2014年7月31日木曜日

今日(7月31日13時ころ、マンション下ののマルエツプチの玄関で、ハスの花が咲いていた。

今日(7月31日13時ころ、マンション下ののマルエツプチの玄関で、ハスの花が咲いていた。

中大兄皇子伝(上)・・・黒岩重吾を読んで読書感想文を書いた。

中大兄皇子伝(上)・・・黒岩重吾を読んで、私は2008年10月、読書感想文を下の通り書いた。写真は昨日(7月30日)夕、水道通りから北東の方向に向かって、新宿公園を、撮ったもの。セミが鳴いていた。


写真は本とは関係ありません。しかし中大兄皇子が、西暦645年6月に、蘇我入鹿を殺したあとの夏も、セミは鳴いていたのだろうと思う。四季の中で、セミや他の鳥獣が、自然の摂理で動くのに比べれば、人間世界の出来事なんて、小さいなとも思った。


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読書感想文(中大兄皇子伝(上)・・・黒岩重吾)

<若い頃の私は、黒岩重吾に大きな影響を受けた>

黒岩重吾さんは1923年2月大阪で生まれで、戦争の終わりの頃、同志社大学に行って、2003年に死んだ小説家です。私は20代のころ、「休日の断崖」を始めこの人の小説を沢山読みました。この人の小説に耽溺したといっても良いと思います。

私の若い頃、この人の小説は飲み屋の女性を主人公にしたものが多く、テレビのドラマでも沢山やっていました。大阪の西成地区を多く書いた、当時の通俗小説家と言っても良いと思います。

私の惹かれたのは、この人の小説が、悪人でも一生懸命生きていることを教えてくれたからです。そして、その心理描写が細かくて、かつ人の心理は多彩で決めつけてはいけないこと。本人も本当のところは分からないことが多いこと。考えるべきことは沢山あること等を教えてくれました。一時は黒岩重吾を寝てもさめても考えていたことがあります。私の人生観を左右した人だと思います。

同志社大学ではナンパ学生で、そのうち学徒出陣で満州に行き、逃げて朝鮮に行き、戦後やっとの思いで帰ってきました。学校を卒業し証券会社に入り株をやり、一時は大儲けし悪食をして、体がボーのようになり(小児麻痺にかかった)、破産し、釜ケ崎のドヤ街で生活し、トランプ占いをし、キャバレーのキャッチコピーを書きました。私はこのどん底時代の黒岩重吾が最も好きです。

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<トランプ占いで分かった、黒岩重吾の霊感>

釜ケ崎には奇妙な安逸さがあること。そこから脱却することは容易でないこと。そこから抜け出るプロセスが、黒岩重吾が辻でしたトランプ占いだったのです。その人間としてのプライドの本当の正否は、分からないのかも知れませんが、プライドを持って自分を変えた黒岩重吾の人間性を私は好きになりました。

そのトランプ占いのとき、相談に来る女性の、別な世界での姿が見えて、占いはそれをもとにしたそうです。そしてそれが良く当たったそうです。黒岩重吾には霊感があるのだと思いました。

その後1958年「ネオンと三角帽子」で、サンデー毎日に入選し、発表。小説家の道を歩み始めました。小説は、キャバレーの話が中心だったと思いますが、1980年ごろから、自分が生み育ったところである大和の日本の古代史を書き始めました。

古代史は分からないことが多く、一部は霊感で書かなければいけないと思いますが、トランプ占い時代の黒岩重吾を知っていたので、「黒岩重吾が古代史を書いた」と、聞いても私は驚きませんでした。私は、日本の古代史は読んでいませんでしたが、ここ5年ぐらい黒岩重吾の「ヤマトタケル」以下の小説を読んで、そして最近梅原猛の「聖徳太子」を読んで、日本の古代もようやく少し分かってきました。

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中大兄皇子と蘇我氏>

中大兄皇子は、蘇我入鹿を中臣鎌足とともに西暦645年に殺した、大化の改新で有名です。私が小学生のころ、この蘇我入鹿を中大兄皇子と中臣鎌足の2人で殺したことを、影絵で見て、善悪関係なく、そのシーンだけを鮮烈に覚えています。蘇我氏ってなにものだったのだろう。中大兄皇子はその後どうなったのだろう。そのときの不思議さは、私の心にズーっと残っています。

小説を読むなどして、私にはいろいろなことが最近分かってきました。蘇我氏は百済の官僚の後裔であること。蘇我稲目、馬子、蝦夷、入鹿の蘇我本宗家の系統が有名であること。日本で始めて仏教の寺を建立したこと。蘇我氏は優秀な渡来系の東漢氏(後裔には初代の征夷大将軍である坂上田村麻呂もいます)を管理・掌握していて、それが基礎となって一族が伸びた面もあること。


狭い飛鳥の地をベースとしていたこと。馬子の時代、物部・蘇我戦争があって、神道を基礎においた軍事部族で力のあった物部一族に、蘇我氏が勝って、蘇我氏が国を左右する力を持ったこと。この戦争のとき、母親がその親に天皇(男)と蘇我氏(女)を持ち、父親が天皇であった(母親が別なら今の世なら近親相姦で指弾されることが、古代では当たり前に行われていた)聖徳太子も10代で蘇我氏側について活躍したこと。


初めての女性天皇の推古天皇(父親は天皇、母親は蘇我氏で、夫も天皇であった)と皇太子である聖徳太子の組み合わせは、蘇我馬子のお膳立てで成立したこと。等です。


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<中大兄皇子は天智天皇になった。そして天武天皇、持統天皇、藤原不比等>

中大兄皇子は20歳のとき蘇我入鹿を殺しましたが、30代の人が天皇になるのが普通の当時は、すぐには天皇にならず間をおいて天智天皇となりました。入鹿を殺したときの天皇は母親の皇極天皇(皇極天皇の母親系には蘇我氏の血が混じっています)でしたが、そのあとは叔父の孝徳天皇が継ぎます。叔父がなくなると、再度母親が斉明天皇となり、その後、中大兄皇子が天智天皇になったのです。


天智天皇は自分がなくなったあとは、自分の男の子の大友皇子に継がせようと思いました。が、死後、弟の大海皇子が壬申の乱で、大友皇子を殺し、大海皇子が天武天皇になります。その後が持統天皇(女)ですが、この人は、天武天皇の后で、天智天皇の娘(結婚関係を現在の感覚で追いかけると、当時のことは分からなくなります)でした。


実は、天皇という呼称が使われるようになったのは、持統天皇のときからでそれまでの天皇は、大王と呼ばれていたのです。そして、日本書紀が編纂されたのは、持統天皇のとき(勿論、その路線を作ったのは天武天皇だと思いますが)で、実際に行ったのは、藤原の姓を貰った中臣鎌足の子、藤原不比等(天智天皇の子供という説もあります)のもとでの百済系の学者と思われます。


藤原不比等の子孫が、平安時代と今も天皇の周りで権勢を誇りますから、まあ、ものごとを考えるときは、1000年単位で考えたほうが良いのかも知れないと思わせます。


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<この本の上巻は、中大兄皇子が入鹿を殺すまで>


この本の上巻は、中大兄皇子が入鹿を殺すまでです。そして、下巻への伏線でしょうか。和歌で有名な、額田王(ぬかだのおおきみ)が出てきます。目次は次の通りです。



1.禁忌
2.天命
3.潜伏
4.託宣
5.咆哮
6.譲位

1は若い中大兄皇子が、父親の死に際して述べる“しのびごと”をそれまでの定型的なものでなく本音を中心としたものに変えるなど、禁忌に挑戦する気概を持つ話です。同時に、若い皇子として地方から女性が送り込まれてくるが、いろいろな事情を抱えた女性がおり、その付き合いのなかで、ショックも受ける話です。

2は、中大兄皇子が中臣鎌子(中臣鎌足)と入鹿殺害の決意をかためるところです。中国には天命という思想もあり、禅譲により王者が変わります。入鹿がそれを狙い天皇に代わろうとしていると中大兄皇子が判断をするところでもあります。

3は、中大兄皇子が、蘇我本宗家の入鹿を殺したとき味方をした、蘇我倉山田石川麻呂の娘の遠智娘を正妃にした(遠智娘は持統天皇等の母親です)話等が中心です。

4は、斑鳩にいた聖徳太子の子供の山背大兄皇子の一族が、入鹿などに(実は当時の皇極天皇の内諾も得ていたものと思われます)攻め殺される話と、入鹿が背伸びをして滅びるとの宗教を象った声があがります。それに代わるのは中大兄皇子だというのです。そのころの中国の律令と日本の違いについて、説く者もいて、蘇我入鹿の専横は筋が違う、のではないかとの勉強家仲間の世論も出来つつあったと思います。

5は、中大兄皇子が中臣鎌子等とともに、蘇我入鹿を殺す話です。その迫真の描写はさすが黒岩重吾と思わせます。入鹿が殺されることになるとは、当時の皇極天皇も知らずに、その惨殺には、皇極天皇も不快感を持ったものと思われます。

6は、皇極天皇から、叔父の孝徳天皇への譲位の話です。最初、弟の大海皇子と結ばれて、大友皇子の后になる十市皇女を産んだ額田王(ぬかだのおおきみ)が出てきます。そして、下巻で中大兄皇子が、額田王(ぬかだのおおきみ)を弟の大海皇子から取り上げて自分のものにします。額田王(ぬかだのおおきみ)は、小倉百人一首にも出てくる才人でもあります。

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<大化の改新の裏側にあったもの> 

私は変なところにこだわりますが、黒岩重吾の小説の次の言葉が気になりますし、そうだと思います。

・・・政治の改革を進めて1年以上たつが、公地公民という吾の理想は、なかなか徹底しない。公に反駁するものは少ないが、酒席などでは、何もそこまでしなくても良いではないか、皇太子は若いので理想に走り過ぎる、という声がよく出るらしい。実際、地方の長官として派遣した国司の汚職はかなり酷い。

・・・などの有力氏族が国司になっているが、在地の郡司と結託し、農民から物を奪ったり、女人を犯したりしている。

・・・その点、厩戸皇太子(聖徳太子)は立派だった。彼がどうにもならない人間の欲に絶望した気持ちが今更のように肌で感じられた。だが、吾は厩戸皇太子のような思想家ではないし、仏教に逃げたりはしない。理を優先させる現実的な政治家である。

・・・「それも一法ですが、皇太子様の人気が薄れます。これまでは農民は国家の民ではなく、皆、奴なのです。牛馬と余り違いません。奴から物を奪い何が悪い、奴婢を犯して何が悪い、という長年の慣習から抜け切るには相当な歳月が必要です。これまでのように公表し、遠地に左遷させるか、中央の小役人に格下げする。それを徹底したら如何でしょう。半減するのは間違いありません」 「半減か・・・」 「半減すれば良い方です。ことに地方は畿内と異なり監察官の眼も届き難うございます」

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<理想と現実>

天皇は現実を動かしていくのです。難しさも沢山あるでしょう。理想と現実。本音と建前。いろいろな言葉を思い出します。

今回のアメリカのバブル崩壊も、人が一番納得できないのは、モラル・ハザードでしょう。アメリカの話ですが、つぶれた証券会社のCEOの1年間のボーナスが50億円以上だったといいますから、証券会社等への税金での救済にはアメリカ国民も納得できないのでしょう。

20年前の日本と同じことが起こっている感じですが、歴史的にも同じことが起こっているのだと思いました。そしてそれが解決できないのも現実なのでしょうか。

2014年7月30日水曜日

夏の朝、セミの声で目が覚める。今日(7月30日)は、涼しくて、寝ざめも良かった。

夏の朝、セミの声で目が覚める。今日(7月30日)は、涼しくて、寝ざめも良かった。写真は部屋から、東側を向いて写真を撮ったもの。右側の端っこが少し見える高いビルは、新宿パークタワー。左側に見えるビルは住友不動産新宿5号館。真ん中の低いビルの向こう側に新宿公園がある。セミの声はアチコチから聞こえるが、新宿公園から聞こえるのが一番大きいようだ。鳥の声も聞こえる。

2014年7月29日火曜日

GPSは、3つのサブシステムから構成されている。「宇宙部分」、「地上管制部分」、「利用者部分」。


GPSは、広い学問なので、私のような粗雑な頭のものには、全貌を理解することが、できないが、少しずつ調べて、全貌に少しずつ迫ってみたい。写真には、ニコントリンブルの展示会が、秋葉原で、7月22日あったので、それを使った。良くわからないかも知れないが、写真の奥の方に見えるのが、高精度GPS受信機。見れば高精度GPS受信機も、アンテナを固定する三脚が、最初に目につきます。


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<GPSの3つのサブシステムー宇宙部分、地上管制部分、利用者部分>


GPSは、巨大なシステムで、全体を運営するためには、様々な知識と、大きな予算が必要です。1993年アメリカ大統領によって運用開始が宣言されて以来、GPSをアメリカのNASAが運営してきました。、GPSは軍事技術だから、大きな予算を使っても、ここまで来たと言えるかも知れません。


当然、ソ連ーロシアは、別に同じシステムを作ります。「グロナス」と言いますが、一度ソ連の崩壊があって、とん挫しましたが、2011年に再度、全世界で運用可能となりました。このほか同じ仕組みで、ヨーロッパには「ガリレオ」構想があり、中国には「北斗(コンパス)」構想があります。「ガリレオ」は、ヨーロッパの経済危機もあるのでしょう。構築が遅れて、まだ数基の衛星が飛んでいるだけです。「北斗(コンパス)」は現在、15機程度の衛星が打ち上げられ、全部が構築されるのは時間の問題でしょう。


これらを総称して、GNSS(グローバル・ナビゲーション・サテライト・システム)と言います。「GPS」「グロナス」「ガリレオ」「北斗(コンパス」と、世界の覇権国は、みなGNSSを構築しているか、構築を目指しています。だから今は、第2のGNSSの時代が始まったと言える、時期になりました。


しかし、GPS(あるいはGNSS)は、巨大な仕組みなのです。そこでGPSは、GPSを3つの部分(セグメント)に分けて、考えました。「宇宙部分」、「地上管制部分」、「利用者部分」の3つです。これを順に簡単に、以下に説明しました。


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<利用者部分>


ここが通常、私たちがGPSと呼んでいる、GPS受信機+位置の応用技術です。GPS受信機技術は、電子部品の凄い進歩を受けて、一緒に進歩してきました。今も、進歩しています。GPSを使ったカーナビの進歩や、119番等に自分の位置を知らせるため携帯電話機へのGPSの標準搭載が決まって、ここのマーケットは巨大になりました。各受信機メーカは、知恵を絞っています。


GPS受信機は、主に次の3つからなり、それぞれで研究が進められてきました。「アンテナ」「無線ブロック」「処理ブロック」の3つです。


①「アンテナ」は、GPSは正確にはアンテナの位置を、測定する技術ですから、重要です。また、GPSの電波は微弱なため、アンテナには、様々な技術が工夫されてきました。だから、GPSの受信アンテナを語るだけで、一つの理論が出来ています。


②「無線ブロック」は、アンテナで受けた電波を、電気信号にし、1.5GHzと高い周波数の電波を、電子回路が処理できる、ベースバンドの周波数まで、おとしていく技術です。電波はCDMA(コード・デビジョン・マルチプル・アクセス)という方式で、来るのですが、この電波から、自分が必要とする電波を、読み取る回路は、芸術的でさえありました。


③「処理ブロック」は、GPSの本体部分です。低い周波数(いくつの周波数かは、私は今わかりません。大事なところですから、どこかで調べます)のベースバンドにおとされた、デジタル信号から、測位までの、一連の処理を、このブロックでは行って゚いました。そして、結果をNEMAフォーマットで、出力しています。このフォーマットは、米国海洋機器協会で管理されています。


測位結果は、船舶、航法、自動車、測量、防災、農業、環境、介護・福祉、建設、鉱業、自然保護、観光、軍事など、様々に利用されています。ここには、ビジネスチャンスが転がっていますから、様々なメーカが、様々に挑戦してきました。これからも、この挑戦は続くのでしょうが、どんな応用が、これから出て来るのか、楽しみでもあります。


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<宇宙部分>


簡単にいうとGPS衛星のことです。基本は、地球の周りを回る24個のGPS衛星が必要ですが、今は、予備も含めると、32個の衛星をNASAは管理しています。この宇宙部分で、GPSの仕組みが、作られていますので、GPSのシステムを考えるときは、ここがかなめになります。


GPS衛星は、人口衛星ですから、ロケットで売上げられます。そして、GPS衛星の要点だけいうと、次の通りです。なぜかは、説明しません(本当は、私も分からない)。そうだと理解してください。


1.高度約2万kmの上空を飛んでいます。


2.地球を1日2回、回っています。地球のまわる方向と同じ方向を回っているので、私達には1日に1回、回っているように見えます。軌道は円軌道です。


3.地球に対する回転角度勾配は、55°です。一面に4個、6面で回るので、24個のGPS衛星が、標準です。


4.電波の周波数は、目的ごとに、L1~L5の5つの周波数の電波が出されていますが、だいたいを理解するため、L1の周波数は、1.5KHzを超えたところぐらいと覚えていて下さい。ほかの電波の周波数も、それに近いところです。誤差はどうしても出てしまうのですが、測量用の高精度GPSは、L1のほか、L2とL5の周波数も使って、測定しています。電波は、周波数によって、性質が違うので、精度をあげるため、2つ以上の周波数での振る舞いを、分析しているのです。


5.各GPS電波は、正確な時刻の電波をとなるよう、その発振回路に、2個のセシウム原子時計を積んで利用しています。


6.電波はCDMA方式で、変調されています。ラジオやテレビでは、AM方式とか、FM方式が使われていますが、GPS衛星では、CDMA方式なのです。


7.重さは約1トンから2トンです。打ち上げられたときのGPS方式によって、重さは違うようです。電子技術の進歩で、時代とともに軽くなる方向。しかし発射する電波の工夫を新しい方が追加するので、重くなる方向。この2つがせめぎ合って、重さが決まると思います。


8.GPS衛星の電子機器を動かすため、GPS衛星は翼を広げたような太陽電池積んでいます。


9、寿命は10年から15年です。新しい方が、寿命は長いようです。しかし、寿命が来ると、GPS衛星を打ち上げなおすのですが、この時、GPS衛星の近代化も行われるので、あまり寿命は長くしないと思います。


10.GPS衛星は、正確な時刻電波を発信する回路、と地上に向けて電波を発信するアンテナを持っています。これに地上の「地上管制部分」から発信された、電波を受けるアンテナと処理する回路持っています。


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<閑話休題ーー準天頂衛星>


日本の準天頂衛星は、日本に特化したアメリカのGPSの補完衛星です、補完機能を発揮するため、3個以上の衛星が必要とされますが、2010年に1号機が打ち上げられました。今はいろいろな実験が行われています。日本の準天頂衛星は、GPSの補完システムですが、「1日に1回回る」、「軌道半径はGPSより大きい」。「衛星もGPSより大きい」等の特徴があります。


この1号機は、日本のJAXAが打ち上げました。そのとき、横浜でも展示会があったので、私もみに行っています。私はそこで、いろいろ質問しましたが、このときJAXAの人が、なんでもこたえてくれるのに、ビックリしました。


そうか、1つ打ち上げるということは、全部を知っていないとできないんだな、と思いました。そういう意味では、この「宇宙部分」は、アメリカ、ロシアと協力国のインド、ヨーロッパ、中国のGNSS担当者は、それに日本ではJAXAの人が、相当に詳しいのだと、改めて思います。


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<地上管制部分>


「地上管制部分」のため、GPSの場合、世界に5か所、観測センターが設けられました。その観測センターから約30個の衛星が、常時観測されています。GPS衛星は、恐ろしいほどの正確な時刻電波をだしていますから、「原子時計のずれ」、「衛星位置のずれ」、「電波の通り道にある電離層の状況・大気の状況」など気になることが、沢山ありました。


これらの、「GPS衛星の観測」「観測結果の衛星への無線による通知」を行っているのが、観測センターの機能です。


地上の観測センターから無線で連絡を受けた、各GPS衛星は、それらを概略軌道情報はアルナックデータとして、時刻を邪魔しな少し長い周期囲で、GPS衛星からの時刻情報の上に乗せられます。精密軌道情報はエフェメリスデータとして乗せられます。


アルナックデータは、各GPS衛星から、共通して発信されます。エフェメリスデータは、情報量が多いので、各GPSの固有の情報として、各GPS衛星が別々な信号として発信されています。








地上管制部分は、いわば縁の下の力持ちです。私たちはあまり知らなくても問題がないので、その詳細は、ほとんど知ることはできません。

2014年7月28日月曜日

昨日(7月27日)、東京丸ビルの5階の「醍醐味」という店で、下の娘たちと昼食をした。

昨日(7月27日)、東京丸ビルの5階の「醍醐味」という店で、下の娘たちと昼食をした。写真は、お店の入口を撮ったもの。昼食は楽しかった。

東京丸ビル5階の、私がいたところの後ろには、草木が置かれ、水もあった。おしゃれだなと思う


東京丸ビル5階の、私がいたところの後ろには、草木が置かれ、水もあった。おしゃれだなと思う。
上の写真は、私がいたところの後ろを撮ったもの。私は、昨日(7月27日)、11時ころから12時ころまで、この写真の手前の方の右側の椅子に座って、GPSの本を読んでいた。

昨日(7月27日)、丸ビルで待ち合わせした。少し早く行ったので、5階のオープンスペースのあるお店でお茶を飲んだ。

昨日(7月27日)、丸ビルで待ち合わせした。少し早く行ったので、5階のオープンスペースのあるお店でお茶を飲んだ。上の写真は、そのお店を撮ったもの。このお店には、なん年か前に、何度か来たことがある。お店にいた間は11時過ぎから12時過ぎまでだったが、その間、本を読んでいた。

JR「東京」駅丸の内南口の局舎の高い天井には、十二の干支がいる。

JR「東京」駅丸の内南口の局舎の高い天井には、十二の干支がいる。上の写真は、その天井を撮ったもの。実は干支は、写真の大半を占める、丸の外側にいる。左右は見えず、上下は少し見える。数えれば、12匹いた。

前にはしげしげ見た。古い干支の絵をみるのはいいな、と思いながら。なにか、昔のこの干支が書かれた時代に、タイムスリップをしたような、不思議な気分を味わいながら。

昨日(7月27日)、下の娘と食事をするために、東京に行った。

昨日(7月27日)、下の娘と食事をするために、東京駅に行った。この写真は、JR中央線の「東京」駅を11時少し過ぎに撮ったものです。

ヴィターリさんと、ヒューレンさんが書いた「ハワイの秘法<ホ・オポノポノ>」を読み、読書感想文を書いた。

上の写真は、昨日(7月27日)撮った、東急多摩川線の蒲田駅構内である。ここを利用し始めたのは、もう23年前から。ターミナル駅には人が沢山集まる。そして、そこには、人の数だけの人生がある。ーーその人生は、私の心のうちなる、想いの反映でもあるのだろうか。想いで、この世の人、全員が繋がっているのだろうか。ーー。

そんな、馬鹿な。と思うが、「ハワイの秘法<ホ・オポノポノ>」には、そう書いてあった。下は2008年10月、、ヴィターリさんと、ヒューレンさんが書いた「ハワイの秘法<ホ・オポノポノ>」を読んで書いた、私の億書感想文である。

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読書感想文(ハワイの秘法<ホ・オポノポノ>・・・ヴィターリ、ヒューレン)
<ヴィターリさんとヒューレンさん> 


ジョー・ヴィターリさんと、多分ハワイの原住民の出だと思われるイハレアカラ・ヒューレン博士がこの本を書いています。多分ヴィターリさんが中心でこの本を書いて、ヒューレン博士が「ホ・オポノポノ」というハワイに古くから伝わる精神的手法を実践している方です。

ヒューレン博士は招かれて、2度ほど日本にも来ているそうです。ウイキペデアにお二人は載っていないので、お二人の歳は分かりませんが、写真等から見ると、ヴィターリさんが50前後で、ヒューレン博士は60代です。

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<ホ・オポノポノ>

船井幸雄さんの本を読んでいたら、ヒューレン博士を褒めていて、私もとても気になっていたのですが、ホ・オポノポノを体系的に書いたこの本が本屋にあったので。買ってみました。「ホ・オポノポノ」はハワイに昔から伝わるそうです。とても不思議な秘法でした。

この世に起こっていることは、自分のうちに原因がある。すべてのことを自分の全責任と考えて問題を解決しなさい。心をクリーニングすれば、ゼロの状態に持っていければ、この世のことはすべて解決するのだそうです。


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<ヒューレン博士のホ・オポノポノの実践>


ヒューレン博士は、ハワイで患者さん達(精神病院に入れられていた、刑法上の精神喪失者)に一度も会わずに患者さんの病気を直したそうです。

1984年から3年間、ハワイ州立保険課が運営する精神科施設ハワイ州立病院の、俸給制心理学者として働いたことがあり、そこでただ、ファイルを見て、そして「I love you」「I’m sorry」「Thank you」と言っただけだそうです。これに「Please forgive me」といえばいいそうです。そして自分の心を浄化したそうです。そしたら、患者たちも直った。なるほど、4つの言葉を言うだけなら私にも出来る。言葉が現実を直すのでしょうか。でも、本当に!?。

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五十市剛さんと斉藤一人さん> 


別な話ですが、1964年生まれの五十市剛さんは、20代でイスラエルに旅して、ついてなくてどん底のときに、イスラエルのおばあさんから教えて貰った、「感謝します」「ありがとう」「ついている」を言い続けたら本当についてきたそうです。イスラエルのおばあさんは「言葉はとても大事なのよ」とも言ったそうです。

これも別な話ですし、実行しだしたキッカケも別だと思いますが、累積納税額日本一(松下幸之助さんより多いそうです)で1948年生まれの「銀座まるかん」社長の、斉藤一人さんが(本も沢山書いていて)同じことをいっています。

五日市さんの言っていることに加えて、人がうまくいったときに「良かったね」と言えとも言っています。うまくいった人に対する嫉妬心もあるので、これがなかなか言えないのですが・・・。

日本の2人の本を先に読んで、本当かなとおもいつつ、その実践し成果をあげていることに感激します。信じるものは救われるというから、少しずつですが私も実践して来ました。それで私も、だいぶ生きるのが楽になってきています。そこにこのハワイの話ですから、思わず私は考え込んでしましました。

これらの五日市さんや斉藤一人さんの日本の話を半ば信じつつ(人は気の持ちようが大事。なんでも明るくそして感謝の気持ちを忘れないことが大事と思って)も、半ば疑っている自分がいます。

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<ホ・オポノポノとヒューレン博士の師モーナ・ナラマクー・シメオーナさん>

ハワイでも似たような話が「ホ・オポノポノ」にあり、しかも人の病気を一度も患者さんに触れずに治した実績もあるというのですから、私は考えてしまいました。本当かもしれない。自分の外で起こっているように見えることでも、自分の内側でも起こっているのかもしれない。私の世界理解がどこか違っているのかも知れない。そう思ったのです。


「ホ・オポノポノ」は古代ハワイから伝わり、指導者がいて多人数でやるのだそうですが、これを一人でやる方法を考えたのが、ヒューレン博士の師、モーナ・ナラマクー・シメオーナで、それをセルフ・アイ・デンティティ・ホ・オポノポノと名づけたそうです。

彼女に関するヒューレン博士の美しいことばが本の緒言にあります。引用します。


・・・創始者にして最初の導師の座右の銘は「平穏は我とともに始まる」である。 私がこの――すべての理解を超越した――平穏に立ち会ったのは、1982年12月より、1992年2月のドイツはキルシュハイムの運命的な日に至るまで、彼女とともに勤め、旅した折のことだった。


・・・まさに混沌のただ中にある褥に人生最後の時を迎え横たわるそのときでさえ、彼女はすべての理解を超越した静謐を発散させていたものである。 1982年11月にモーナより修練を授かり、その後の10年間を彼女とともにあったことは、私にとって掛け替えのない財産となった。以来、私はひとえにセルフ・アイ・デンティティ・ホ・オポノポノを実践し続けている。


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ホ・オポノポノってなんだろう(もう一度考えた)> 

私はこの本に書いてあることは、理解できない部分が多かったけれども、「I love you」「I’m sorry」「Thank you」「Please forgive me」というだけなら出来るので、できるだけ多くの機会にやってもようと思います。月1回の肢体不自由児者の水泳のお手伝いでも、プールの中で肢体不自由児者を相手にやってみました。私の理解の足りない部分もあると思うので、完全にはうまく行かなかったけれど、少しは効いた気がします。

理解できない点について、著者の一人ジョー・ヴィターリさんが次のように書いています。ジョー・ヴィターリさんは、このように分からないことは分からないと書くので、この本は読みやすいのだと思います。それは私もまったく同じですから。


・・・最初のうちはそれに苛立っていなかったと言えば嘘になる。しかし、しばらくして気がついた。私こそがここで清めねばならなかった。そう、私が体験したことに100%の責任を負うのであれば、私は私が彼らの中に見るものを清めなければならない。それが私自身のなかにもあるのだとして。 これは<ホ・オポノポノ>を理解する上で最も難しい部分なのかもしれない。外側には何もない。すべては自分の中にある。体験しているものが何であれ、それは自分自身のなかで体験していることに他ならないのだ。


・・・私はただ清めるのみ。それでこそ神の声が聞こえ、従うことができる。
 
<ハワイの州立病院のソーシャルワーカーから見たホ・オポノポノ>


・・・「当時のことをもっと知りたければ、オマカ・オーカラ・ハマグチに手紙を書いてみなさい。私がいた頃にソーシャルワーカーだった女性だ」


・・・だから、“また一人新たな心理学者”がやってきたときも、どうせ到達水準のプログラムを行使するだけで問題をかき回したあげく、あっという間に去って行くに違いないと高を括っていたのです。 ところが、そのときやってきたヒューレン博士なる人物は、妙に人なつっこい以外、ろくに何もしてないようでした。

・・・やっていることと言えば、“妙ちくりんな”セルフ・アイ=デンティティー・ホ・オポノポノ(SITH)とかなんとかの訓練で、彼が言うには自分自身に100パーセントの責任を負い、自分だけを見つめて自分の中のネガティブで不要なエナジーが取り除かれるに任せる方法なのだとか――はあ?何のことだか。

・・・穏やかで、明るく、危なげなく、清潔で、活気に満ち、楽しく、生産的にすらなった。植物が育ち始め、配管トラブルも嘘のようになくなり、ユニットでの暴力事件も稀になり、スタッフたちも心を通じ合い、リラックスして、そして熱心になった。
 
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<美しいことば、HAWAIIとHO・OPONOPONO>


 ふーん、分からないことが多いですが、きっとホ・オポノポノには何かがあるのでしょうね。

ハワイはHAWAIIで、HAは霊感、WAIは水、Iは神。ホ・オポノポノはHO・OPONOPONOで、HO・Oは目標、PONOPONOは完璧を意味するそうです。どれもきれいで霊的な意味のある言葉なのですね。

ジョー・ヴィターリさんにヒューレン博士が魅かれたのは、ヴィターリさんが前世で、最後はなぶりものにされて殺された、偉大な弁士であったからでしょう。ホ・オポノポノを世界に知らせる使命をもって、ジョー・ヴィターリさんは、この世に生まれたのかも知れません。ヒューレン博士の霊感には、前世も出てくるから、この人たちにとっては前世など、当たり前のことなのかも知れない。

私は、この本を読んでも、分からないことは多かったけれども、何をすればいいかは分かりました。思いつくごとに、これから私も「I love you」以下を言ってみようかと思いました。

2014年7月27日日曜日

プールからの帰り、京王新線「幡ヶ谷」駅に出た。100円ショップで買い物をし、それから駅のホームに行った。

プールからの帰り、京王新線「幡ヶ谷」駅に出た。100円ショップで買い物をし、それから駅のホームに行った。それから電車に乗り、「初台」の駅まで来て、オペラシティ―ビルに入る。上の写真は、その途中で撮ったもの。

中幡小学校から、水道道路に出る途中の家の小さな庭に、百日紅が咲いていた。

中幡小学校から、水道道路に出る途中の家の小さな庭に、百日紅が咲いていた。それを撮ったのが、上の写真。写真では、あまりきれいでないが、歩きながらこれを見かけると、赤い花にドキリとする。

中幡小学校の帰りは、水道道路まで歩いて出る。中途のは家々があり、その家々はだいたい花を育てている。

中幡小学校の帰りは、水道道路まで歩いて出る。中途のは家々があり、その家々はだいたい花を育てている。この花々を見るのは、この界隈を通る、私の楽しみになった。写真は、その花々の、一つを、撮ったもの。

中幡小学校の地下2階にある、プールで12往復(600m)を泳いだ。

中幡小学校の地下2階にある、プールで12往復(600m)を泳いだ。中幡小学校に着くと、スリッパに履き替え、今日は階段を地下2階まで降りて見る。地下1階で、プールが見えるので、そこで上の写真を撮った。いつもより、暑いせいか、人は少ないみたい。

プールに行って、12往復(600m)泳いだ。気持ちがいい。プールをあがって、血圧を測ってみた。123-80。いつもより凄く低い。私はもともと高血圧で、いつもはこれより高いのである。泳ぐのは、高血圧を鎮める効果がありそう。だから、もう毎週泳ぐのを、35年以上続けている。というか、泳がない週があると、高血圧のためその週は調子が悪いので、結局、毎週泳いでいるのだ。

昨日(7月26日)、中幡小学校のプールに向かって、ふどう通りを歩いた。


昨日(7月26日)、中幡小学校のプールに向かって、ふどう通りを歩いた。暑いなかを歩く。山手通りからふどう通りに入るが、写真は、山手通りに向かって、ふどう通りを撮ったもの。


実は、午前中、事件があった。それで時間を。使ってしまっている。マンションの部屋の、壁際にある配管から水漏れが午前9時過ぎ、発生した。水が、配管を包んでいるカバーから、ぽたぽた落ち始めた。不動産会社に何度も、電話したが、土曜日だということもあり、連絡がつかなかった。マンションの管理人さんは、いろいろ心配してくれて、必要な情報は、全部くれた。水道をあまり使わないでいると、水漏れがなくなったので、月曜日不動産会社に電話することにした。


だから、私がふどう通りを歩いたのは、暑い盛りの13時過ぎ。それで、人通りはいつもより少ないかも。



一昨日(7月25日)、京王新線「初台」駅に、17時ころ戻ってきた。

一昨日(7月25日)、京王新線「初台」駅に、17時ころ戻ってきた。電車を東口でおりて、オペラシ―ビルに出る。いつもここに来るので、オペラシティ―ビに来ると、戻ってきたという感じになる。上の写真の正面に見える建物の向こう側が、甲州街道と山手通りの交差点になる。

井の頭線「下北沢」駅あたりは、まだ、工事をしている。工事が終わるとどうなるのだろう。

一昨日(7月25日)、渋谷駅で、井の頭線に乗った。一番後ろが、乗換駅の「明大前」でちょうどいいので、混んでいるが、「明大前」駅に向かって、一番後ろの車両に乗る。「下北沢」駅で乗り換える人が多く、一番後ろのところに、出ることが出来た。「下北沢」は、ずーっと工事をしている。そこで、電車から見える線路を、「渋谷」駅方面に向かって、撮ったのが、上の写真。

渋谷駅で、東横線から井の頭線に出る。

東横線「渋谷駅を、池袋方面の前の方に降りて、エスカレータを上り、紆余曲折して改札をでる。そうすると「ヒカリエ~渋谷105?近道」とある地下道を歩くことになる。この写真は、一昨日(7月25日)この近道の写真を撮ったもの。ここから井の頭線に出た。

東横線「多摩川」駅のホームは高いところにあるので、眺めが良い。

一昨日(7月25日)、東急多摩川線「武蔵新田」駅でのって、新宿の京王新線「初台」駅に戻った。上の写真は、途中の東横線「多摩川」駅のホームで撮ったもの。左側は川の多摩川があり、川崎方面。右側は「田園調布」駅方面。

ここは高いホームで、緑が沢山あるので、写真に撮った。うしろには、十字架の似合う教会もあり、気分が良い。

多摩川線「武蔵新田」駅そばの、矢口1郵便局に行って、娘に言われた用事を済ました。

一昨日(7月25日)、多摩川線「武蔵新田」駅そばの、矢口1郵便局に行って、娘に言われた用事を済ました。写真は、用事を足した、郵便局を撮ったもの。この手前に女房の実家がある。さらに手前に行くと、新田神社もある。ここから、手前に行く通りが、武蔵新田商店街なのだ。道の写真奥の行き当たりを、右にちょっと行くと、「武蔵新田」の駅がある。

郵便局は、写真では良く見えないが(良く見ると見える)、通りの左側の2軒目にある。女房の実家によって、女房のお母さんから、娘の言付けのメモを預った。その通りにして、結果をまた、女房のお母さんに預けて、今日の目的の一つは終わり。

実は、その間、先輩と昔からの知人のお二人を、昼食をした中華料理店に、待たせた。昔から、人のことを考えない性格の私は、平気で、お二人を待たせてしまっている。終わって、また駐車場に行って、車をとり、中華料理店に待たせたお二人を、お二人がいる新蒲田の会社に送った。

先輩は、品川に用事があるというので、待たせた罪滅ぼしに品川まで車で送る。そしてまた、大田区矢口(武蔵新田あたりの住所)に戻って、少なくなったガソリンをいれ、車を駐車場に戻した。そして、「武蔵新田」の駅から、東急多摩川線に乗った。

東横線「武蔵小杉」から、東急多摩川線「武蔵新田の駅に向かった。

東横線「武蔵小杉」から、東急多摩川線「武蔵新田の駅に向かった。写真は、東横線「武蔵小杉」の駅を、撮ったもの。「武蔵新田の駅には、私のマンションがあり、女房の実家があり、私の車の駐車場がある。

これから(一作日ー7月25日)、「武蔵新田」で私の車のある駐車場に行き、車に乗って、新蒲田にいる先輩の事務所に行く。先輩のところには、予定の12時30分に着いた。そこから、お二人の人を車に乗せ、また車で「武蔵新田」に行く。先輩と昔か知っていて今先輩と一緒に仕事をしている人と、昼食のため中華料理店に入った。

東急東横線とJR南武線の「武蔵小杉」駅はきれいになった。

東急東横線とJR南武線の「武蔵小杉」駅はきれいになった。駅に入ると、まず南武線の改札口にでる。その後、下り、上りして、東横線に出る。写真は、そこで撮ったもの。通路は綺麗になったけど、基本は変わってなかった。来る時迷ったのが、嘘みたい。出るところを間違えてしまったのだ。

一昨’日(7月25日)、東横線「武蔵小杉」の日本医大病院に行った。私の高血圧を見て貰いに。

一昨’日(7月25日)、東横線「武蔵小杉」駅近くの日本医大病院に行った。私の高血圧を、見て貰いに。血圧は、ほぼ150-90。少し高めかも知れないが、病院で測っやことで、少し高めにでたことと、私はもともと高血圧的体質で、血圧は高めだから、こうなる。薬を貰った。それと、しばらくMRI検査をしてなかったので、8月5日(火)15時30分から、MRI検査をすることにする。

写真は、病院を出て、JR南武線と東急t王横線「武蔵小杉」駅に出たので、「武蔵小杉」駅を撮ったもの。武蔵小杉は、変わった。いつも東横線「新丸子」駅でおりて、日本医大付属病院に行っている。が、今日は久しぶりで、「武蔵小杉」駅でおりてみた。そしたら、駅で病院に行く道に迷ってしまっている。それで、今度は迷わないように、帰りも来てみたのだ。

私は、ほぼ7年前、出張で行った長野で脳溢血で倒れ、長野の電電公社入社同期の友達の助けで、救急車で長野市民病院に運ばれた。そして、翌日、手術をし、そこで3週間入院をしている。帰って来て、それから、日本医大付属武蔵小杉病院に定期的に来るようになった。

2014年7月25日金曜日

昨日(7月24日)後ろに新宿公園等のセミの声を聴きながら、新宿パークタワーの高さを味わった。

昨日(7月24日)後ろに新宿公園等のセミの声を聴きながら、新宿パークタワーの高さを味わった。いつもここを通っている。写真は、新宿パークタワーを撮ったもの。セミの声は、新宿公園からだけでなく、水道道路の街路樹からも聞こえてくる。セミの声が初めて聞こえてきたとき、ウンこれはセミの声と思った。あれは雨が良くふったあとの、2週間前ぐらいのことだったと思う。

昨日(7月24日)会社の近所の新宿NSビルに行った。1階には大きなフロアがあり、大きな時計もある。

昨日(7月24日)会社の近所の新宿NSビルに行った。1階には大きなフロアがあり、大きな時計もある。写真は、3階から、NSビルの内部1階を撮ったものである。

ソロスは警告する。リーマンショック直前に書かれたこの本を読んで、読書感想文を書いた。



上の写真は、2008年10月に読んだ本を、今回撮ったもの。リーマンショックは。2008年9月15日に起こった。そして、リーマン・ブラザーズ社が破産したのが、世界的な金融恐慌の引き金となっている。住宅サブプライムローンの問題は、2007年に、問題が明らかになっていたが、リーマン・ブラザーズ社の破産で幕を閉じ、この破産が新たなステージの、世界金融恐慌という問題を発生させた。

2007年に明らかになった、住宅サブプライムローンの問題は、今考えれば、その前から伏線のあった、明らかなバブルです。しかし、そのときは、誰もそれを言い出さなかった。ソロスも、破たんが見えたとき、初めて書いており、後だしじゃんけんにみえないこともない。

しかし、ビジネスでは、明らかになったときでは、もう遅い。ソロスは書く前に動いており、本はそれを補強するため、出したのかも知れない。でも、私たちは、ここに投資家の冷徹な事実を知ることが出来る。それで、この本を読んで、2008年10月、読書感想文を、下の通り書いた。

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読書感想文(ソロスは警告する・・・ジョージ・ソロス)



<ジョージ・ソロスとマハテール>
 

ジョージ・ソロスさんは、ハンガリー生まれのユダヤ系アメリカ人で、投資家。1930年8月に生まれて、アメリカでファンドを運用し巨額の富を得ています。私は、ソロスさんはなんとなく(金持ちだから?)嫌いだったので、この人の本は読みませんでした。

ルック・イーストと言って日本を真似して、マレーシアの経済を発展させたマハテールさんが、アジアで株式が暴落したとき、この人(ソロス)を名指しで、投機家がいけないと言い、マハテール流でマーレシア(だけ)の経済回復をさせたので、マハテールさんが凄いなと思うと同時に、ソロスさんは嫌いになったのです。私は、ソロスの顔もあまり好きではないのかも知れない。

マレーシアのマハテールさんが日本を嫌いだった若いとき、お姉さんが、「戦争中、日本人はいろいろあったけど、マレーシア人を教育しようとしたのは、マレーシアに来た日本人よ。マレーシアを植民地にした西欧人は、教育しようとはしなかった」と言うのを聞いて、それからマハテールさんは、日本人に対する見方を変えました。

マレーシアから見て、日本はイーストに当たりますが、マハテールさんは「ルック・イースト」と、言い始めまています。そしてマレーシアの経済を成長させました。だから私は、マハテールさんの本は読んだし、台湾の李登輝さんとともに、私の好きな外国人なのです(私は国粋主義なのかな?)。そのマハテールさんが、「ソロスは悪い人」というから、多分、悪い人なのだろうと、私も思ったわけです。


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<バブルの崩壊と投資家の目>
 

でもこの本を買う気になったのは、本のタイトルが「ソロスは警告する」とあったからです。アメリカの住宅バブルがはじけたときに、ソロスはどう考えているかと思ったのです。この本を買ったのは、少し前(訳本は平成20年9月1日発行で、この1月から春頃ソロスが書いた)でしたが、その後リーマン・ブラザーズが破綻し、アメリカ金融の崩壊が始まったのが、今の時期と思います。

日本のバブル崩壊のときは回復に10年以上かかりましたが、どんな形でアメリカのこの崩壊が収まるのか。それにしても私がこの本の最初に読んだ松藤民輔さんのこの本の解説と、徳川家広さんの訳者のことばですが、その内容が私が思っていることに似ているので、興奮しました。これが世界の大きな流れで、本当なのだろうと思います。

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<この本に対する、松藤さんの解説>


松藤さんの解説では、次のように言っています。



・・・彼は単なる投資成金ではなく、エリートとして欧米では認知されている。そしてその大きな理由は、やはり彼が「哲学」と「歴史学」をずっと学び続けたからではないかと私は思う。

・・・そこに名門ロスチャイルド家の関係者が訪れたことがある。“オックスフォード”の歴史学科を出ているその人物は、私たちに平然と「歴史を勉強してなかったら、ブタだ(人間じゃない)よ」と言い放った。

・・・真のエリートたちの“インナーサークル”に入れるごく一部のものだけが、世界中の大企業のトップになって数十億円の年収をもらい、プライベートジェット機でスイスのダボス会議に参加し、「次の金儲けのテーマは『金融』から『エコ』にしよう」などという、地球の新しいルール作りにたずさわる資格をもつ。


・・・それでも確信をもって私は断言したい。★ソロスのような天才を読み解くための直感を体得する。★ソロスのような欧米型知的エリートの思考法(モノの考え方)を身につける。本書はこれらの目的でトレーニングするには最適の教材である。


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<訳者、徳川家広さんのこの本の見方>

徳川家広さんの訳者あとがきにはこうあります。


・・・そんな本書から自ずと浮かび上がる教訓は? 哲学と歴史を学び、ユーモアと余裕を持とうというものだ。お偉方や学者先生も時には誤ることがある。大いに誤る事だってある。だから権威を盲信してはいけない。それよりは、権威のもととなっている学問を学び、自分なりの理論を組み立てるべく、悪戦苦闘してみよう。そうすれば、いずれはすべてを笑い飛ばせるだけの胆力が身につくことになる。その胆力こそ、日本人の誰もがあこがれる「本物の知性」という奴なのだろう。


・・・ソロスはこの本で、経済のバブルを書いています。経済のバブルはちょうど海の波のようです。海の沖の方の風が(それと月の引力や、海の底の地形や・・・も)波を起こしているのですが、風の少しの違いが1つ1つの波(バブル=カタストロフィー)を違うものにしています。同じように歴史上に現れるバブルは同じものがありません。


・・・ソロスは、社会科学的な人には、社会をみるとき2つの機能があるといいます。1つは認識機能(=FC=function of cognition=ギリシャ時代のアリストテレスの言う“純粋理性”)で、2つは操作機能(=FM=function of manipulation=ギリシャ時代のアリストテレスの言う“実践理性”)です。


・・・人は社会を認識しようとします。それを体現するのが認識機能です。


・・・一方、人は社会を自分の思ったように動かそうとします。ファンド・マネージャであるソロスはこれを実感しているのでしょう。そんなに大げさでなくても、「これから株があがる」という思いで株を買いに走ることもこれに該当します。それを体現するのが操作機能です。


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<ソロスの経済に対する見方>


W(world)を「世界の現実的ありよう」、U(understand)を「観察者の世界理解」とすると、FC(W)=Uで、FM(U)=Wになります。「世界の現実的ありよう」と「観察者の世界理解」には、相互に影響を与え合うことが、社会科学の世界、つまり金融の世界では起こるといいます。これをこの本でソロスは「再帰性」と言っています。「


再帰性」はソロスにおける現実の社会科学的理解のエッセンスと言います。そして人は金融の世界では自分の認識した世界をベースに行動を起こすが、その認識にはすべての人に誤り、つまり「根本的誤謬」があるとも言っていました。


「世界理解」の根本的誤謬をベースにした行動の結果でもある、未来の「世界の現実的ありよう」は正確には読めない。だから歴史を読むことは大事だといいます。未来には新しい要素を含むことがあるので、未来の正しい「世界のありよう」は読めない。


金融的態度は、最後はその人の感性によるといっていると思いますし、ソロスの金融的態度は、「再帰性」を基本にして、とてもシンプルです。ソロスは世界をウオッチングして、人間の誤謬の多い(株価等の金融的指標が)本来の価格からずれている市場を狙って、大量に買い待ちポジションか、売り待ちポジションにたっています。


バブルが繰り返される世界で、50年以上にわたって、ソロスはファンド・マネージャとして儲け続けているので説得力があります。この「再帰性」は、ハイゼンベルグの「不確定性理論」と、ソロスは似ているけど正確には違うと言っています。が、私(八木)は同じだと思います。それにしても「再帰性」の英語の言葉はなんでしょう。リターナブルでしょうか。「再帰性」は、あまりいい訳とは思えませんが。

 
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<経済学の世界で起こっている誤り>


需要と供給の法則を基本にした今の経済学は、需要と供給の法則があわないケースが出てくると、経済学者みんなでそれに合うようにいろいろなアイデアを出して来た結果、経済学は精緻で複雑になっている。


地動説で天体を描けば、天体は簡単に表現できる。が、ちょうど天動説で天体を描くと、天体は精緻だが複雑になっていく。同じようなことが、経済で起こっていると、ソロスは言います。


需要と供給の法則は、需要が増えれば、値段が上がって供給が増える。需要に比較して供給が増えすぎると値段が下がって供給が減る。つまり需要と供給がバランスしたところに、均衡点があるという考え方です。今の市場主義の考え方の原点になっているものです。


でも、これは共産主義の間違いと同じように「嘘だと」とソロスは言います。市場主義は需要と供給の法則がなりたつ負のフィードバックが効いているうちはいいが、「再帰性」のため、経済は正のフィードバックになるときもある。それがバブルを発生させるが、そのとき市場主義は間違いである、と言っています。


正しい市場運営のためには、規制も必要だ。市場に任せればすべてうまくいくという市場主義の考えは誤りだといいます。しかし、規制が過大であってはいけない。その微妙さを実現するために、金融市場のコントロールには芸術的な経済運営が求められる、とも言っています。

 
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<モラル・ハザード>


現在のバブル崩壊の問題のひとつはモラル・ハザードです。ソロスはこれについて次のように言っています。



・・・モラル・ハザードは微妙な問題を孕んでいるが、それでも解決可能である。それにはまず、金融システムそのものが危機に瀕しているときには、当局としては救済しないわけにはいかないということを、認めなくてはならない。一方、信用創造に関与している金融機関は、好き嫌いは別として、自分達が常に当局に守られている存在だという事実を受け入れなければならない。そして、守られている以上、その代価もきちんと支払わなくてはならないという事実も。


 そして、金融市場の規制を考えるときに、規制当局はマネーサプライの量を見るだけでなく、信用創造の量についても気を配らなければならないとして、次のように言っている。


・・・現在の危機から汲み取るべき教訓のうちで最も重要なのは、「金融当局はマネーサプライのみならず、信用創造にも気を配らなければならない」というものだ。マネタリズムは、誤った教義である。マネーと信用は一緒に変化するわけではない。金融当局は賃金インフレだけでなしに、資産バブルも避けようとするべきなのである。

 

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<中国、インドの産業発展による、世界経済の激変緩和>


 今度のバブル崩壊は、パラダイム変更(どの程度か分からないが、一種のアメリカの没落)を呼ぶだろうが、新しいパラダイムも芽生えつつあり、それらがバブルを少しでも緩和してくれるだろうと言う。


それは、中国、インドの産業発展をさしている。短期的には紆余曲折あるだろうが、長期的にはこの2国のポテンシャルが、激変緩和に寄与するだろうとしている。


解説者は日本人だからか、ソロスは日本の技術力の世界への寄与を忘れていませんがと言っているが、中国、インドに日本も含めて激変緩和に寄与というのが、本当のところでしょう。