎの生まれです。なかにし礼さんは私より9歳うえですが、私たちの年代にはその時代の歌謡曲の作詞家として、なかにし礼さんは有名です。


お母さんは若い頃、小樽小町といわれたそうですが、したがってなかにし礼さんもいい男で、また私たちが聞いた、なかにし礼さんの歌謡曲の歌詞は斬新でした。心に染み入るような歌です。それは、私たちになかにし礼さんの才能への嫉妬をおこさせるほど、魅力的でした。


でも兄弟を読むと、なかにし礼さんの実像が私たちに迫ってきますし、そのナイーブさが良く分かります。そうかあそこにいたのか。そういうできごとがあったのか。なんであんな悲しい、人間を分かった歌が書けるのかと思っていましたが、はじめてなかにし礼さんの本を読んで、なかにし礼さんの実像を、これも初めて分かったような気がしました。


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<なかにし礼さんと、私の電車のなかでのすれ違い>


私がなかにし礼さんの実物を初めてみたのは、私の若いとき(つまりなかにしさんの30代のとき)山手線の電車のなかでした。電車の箱の端っこに立っていましたし、ごく自然にしていて誰も騒いでいません。そばにいた私も、何も言わずなかにしさんをジっと見て(なかにしさんも私をジっと見ていました)、そして電車をおりました。


その時、それまでのなかにしさんへの私の嫉妬が嘘のように消え、何か爽やかな一陣の風が私の心を過ぎていきました。そのときのなかにし礼さんに、その頃私が夢中で読んでいた黒岩重吾さんが重なって見えたのです。


小児マヒになり、生きるのには楽な、大阪市西成区の釜が崎に住み、そこから道路脇のトランプ占いで這い上がった黒岩重吾さんには、私は生きるうえでの人間のプライドを感じました。なかにし礼さんにも、同じものを感じたように思います。それから私はなかにし礼さんに、親近感を感じるようになりました。


偶然だと思いますが、なかにし礼さんを映画館で偶然見た人の話を聞きました。そしてその後、なかにし礼さんが家族の金銭で苦労しているのも聞きます。


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<なかにし礼さんの小説>


私は、なかにし礼さんに親近感を感じていたし、なかにし礼さんが書いた本が沢山あったのも知っています。なかにし礼さんが直木賞を貰った「長崎ぶらぶら節」は、映画で吉永小百合さんが主演しましたが、吉永小百合さんが主人公愛八を演ずるため三味線を長崎の芸者さんから、習ったのも聞きました。


「兄弟」の最初の方に出てくる戦後すぐ鰊があがった、なかにし礼さんも戦後すぐ行ったことのある北海道朱文別海岸を、なかにし礼さんが訪ね、テレビで語っているのを聞きました。もっともテレビで語っているなかに礼さんより、電車の中で見た、黙っていたなかにし礼さんの方が素敵でしたが。


私は、なかにし礼さんの本は。これまで読んでいませんでした。だから、図書館でこの本を見たとき、読んで見ようと思ったのです。


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<兄弟>


冒頭にランボーの「放浪者」から次の引用があります。「あわれな兄貴!あいつのおかげで、おれは幾度やり切れぬ夜々を過ごしたことか!」。この言葉は、なかにし礼の現実的な思いでもあったのが、この「兄弟」という小説を読んでわかります。


だから悪魔的なお兄さんを書く、なかにし礼の筆致には、あきらめる心と意志の強い心の両方を、私たちに感じさせます。そのお兄さんが死んだところからこの物語ははじまりました。お兄さんはお兄さんのやり方で、なかにし礼と接していたのだと思いますが、なかにし礼からすれば、そのお兄さんが全てで、それは結局悪魔的だったと思います。


この小説を読んだ私には、お兄さんは大事に育てられた、生き損なった大家のボンボンという感じがしました。でも、サラ金に手を出した人が現実に私のまわりに何人もいましたし、私もその心情は分かる気がしますが、一度サラ金に手を出した人は、サラ金から手を洗うのは難しいと一般的に言われています。そういう泥沼のなかで一生を送ったのが、お兄さんだと思いました。


なかにし礼のお兄さんは、なかにし家の長男でしたから大事にされました。だから通っていた立教大学から、満州に帰郷のときは、お兄さんが得意な楽器(アコーディオン、三味線・・・)を、満州の中西家に勤めていた女中さんや、杜氏さんを聴衆に弾き、拍手喝采を受けました。(何故かローマ皇帝のネロが、聴衆にローマ国民を集めて、壇上でマンドリンを弾き、聴衆のローマ国民に拍手喝采をもとめた姿を思い浮かべました)。


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<お父さん>


お父さんは満州に渡り、信頼する人に裏切られたとき、その悔しさを忘れまいと、自分の小指をきりました。また、長男のお兄さんが特攻隊の練習で、飛行機を炎上させたとき、炎上させたのは天皇陛下に申し訳ないと言って戦闘機を1機献上したそうです。これは満州の新聞にも載りました。


また戦争が終わって、満州の壮年以下の男達がソ連にシベリア抑留(勤労奉仕)されたとき、お父さんはそのとき「抑留になる年齢」を超えていましたが、「自分もシベリアに行く」と言って、シベリアに行き、そして帰って来て寝込んで死んでしまったそうです。


お父さんの凄まじさと、このお父さんを満州1,2を争う金持ちにする満州とは、なんだったのか、考えました。(意地を通すのは苦しかったでしょうが)お父さんは、意地を通します。そして、結局家族を不幸な目に合わせました。


なかにし礼は、満州からの引揚者になりました。特攻隊予備軍にいたお兄さんは、日本国内にいて結局安穏としていたのでしょう。が、お母さんは、娘となかにし礼をつれて、満州、九州、小樽と帰って来ました。帰る道筋では、人知れず苦労します。


自分のことだけを考えていた高級軍人の家族は別にして、満州、朝鮮にいた民間人はみんな日本への引き揚げに苦労したのですね。その後新聞を賑わした中国残留孤児はその後遺症なのだと言うことが分かります。引揚者も普通の人(デキの良い人も、デキの悪い人もいる)ですから、引き揚げの途中では、いろんなことがあったでしょう。だから残留孤児の出現に、関係した引揚者には、とまどった人もあったのでしょう。


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<嘘が、ウソをついた人間を傷つけ、そしてダメにする>


お兄さんは、特攻隊に行く(お兄さんが練習したときは、特攻する飛行機が少なくて、もうその時は特攻に行くのは考えられなかったそうです)ための準備練習のとき、墜落したと、慰問に行ったお父さんに嘘をつきました。その嘘がお兄さんの一生を賭けに走らせ、そして破滅型の人生にしたと思います。


「墜落」した戦友のこなごなになった肉片を、仲間で拾ったのはショックだったでしょう。人を人とも思わない特攻隊練習の教官の言葉に、「墜落」を予感した戦友の心情を分かるお兄さんの感受性は豊かだったと思います。


しかし、そこで慰問のお父さんに嘘をついたのは、お兄さんにボンボンの弱さを感じます。その嘘が戦後のお兄さんの破滅型の人生をつくる現実は、なんとも人生は厳しいなと思いました。


破滅型の人生は、あるときは燃え尽きる美しさも見せました。しかしお兄さんは、心のどこかで人生から逃避しているのです。それを神様が許すわけがなく、その人生を惨めなものにしました。


そして、その人を実の兄にもったなかにし礼が、小さいころからの習い性で、自分を最初はお兄さんに託します。そして最後はお兄さんにあきれていった、プロセスが理解できました。実の兄の行動は身内であればあるほど、親近感もあったしその影響も大きかったと思います。そして、最後はお兄さんが死んで、小説にしてお兄さんを吐き出した気持ちもわかりました。


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<私達は、なかにし礼の詞をいつも聞いていた>


この小説には、なかにし礼その人を感じます。すべての人が良くもなく、悪くもなく、ありのままに登場してました。それは、黒岩重吾の小説と似ています。そして私の青春も、なかにし礼と同じこの時代に送ったのだと感じて、不思議な気分でした。


以下がウィキペディアに載っていた、なかにし礼が歌詞を作った歌です。これは私たちが飲み屋で飲んでいた青春と重なるし、半分以上の歌詞と歌手も知っています。カラオケで歌ったり聞いたりしたので、本当は大部分の歌が聞いたことがあると思います。


そういう意味では、私たちの昭和の一つは、なかにし礼の詞でした。なんの関係もなかた「なかにし礼」に歌謡曲の作詞を進めたのは、石原裕次郎だったのですね。そして、なかにし礼が作詞し、石原裕次郎が歌った「わが人生に悔いはなし」は、あらためて良い歌だと思いました。


朝丘雪路『雨がやんだら』(1970年)
アン・ルイス『グッド・バイ・マイ・ラブ』(1974年)
石川さゆり『風の盆恋歌』(1989年)
いしだあゆみ『あなたならどうする』(1970年)
石原裕次郎『勇者たち』(1983年)『わが人生に悔いなし』(1987年)
岩崎宏美女優』(1980年)
岩崎良美『赤と黒』(1980年)『あなた色のマノン』(1980年)
川中美幸『愛は別離(わかれ)』(1986年)
北島三郎『まつり』(1984年)
北原ミレイ『石狩挽歌』『春』
黒沢年男/なかにし礼『時には娼婦のように』(1978年、作曲も担当)
ザ・キング・トーンズ『暗い港のブルース』(1970年)
ザ・ゴールデン・カップスいとしのジザベル』(1967年)『愛する君に』(1968年)
小林旭『思いやり』(1982年)
小柳ルミ子京のにわか雨』(1972年)『冬の駅』(1974年)『ひとり歩き』(1978年)
西城秀樹サンタマリアの祈り』(1980年)『Blue Sky』(1988年)『夏の誘惑』(1988年)
坂本スミ『夜が明けて』(1971年)
志学館中等部・高等部 (千葉県) 『志学館高等学校校歌』(1983年)*校歌の作詞
島倉千代子『愛のさざなみ』(1968年)
島津ゆたか『ホテル』(1985年)
菅原洋一『知りたくないの』(1965年)『今日でお別れ』(1969年、第12回日本レコード大賞受賞)
ちあきなおみ『私という女』(1971年)
鶴岡雅義と東京ロマンチカ君は心の妻だから』(1969年)
ザ・テンプターズエメラルドの伝説』(1968年)
ザ・タイガース美しき愛の掟』(1969年)
TOKIOAMBITIOUS JAPAN!』(2003年)『駅・ターミナル』(2003年)
奈美悦子『大阪ブルース』(1967年)
丹羽応樹『恋路海岸』(1978年)
NEWS星をめざして』(2007年)
ハイ・ファイ・セット『フィーリング』(1976年)
ピーター『夜と朝のあいだに』(1969年)
ザ・ピーナッツ恋のフーガ』(1967年)『恋のオフェリア』(1968年)『愛のフィナーレ』(1968年)
弘田三枝子人形の家』(1969年)
フランク永井『生命ある限り』(1967年)
ペドロ&カプリシャス『別れの朝』(1971-訳詞)
細川たかし心のこり』(1975年)『みれん心』(1975年)『北酒場』(1982年、第24回日本レコード大賞受賞)『星屑の街』『酒場であばよ』『人生航路』『うかれ節』
黛ジュン『霧のかなたに』(1967年)『乙女の祈り』(1968年)『天使の誘惑』(1968年、第10回日本レコード大賞受賞)『夕月』(1968年)『不思議な太陽』(1969年)『雲にのりたい』(1969年)【補作詞】『涙でいいの』(1969年)『土曜の夜何かが起きる』(1969年)『自由の女神』(1970年)『時は流れる』(1970年)
美空ひばり『かもめと女』(1974年)
森進一港町ブルース』(1969年)【補作詞】『波止場女のブルース』(1970年)
由紀さおり手紙』(1970年)
RYTHEMブルースカイ・ブルー』(2003年)
レイジー地獄の天使』(1978年)『ハローハローハロー』(1978年)
ロス・インディオス『知りすぎたのね』(1968年、作曲も担当)
和田アキ子『涙の誓い』(1971年)『美しき誤解』(1974年)『バ・カ・ダ・ネ』(1985年)『愛、とどきますか』(1992年)

昨日(9月29日)、空は青空、雲一つなく良く晴れていた。今日も外も見ると晴れている。

昨日(9月29日)、空は青空、雲一つなく良く晴れていた。今日も外も見ると晴れている。写真は、昨日朝6時15分ぐらいに、NTT東日本本社ビルとオペラシティ―を、撮ったもの。この前4時半ころ写した写真は、真っ暗だったが、6時を過ぎると明るくなる。明るくなる時間は、遅くなってきたが、明るくなったら、気持ちが良かった。

昨日(9月29日ー月曜日)、日曜日のあとの夜明け前の外は暗かった。

昨日(9月29日ー月曜日)、日曜日のあとの夜明け前の外は暗かった。写真は、NTT東日本本社ビルと、オペラシティ―ビルを朝4時半ぐらいに、撮ったもの。何も写っていない(笑)。

2014年9月29日月曜日

昨日(9月28日)は、日曜日で休みだった。おかげで、家事が進む。

昨日(9月28日)は、日曜日で休みだった。おかげで、家事が進む。布団を干して、洗濯をして、3週間分の料理の下拵え。写真は、いちばん時間がかかった、料理の下ごしらえで、できた料理が入っている鍋等を、撮ったもの。

料理の下ごしらえに話を絞ると、大鍋で、沢山の野菜を煮た。20種類以上の、だしを取るものや根菜などを、順番に皮をむいたり、切ったりしながら、大鍋に入れていき、3時間程度煮る。そして、今度はキャベツやにらなどを、フライパンで炒め、出来上がって、それは中鍋に入れた。次は白菜や、ピーマン、小松菜などを炒め、小鍋にいれる。

そして、これらを冷めるまで、4時間ぐらいおいておいた。その様子を撮ったのが、上の写真。わかりづらいと思うが、ガス台の上の、奥真ん中が大鍋。良く見えないかも知れないが、その右が小鍋。手前左側が、中鍋。手前右側がフライパン。

料理が冷めたら、タッパ―に料理を分け冷凍庫にいれ、これが私の朝、夕の料理のもとになる。昨日も、タッパ―にいれた料理を、冷凍庫にいれた。後ろ真ん中の、大鍋にも料理をタッパ―に小分けしたあとの、役割がある。冷凍庫にいれたタッパ―の中身を、少しずついれて冷蔵庫に居れるのだ。これは、ダラスで一人で過ごした人の話を、ヒントにして、ずっとやっている。

一昨日(9月27日)の奴隷解放クラブは、1次会は新橋駅前ビルであり、2次会は新宿で行われる。

一昨日(9月27日)の奴隷解放クラブは、1次会は新橋駅前ビルであり、2次会は新宿で行われる。私は一次会だけ参加し、2次会は用事があるので、参加しなかった。写真は、1次会を終わり新橋駅前ビルから、営団地下鉄銀座線の新橋駅に向かう途中で、撮ったもの。20時で、もうすぐお店は閉まるので、最後の呼び込みもあった。

奴隷解放クラブは、これが2回目だけど、参加すると満足感がある。なぜだろう。中心の長倉さんと安達さんの、発想が面白いのだ。今日は5人づつ別れて順に、お二人と30分話す。それが終わって、また5人で、別の飲み屋に行って話した。そして別れる。

明け方まである2次会にいけないのは、残念だけど、最初にたてた私の予定通り帰った。

一昨日(9月27日)、参加している「奴隷解放クラブ」に出席するため、新橋のSL前に集まり、会場へ向かった。

一昨日(9月27日)、参加している「奴隷解放クラブ」に出席するため、新橋のSL前に集まり、会場へ向かった。写真は、着いたJR新橋駅のプラットフォームから、西側に見えるSL広場を、撮ったもの。写真の真ん中に、小さくSL列車が見える。

一昨日(9月27日)、渋谷スポーツセンタのプールで泳いで、ついでに体育館ものぞいてみた。

一昨日(9月27日)、渋谷スポーツセンタのプールで泳いで、ついでに体育館ものぞいてみた。バスケットをやっていた。写真は、扉の向こうの体育館を、ずーっと手前から、撮ったもの。

2014年9月27日土曜日

プールでは10往復(500m)泳いだ。泳ぎ終わると、凄くさっぱりする。

プールでは10往復(500m)泳いだ。泳ぎ終わると、凄くさっぱりする。写真は、渋谷スポーツセンタを緑道の方から南側を向いて、撮ったもの。左の木の向こうが、渋谷4スポーツセンタ。緑は、なんだか私たちを、気分良くさせる。

初台から幡ヶ谷に向かう緑道を歩いていたら、幡代小から子供たちが出てきて、それを待つ父兄も多くいた。

初台から幡ヶ谷に向かう緑道を歩いていたら、幡代小から子供たちが出てきて、それを待つ父兄も多くいた。写真は、子供たちがでてくるところと、それを待つ父兄を、撮ったもの。真ん中あたり、左側に、明治時代に設立され、歴史がある幡代小学校の門があった。土曜日なのに、子供たちが12時ころ帰るのは、父兄参観日でもあったのか。

急に、上の娘が小学校2年のとき、父兄参観日で娘が通っていた、祖師谷小学校に行ったのを思い出した。女房が、今日は父親が行く日だと言うので、会社を休んで行った。そしたら、先生が良い作文があると、読み上げる。最初はなんとなく聞いていたが、聞いていたら、娘が私とのことを書いた作文だった。なんだか、妙に嬉しくなった。

西新宿3丁目のマンションから、渋谷区スポーツセンタに行くときは、玉川あとにできている緑道を通る。

西新宿3丁目のマンションから、渋谷区スポーツセンタに行くときは、だいたい玉川あとにできている緑道を通る。写真は、緑道を幡ヶ谷方面に向かって、撮ったもの。いつもこの道を歩くのは、楽しい。

今日(9月27日)、渋谷区スポーツセンタのプールに行くため、初台のオペラシティービルの中を通っていく。

今日(9月27日)、渋谷区スポーツセンタのプールに行くため、初台のオペラシティービルの中を通っていく。写真は、1階の甲州街道に出るあたりにある、パン屋さんを、撮ったもの。このビルを歩くと、地階も1階も2階も、しゃれたお店が多くあり、楽しい。

新大橋通りから、甘酒横丁を暑くと、弁慶の銅像がある緑道を通る。

新大橋通りから、甘酒横丁を歩くと、弁慶の銅像がある緑道を通る。写真は、緑道にある弁
慶の像を、甘酒横丁から、東南南に向かって、撮ったもの。ここ人形町のあたりには、歌舞伎を演すの江戸三座のうち二座があったとか。それで、歌舞伎のなかでも人気の高かった、弁慶の像をここに作ったらしい。


友だちの会社が、ここからさらに甘酒横丁を歩いて、営団地下鉄「人形町の駅を越したあたりにいるので、そこに行った。さらに営団地下鉄に乗って、仲御徒町に行き、多慶屋に行く。意味もなく、私も街を徘徊するようになったと思った。

昨日(9月26日)用事が済んで、清洲橋通りを、浜町中の橋交差点から、甘酒横丁通りまで戻った。

昨日(9月26日)用事が済んで、清洲橋通りを、浜町中の橋交差点から、甘酒横丁通りまで戻った。写真は、清洲橋通りから北側の明治座を、撮ったもの。明治座の手前右隣には、水天宮が見える。この水天宮は、本来の水天宮が改築中のための、仮宮。

清洲橋通りと新大橋通りが交差する、浜町中の橋交差点あたりは、だんだん高層ビルが増えていく。

清洲橋通りと新大橋通りが交差する、浜町中の橋交差点あたりは、だんだん高層ビルが増えていく。写真は、交差点から、新大橋通りを都心向かって(西西南に向かって)、)撮ったもの。逆光で、写真はやや暗い。

昨日’9月26日)、都営地下鉄「浜町」駅に行った。用事があって(作って?)最近、良く浜町に行く。

昨日’9月26日)、都営地下鉄「浜町」駅に行った。用事があって(作って?)最近、良く浜町に行く。写真は、浜町駅で電車をおりて。地下鉄のホームから上り、改札に出たので改札のあたりを、撮ったもの。写真の左側に改札が見える。

正面に見えるのは何?。昨日なんて、そんな古い話はもう忘れた(笑)。

昨日(8月26日)は、朝からいい天気になった。その前の日に雨が降ったのが嘘のよう。

昨日(8月26日)は、朝からいい天気になった。その前の日に雨が降ったのが嘘のよう。写真は、部屋の中から南側の窓の外の明るさを、撮ったもの。友達が、テレビを見ている。だけど、窓の外の明るさで、写真の左側に写るテレビは、写真では暗くて見えなかった。窓の明かりが射すところの床は、良く見える。写真の右側は、台所。

2014年9月25日木曜日

昨日(9月24日)、スポーツマッサージに行った。マッサージが終わったら、私の体の血流が良くなったと思う。

昨日(9月24日)、西新宿4丁目にスポーツマッサージに行った。マッサージが終わったら、私の体の血流が良くなったと思う。写真は、マッサージをしてもらった、家を撮ったもの。

上手に私の体の問題点を、マッサージして貰ったと思う。途中から、寝てしまった。また、来ようと思う。それで終わって、また来てもいいですかと聞いた。相手がイヤだと、思うかも知れないから。そしたら、来る時また電話してと言われた。

実は、私は7年強前、長野で脳溢血で倒れ、救急車で運ばれた長野市民病院で頭蓋骨を外す、手術をした。私が、今こうして生きているのも、そのとき苦労して頂いたお大勢の人のおかげと思っている。が、その時の影響と、加齢のおかげと思うが、ときどき生活に支障がでるほど、最近3年ほど、また足が悪くなった。

後遺症のリハビリの意味もあって、私は6年半、ほぼ毎月「ゆる体操」の教室に行っている。その先生が、私の足の悪いのを見かねてたようだ。そして、この整体マッサージの紹介の労をとってくれる。私は、その先生の私を思ってくれる気持ちに、頭が下がる思いで、マッサージに昨日行った。

行って良かった。これから、マッサージを続けようと思う。場所が、今いるところに近いのもいい。

亀戸のカメリアホールでピアノを弾いた、私の女性の知人の演奏は、上手だった。

亀戸のカメリアホールでピアノを弾いた、私の知人の女性の演奏は、上手だった。写真は、その女性がピアノを弾いているところを、撮ったもの。姿勢が良い。演奏は上手だ。弾く態度もどうどうとしており、何か嬉しかった。

それにしても、先にピアノの弾いた男性2人も含めて、温かさを感じた。勿論、この演奏会に3人を誘った、女性にも温かさを感じる。気配り、行動力。そして、不思議な現象が起こる。

2014年9月24日水曜日

昨日(9月23日)亀戸のカメリアホールで開かれた、スマイルベア音楽院第6回定期演奏会で、私の知人3人がピアノを弾いた。

昨日(9月23日)亀戸のカメリアホールで開かれた、スマイルベア音楽院第6回定期演奏会で、私の知人3人がピアノを弾いた。男性が2人、女性が1人。写真は、私の知人がピアノを弾いている風景を、撮ったもの。男性二人は、曲の選定が良かった(言い換えると演奏は、まあまあー笑い)。

JR「亀戸」駅そば、北西側にあるカメリアホールで開かれた、スマイルベア音楽院第6階定期演奏会に行った。

JR「亀戸」駅そば、北西側にあるカメリアホールで開かれた、スマイルベア音楽院第6階定期演奏会に行った。写真は、カメリアホールの入口を撮ったもの。このビルの3階、4階がカメリアホールである。

昨日(9月23日)、JR総武線「亀戸」駅に行った。駅の北西側の公園には、カメの3匹重なった像が、池のなかにあった。

昨日(9月23日)、JR総武線「亀戸」駅に行った。駅の北西側の公園には、カメの3匹重なった像が、池のなかにあった。写真は、そのカメを撮ったもの。なるほど、亀戸の亀だなと思った。

昨日(9月23日)JR総武線亀戸駅に行くため、新宿ワシントンホテルから新宿駅南口に向かって、甲州街道の下を通る地下道を歩いた。

昨日(9月23日)JR総武線亀戸駅に行くため、新宿ワシントンホテルから新宿駅南口に向かって、甲州街道の下を通る地下道を歩いた。写真は、その地下道の歩くところを、撮ったもの。ここを1年前まで5年ぐらい、ここを朝夕歩いた。

1つのタイルの大きさは、50cm角と思う。ここを歩いた5年前は、大股歩きをすると、タイル一つ飛びで歩けた。しかし、だんだんん歩く幅が狭くなり、一つ飛びであるくためには、かなり無理した大股歩きをしなければならならない。うーん。

昨日(9月23日)、中幡小学校のプールで10往復(500m)泳いだ。

昨日(9月23日)、中幡小学校のプールで10往復(500m)泳いだ。私に土曜日、日曜日と続けて用事があったので、祝日の昨日泳いだのである。写真は、泳ぎ終わって外に出て、振り返ってプールのある体育館を、撮ったもの。左側は体育館の半分。右側に体育館の入口がある。入口を入って、奥に行くと、そこからエレベータで、地下のプールに行って、私は泳いだ。

中幡小学校のプールに行くため玄関を入ると、途中右側には、体育館が併設されている。

中幡小学校のプールに行くため玄関を入ると、途中右側には、体育館が併設されている。写真は、その体育館を、撮ったもの。いつも、ここでは近所の(と思う)チームがバスケットやバレーの練習をしている。今日は祝日で、誰もいなかったので、窓越しに写真を撮った。体育館の右手奥の方に小さく、跳び箱が何台かおいてあるのが見える。体育館の跳び箱は、いかにも体育館のものという感じがして、何か懐かしかった。

初台から中幡小学校へ向かう、水道道路には、いくつか小さな公園がある。

初台から中幡小学校へ向かう、水道道路には、いくつか小さな公園がある。写真は、水道道路の幡ヶ谷不動尊入口の交差点を超えたところで、左側(南側)にある公園を、撮ったもの。写真の右側が、水道道路。

昨日(9月23日)、中幡小学校のプールに行くため、西新宿から初台を通り、水道道路を歩いた。

昨日(9月23日)、中幡小学校のプールに行くため、西新宿から初台を通り、水道道路を歩いた。写真は山手通りを超えたところで、振り返って新宿方面を、撮ったもの。写真右側には、デニーズとテニスクラブが連続してある建物がある。しゃれているから、このデニーズには一度行ってみたいと、思っていた。今度、いつか入ってみよう。

2014年9月23日火曜日

私は洗濯物を、部屋の東側のベランダにいつも干している。

私は洗濯物を、部屋の東側のベランダにいつも干している。写真は、物干し竿にぶら下がっているものを、撮ったもの。一番右側の駕籠には、洗濯用クリップが、はいっている。真ん中の洗濯もの干しには、靴下、パンツ、ハンカチなどを干してきた。左側に半分ぐらい写っている、洗濯もの干しには、股引やハンカチや手ぬぐいを干している。それに、えもんかけにかけて、シャツやワイシャツを干してきた。

背景には、西新宿の高層ビルが写っている。

今日(9月22日)の、晴れた空を見たら、急に私の洗濯を思い出した。

今日(9月22日)の、晴れた空を見たら、急に私の洗濯を思い出した。写真は、部屋に置いてある、脱いだ着替えをいれるダストボックスを上から、撮ったもの。洗濯は、週に2回している。私のスケジュールの関係で、この前は土曜日(9月22日にした。朝着替えて、着替えたものをこのダストボックスに入れている。

今日(9月22日)は秋分の日、晴れて、空はもう秋の空みたい。

今日(9月22日)は秋分の日、晴れて、空はもう秋の空みたい。写真は、9時ころ、部屋から西南の方向にある、NTT東日本の本社ビルとオペラシティ―ビルを、撮ったもの。写真右側のビルのオペラシティ―ビルの、上の方右側に見える雲が、秋を思わせた。

2014年9月22日月曜日

アンソニー・ロビンスさんの「一瞬で自分を変える法」を読んで、読書感想を書いた。

アンソニー・ロビンスさんの「一瞬で自分を変える法」を読んで、私は2009年5月、下の通り読書感想を書いた。要するに変わるためには、考え方を変えればいいと、この本は言っている。「言葉は大事よ」と、五日市剛に言った、イスラエルのおばあさんを、なぜか思い出した。

写真は、9月3日に幕張メッセで行われている宇宙博に行ったとき、海浜幕張駅のプラットフォームから、撮ったもの。線路の向こうのフェンスの上に5mほどの間隔で、左の方までずっと並んで、風力発電の風を受ける部分が写っている。これなど、昔はなかった。

技術の進歩とともに、世の中は変わっていく。それと、考え方を変えて、自分を変えていくというのが、オーバラップして、この本と関連して、この写真を使った。

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読書感想文(一瞬で自分を変える法・・・アンソニー・ロビンス、本田健訳)

<アンソニー・ロビンスさん>

アンソニー・ロビンスさんは1960年2月アメリカで生まれ、お母さんに連れられてお母さんの4回の離婚結婚を経験しました。16歳のときなけなしの金をはたいて、ジム・ロームの「成功哲学セミナー」を受けて、母親に「私は大統領になる」と言ったら、母親と大喧嘩になり、家から追い出されたそうです。

それから貧乏暮らしで、電話で新聞の購読を尋ねる仕事、CDを売る仕事をし、ジム・ロームを売るセールスにつきました。そしてついに、ジム・ロームを売る仕事でトップセールスマンに駆け上がりました。

アンソニー・ロビンスは、一流のアスリート達もコーチし、世界一の成功コーチとして欧米では有名で、今の彼に個人コーチを受けるには、1億円以上かかるそうです。

私がこの本を区民図書館から借りてきたのは、コーチという言葉が今はやりで、私もコーチを知りたかったこと。それに、それを紹介しているのが、本田健さんという「ユダヤ人大富豪の教え」(私も読んで感動しました)を書いた人だったからです。

本田健さんは、神戸生まれの経営コンサルタントで、会計事務所、ベンチャーキャピタルなどをしている、若い人?です。本も沢山書いていて、本は300万部を超えて売れているそうです。(印税収入はいくらぐらいになるのだろう、などと余計なことを考えてしまいます)。講演会を聞く人は沢山で熱気あふれるそうです。

そういえば、アンソニー・ロビンスの講演しているところが写っている動画を見ましたが、凄い熱気ですね。動きもありました。私は彼についていけるだろうか、などとも考えましたが、みんなそれぞれが良いと思ったら、実行すれば良い。良いと思わなければ実行しなければ良い。そう考えたら、アンソニー・ロビンスの動画映像も普通に見ることが出来ました。

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<大事なのは前進し続けるプロセス>

本のタイトルと、最初の本田健さんの訳者のことばが良い(本の内容が分かります)です。世界NO1のカリスマコーチが教える「一瞬で自分を変える法」。これが本の題名です。中を読んでみたら、なるほどこれなら一瞬で変えられかもしれない。

なんでも考え方次第だ。60年も生きて来て、私もそれが今やっと分かりました。だから、今の私は楽に生きていると思います。それがこの本には体系的に書いてあります。私もまだまだだと思わせる内容も、この本にはたくさんありました。

本田健さんの紹介では、彼の特徴は、自分に制限を設けないことだそうです。もう一つ、彼は学歴もありませんが、たった3年で有名になり、彼が言っていることを今も、本人が実践していると、本田健さんは言っていました。「思考を自由にすることで、人生は自由になる」ことを私たちに実践して見せてくれている。それが凄いと言っていました。実践を継続するって意外と難しいですからね。

この本は、本田健さんの恩書であると言っていました。本田さんがアメリカで、ことあるごとに読んだそうです。私も若いときからもっと謙虚で、この本に書いてあることが実行できたら良かったなと思いました。でもこの私の人生も、私の形なのでしょう。

また、この本にはこう書いてあります。「成功とは、到達すべき目的地ではなく、前進し続けるプロセスなのだ」。そうですね。それぞれが自分なりの人生を送れるなら、それは素晴しい。

60年以上前身近なところで、理不尽な戦争があり、そこでは、南国の島々での餓死、満州、朝鮮からの非惨な帰国等もありましたから、それに比べれば、今の私たちは幸せなのかも知れないし、精一杯生きられるだけで今の私たちの環境に感謝しなければいけないのだと思います。喜怒哀楽があり、それが点々とつながっていくのが、私たちの人生かも知れません。

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<NLP(神経言語プログラミング=Neuro Linguistic Programming)>

この本(コーチング)の科学的裏づけは、NLP(神経言語プログラミング=Neuro Linguistic Programming)です。

1970年代のアメリカはベトナム戦争で多くの人が痛手を受けましたが、NLPはこれに対処するため、アメリカ人2人が、それまでのアメリカの天才的セラピスト3人を研究し、モデル化体系化したものです。これはベトナム帰還兵やその家族の抱える問題に、驚く成果をあげました。

NLPは時代とともに進化し今では、治療以外でも教育、スポーツ、ビジネスにも使われています。アンソニー・ロビンスはNLPを次のように書いていました。

―――NLPはジョン・グリンガーとリチャード・バンドラーによって提唱された。グリンダーは世界的な言語学者。バンドラーは数学者、ゲシュタルト療法の専門家であり、コンピューターの知識も豊富だった。二人は成功したビジネスマンやセラピストなど優れた業績をあげた人たちが「なぜうまくいっているのか」を独特の手法で分析し、それを他の人が理解して自分のものと出来るように体系化した。これが「モデリング」というNLPの基本モデルの一つである。

―――繰り返すが、NLPでは「他人に出来ることはあなたにもできる」としている。

アンソニー・ロビンスの手法の基本は、自分の経験をベースにしたものでしょうが、NLPという科学的裏づけがあって、より洗練されたものとなっていると思います。NLPはコミュニケーションに関する学問です。「人の行動は、その人の考えによってプログラミングされている。だから、そのプログラムに誤りがあれば人は力がでない」。そう言っていると思います。

そしてNLPは科学をどんどん取り入れていき、今では「第3世代のNLP」と言われているそうです。

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<自分の行動は全部自分が決めている>

アンソニー・ロビンスが、この本で、「自分の行動は全部自分が決めている、すべてのことは自分の責任」と言っているのが印象的です。

最後にアンソニー・ロビンスが、この本で語っていることの一部を抜粋して、私の読書感想文とします。少し私の意見と違うところもあると思いますが、基本的には、きっとそうだろうなと思うことばかりです。

―――「力(power)」の文字通りの定義は「行動する能力」なのである。

―――世界に大きな変化をもたらした人たちのことを思い出してほしい。ジョン・F・ケネディ、トーマス・ジェファーソン、マーチン・ルーサ・キング牧師、フランクリン・ルーズベルト、ウィンストン・チャーチル、マハトマ・ガンジー、見方を変えればヒットラーもその一人である。彼らはいずれ劣らぬコミュニケーションの達人だ。・・・コミュニケーションの力で世界を変えたのだ。

―――ところが実際は、人間の精神活動や行動は想像以上に、自分でコントロールできる。落ち込んだときには、いかにも憂鬱そうな外観を自分でつくり出している。有頂天になっているときも同じだ。人間はたまたま憂鬱になっているのではないと覚えておいて欲しい。精神と肉体が憂鬱特有の活動をすることで、自ら憂鬱な気分を作り出しているのだ。

―――自分の真の能力が発揮できるか否かは信念にかかっている。・・・誰かに塩を持って来てくれといわれたとする。・・・「でも塩がどこにあるか分かりません」といいながら、しばらく探すがやはり見つからない。相手がやってきてあなたの目の前から塩を取ると、「馬鹿だな・・・」―――「~できません」と口に出した瞬間、あなたの脳は塩を見るなという指令を出す。心理学ではこれをスコトーマ(視覚神経系の異常により視覚の一部を失うこと)という。

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<経験を糧にして次の手を考える>

―――本書のキーワードは変化だ。

―――「失敗」はない、あるのは「結果」のみ。―――人間力のある人、つまり勝者、指導者、達人と言われる人は、思ったとおりの結果がえられないときに失敗したとは思わず、経験を糧にして次の手を考える。

―――「絶対に失敗しないと分かっていたら、あなたは何をしますか」この質問に、あなたならどう答えるだろうか、本当に失敗しない自信があれば、自分の夢を実現するために行動に移し、望みどおりのとおりのすばらしい結果を実現させるでしょう。

―――強くなりたければ、“強いふり”をしろ。

―――もっとも知られているのは、前にも書いたノーマン・カズンズの「笑いと治癒力」だろう。―――笑いは、「生きたい」という意志を活性化するための、ツールの一つである。―――人間は気分のいいときに微笑み、楽しいときに笑うわけではない。むしろ微笑みや笑いは、気分を良くするためのスイッチだという。笑いによって脳への血流が増え、酸素がたっぷり補給されることで気分も良くなるのだ。

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<リフレーミング等> 
―――「目の動き」一つにこんな“重要情報”が込められている―――誰でも視覚、聴覚、体感覚という三つの感覚を持っているが、その中の一つだけが突出している場合が多い。そして、相手がどの感覚タイプなのか分かれば、自分のメッセージも届けやすくなる。

―――二人はラポール(信頼関係、人と人との心理的なつながり)という同じ基盤のうえにたっている。ラポールは、他人の世界に入り込む能力であり、「二人の間に強い理解の共通する絆がある」と相手に思わせることである。また、成功へ導くコミュニケーションの本質である。

―――効果的なコミュニケーションのカギは、「相手にやらせたいこと」ではなく、「相手がやりたいと思っていること」をやるように仕向けることだ。

――ー 一見すると不幸な経験も、リフレーミングによって必ず肯定的なものに変えられる。「時間が経てば笑って話せるようになるさ」と思うことがよくあるが、それなら今すぐ笑って話せるようになればいいのだ。

―――挫折の裏返しが成功であることは、成功した人なら誰でもしっている。

―――生きることの極意は与えることだ・・・成功とはプロセスであり、生き方であり、心の持ちようであり、人生の戦略なのだと心得なければならない。

―――あなたの中にある「無限の力」とは、変化、適応、成長、進化する能力のことである。

―――行動する人間になれ、主導権を握れ、行動しろ、身につけたことを活用しろ、今すぐに、自分のためだけでなく人のためにも。