2014年8月31日日曜日

境野勝悟さんの、道元「禅」の言葉を読んで、読書感想を書いた。

境野勝悟さんの、道元「禅」の言葉を読んで、私は2009年2月、下の通り読書感想を書いた。写真は、私の部屋にあるカーペットの模様を、撮ったものである。写真と、禅の関係は特にない。なんとなく、私が禅から連想したものとして、カーペットの模様を思い出したのだ。
―――――――
読書感想文(道元「禅」の言葉・・・境野勝悟)

<境野勝悟さんと道元「禅」>

境野勝悟さんは、1932年神奈川で生まれ、早稲田大学に行き、私立学校の先生をして、その後駒沢大学の博士課程にも行きました。今は大磯で私塾を経営する、日本の哲学者、東洋思想研究者です。あちこちで講演もしているとか。

私は、境野勝悟さんのことは良く知りませんが、「道元」、「禅」には興味があります。それで、本屋でこの本を見つけたら、思わず買って読んでしまいました。

この本は禅について、あちこちで道元が言ったことば100を選んで、境野勝悟さんが、解説しています。解説にあたっては、境野勝悟さんは、言葉を4つのグループに分けました。

①「本当に大事なものに気づく(少し見方を変えるだけで)」、②「悩みから自由になる(“捨てた”分だけ楽になる)」、③「自分の中から自信が生まれる(ゆっくり、じっくり自分のペースで)」、④「生き方を考える(迷いや悩みがすっと消える)」。この4つのグループに。

私のような横着ものには、こういう本がいいかも知れません。何しろ道元の著した「正法眼蔵」90余巻の全体を読み通した人は、ほとんどいないそうですから。それほど「正法眼蔵」は難解、分からないのですね。道元は、人生の見方を少し変えるだけで、自分にとって本当に大事なものが、「いったいなんであるか」に気づくことができると、教えてくれるそうです。私が分かったことは、「探し求めた青い鳥は、自分のすぐそばにいた」というイソップ寓話が言っていることだと思いました。

――――
<禅宗>

禅宗はお釈迦様(紀元前6世紀の人)が開いた仏教の一派で、開祖は達磨さんです。達磨さんは、紀元5世紀から紀元6世紀前半のインド人で、日本の聖徳太子が活躍した時期より100年ぐらい前に中国で活躍しました。達磨さんの「面壁9年」は有名ですし、禅の教えの方針をまとめた「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」も有名ですね。私たちの知っている一休さんや、良寛和尚なども禅宗のお坊さんです。

達磨さん以降、中国では禅宗が5家に分かれました。日本では、このうち臨済宗を栄西等が中国から伝えています。京都、鎌倉の臨済宗のお寺が有名ですね。曹洞宗を道元等が中国から伝えました。福井県の永平寺や鶴見の総持寺が有名です。臨済宗は、「渇」や「公案」で有名な看話禅です。曹洞宗は、座禅を専らとする黙照禅を特徴とします。

そういえば、曹洞宗の道元の「禅」の修業を表す言葉は、「只管打座(ただ座るのみ)」でしたね。そしてこれを私が初めて聞いたとき、これなら私でもできそうと思ったものです。

―――――
<電電公社真藤元総裁>

道元の人となりは私には捕らえ切れませんが、道元のいった言葉にはなじみがあります。私がいた電電公社に1981年、土光臨調で土光さんの秘蔵っ子といわれた、真藤さんが来ました。真藤さんは、敵陣に入る落下傘部隊のように、落下傘を背負って単騎で電電公社の総裁に乗り込んできて、さまざまな改革を行い、電電公社に影響を与えていった人だと思います。この人が道元をしばしば引用しました。

また、私の周りにも道元ファンは多く、私もこの人の影響を間接的に受けたと思います。私がときどき思い出す人が、道元の言葉「愛語」を私にくれました。これが、私の若い頃はなかったので、この言葉をその人が私に呉れたと思います。良寛和尚もこの言葉を座右の銘にしたのですね。

真藤さんは道元の「却下照顧」を、引かれていました。自分の足元を照らせ、ということです。道元の言ったことは、そのとき難解でも、かめば噛むほど味がでるところがあると思うようになりました。私たちが人生で苦労したとき、はじめて分かってくることが、その言葉のなかにあります。

――――――
<道元>

53歳で死んだ道元ですが、悟りの境地を得たと思います。宮廷貴族の家に生まれましたが、10歳までにお父さんもお母さんもなくしました。そして出家します。24歳で宋(当時の中国の国の名前)に渡り、大師である天童山の如浄禅師に会いました。師の言うことを、砂が水を吸うように吸収したのでしょう。師もこういう弟子を得て、嬉しかったのだと思います。

道元は、仏とは日常生活を送る自分のなかにあることを発見しました。道元は「天地同根」「万物一体」とこれを言っていたそうです。「仏道を習うというは、自己を習うなり」。なるほど、これは分かりそうな気がします。

この本の著者の境野勝悟さんの引用する、道元の言葉を、私(八木)は一部分かって、一部分からなかったのですが、分からなかったのは、私の体験が未熟な部分だと素直に思いました。私たちのそれぞれの体には、何十億年の先祖の経験が詰め込まれています。しかし私たちには、先祖の経験を思い出せないことが多いのでしょう。道元は「禅」を通じて、それを見つけていき「正法眼蔵」にしたのだと思います

―――――
<私の変な拘り>

私はへんなところに、拘るところがあります。以下もそういうものなのでしょう。悪しからず御願いします。境野勝悟さんが選んだ100のうち、75番目のサブタイトルが「情けは人にためならず」を読みました。が、この境野勝悟さんの解説には私は異議があります。

「・・・弱いものは助けてやるのだ。そういう(助ける)人にはいい運がつくからなのだ」と、境野勝悟さんは解説しますが、私の経験からいうと違うでしょうと思います。「・・・弱いものは助けてやるのだ。そういう(助ける)人は自分が気持ちよくなる。そしていい運がつくことが多いからなのだ」。

つまり、何事につけ、自分の行動は自分のため、自分の納得のために行っているのだと思います。その結果、ついてもつかなくてそれは後のことでしょう。

でもこの節で境野勝悟さん紹介している道元が言ったことば「皆正直に、人のためによき世・・・」「人のために悪しき人は、たとえ一旦は果報良く、家をたてるようになれども、終、悪しきなり」はその通りでしょうねと、私には思えました。

―――――
<悟り>

仏教はある種、無宗教なのでしょう。そして仏教を通じて「悟り」に至る道を、それぞれの人が追い求めているので、人それぞれが「悟りへの方法論」を持つのだと思います。禅宗が中国で5派に別れ、日本に入ってきた臨済宗と曹洞宗が、さらに日本に入って多派に分かれるのもそのせいだと思います。

そうしてみると、日本人には当たり前の目標で、しかし実体が分かってないことが多い「悟り」について、キリスト教の教えの中にいる西欧、米国の人が理解できないのは、当たり前かもしれない。

「悟り」は日本人には当たり前の目標かもしれない。けれど、その理解のレベル、把握の仕方、「悟り」への思い入れは、日本人でも人それぞれまちまちなのだと思う。「悟り」に対する感じ方は、私(八木)の場合も私独特なのかもしれません。その人の経験、人間理解によって、日本人でも「悟り」の把握の仕方は、いくつかのパターンに分かれるのかもしれない。これから、禅を、日本人をそういう眼で見てみようと思った読書でした。

先週は、NTT東日本本社ビルとオペラシティ―ビルに縁のある週だった。

先週は、NTT東日本本社ビルとオペラシティ―ビルに縁のある週だった。写真は、私のマンションの窓から、2つのビルを撮ったもの。火曜日(8月26日)と水曜日(8月27日)は、昔、NTT-MEでお世話になった人をお二人を、NTT東日本本社ビルに別々の日に尋ねた。

知っている人が、前線で苦労している様子を見ると、私まで刺激を受ける。行って、良かった。

土曜日(8月30日)は、オペラシティ―ビルの4階にある、NTTのICCの展示場にいった。私たちの仕事を一緒にしている人が、展示場開設早々の時期に、ここにいたらしい。その人と一緒に見に行ったので、ただ訳も分からず見に行くよりも、効率的に展示のコンセプトや苦労している点が分かった。なんでも「あらま欲しきもおのは、先達なり」だなと、改めて思った。

ICCは、Inter Communicationn Centerの頭文字をとったものらしい。3階には、良く行った、近江音楽堂があった。そうか、こんなところ(4階)に、こんなものがあったのかと思う。これはアートの一つの先端でもあると思った。こんどはときどき来てみよう。

昨日(8月30日)、麻布台に集合し、それから六本木に行って、懇親会をした。楽しかった。

昨日(8月30日)、麻布台に集合し、それから六本木に行って、懇親会をした。楽しかった。写真は、集合場所の麻布台のマンションを前の写真とはアングルを変えて、撮ったもの。

飯倉片町交差点のそばに、こんな芸能人の事務所が沢山あるなんて知らなかった。そこを見るだけでいい体験をしたと思う。

このあと、六本木の「テっちゃん」というお店で、懇親をした。50人ぐらいで、安達さんと長倉さんも参加して、行う。初めての人ばかりなのに、話は盛り上がった。私が一番年寄の感じだから、私から見れば若い人と話す、いいチャンスでもある。昨日は、それだけでもう十分だった。

昨日(8月30日)、奴隷解放クラブの懇親会で、港区麻布台の集合場所に集まった。

昨日(8月30日)、奴隷解放クラブの懇親会で、港区麻布台の集合場所に集まった。写真は、集合場所の安達元一セミナールームを、撮ったもの。

奴隷解放クラブというのは、面白い企画だと思う。安達元一さんと、長倉顕太さんが主宰しているもので、私たちは「私たちの常識」という、私たちを縛るものに、拘束されているという。それで、その常識から、私たちを解放しようという趣旨だ。

安達さんは、私たちの脳のリミッターをはずそうという。長倉さんは、私たちは今の日本にいて幸せだと言う。バングらデッシュで、工場ごと倒壊し、大勢の人がなくなったが、彼らは生きるためには、その工場で働くしか選択肢はなかった。でも私たちは、餓死しようと思ったって餓死できないほど、社会に守られている。ここで、思ったようにやらないのは、バカだという。なるほどと、私は思ったので、参加することにした。

私には、お二人の「人間に対する愛情」を感じた。それで6回にわたる懇親会に参加することにした。それで、その懇親会が、もし期待にそぐわなかったら、いい経験をしようと思うことにしている。

昨日(8月30日)奴隷解放クラブというのがあり、港区麻布台の集合場所に向かった。

昨日(8月30日)奴隷解放クラブというのがあり、港区麻布台の集合場所に向かった。大江戸線「麻布十番」駅を一ノ橋交差点側におりて、首都高速の下の通り右側の坂道を、飯倉片町の交差点に向かって上る。途中、大きな家があったので、看板を見たら、参議院副議長公邸とあったので、思わず写真を、撮ってしまった。それが、上の写真。

参議院副議長公邸を見て、ここにも日本の一つがあるのだなと思った。初めてのところに行くと、見分が広まって良い。

先日(8月28日)夕、新宿西口あたりのお店で、歓送迎会をした。40人ぐらい集まった。

先日(8月28日)夕、新宿西口あたりのお店で、歓送迎会をした。40人ぐらい集まった。写真は、17時30分頃、新宿駅西口から西へ向かう大通りから、南へ1本入った道で、新宿郵便局側から、新宿駅を東に見て撮ったもの。

写真正面、真ん中より下に見えるのは、新宿駅。見えないが、写真の右側に淀橋カメラがある。

歓送迎会は、新宿駅西口から南口に行く途中にある、「北海道」というお店でやった。8月いっぱいでやめる女の子にも、世話になっている。今度来た67歳の方には、ここ3~4年だが、お世話になってきた。

そう私も、年をとって体が不自由になってきたのに、合わせ人から沢山、人から恩を受けていると感じるようになった。私は7年前長野で脳溢血で倒れ、頭蓋骨を外す手術をしたが、それ以来、足膝が弱くなってきている。その手術は、私を謙虚にせざるをえなくさせた。

2014年8月30日土曜日

先日(8月22日)、私のいるマンションで、電電公社入社同期の人が集まって、懇親会を開いた。

先日(8月22日)、私のいるマンションで、電電公社入社同期の人が集まって、懇親会を開いた。去年から、オフィスよんさんという名前の、システムの夜間保守業務を行う、会社を半分道楽で作ったが、「オフィスよんさん」という名前は、昭和43年に、工業高専を卒業して、私たちが電電公社に入社したのにちなんでいる。

久しぶりに同期が、集まると楽しい。写真は懇親会が終わって、整理したところを、撮ったもの。いわば、「兵(つわもの)どもの夢のあと」、である。

先日(8月22日)、大崎ニューシティ―ビルに出て、そこから大崎駅、新橋駅、虎ノ門駅に、行き人と会った。

先日(8月22日)、大崎ニューシティ―ビルに出て、そこから大崎駅、新橋駅、虎ノ門駅に、行き人と会った。写真は、大崎ニューシティ―ビルから、目黒川の向こうに建ちつつあるビル群をめがけて、東側に向いて、撮ったもの。

ここからJR大崎駅~JR新橋駅に出て、新橋から、地下鉄銀座線「」虎ノ門」」駅にで、虎ノ門にいる人にあった。65歳を過ぎて、仕事は少なくしようと思っているが、ときどき仕事がなくなって、人がやたら恋しくなるときがある。この日もそういう日で、相手の迷惑顧みず、会いに出かけた。

先日(8月22日)、目黒から大崎に出て、大崎に本社がある人のところに行った。

先日(8月22日)、目黒から大崎に出て、大崎に本社がある人のところに行った。お話しして、大崎駅東口に戻るところ手前で、目黒川を御成橋でわたるが、ここは四月は桜がきれい。写真は、目黒川の西(西南)側沿いの道路を、橋を大崎駅側に渡ったところで、東南に向けてt負ったもの。


写真の左側は目黒川、右側先には大崎ニューシティ―ビルがある。道路沿いの両側の木は、桜の木で、四月はキレイだ。、

先日(8月22日)、知人に会いに目黒に行った。私も暇だから(笑)いろんなところに出かける。

先日(8月22日)、知人に会いに目黒に行った。私も暇だから(笑)、いろんなところに出かける。目黒は、18年前の私の通勤路だった。そのとき、目黒駅西口そばにあった、吉野家と立ち食蕎麦屋に夕飯を食べに行っている。思い出して、それらはあるかなと思って、西口を出て周辺を見た。

そしたら、2つともあった。それで、立ち食蕎麦屋のそばに行ってみる。写真は、その蕎麦屋を撮ったもの。18年前は、お店にはおばさんがいたが、今は男性がいた。あれはおばさんの息子なのだろうか、などと考えてしまう。私も立ち食いそばを食べて、水を飲んで、そこを出た。

2014年8月28日木曜日

先日(8月20日)、池袋にいる知人にあって、池袋駅に戻ってきた。

先日(8月20日)、池袋にいる知人にあって、池袋駅に戻ってきた。写真は、池袋駅の東口五又路で、撮ったもの。

先日(8月20日)、池袋サンシャインビルの少し先のビルにいる知人にあった。

先日(8月20日)、池袋サンシャインビルの少し先のビルにいる知人にあった。写真は、知人のいるビルから池袋駅に戻る途中で、サンシャイン69通りで、サンシャインに向けて、撮ったもの。

私は意味もなく、人に会いに出かける。会う人は迷惑かも知れないが、2ケ月以上間があけば、あまり迷惑な顔をされない。いつも人と会うのをしているから、体験的に会う間隔があいていればいいのを知った(笑)。

先日(8月20日)、JR「高田馬場」からJR「池袋」に、知人に会いに行った。

先日(8月20日)、JR「高田馬場」からJR「池袋」に知人に会いに行った。写真は、池袋駅の中央地下街を東口に出る途中で、撮ったもの。

先日(8月20日)、高田馬場駅そばの知人に会って、また、高田のp馬場駅に戻ってきた。


先日(8月20日)、JR「高田馬場」駅そばに居る知人に会って、また、高田の馬場駅に戻ってきた。写真は東口、新大久保側から、もうすぐ高田馬場駅東口に着くところから、東側を向いて撮ったもの。

2014年8月21日木曜日

知人のいる会社に行ったら、入口に血圧を測る、血圧計があった。思わず、測ってしまった。

知人のいる会社に行ったら、入口に血圧を測る、血圧計があった。思わず、測ってしまった。血圧は、上が140代、下は80。これは、血圧が普通の人から見ると、高いのかもしれないが、私にとっては、低い。

写真は、その血圧計を、撮ったもの。今まで、私の血圧は高いのが普通だったが、最近は150-80を下回るようになった(私には低い血圧)ので、測定したくなった。血圧が高いときは、血圧計を見ると、結果が分かるのが怖くて、無意識に逃げていたのが、嘘みたい。

JR「高田馬場」駅についた。「新宿」「新大久保」側の小さい改札に出る。

JR「高田馬場」駅についた。「新宿」「新大久保」側の小さい改札に出る。写真は、JR「高田馬場」駅のホームで、池袋側に向かって、撮ったもの。左側の電車は、池袋に向かう山手線。私は、この電車に乗ってきて、降りて走るのを待って、撮った。私はこの後ろにある、地下の改札を出る。

昨日(8月20日)、JR{新宿」の駅から、{高田馬場」駅へ向かった。

昨日(8月20日)、JR{新宿」の駅から、{高田馬場」駅へ向かった。写真は、新宿南口を改札のなかから、撮ったもの。平日の朝の「新宿」駅は、混んでいる。明るいから良く撮れるだろうと思っていたが、改札の外が明るいので、改札のなかは、暗く撮れてしまった。

2014年8月20日水曜日

高橋洋一さんの「日本は財政危機ではない!」を読んで、読書感想文を書きました。

高橋洋一さんの「日本は財政危機ではない!」を読んで、私は2009年1月、次の通り、読書感想文を書きました。写真は、本の表紙を、撮ったもの。私は、今はこの人の言うことを、大いに参考にしています。しかし、この本を読むまで、この人の言っていることを、まったくと言っていいほど知らなかったのを、思い出しました。

―――――――――――
読書感想文(日本は財政危機ではない!・・・高橋洋一)

<高橋洋一さん>

高橋洋一さんは、1955年東京・巣鴨で生まれ、東京大学理学部(数学を勉強)に行き、卒業後、経済学部にも行き1980年、当時の大蔵省に入りました。2008年内閣参事官を最後に退官し、今は東洋大学の教授で、金融庁の顧問でもあります。「さらば財務省-官僚すべてを敵にした男の告白」で2008年の山本七平賞を受賞したことでも有名です。

高橋洋一さんが、官僚から内閣に入ってやったことは、竹中平蔵さんのもとでの郵政民営化等です。その昔、大蔵省に入ったあとプリンストン大学に行ったときには、現在のFRB議長のバーナンキの教えを受けました。小泉改革ではその論理構築に辣腕をふるったと思います。今は、中川秀直さんのブレーンであるとも言われています。

私はアメリカ嫌いなのか、アメリカに気に入られた小泉さんは、人柄は爽やかで、やっていることは分かりやすかったのですが、その小泉さんの小泉劇場には首をかしげていました。高橋洋一さんが、そのブレーンといわれると、この人に反発する気持ちも強いのです。

しかし、私が山本七平さんに弱い(尊敬している? でも山本七平さんの言っていることの3割は、私は分からないのですが)こともあって、山本七平賞をとった人が書いた本なら読んでみようかと思って、手にとりました。そしたら一読、面白かったです。
――――――
<「埋蔵金」「上げ潮派」「財政再建派」「財政出動派」>

最近、週刊誌に政治関連で載っていることが、分かってきました。週刊誌の電車の吊り広告で「埋蔵金」という言葉が良く載っていましたが、「埋蔵金」というのは、こういう意味だったのか。「上げ潮派」「財政再建派」「財政出動派」のことも良く分かりました。全部、分かったうえで、この人の本を読むと、この人が推薦している「上げ潮派」が正しく見えてくるから不思議です。

そしてまた、今回の不況はキツイですが、日本の経済には底力もあるし、日本の財政にはぜい肉もある。財政状況はこれから良くすることができる。政治家や官僚が無能だっただけとも言っています。

埋蔵金というのは、政府が作る特別会計の資産から債務を差し引いた、「積立金・余剰金・準備金」のことを指しています。これを高橋洋一さんが政府にいたとき、キャッシュフロー分析で整理したところ、これが特別会計で50兆円に上っていたとのこと。この埋蔵金が官僚の天下りの原資ともなっていたともいいます。

特別会計は一般会計が約85兆円/年のところ、重複を除いてもその倍の約180兆円あるとのこと。特別会計には、「財政融資資金」、「外国為替」、「産業投資」、「道路整備」、「国有林野事業」、「労働保険」・・・等があるそうです。

元の塩川財務相は、「母屋(一般会計)がお粥食って辛抱しているときに、離れ(特別会計)では子供がすき焼きを食っておる・・」と言ったそうです。このほか、特殊行政法人も50兆円の埋蔵金を持つなどと言っていました。

「上げ潮派」は中川秀直さんが政治家では有名ですが、金融政策で上手に経済を刺激して、少しずつの成長を持続しようというもの。高橋洋一さんがブレーンになっています。

「財政再建派」は与謝野馨さんが政治家では有名で、「財政を押さえろ、財政が押さえられないなら、消費税増税をしろ」と言っています。これは、財務省の言っていることでもあり、財政均衡派、財政タカ派とも言われています。高橋さんは、これをやると、日本はデフレになり、結局、財政も再建されないと言って来ました。財務省は自分達のために、「財政再建」を言っているのだとも言います。

「財政出動派」は、オールド・ケインジアンと言っていました。これは、政治主導で経済を改善できるので、政治家はみんな、本当はこれをやりたいと思っているでしょう。景気刺激により、経済を活性化させようというものですから。この不景気に対応して新しく道路等を作る動きがでていますが、それらはこれに該当します。高橋さんは、ニクソンのドルショック以来、景気刺激が景気拡大につながらないのは、世界の経済学者の間では常識となっており、これを今とるべきではないと言っています。

――――
<ミスター円=榊原英資さん>

もう一人、1941年生まれて東大から大蔵省に入って、世界からミスター円と呼ばれた榊原英資さんの別な本も読みました。中国等の東アジアの台頭で、日本を囲む世界経済のパラダイムが変わりつつある(日本を含む東アジアで給与、物価等が平均化しつつある。勿論、日本への影響も大きい)と、見たほうが良いと言っています。そうすると、高橋洋一さんの意見は一面的見方に過ぎなくて、榊原さんの言のことが正しいのかなとも思いました。

榊原英資さんは民主党が推薦しているのでも有名です。ずいぶん私の意見も変わりやすくて、翻弄されるのだと思いました。が、翻弄されるのが、高橋洋一さんや榊原英資さん相手なら、しょうがないとも思います。

そういう意味では、政治を動かしたお二人の論理は鮮やかで、私の知的興奮を引き出しました。そして二人の言っていることが違うので、それに引きずられながら、私なりに勉強になります。榊原英資さんの方が、歴史的に出来事を見ているかな、と思う私ですが、もう一度、この本を読むと、「やっぱりこれだよ」と思いました。「なるほど、お二人が財務省出身で頭のいい人たちなのだ」と改めて感じます。

―――――
<官僚のあるべき姿>

高橋洋一さんは、「こうすればこうなる」という当たり前のことを、政策を決定するときは抑えましょう。世の中が変わって来たら、それを受け入れて新しい理論を立てれば良い。世界が変化するときに、権威にぶら下がっているのは、もうやめましょうと言っているのだと思います。

日本の学者やマスコミ(つまりは一般大衆も)や、それに便乗する官僚も、権威に弱いところがあって、権威を前に出せば通るところが、大きな政府、税金の無駄遣いにつながっていると思います。それと、官僚は頭が良い人たちで、巨大な組織、ルールを作ってきました。

しかし、その頭の良い人たちの論理が、組織防衛に向けられたとき、官僚組織はマイナスも生む。組織防衛も必要だと思いますが、あまりにそれに力が入りすぎると、マイナスが目立つ。いまそういうときなのだと思う。そういうことを言っていると思います。

組織防衛したほうが、官僚内部の人には評判がいいし、一般的にはそれがチェックされることはないですから、組織防衛に官僚が力をいれるのは、私も実感として分かります。

――――――――
<いまは世界経済のパラダイム変換のとき>

戦後ズーっと日本は、アメリカの金融理論に追随していけば良かった時代が続きました。その前は、ヨーロッパです。明治維新の福沢諭吉の「和魂洋才」や明治政府の「富国強兵」政策が、ズーっと今まで続いてきました。

しかしそれが、つまりは官僚の姿が、変わるべきときが来たのだと思います。それだけ、日本を含むアジアが成長しました。今回の不況でも分かるように、いまは世界経済のパラダイム変換のときなのです。

今まで世界の中心は西欧、米国でしたが、世界は日本も含めたアジア等も並列する、二極化、あるいは多極化の時代になっていくのです。このとき、官僚・学者・マスコミが、今までのままで西欧・米国追随だけで、いいはずはありません。そういうときに、この高橋洋一さんや、榊原英資さんみたいな頭の良い人たちが、ものを言い始めたのは、いいことだと思います。官僚も学者もマスコミも、私たち一般大衆も変わらなければいけないと思います。

聞けばもっともと思うのですが、その是非の本当のところは、私には分かりません。が、高橋洋一さんは、道州制を薦めています。政策の競争原理が働くといいます。官僚も自分達の政策の良し悪しが、比較的早く分かるので、いままでのように組織に胡坐をかくようなことはできないといいます。

こういう議論をもっとオープンにやれば良いとおもいますし、新しいインターネットの世界は、それを可能にしていると思いました。

今日(8月20日)の朝は、天気が良く、風もない。布団を干すのには、ピッタリの天気だ。

今日(8月20日)の朝は、天気が良く、風もない。布団を干すのには、ピッタリの天気だ。今日の朝は、5時におきて、足の裏揉みなどの運動を1時間して、6時から布団を乾した。写真は、布団などを乾したところを、撮ったもの。9時ころでかけるので、3時間ぐらい乾すことになる。ベランダは東側にあるので、朝は日が当たって、布団を乾すのには向いており、1週間に1~2回乾してきた。

所帯じみているが、洗濯は1週間に2回する。晴れていると、ここで気持ち良く干せてきた。朝の足の裏揉み体操は、3か月ぐらい中断していたが、しないと私は体の調子が悪くなる。先週の土曜日「ゆる体操」の先生から、調子が悪い点を指摘された。それでここ4日ぐらい再開し始めている。、

お盆あけの日本橋は、動き始めた。天気も良くて、夏の陽射し。。

お盆あけの日本橋は、動き始めた。天気も良くて、夏の陽射し。写真は、日本橋の交差点を西側に向かって、撮ったもの。左下から右上に走る通りは、永代橋に向かう永代通り。右下から左に向かう通りは、昭和通り。もっと右へ行くと、東京、新橋方面。写真は、両方の信号が赤になった、直後で、あまり車は動いていなかった。

昨日の昼食のメインデッシュは、にら卵。ボリュームは多い。大食いの私にはちょうど良い。

昨日の昼食のメインデッシュは、にら卵。ボリュームは多い。大食いの私にはちょうど良い。写真は、昼食の前に出てきたお膳を、撮ったもの。750円。お店は、ちょうどいい具合の混みよう。いくつかある、テーブルはだんだんいっぱいになった。

中国の人は、こういうお店をやるのが、上手なんだろうか。40ぐらいのおばさんたちが、元気よく振る舞う様子は気持ちが良い。

昨日(8月19日)、日本橋へ行った。用事が済んで、日本橋で昼食を取った。

昨日(8月19日)、日本橋へ行った。用事が済んで、日本橋で昼食を取った。日本橋駅のそばで、ランチ定食があったので、12時少し前、中華料理店に入る。写真は、地下に食べる場所がある、中華料理店の入口を、撮ったもの。お店は中国の人が大勢で、働いていた。

2014年8月19日火曜日

渡邉正一郎さんの本、「三智渡る」の後半部分を読んで、読書感想文を書きました。


渡邉正一郎さんの本、「三智渡る」の後半部分を読んで、私は2009年1月、下の通り読書感想文を書きました。写真は、会社から戻る途中のマンションの前で、緑が密集して生えているのを、撮ったものです。世間に神秘は沢山あると思いますが、生き物を見ると、やはりそこに神秘を感じます。だから、この写真を、神秘的出来事が沢山出てくる「三智渡る」を象徴するものとして、使いました。
三智は、この本では言霊、色霊、数霊のことをいいます。ほかに島崎藤村が三智を言っていました。それは、「人の世には三智がある。学んで得る智、人と交わって得る智、自らの体験によって得る智がそれである」です。

このほか、ウイキペディア によると、仏語では3種類の智恵とありました智度論では、声聞)・縁覚)の智である「一切智」、菩薩)の智である「道種智」、仏の智である「一切種智」 。

楞伽(経では、凡夫外道の智である「世間智」、声聞・縁覚の智である「出世間智」、仏・菩薩の智である「出世間上上智」とあります。三智にも、いろいろな説が、世間にはあるのですね。
 
―――――――
読書感想文(三智渡る2/2・・・渡邉正一郎)
 
<渡邉正一郎さん>
 
渡邉正一郎さんは、1916年1月東京都?生まれで、東北大学で電波科学を学び、卒業して国鉄に勤め戦争中は電波兵器を研究、終戦後はGHQの経済安定本部に呼ばれ仕事をし、その後、郵政省で電波監理局長も勤めた、無線が専門の官僚です。1998年に死にました。
 
渡邉正一郎さんは、霊的世界も沢山経験し、それをベースにした考え・物の見方を、あちこちの雑誌や新聞に書いて、講演もしたユニークな人です。その交友関係も、活動を通じて広いものがありました。渡邉正一郎さんの活動は、そのポスト以上に広いものがあります。昔の官僚組織は、こういう人がいて、それを許す風土があったのだと思いました。
 
以上は、私がこの本を読んで、分かったことを整理しただけなので、間違いは少しあると思いますが、だいたいはあっていると思います。
 
――――――――
<私の頭・体験では、理解困難な「三智渡る」>
 
三智渡る」は1冊の本です。が、何故、私が一気に読めずに2回に分けたかたいうと、まずこの本が厚い(624ページ)ことがあります。しかし、本当の理由は、この本が哲学的で深く、私の頭では理解困難であったからです。
 
特に、この本で取り上げられた4篇のうち、私が整理した2/2である第4篇「宗教・哲学・科学」は、私は半ば分かりませんでした。理解するには、タイトルの内容を深く考え、状況を洞察する人間的側面が必要であったと思います。が、残念ながら私の経験と思索は浅く、全部を理解することはできませんでした。そういう意味では、ここでは表面的にどんなことが書かれていたか、私の理解できる範囲で書くだけです。
 
私の読書感想文は、私流で断片的ですが、長いので、次の順で書きます。
 
<この篇は、渡邉正一郎さんの50歳と60歳のときの書がベース>
<50歳のときの「宗教と科学」とその結論。そして三島、安西の推薦のことば>
<世界4大文明が起こった以降の文明の俯瞰図>
<西暦325年のニケーニア会議>
<東洋の思想、西洋の思想>
<仏教、ジャイナ教は無神教>
<60歳のときの「宗教・哲学・科学」とレーチェル・カーソン>
<「宗教・哲学・科学」は、豊饒の海>
 
――――――――
<この篇は、渡邉正一郎さんの50歳と60歳のときの書がベース>
 
4篇-1は「宗教・哲学・科学」です。1973年11月、12月、1975年に、「問題と研究」という雑誌に書かれました。渡邉正一郎さんが60歳前のとき書いたものです。
 
4篇-2は「宗教と科学(抄)」です。1965年前後、渡邉正一郎さんが50歳前にして、これを書きました。尾崎士郎の意志をついだ、同人誌「剣と琴」に載せたものです。
 
4篇-2の同人誌のタイトルは当初、西郷隆盛が開いた「私学校」にする予定でしたが、わけあって三島由紀夫さんが命名した「剣と琴」にしたそうです。この本にもはじめに載っている、三島由紀夫さんと安西正篤さんの推薦文は、この「宗教と科学」に対するものです。
 
―――――――
<50歳のときの「宗教と科学」の結論。そして三島、安西の推薦のことば>
 
この「宗教と科学」は、原人(北京原人等)、旧人(ネアンデルタール人)、そして今の人である新人(クロマニヨン人等)の宗教観の変遷等を説明しています。内容は、体系的で非常に面白かった。
 
しかし、「宗教と科学」にある結論は私にはまだ理解できていません。結論には、宗教、科学、哲学、芸術と政治、経済が、個人、社会とどう関わるのかが書いてあります。渡邉正一郎さんは、そのことが重大で、深い考察の対象であると考えたのでしょう。それで、これを結論にしたと思います。が、読む側の私の能力の問題もあって、私には正しくは分かりませんでした。
 
三島由紀夫さんの推薦文は「このようなもっとも広く、もっとも深く・・・驚嘆の書」と書いています。安西正篤さんの推薦文には「・・・そして心霊の世界を何の偏見も抱かず直視して、解説というより、自己追及の告白的な記述・・・」と書いています。
 
その通りだと、思います。渡邉正一郎さんは、自己と格闘しながらこれを書いたのだと思いました。だから、私たちにその全体が分からないことが多いのだと思います。
 
―――――
<世界4大文明が起こった以降の文明の俯瞰>
 
4篇は60歳のときと50歳のときに書いた、類似の論文からなっていますが、私は、50歳のときに書いた「宗教と科学」から、逆に読んでみました。そして、その語っていることの広さに驚きました。これが本当に50歳のときの書なのだろうか。
 
私も中国の歴史は、1945年生まれの宮城谷昌光さんが主に史記(紀元前1~2世紀の人、司馬遷が書きました)を題材にとった歴史小説を読んで、4000~2000年前の中国は少し分かった気がしました(馴染み深くなった)。
 
また、2600~1400年前のローマを中心とした西欧及び中近東の歴史は、1937年生まれの塩野七生さんの「ローマ人の物語1~15」を読んで、少し分かった気がしました(馴染み深くなった)。
 
二人とも1990年ころ以降、これらの歴史小説を書いています。そういう意味では、私の理解は、最近の中国、ローマの歴史小説を通じてのものです。でも、この渡邉正一郎さんの50歳のときの書は、はるかに今の私の知識を凌駕し、しかも、私の知識のあるところでは、渡邉正一郎さんの説明は、わたしには納得感があるのです。
 
内容では、ウル・シュメール文明(メソポタミア文明)、エジプト文明が語られ、私が過去、知りたいと思っていた地中海の「ミノア文明、ミケーネ文明(東洋的文明)」についても開いた人種、文明の意義等も書いていました。そういう意味では、私がいろんなところで読んだ文明について、この本を読むことによって、俯瞰図的な全体像が私なりに体系化でき、読んだ価値があったと思います。
 
しかもそこには宗教・科学について、渡邉正一郎さん的な味つけがしてありました。人間が生まれて生活をする歴史が、その環境の歴史との関連で語られています。また、科学が進歩するプロセスも面白かった。
 
敬虔なキリスト教徒であった、ベーコン、デカルト、ニュートンの考え方が、西欧のその後の産業革命につながったと思いますが、その考え方はキリスト教とは関係ないと、渡邉正一郎さんは言っています。
 
また一神教のユダヤ教、キリスト教、イスラム教について、渡邉正一郎さんは、40年前のこの時代に書いています。その後の日本で3つの宗教の理解が進みましたが、「宗教と科学」の意見については、今の日本でも変えなくてはいいのではないかと思えました。それぐらい、ここに書いてあることは新しくて、それだけ渡邉正一郎さんが深く宗教を考えた証だと思います。
 
そのほかゾロアスター教などの、西欧の宗教が書いてあります。また、ギルガメッシュ神話等は、西欧に共通する、あるいは世界に共通する物語で、それらは最近の考古学の発見で実際あったことが確認されているといいます。いずれも、私には面白い内容でした。
 
――――――――
<西暦325年のニケーニア会議>
 
私(八木)が個人的なことを言えば、次のキリスト教のニケーニア会議等、キリスト教について、渡邉正一郎さんが書いていることに感動しました。ニケーニア会議は、キリスト教の内紛を修めるために開かれたもので、最初にキリスト教をローマ帝国の国教にしたコンスタチヌス帝の仲裁で幕を閉じたものです。その内容は、煎じ詰めれば「神とキリストと精霊」を三位一体とするアナタシウスが、アリウスの唱えるところを異端としたものです。
 
―――アリウス派を異端として追放して以来、異端という烙印は、現代に至るまで、常に権力者側において利用されてきたラベルである。それは不寛容の単なるカモフラージュである。
 
―――所詮、キリストも又人間にして神にあらず、その絶対的事実を枉げて信徒に強要したところに、キリスト教の不寛容、排他性、独善性が発生し、マホメットによる第1次の宗教改革(イスラム教)を必要としたのである。
 
―――キリストが初めに神の福音を説教した時代とは、内容的には著しく修正され、キリストの宗教的純粋さは甚だしく失われていたのである。このような状況において、キリスト教は(ローマ帝国の)国教としての権力の座へと上がったのである。
 
――――――
<東洋の思想、西洋の思想>
 
今も語られ、渡邉正一郎さんも語っている、自然を征服しようとした西洋思想と、自然と一体になろうとした東洋思想の違いは分からなかった。これまで私は分かったような気になっていたが、渡邉正一郎さんのこの本を読んで、突然、自分(八木)が分かっていないということが分かった。
 
西洋文明はウル・シュメール文明(メソポタミア文明)、エジプト文明の流れが、ギリシャ文明の人間崇拝の思想に行きついて、出来たとのことです。このギリシャ文明がキリスト教の理論武装(キリスト教神学)に進んでいったのだそうです。
 
キリスト教神学はキリストの思想ではなく、ギリシャの思想といったほうが良く、キリストはむしろ東洋的であったとのことです。
 
――――――
<仏教、ジャイナ教は無神教>
 
この本で、渡邉正一郎さん独自の宗教の分類をしています。その中で、「無宗教」に「仏教」と「ジャイナ教」があげてありました。取り上げられた宗教が、教という名前がついているのに、無宗教とは驚きましたが、読むにつれ納得がいきました。「無宗教」に対応する分類では、「汎神教・多神教」「二神教」「一神教」があげられてあります。
 
無宗教で取り上げられた2つの宗教の教祖とも、紀元前5世紀頃にヒマラヤの麓のインドの武士(貴族)階級の子として生まれましたが、ここではわかりやすく仏教と釈迦だけを取り上げます。
 
仏教の悟りが、ヨーロッパの人にはわからないらしい。仏教をもっとも分かったという西欧の人が書いた仏教の本でも、悟りをあえて普通の人でも分かるように、間違えて書いているらしい。
 
私も悟っていないので、悟りを語ることはできませんが、多分悟りとはこういうものだろうという想像はしています。だから、西欧の人が悟りを分からないということが、私にはショックでした。このショックは西洋思想の理解につながるかも知れない。私の今後のこれは宿題にしよう。そう思いました。
 
そういえば、私が志向する禅について本を読んでいたとき、「これって宗教かな。たんに生き様ではないかな」と思った記憶があります。だから、禅(仏教の一派)が無宗教というのは良く分かりました。
 
「正しいとか、正しくないとか、その人が思っているだけで、絶対的なものはない。人は与えられた環境のなかで一生懸命生きるだけだ」。それが私の最近の哲学ですが、それも一面で無宗教かも知れません。
 
自分にとって損か得かで、宗教を見れば、汎神教・多神教、二神教、一神教、無神教、それぞれの考えは分かるし、私の周りの人の宗教に関する普段の行動も理解できます。でも人の心ってそんなに簡単かな。簡単で良いのかな。と思う自分もいます。
 
釈迦は弓矢の名人だったらしく、その縁がもととなり15歳で結婚し、子供をもうけましたが、それでも分からないことが多いので、29歳で出家したそうです。そして、80歳まで生きて死んだ。そういう意味では釈迦は幸せな人だったかも知れない。釈迦の一生は悟りを求め、その考えを広めました。私は釈迦のように悟れないと思いますが、生きられる間生き続けたいと思います。私も無宗教なのかも知れません。
 
―――――――――
<60歳のときの「宗教・哲学・科学」とレーチェル・カーソン>
 
第1章の「宗教・哲学・科学」は渡邉正一郎さんが、60歳のとき書きました。最初に、アメリカで1958年に、レーチェル・カーソンが農薬禍を描いた「静かな春」を取り上げています。アメリカや西欧では、議会、マスコミ、学者が騒ぎ、取り組み(対策)も始めました。この「静かな春」は、現在の世界の環境問題のさきがけとなった書です。
 
しかし、このとき日本はまったく無反応だったそうです。渡邉正一郎さんが、第2章の「宗教と科学」を書いたキッカケは、仙台の新聞「河北新報」を読んだのがキッカケでした。日本の2人の小学生が、農薬が原因で、田んぼの畦の雑草を食べて死んだのが、新聞に載っていたそうです。アメリカのレーチェル・カーソンの書に対する反応と、日本の反応には雲泥の差がありました。
 
でも、「静かな春」が書かれた1958年といえば、日本は高度成長の前夜です。日本全体が、自分のことに夢中で、そこまで心配するゆとりがなかった。なるほど、自分のことに夢中な私たちは、変化の本質に目が行き届かない。歴史は、そういう目の行き届かない私たち人間によって作られていく。その本質がより本質的であるほど、この本質は繰り返し私たちに問題をつきつけて来て、人間がそれに対応できるようになったとき、ようやくそれに対応する。
 
いくぶんかは、その時の人の個性が反応を変えるかもしれないが、大きくは変わらない。そしてその変化により歴史は作られていく。大きな流れに逆らっても、個人の力なんか、たかが知れているのかな。
 
そういうとき私たちはどうしたらいいのか。今、私はこう思っています。「自分が正しいと思ったことをやるしかない。たとえ、それが間違いだとしても。たとえ、そこに問題が含まれているとしても。たとえ、それが歴史の本質からずれていたとしても」。力の弱い私としては、そう考えなければ生きていけないと、大げさかも知れませんが思いました。
 
―――――――
<「宗教・哲学・科学」は、豊饒の海>
 
渡邉正一郎さんが60歳のとき書いた「宗教・哲学・科学」は、学ぶことが多く、内容は豊饒の海だと思います。第2章の「宗教と科学」を書いた以降に現れた、すべての渡邉正一郎さんの霊的体験も踏まえて書かれていました。その内容は全体が面白いと思います。最後に一部だけになりますが、抜粋して、私の読書感想文の終わりとします。
 
―――即ち神そのものの本質が歓喜(笑い)と愛である。―――神は神の本質を赤ん坊を通じて、それとなく人間に教えている。
 
―――黒住宗忠は「生まれるが、次第々々に智恵つきて、天照神から遠ざかる」「道を志すものは、子守唄、ひえつき歌も心せよ、世の中に捨てるものとて一物もなし」と言っている。
 
―――素粒子から原生人類までの長い進化の過程において特筆すべき飛躍が何回か起こっている。これらを一つの線で示すと次の図式となる。 ①素粒子→②原子・分子(無機物)→③生命体(有機物・無性生殖)→④有性生殖(固体の誕生と死)→⑤人
 
―――勿論チベットの死者の書の方がエジプトのより遥かに格調が高い。しかし転生のための唯一の道のごとく限定することも危険である。
 
―――バヤ、ダムマー、サンカーラ = 無常、法、行
 
―――神道の「浄く、直ぐ、明き」心である。