2014年5月31日土曜日

いま人に聞かせたい神さまの言葉・・・船井幸雄+中矢伸一2008.5.26に読書感想文


この写真は、明治神宮の写真である。神様の言葉の本に関する、読書感想文だから、明治神宮の写真を掲げた(少し安易かな?)。


船井幸雄さんは、今年になってなくなりました。船井幸雄さんは、最近私が定期的に、その本を読んできた人です。「皆のために一生懸命いきましたね。ご苦労様でした」と、船井幸雄さんの訃報に接したとき思いました。最近は、体の不調が多く、眠れない時も多かったようですが、なくなれば、そんなことからも、開放されるのだろうと思います。人のために生きる。そうしてきた人だと、思います。私も、この人からは学ぶことが多かった。何よりも情緒不安定なところもある私は、この人の本を読んで、そのときどきの私の情緒不安定を解消して来ています。


最初はそうでもなかったと思いますが、船井幸雄さんの本には、霊的な内容のことが、最近は多いようです。唯物哲学に染まった私も、だんだん船井さんの言うほうに考えが染まってきたのかも知れませんが、最近はその言うことが良く分かってきました(笑)。考えてみると、唯物哲学では、説明しきれない最たるものが、私達の生命現象かもしれませんね。誰が言ったか忘れましたが、地球自体にも生命があるなどという意見もあり、どんどん、昔の私には思いつかなかった光景が、私の眼前に現れてきました。次の文章は、2008.5,26に私が書いた、そういうような本に対する読書感想文です。


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船井幸雄さんは、1933年1月大阪府生まれで、京都大学に行きました。経営コンサルタントで、一部上場企業の船井総合研究所の創業者でもあります。戦後の流通業界のコンサルタントとして、成功したので有名な人です。毎年、本も沢山書いています。私は、この人の本を読むと安心できるので、1年に2冊程度は買って読んでいます。「長所で勝負、短所は忘れる」「すべてのことを包み込んで生きよう」「自分に起こっていることは、必要、必然、ベストである」「会社をやりたい人に私は質問します。やりたいですか。それをやると根明になれますか。責任はとれますか。全部、イエスならゴーです」「素直、勉強好きが良い」等の言葉があって、この人の本を読むと、私は安心するのです。何か私の琴線に触れるものが、あったのでしょう。もう読み始めて10年以上たつのでしょうか。


中矢伸一さんは、1961年9月に生まれました。私はあまりこの人のことを知らないし、ウィキペデアにもこの人のことは出ていません。知っているのは「日月神示」の本をときどき書いているということです。私も本屋でこの人の本を買ったことがありますが、結局読みませんでした。「日月神示」の命令口調があまり好きになれなかったので、読まなかったのです。この本に、この人のプロフィールが載っていますが、3年間アメリカに留学したこと、英語関係の仕事をして、その傍ら神道の研究もして、今は、「日月神示」等の著述業で食べているのでしょうか。


「日月神示」は戦中戦後、岡本天明に神様がおりて、自動書記で書いたものです。天理教の中山みきさん、大本の出口直さんの系譜を引くものだそうです。


船井幸雄さんは、この種の本を最近たくさん書いています。船井幸雄さんは、「だんだん私が思ったことを言っても大丈夫な世の中になった」と、言って、霊のこととを沢山書いています。私が船井幸雄さんを好きになった理由はうえに書いたとおりであり、霊的なもの
にではありません。昔の私ならこの種の本は読まなかったか、興味も持てなかったと思います。が、今では分からないので判断はしない。船井幸雄さんがこれを言っていることを、事実として認める。そういうスタンスで読んでいます。あまり面白いとも思いませんでしたし、この本は分厚いのですが、船井幸雄さんの文章がうまいのでしょう。読んでしまいました。


何が神様の言いたいことなのかというと、次のようだと思います。「世の立替が始まる」「ウシトラの金神様は厳しかったので、他の神様があの神様をどうにかしてくれといったのを聞いた、主神がウシトラの金神に因果を含めて地の底へ送った。そのあとを引き継いだ盤古大神は温厚であり、この世では、今まで自由にやれた。しかし、その結果エゴがはびこる世になったので、再度ウシトラの金神が出て世を洗い清める」。煎じ詰めるとそういっており、「私たちは信義、誠実、仁義で生きなければ」と説いているように思います。中味はあるかも知れませんが、こういう話を初めて読む私には、読むだけで、中味は理解できませんでした。また読んでみたいと思います。


船井幸雄さんは、経営コンサルタントを、戦後の若いときからはじめ、成功し、経営者の考えに多く触れてきました。そしてビジネスを突き詰めて考えることが多い、経営者が一番悩んでいることが、生き方“だと船井幸雄さんは理解しました。それはそうだと思います。経営者が一番悩むのは、「自分のビジネスが将来とも、ビジネスモデルとして価値を持つのか(社会に居る価値をもつのか)」「資金繰りは大丈夫か」「自分のビジネスを通じて、誰が利益を得るべきか」であると思います。経営者はそういう考えを、突き詰めるときが多いので、追い詰められるときもあると思います。


船井幸雄さんがそういう経営者に何人にも触れ、生き方に関心を持ち、到達した考え方が、「前向き発想で、シンプルに生きたい」「自分に起こっていることは全部ベストである。一生懸命生きよう」ということだと思います。私(八木)もそれは分かりました。だから、私(八木)も体力、人間力、生きる力等、自分の能力も見ながら、船井幸雄的生き方を真似して行こうと、今回あらためて思ったのです。


船井幸雄の考えの集大成が、この本だと思います。このような本には感じることが少なかった私が、これを読みきったのは私が60歳になったのも大きいと思いました。私も「ここまで生きれば、後は多少の間違いがあってもいいか」と、思うようになっています。私が2007年に受けた脳の手術の影響も、この本を素直に読めたことに繋がったと思いました。脳を手術すると、自分の思ったとおりには体が動かない自分に、気がつかざるを得ないのです。必然的に、謙虚になりました。


それに、自分は霊的体験をしてないですが、私は昔から霊にも興味がありました。スエーデンボルグ、エドガー・ケイシーの概略も読みました。ニール・ドナルド・ウオッシュに神が降りて、ニール・ドナルド・ウオッシュが書いた「神との対話」も、その内容が正しいであろうことに唸りながら読んでいます。その昔、東京工業大学教授の宮城音弥が書いた「心理学入門」の中の、「前世を記憶する子供たち」も衝撃をうけつつ読みました。そのほかも、霊的な話しを私は結構読んでいます。


私はこういう霊的ことに、興味があったかも知れません。しかしこういう霊的個人的体験がないことも事実です。だから、船井幸雄がこういう霊的事実を一生懸命書いており、心から信じて整理しているのを、凄いと思います。私は凄いとは思いつつ、信じることは出来ませんが、1000年の単位で、私の置かれた環境の限界はあると思いますが、霊的事実を考え続けようとは思いました。


もう一度この本を振り返って見ると、書いてあることは次に関することが中心と思います。その一つは、「日月神示」(岡本天明に神様が降りて、1944年から1963年まで自動書記で書いたもの)です。二つ目は「大本神諭」(出口直に神様が降りて、1883年から1918年まで自動書記で書いたもの)です。三つ目は「伊都能売神諭」(出口王仁三郎に神様が降りて、1918年、雑誌「神界」に乗ったもの)と「霊界物語」(出口王仁三郎に神様が降りて、1921年から以降、トランス状態のものを他の人が筆記したもの)です。


精度をあげるべく、船井幸雄が知っている人(好きな?人)が出てきます。その人が言っていることも出てきます。が、この本は要は日月神示等の紹介でしょう。中矢伸一も出てきて、その想い、考えていることも語られます。私も読んでいるうちに、何となくそうかも知れないなと思いました。でも、私にはここに書いてあることの1/3ぐらいしか、理解できなかったのも事実です。それが私の能力の限界かもしれません。


私たちが生きている間には、苦しいこともあるが、楽しいこともある。ここに書いてあるのは、生き方に関する理想かも知れませんが、私たちは自分の知る範囲、自分の分かっていることで、生きるしかないのではないか。そんな感想をもちました。


明治神宮への参拝が終わり、西参道を通って、明治神宮を出た。

明治神宮への参拝が終わり、西参道を通って、明治神宮を出た。表参道は、混んでいるが、北参道や、西参道は人通りは少ない。いつも北参道を、帰るが、今日は西参道を歩いた。木の暗さの中に、明るい緑が見える。思わず、写真を撮ったのが、上の写真。

明治神宮の本社の手前に、手水場がった。

写真は、明治神宮本社の手前の手水場を、写したもの。このあと、私も手水場を使った。どの人も、敬虔に手をあらい、水を手に取ってのどを潤している。私はのどが渇いていたので、水をごくごくと飲んでしまった。そして注意書きを見たら、柄杓の水は、いったん手のひらに受け取って、それからのどを潤すようにとある。そうか、私は礼儀作法にはんすることをしてしまったかと、思ったがも㋒遅かった。

私には、やってから考えるという、悪い癖がある。それで、失敗した時も多かった。今回もまた、その一事例を作ってしまっている。ときどき、私も良くここまで生きて来たなと思うが、まあとにかく生きてきた。

明治神宮の大鳥居。この大鳥居は、今勤める会社の社長のお父さんが、請けて建てた。

写真は、明治神宮の大鳥居を撮ったもの。明治神宮には、鳥居が沢山あるが、この鳥居が一番大きいらしい。この鳥居は、篤志家の寄付で、昭和30年代にできたと説明文にある。が、その篤志家から請けて、鳥居を実際にたてたのは、神社木工所という会社をしていた。今私が勤めている会社の社長のお父さんと聞いた。

台湾の木でできている、と説明文にある。私はもう10年前ぐらいになるかな、今の会社の社長から、お父さんが、次のことをしたと聞いた。「戦争中は台湾で鉛筆工場をしていた」。「この鳥居をたてるとき、(台湾の上空を小型飛行機だったかヘリコプターだったか忘れたが飛び)、上空からあの木だと見定めた」。「その木を切り出して、運ぶため、道路まで作ってしまった」。

だからここに来るといつも、私はこの大鳥居をしげしげと見ている。そして、説明文を読み、社長のいうことと符牒があっているなと思った。

明治神宮へ向かう参道は、人通りも多いが、また木々や林の醸し出す自然もあっていい。

明治神宮へ向かってあるいた。写真は、参道を撮ったもの。ここはいつ歩いても、鬱蒼とした木々の間をあるくことになるので、気持ちがいい。玉砂利を、ザクザクと音をさせながら歩いた。

神宮橋は、大正時代にできた。

写真は、原宿駅を出て、神宮橋にさしかかるところで、とったもの。右の橋げたのところに神宮橋の字が(少し薄いけど)見える。この橋は、明治神宮が出来た、大正9年にできたよう。

昨日、15時過ぎ、原宿に行った。

昨日、15時過ぎ、原宿に行った。平日なのに、ここはいつも混んでいる。写真は、明治神宮に出る改札口あたりを、出てから撮ったもの。

VRS-RTKーGPSの機材を、NGDSに行って、写真にとってきた。


 上の写真は、VRS-RTKーGPSの機材を、「NGDS」(という会社)に行って、撮ってきたものです。いきなり聞きなれない言葉を使ってしまいました。VRS-RTKーGPSや「NGDS]を、次に説明したいと思います。が結果は、回りくどい説明になってしまいました。我慢してお付き合いください。


 上の写真は、高精度GPSを使っている電子基準点の情報から作られたGPSの補正情報を、携帯電話通信で受け取り、GPSで高精度測位する測量用の機材です。大きさは、左から2番目の長い棒の黄色い部分が、長さ1m(正確には聞き忘れたが、1mだったと思う)です。


 左の黒い棒と、2本の黄色い棒が三脚になる。三本の棒の下のとがった矢は、土の中に打ち込むもの。三脚の上に乗るのが、右側の真ん中にあるアンテナです。、右の上の四角いものが、装置本体。ここに高精度GPSや、通信機材が入っています。右側下の黄色い四角いものが、コントローラ。タッチパネルで本体装置をコントロールします。


 最初に測量を始めるにあたり、GPS衛星からの情報をアンテナを通じて受信し、それをいろいろフォーカスするために、十数秒かかります。が、一度フォーカスされると、あとはリアルタイムで2~3cmの誤差で測位します。


この方式による誤差2~3cmの高精度GPSは、ここまで測量で使われて来ました。土地家屋調査士が、最初の主なお客様だったのです。最近は建設現場の建機や農業機械に、利用がじわじわ広がってきました。日本の建設現場や、農業の現場を一変させる力が、この方式にはあります。これが、両分野で使われることは最初のころから言われていましたが、ようやく現実になってきました。


このサービス、この機材が日本で最初に出されたのは、12年前でした。その当時は、私はNTT-MEにいた時期です。NGDSも12年前にできました。この時、NTTーMEも8%程度、NGDSに出資したのです。そのとき私は、NTT-MEのNGDSへの出資の窓口をしました。いろいろありましたが、その時の出資の縁で今も、NGDSの方と私はお付き合いをしているのです。そして私は当時、出資のため、VRS-RTK-GPSも勉強しました。


RTK-GPSは、リアル・タイム・キネマテックーGPSのことです。この方式の理論を説明すると長くなるのですが、一言でいうと、次の通りです。基準局(定点で位置が分かっている点)と移動局(測定点で、測定場所は移動する)の2個所で、GPS測位を行い、そしてこの情報を、通信で交換することにより、移動局の誤差2~3cmの高精度測位を実現。このとき、基準局と移動局の間は10km以内でなければいけない、と言われています。これが干渉測位です。


またGPS衛星は、電波を2周波数以上だしているのですが、電波の電離層遅延や空気中の水蒸気等による遅延をキャンセルするため、主要な2つの周波数で、測位する方式があります。これが2周波測位です。RTK-GPSは、基準局と移動局でこの2周波測位を実施しています。


VRS-RTK-GPSは、バーチャル(仮想)・リファレンス(基準)・ステーション(点)-RTK-GPSのことです。上の上で述べた、RTK-GPSの基準局情報を、日本全国にある約1200点の電子基準点(高精度GPS利用)の情報から、日本全体で、仮想基準点として計算で出します。この計算結果を、補正情報として携帯電話通信で、写真にあるような高精度GPSの機材に伝えることで、、写真の機材で誤差2~3cmの測位精度を実現します。


普通のGPSが、ほぼ10m以内の誤差ですから、高精度GPSの誤差2~3cmというのは凄いです。まだその活用は、発展途上であると思うので、これからもっと応用分野が広がるでしょう。実は私がNTTーMEにいたとき、出資の窓口として積極的になった理由は、私の個人的な経験がありました。それは私が現場で、NTTが使う電柱の位置精度が、普通のGPSでは実現できない1m以下だったのを経験したことです。また、マンホールの位置精度は、10cm以下でした。可能性はありますが、まだコスト対効果が、実現を阻んでいます。これにも使えていくはずだと、私は今も信じています。









2014年5月29日木曜日

ワシントンホテル地下をでたところで、撮った花々もフラクタルなんだろうか。

ワシントンホテル地下をでたとこにあった花々を、写真に撮った。この花々もフラクタルなんだろうか。それは花も、葉も、茎も、一つの遺伝子で作られていくものね。

「フラクタルってなんだろう」を、昔読んだ。でも今も、フラクタルって要するになんなだと、私は言えない。

写真は、西新宿の私が勤める会社をでたところで、木を写したもの。この木は茂っていて複雑に見える。でも一つの遺伝子で、作られているので、その枝枝などには規則性があるのだろう。つまりフラクタルになっているのだろうと思った。

「フラクタルってなんだろう」という本を読んで、2008.5.19に、読書感想文を書いた。へー、6年前はこんな本を読んでいたのか、と読み直して思う。この読書感想文では、私はフラクタルを少し分かった、と言うようなことを書いた。が、本当の私は今も、「フラクタルって要するになんのだ」を説明できない。


LOG(対数)には、私は若いときから興味を持っている。「1/fゆらぎ」と言う言葉を、はじめに聞いたときもときめいた。昔から自然を支配している、こういうものに、私は興味を持っている。だからこの本も、読む気になったのだろうと思った。そしてそこには、一方からみた宇宙の真実が隠されて、いるように思う。


でも66歳のここまできたら、この世界をもう理解できないのかも知れない。「それでも複雑に見えて、情報量の小さい世界はあるのだ」と思って、これから世界を眺めてみようとは思った。以下は私が2008年5月19日に、書いた読書感想文です。
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読書感想文(フラクタルってなんだろう・・・高安秀樹+高安美佐子)


 高安秀樹さんは、千葉県生まれで、1958年千葉県生まれで、名古屋大学に行った、研究者です。現在はソニーコンピュータ研究所に勤めています。高安美佐子さんは、1963年東京に生まれ、名古屋大学にいった研究者で、現在は函館未来大学に行っています。本を書いた当時(1988年)は、二人とも神戸大学に行って、先生をしていました。

パソコンを勉強するなら、私もフラクタルぐらい知っておこうと思って、図書館から借りてきました。フラクタルって、複雑系の科学の常識なんでしょうね。フラクタルは名前だけを知っていて、中身は知りませんでした。でもタイトルに惹かれて(気にいって)、借りたのです。書いたとき二人は若かったのですね。数式もあまりなくて、内容が単純。筆者が分かって書いているのだ、と思いました。底は浅いのかも知れませんが、読んで私も新しく、面白さが分かった数学だと思います。


 フラクタルを一言でいうと、だんだん細かくなっていく「入れ子」の科学です(これは私の造語でしょうか)。それは「LOG(対数)」になっている。逆に言うと「べき乗数」になっている。それが、自然にはあふれている。しかもコンピュータに合うので、今新しい。マンデルブロが考え出したものです。


マンデルブロは、1924年11月ポーランドで生まれたユダヤ人で、数学者です。フランスに移住し、ノバートウイーナに後援されるの等して、アメリカの研究所で働き、IBMのワトソン研究所でも働き、今はエール大学の名誉フェローです。


高安夫妻は、相移転を研究している。水は、温度によって氷-水―水蒸気と変わっていきますが、自然界では似たような振る舞いをするものが沢山あり、特に、その変化する点(温度)の振る舞いが面白いのだそうです。それも、フラクタルになっているそうです。それで筆者達はフラクタルを書いています。フラクタルは私も直感的に分かるので、この本も数学ですが面白いのです。


 数学者は数式を、言葉以上に楽々と使います。そのほうが分かりやすいのでしょう。質の良い数式は、分かれば言葉以上にシンプルに、物事の本質を説明してくれるのでしょう。でも、この本には数式はあまり出てきません。むしろ哲学書と言いたくなるぐらいです。数学(数式)も使われなかったら、誰も注目してくれないでしょう。しかしフラクタルの科学は、世界を理解するために使えるのです。


おまけにコンピュータに向いているのです。まだ若い学問であるので、使い方はまだまだ伸びるであろうと、高安夫妻は言っています。フラクタルは海岸線を防備するために活躍する、巨人、小人、哲人の3人の言い分が有名です。この本もそこから始まっています。


 一番面白かったのは、最後の「第6章 夢」です。この夢は、筆者の夢、あるいはフラクタルの隆盛を期待する人たちの夢です。そこには、マルチ・フラクタルのアイデアが出ています。世界の現象は「LOG(対数)」で動いていますが、それほどシンプルではない。それを解決するのが、マルチ・フラクタルであるといいます。統計学でいう安定分布(本当は私は、安定分布のことは知りません。

しかし、マルチ・フラクタルはあの辺を、議論しているはずだと思って理解しています。だから、私の理解は底が浅いのかも知れません)が、マルチ・フラクタルは、2つの変数を持つフラクタルになっていると言います。自然界がフラクタルになっているのであれば、画像を再生するためには、この変数だけを送ってやればいいはずだ。通信で映像を送るとき、映像そのものを送るのではなくて、安定分布のパラメータを送ってやれば、情報量を圧縮できるはずだ。この考えのもとに、アメリカのバーンスレイは、大変なプログラムをくみ上げ、画像データを1/1000に圧縮して送ったそうです。


 電話の世界では、音声をアナログ4KHzで送っています。映像は、テレビの電波の場合アナログ4MHzで送っています。映像を通信の世界において伝送する場合でも、基本的にはそれに準じています。つまり映像は音声の1000倍の情報量を送っているのです。映像の持つ細かさ、見た人に与えるインパクトを説明するとき、私はこのことを説明しています。

しかし、バーンスレイは自然がフラクタルであることを利用して、画像データを1/1000に圧縮して送ったそうです。私は唸りました。ちょうど1000倍の情報量を、送っているのが、1/1000に圧縮すれば、映像を音声なみの帯域で伝送することができるのです。そうか、自然が「対数」で動いていると理解すれば、これが出来るのか。マルチ・フラクタルを利用すれば、出来るのか、と唸ったのです。高安夫妻は、圧縮と言う操作を通ってきた映像を、こう言っています。・・・著者たちのみたところでは、形のみならず色までも、ほとんど元の写真と区別できないほどの、素晴しい出来映えだった。さらに人の顔のような、フラクタルでないものが写っていても、問題なく処理できていた。このような方法は、今後、画像処理にどんどん応用されていくだろう。


 世界はある点に着目すれば、フラクタル(LOG=対数)的に出来ている。だから、フラクタルを考えよう、哲学しようと考えた、マンデルブロは偉いと思います。そして、それを自然に適用する技術に広げていった、マンデルブロも凄いと思います。なんて天才が、アメリカに集中するようにいるのか。不思議にさえ思います。高安夫妻が、最後の章で言ったことをいくつかあげて、私の読書感想文を終わりにしたいと思います。


・・・無秩序であれば複雑であるが、複雑だからと言って無秩序とは言えない。山や雲などのフラクタル構造は、複雑でありながらフラクタル次元に支配されているので、秩序と無秩序の狭間にあるということが出来るかも知れない。


・・・これは、秩序の高いほうが優れた状態であるという誤った認識に基づいた誤解である。実際には、脈拍が等間隔に秩序だってきたということは、外部からの揺らぎに対する適応性が欠如してきたということを意味しているのである。そして、健康で自らフラクタル的に揺らいでいる心臓は、急に運動したり、あるいは精神的に動揺しても、その揺らぎをうまく吸収しまうことができるのである。


・・・そのような社会は、外部からの揺らぎがないときには安定に存在し続けるが、ひとたび外部から強い刺激が加わると発作を起こし、社会が崩壊してしまう。


・・・各専門の研究を進めることは学問としての秩序を高めることになる。科学がいたるところで秩序だってきて硬化しかかっていたところに、フラクタルは横断的なものの見方、すなわち内的な揺らぎを与えたのである。学問としての科学のなかでは、フラクタルの理論自身が秩序と無秩序の狭間、すなわちフラクタル的な状態に位置しているのかも知れない。


東京都江東区有明のファッションタウンのビルから、モノレールの「国際展示場前」の駅をみた。

写真は、東京都江東区有明のファッションタウンのビルから、モノレールの「国際展示場前」の駅を撮ったところ。駅の右側に屋根だけ少し見えるのは、東京ビックサイト。写真のもっと右を見ると、海が見えて、大きな船もあり、なかなかの風景だった。

ファッションタウンビルで、セミナーと懇親会が終わって、ファッションタウンビルの2階の回廊を、海側に出た。湾岸埋立地は、広い景色に私の気分も気宇壮大になる。

ファッションタウンビルであった、セミナーに来た。面白かった。

写真は、東京江東区有明のファッションタウンビルの、東館から西館にわたるブリッジから、海側を撮ったところ。左側の高いビルが東館、右側の高いビルが西館。今日は、西館でセミナーがあって、かわるがわる話す人の話を聞いた。続けて写真の説明をすると真ん中向こう側の、空の下にまっすぐ横に走っているのは、モノレール。モノレールの下に微かに海が見えて、私の目には、海が新鮮に映った。

西館では、JAPN21が主催の、モバイルアイのセミナーがあった。車の走行も、安全がキーワードになっている。切り口が面白かったのだろう。どの話も面白かった。セミナー後の懇親会では、イスラエル大使館の人も挨拶をしていた。モバイルアイはイスラエルの会社なのだ。

イスラエル大使館の人は、最近、イスラエルと日本の経済の関係は劇的に変わってきたといっていた。政治の世界で、日本からイスラエルに「一緒にやろう」と、いう声がかかり、具体的に動いているそうである。イスラエルと言えば、亡くなった糸川博士を思い出す。佐藤優さんも思い出す。セミナーも面白かったし、懇親会でイスラエル大使館の人が言ったことも面白かった。

東京都江東区有明の臨海線「国際展示場前」でおりた。

写真は、東京都江東区有明の臨海線「国際展示場前」でありて、改札のところにエスカレータで上がって、改札に向かって、撮ったもの。ここには、東京ビックサイトがあり、来る時は続けてきているが、最近は来ていなくて、久しぶりの感じ。なにか懐かしかった。

2014年5月28日水曜日

私のいるところの1階に、24時間営業している、マルエツプチがある。

写真は、私がいるマンションの1階にある、マルエツプチである。24時間営業で、もし食べるものがなくなっても買い物ができる。お店の玄関には、花がいぱい。なかは食べるもの。新宿は少し、高いが便利だ。

勇気堂々ー城山三郎が、渋沢栄一を書いた本を昔読んだ。

これは私の写真です。スマートフォンで自分を撮りました。本当は撮り方が分からなかったので、「これでいいのかな」というような顔をしています。「目は口ほどにものを言い」と言いますが、これは私の性格の一断面を正しくとらえていると思います。

前置きが長くなりました。本論に入ります。私は2014年4月から毎週、本を一冊読み、読書感想文を書き始めました。訳あって始めたのですが、意地っぱりの私は、おととしの12月に女房が死ぬまで、ほぼ毎週、読書感想文を書いていました。そして2008年5月からは、それを残すようになりましたので、それが手元にあります。それでその読書感想文を、今の私の感想を書き添えて、「てにおは」等の間違いは修正して、週に1~2回程度書いていきます。

写真を何にしようかなと思ったのですが、勇気堂々なんていいなと思って、自分の顔を写すことにしました。自分に、「勇気堂々と生きろ」、言いたいという思いもあります。そしたら、私の性格の一部が写真にもろに出てしまいました。少し恥ずかしくもなりましたが、ファクト イズ ファクト「自分の性格はこういうもんだよ」と思って、死ぬまで自分につきあっていこうと思います。


この本は、熱血漢の城山三郎が書きました。城山三郎の言うことに嘘はない、と私は信用しています。一方、有名なドラッカーは、要約すると次のように言いました。「明治維新は19世紀の世界史のなかでも、特筆すべき事項だ」。私もサラリーマンの例にもれず、ドラッカーが好きでしたから、これは嬉しくもありました。それから、明治維新に興味を持っています。


そして、熱血漢の城山三郎が書いている、明治の大立者の一人、渋沢栄一を読もうと思って、この本を買い、2008年5月12日の読書感想を、下のように書きました。この本を読んで分かったことは、一つです。最初から一貫して美しいものは、この世にはない。そのときは、自分のエゴが始まりかもしれないが、夢中になってやった結果が、大きく見ると世界史のなかでも、燦然と輝くことになるんだ。だから、私たちも「当たるか、当たらないかわからない」が、少なくとも思ったらやり続けようということだとおもう。そう思った読書でした。
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 城山三郎さんは、1927年愛知県名古屋生まれで、2007年3月に、茅ヶ崎の自宅で肺炎のため死にました。経済小説家です。私は一時期、この人と金儲けの神様でもある経済小説家の邱永漢にはまっていたことがあります。城山三郎の小説は、だいたい事実であろうことと、男の生き様を書いているので、面白いのです。城山三郎はどの小説でも、その主人公に感情移入しているので、その小説は魅力的です。小説にするため調べているうちに、その人の生き方、価値観がわかってくるのでしょうね。「勇気堂々」の主人公の渋沢栄一は、1840年2月埼玉県血洗島(今の深谷市)生まれで、晩年は川越で過ごし1931年11月に没しました。江戸時代から明治にかけて活躍した、実業家です。明治維新にも関係し、第一銀行の初代の頭取もした大物です。私は、やはりこの人を中心にした山本七平さんの「論語」を読んで、明治の大物はこんな風であったのかと、感心したことがあります。
 
 この小説は、毎日新聞に「寒灯」と題して、1971年の1月から12月まで書かれたものです。城山三郎が43歳のときの本でした。それを、単行本化するとき、題名を渋沢栄一の口癖であった、「勇気堂々」に変えたものです。城山三郎は、この本で渋沢栄一を書くことで、「生きるということはどういうことか」、「経済を進めるとはどういうことか」を改めて学んだと思います。私がこの本を読んでの感想は、「明治維新というのは分からない」「実際の人間の行動はこういうものだろう。行き当たりバッタリに近いだろう」「早すぎて行動を起こしたものは、割を食った」「渋沢栄一の発想ってプラス志向で、具体的数字を大事にした。一方建白魔だったから、分かってくれる人も多かった幸せな人だ。それにしても能力の高い人ではある」「明治維新は、外人も世界に冠たるものとして褒めるが、素晴しいのは哲学ではなくて、変化できる日本人の能力だ」「そこには矛盾もあるが、何人か素晴しい人がいるのが、素晴しいのだ」「明治時代は混沌とした世の中だと思うが、矛盾の多い混沌のなかに何かがある」。それぐらいでしょうか。混沌の何かが、今60歳の私にも、まだ分からないのです。
 
明治維新はまじめに考えると分からない。遠くから眺めると素晴しいが、内側に入って見ると、薩長の横暴はあるし、汚職もあって汚い。江藤新平も西郷隆盛も義憤のうちに死んだ。少し違うが、大久保は怒った侍に斬られて死んだ。今の財閥たちの多くが、政治家とつながって儲けた。生き残ったものは悪い奴が多い。明治の社会の矛盾に申吟した人たちは、そう思ったに違いない。しかし、生き残った人たちに、素晴しさもある。一人ひとりは、自分の立場とか意地とかに左右されながらも、自分の才能を発揮させている面も間違いなくある。何だか、結局長生きすることが良いことだ、と思えてくる。三菱も三井も西郷隆盛の西南戦争でボロ儲けしたが、この明治の時代が現代にも残っていると思うと、その息の長さに不思議な気がしてくる。明治時代は日本の本質なのか、それともあの時代の特徴なのか。
 
「勇気堂々」の下巻は。渋沢栄一が、後に反目した大隈重信にひきあげられで、新政府の中枢に入った30歳の頃から、民間に出て、夢であった合本会社(株式会社)を立ち上げて、悪戦苦闘をしながら勝利した43歳までを書いています。この後は、たぶん渋沢栄一のやることは、ボランテア的なことをやったことも多く、民間の大御所として成功の連続だったのでしょう。成功のためには、きわどいことも沢山あったと思いますが、この本にかかれている渋沢栄一の成功の秘訣は、渋沢栄一が「おかしいな」と思ったことを、解決していったことにあると思います。「何故、自分がやるのか」考えて、それらを物語にする能力と社会へのアピール力、それを現実にするための渋沢栄一の能力がかみ合ったのでしょう。それは外国の商館に向かうときに成功したし、政府との付き合い方、民間人との付き合い方でも、渋沢栄一の流儀を大事にしていきました。小さいころから仲良しであった、従兄の渋沢喜作との組合せも良かったのだと、思います。
 
この本を読んで、私の一番の収穫は、明治維新を理解できたことです。そして、一番分からなくなったことも、明治維新です。江戸から明治にかけては、いろいろな人が想い、行動しました。渋沢栄一のように成功した人もあれば、一方では、沢山の人が失敗しました。その先見性の故に、失敗した人もいると思います。ただ言えることは、世の中を動かしているのは、不可解も多い人間です。この中生きぬく。私も粘り強く、しかも具体的に整理して、そしてうまくいかないときは、素直にそれに従って、生きていこうと思いました。

2014年5月27日火曜日

お風呂に入り終わって、体重を測ったら、77.8kgだった。

お風呂に入り終わって、体重を測ったら、77.8kgだった。この写真にある体重計が、お風呂場であり、洗面台もあるところにおいてある。

私の体重は、今、だいたい78kg近辺である。それがこの前測ったら、80kgを少し超えていて、ショックを受けた。それでまた、ここ5日間ぐらい、食事でご飯を食べるのをやめている。ご飯はおいしいけれど、炭水化物をとらないと、痩せられるとWEBで読んだので、去年の11月から、4け月ぐらい、ご飯を食べるのをやめた。そしたら、あっと言う間に体重が、75kgを切った。食べる量は減らしていないのに。

体重が減って、私は喜んでいたが、ついでに顔までやせて、やつれたように見えたみたいだ。「東一さん(私の名前)、炊飯器ぐらい買いなさい」と言われて、炊飯器を買った。そしたら、ご飯がおいしくて、今度は食べ過ぎたみたい。だいたい私は、食べる量が多いのだ。それで体重計を無意識に避けていたようだ。それが体重を測ったら、80kgを超えて、81kgになろうとしていたのだ。

それで、この5日間ぐらい、体重を減らすのを再開した。今日の午前中健康診断があり、測ったら体重が76.1kgだという。着ているものがあるから測定されたものから1kgを引いたと言う。実際は、着ているものを前に測ったら、0.4kgぐらいだから本当は、76.7kg。それにしても低い。減量の効果があったのかと、思わず喜んでしまった。そして、「健康診断では朝ごはんを食べないから、体重が低く出たのでしょう」と言った。

私は、7年ぐらい前、長野で脳溢血で倒れ、病院に救急車で運ばれた。そして、頭蓋骨を外す手術をしている。そのときの体重は83kg~84kgだった。だから80kgを超えたのを見て、そのときを思い出しショックを受けたのだ。手術後は78kgで安定していた。「ヨシ、そこには戻そう。できれば顔にやつれが見えないぐらいで減量しよう」と5日まえぐらい思ったのである。

健康診断で、体重が減ってでたようなので、今度は、お昼はできるだけ沢山食べた。食事以外も食べた。それでお風呂に入ったあと体重計で、測ってみたら、77.8kg。なっるほど、沢山食べても78kgをきっている。もう少し、減量を続けようと思った。

今日は16時からお風呂に入った。

最近はいつもシャワーを浴びているだけなので、今日は昼間からお風呂に入ってみようと、思いたったのです。それで16時から贅沢にもお風呂をいれ、昼間から窓の外を見ながら、入ってみた。この写真のお風呂です。入ってすぐ、気が付いた。もう長風呂するには暑くなっている。長風呂はきつい。それでシャンプーをして、体を洗い30分程度で出た。

冬には体が冷えていて、お風呂に入ると、「これはご馳走だ」と思った。だから、今日はその再現と思ったのである。あのイメージは変わっていた。そうか、いつの間にか季節は変わっている。そういえば、ここ最近は、シャワーを浴びているだけだものな、と思った。

今日、健康診断で行った城西病院の近くの、四面道の交差点。

今日健康診断で行った、城西病院のそばにある、四面道の交差点を撮ったのが上の写真。四面道の交差点は、青梅街道と環八の交差点にある。私は、平成3年3月まで、環八のそばのNTTの祖師谷大蔵社宅にいたので、車で良くここも通って懐かしい。四面道はそのとき覚えてしまったのだが、この交差点をなぜ四面道の交差点と言うのだろう。

そのころの渋滞は激しかったように記憶しているが、今は環八がアンダーパスになっていて(したがって環八はここには写っていない)、渋滞は激しくなかった。

今日は、午前中、荻窪の城西病院で、健康診断をしてきた。

今日、午前中、荻窪まででかけ、城西病院で、健康診断を受けてきた。そのため一昨日と昨日は大便の採取、今日は小便の採取をしている。そして健康診断では、血液検査のため、10ccの採血をしたり、バリウムを飲んで、胃カメラ検査などもした。

ビックリしたのは、血圧の上の方が105mmHgであったこと。いつもは150mmHgとか160mmHgなので、「本当かいな」と思っているうちに、下の方はいくつだったか、聞いても忘れてしまった。また視力の検査では、もう老眼だなと思っていたのが、右が視力0,8、左が1.0だとか。6年ぶりに健康診断を受けたのだが、なんか今日は良い日だった。

ここに来ていた友達が、ここはいいと言ったことが、私がここに来た理由。その友達は、NTT-ATにいて、ここはそこの指定病院だったらしい。私の野次馬根性もあってきたのだが、来年もここにしようかなと思った。

そうそう、もう一つ良かったことがあった。私は足が悪くて膝が重く感じる。歩くのがすこし億劫で、知人から一度病院で、先生に相談したほうが良いと、言われていた。が、私の問診をしてくれた健康医の人から、いつも薬を貰い行っている脳神経外科の先生に相談した方がいいと、やはり言われた。聴診器などを使ったり、触診て調べてくれたのだが、足が少しむくんでいるとも言った。むくみは、心臓が、腎臓か、肝臓が悪いんだとか。他人の目で、私の体をチェックするのは、やはりいいのかなと思った。、

日大文理学部のグラウンド北側にある、電子基準点の写真をとってきた。電子基準点にはGPSのエッセンスがある。

<GPS利用の電子基準点は、国土地理院により日本全国で1200点が設置されている>


電子基準点は、高精度GPSを利用している。国土地理院が、日本全国に設置しており、だいたい日本中の40km離れたところに配置している。その数はだんだん増えていって、もう1200点を超えた。日本中の各電子基準点で測定された位置は、通信回線を通じて、茨城県つくば市にある、国土地理院に集められて、分析されている。


だいたい、学校や公園などに立っていることが多いのですが、南鳥島などの島々にも設置されました。島などでは、そうでないところもありますが、ほとんどは太い電柱と思えば良く、高さは5mが標準です。次は閑話休題ですが、実は私には、この5mには思い出があってすぐ覚えてしまいました。私が勤めた電電公社、NTTが保有する電柱に載っているケーブルの高さが、地上高5m以上であることを定められているのです。




話をもとに戻します。勿論、電子基準点は地震や、火山活動による土地の移動も観測しているので、その密度は、その場所の地震、火山等での動きやすさや、影響の大きさを考慮して決められているので、その配点は必ずしも40kmごとではありません。でもだいたい、それぐらいと理解すると、配点がどれぐら行われているかイメージがわきます。日本は、地震国、火山国ということもあって、電子基準点網の整備は、世界でも一番進んでいるそうです。




<新宿のそばで、電子基準点があるところに行って、写真を撮った>


つくば市の国土地理院に電子基準点があるのは、現物を見ていたので知っていましたが、新宿近辺で電子基準点がどこにあるのか調べたら、京王線「桜上水」のそばの、日大文理学部のグラウンドにあることが分かりました。それで行って、写真に撮ったのが、上の写真です。


京王線「下高井戸」をおりて、賑やかな商店街をぶらぶら歩いて、日大文理学部に行きました。受付で電子基準点のある場所を聞いてみましたが、分かりません。グランドの北側にあると国土地理院のホームページにありますが、案内板を見たら、たくさんのグランドがありました。これはわからない。ままよと思って歩き始めました。陸上の選手たちが、グランドを走っている。それを見て一生懸命走る速さに凄いなと思いながら、遠くを見たら、電子基準点がありました。「そうか場所は陸上のグランドの北側か」と、そのとき思います。


地上高5m。空が開けたところにあるのが良いのですが、後ろにはマンションがたっていました。GPS衛星は、北半球にある日本では、南側にあるのが多いという事情もあります。しかし、「このマンションは比較的影響の少ない、北側にあるからいいのかな」などと、不思議に思ってしまいました。本当は、電子基準点のあるところは四方八方、見渡しの良いところにあるのだろうと、勝手に想像していたのです。


帰りは、京王線「桜上水」の駅に出ました。大きなマンションを建てている現場を横目でみながら、歩きます。こうして、知らない街を歩けるのは電子基準点のせいだなと思いながら。




<高精度GPSは、位置測位誤差が数mmです>


電子基準点で使われている高精度GPSは、位置測位誤差が数mmです。地上2万kmを飛んでいる、約30個のGPS衛星との距離から算出していて、この精度ですから、もう奇跡としかいいようのないものですね。






こんなに精度がよくなると。位置ってそもそも何のか。それも考察しなければなりません。宇宙の中で、正しい位置とはなんなのだろう。パルサー衛星はどう考えればいいのだろう。地球の自転、公転、それに歳差運動もある。GPSを理解するためには、宇宙物理学の理解が必要です。それに、距離を時刻差で計算していますから、時間の考察も必要です。地球の形に対する考察も必要です。


2011.3.11の東日本大震災では、地面が数mも動いたところもありますし、東日本は平均で数十cm動いたそうです。日本は、4つのプレートテクにクスの上に乗っていて、日本各地がバラバラに動くので、一律に補正すればいいというわけにはいかないので、難しいのです。地籍測量は、土地の権利も絡みますから、動きの補正は、みんなが納得できるものではなくてはいけません。


問題を解消するため、電子基準点を運営する国土地理院では、セミダイナミックスという、同じ火山国で地殻変動の大きい、ニュージランドで採用された方法を使っています。


<GPSの誤差要因の排除>




GPSには誤差要因が沢山あります。それで、普通のGPSは大体、数mの誤差があるのです。誤差は時刻とともに、GPS衛星の位置が変わって、それにつれて動くのですが、10mをこえるときは少ない。そして、この普通のGPS受信機の誤差をすくなくなるように研究した結果が、高精度GPSに結実しています。干渉測位、二周波測位、長時間観測などがその手法たちです。


GPS衛星は地上2万kmを高速で飛んでいる、人口衛星ですから、相対論的影響も受けます。その補正も必要です。そのほかの誤差要因として大きいのは、GPS電波の電離層における遅延と、大気中の水蒸気による遅延です。これらを、キャンセルする方法が、先の干渉測位、二周波測位、長時間観測なのです。


勿論GPSは、GPS衛星からの電波を解析していますから、電波の届かないところではGPS受信機は働きません。車の例でいえば、地下駐車場、トンネル、高速道路の下などです。このほか、ビル影では、電波がビルで反射してきて、違った距離を計算してしまうマルチパスという現象もあります。これも排除の対象です。


<電子基準点の高精度GPSの情報は、準天頂衛星にも使われようとしている> 


準天頂衛星は、日本が2010年に1個打ち上げました。あと3個はこれから打ち上げようしています。準天頂衛星は、アメリカのGPSの日本用の補完衛星です。JAXAが打ち上げたのですが、2010年に準天頂衛星みちびきの展示会にいって、説明を聞いたら、JAXAの人がGPSをなんでも知っていて、私の質問に答えたのでびっくりしました。


準天頂衛星は、3個以上の衛星が必要で、いつも日本の真上に1個はいて、私たちのもつGPS受信機が衛星を捕捉する数が1個増えます。GPS受信機は、GPS衛星を4個以上の捕捉しなければいけないのですが、1個は確実に捕捉できるようになるというわけです。






赤道上にいる静止衛星は、地球と同じ速度で回っているのですが、GPS衛星より軌道は高いです。準天頂衛星も軌道がGPS衛星より高いのは、静止衛星と同じです。そして、静止衛星が赤道上に止まっているのとは違って、準天頂衛星は北半球と南半球を8の字を書いていったりきたりします。


今回の記事に関係のない、準天頂衛星の話が長くなってしまいました。準天頂衛星は、GPS受信機が捕捉する、衛星を増やしてくれるのですが、もう一つ重要な仕事をすることになっています。それは、準天頂衛星が放送型でGPS受信機に向かって、電離層遅延状況などの位置計算にあたっての補正情報を流してくれることです。この補正状況の作成に、電子基準点の高精度GPS情報が利用されて、今、さかんに実験されています。





2014年5月25日日曜日

新宿公園の遊び場には、沢山の子供たちがいた。

新宿公園南側の公園。昨日は休みの日だったせいか、親たちがいて、大勢の子供たちが遊んでいた。写真にとるとわからないが(私の撮ったアングルが悪かっただけかも知れない)、こんなに子供たちをもつ家族が、居たのかと思うほどの混みよう。

新宿公園側から都庁側を写真に撮った。

この写真は、新宿公園側から都庁を撮ったもの。下の方に見えるのは、都庁から新宿公園にわたる、道路をまたく橋。左側は都庁第1庁舎。右側は都庁第2庁舎。2つの庁舎を結ぶ、廊下も見える。第2庁舎の向こうに、住友NSビルが見え、その向こうにはKDDIビルが見える。

こうしてみると、西新宿には人間世界とは、隔絶された高層ビルの世界があることが分かる。そうか私はこういうところで、毎日を生活しているのかと思う。

昨日午後は、都庁周辺と、新宿公園を散歩した。

昨日午後は、都庁周辺と、新宿公園を散歩した。写真は、都庁の西側を写真に撮ったもの。数年前まで、ここで私は毎週読書をしていた。そして2年ぐらい前までは8年間、私はほぼ毎週、読書感想文を書いている。それは私には、結構きつかったので、私の良い修行になっていたと思う。

だから、休みのときなど、ここに来て本を読むことが多かった。ここには適当に椅子などもあり、おまけにほどほどに空いており、読書にはいいところである。昨日、土曜日も歩いてみた。みんなにここはいいところだと教えてあげたいくらい。でも私は勤務地が、ここから近くていいが、わざわざここに来ると、ほかのことをしようとすると困るかも知れない。

渋谷区民スポーツセンタで泳ぎ、出てセンタのレストランに入って食事を食べた。

渋谷区民スポーツセンタのプールで、16往復(800m)泳いだ。午前中に泳いだのは、久しぶりだと思う。あがったら、もう少しで12時。初めてセンタのレストランに入った。最初とんかつライスを頼もうと思ったが、少し変わったものを頼もうと、トルコライスに変更。

結構ボリュームはあったと思うが、全部食べてしまった。水も飲む。写真は、トルコライスを食べ終わったところを撮ったもの。普通、食べる前に料理の写真をとるが、食いしん坊の私は、食べる前は食べるのに夢中になり、食べ終わってから、気が付いて写真を撮った。こうしてみると、私は出たものを、全部食べている。振り返ってみると、たいていこれまで私は食べものは、全部食べてきた。

渋谷区民スポーツセンタに行くのに、いつもと違う道を行った。いつもと違う風景が見える。

渋谷区民スポーツセンタに行くのに、甲州街道少し南側にある、緑道を少しさらに1本南側の歩いた。そしたら、日本テレマテークの入っているビルもある。へーこんなところに、日本テレマテークはあるのかと思った。私の知っている人も、昔ここに来ている。それで、ビルの写真を撮ったのが、上の写真。

さらに歩くと、幡代小学校で、運動会をやっている。写真をとろうとしたが、うまく行かず撮らなかった。まぶしくて私は、私のスマートフォンをうまく扱えない。運動会の参加者は、親も含めて大勢いた。なにか、娘の運動会に行った昔を思い出す。ここは人が住みやすいところなので、人は増えているのかな、などと思った。


昨日午前、玉川上水あとの緑道を通って、渋谷区民センターのプールに行った。

昨日午前、玉川上水あとの緑道を通って、渋谷区民センターのプールに行った。写真は、京王新線「初台」の駅のそばの緑道を、「幡ヶ谷」駅方面に向かって撮ったもの。最初ここを見たときは、「甲州街道のすぐ南側にこんな、緑道があるなんていいな」と思った。ここを通って行く人にも、なぜか余裕を感じる。新宿・初台あたりの、大げさだけど文化を感じた。

2014年5月24日土曜日

私のいるマンションのそばの、鬱蒼とした森があるように見えたところに行ってみた。

私のいるマンションの6階から、南東の方向500mぐらいのところに500坪ぐらいだろうか、鬱蒼とした森のようなものが見える。一番高い木は、6階にいる私の目線より高いから15mぐらいだろうか。気になっていたので、そばまで行って写真をとった。それがこの写真。少し前まで人が住んでいた、家があった気配。いろいろ想像してみたが、「ま、世の中には金持ちがいっぱいいるのだろう」と、思ったところまでしかわからなかった。

鬱蒼とした木々を、新宿公園で見た。

上の写真は、昨日14時30分頃、新宿公園の南にある角筈区民センター前の交差点から、新宿公園を撮ったもの。緑が鬱蒼としている。木々は夏に向かって、盛んに枝枝を繁らせ、炭酸同化作用を、目いっぱい行い始めてた。生きていること言うことは、こういうことなんだと、私に思わせる。

そう世の中は、ひたすら自分のやるべきことをやっている。私も小さなことで悩むのは、よそうと思った。

2014年5月23日金曜日

私がGPSに最初に触れたのは、電話機の故障修理支援システムの開発に携わってから

ちょっと見ずらいが、写真は、私が勤める会社のシステムの概要をしめしたもの。右側にトラックがあり、これにGPSと携帯通信装置が付いた車載装置がついている。ここから出された車の情報が、携帯電話網を通じて、真ん中少し左のデータセンタのサーバに集められる。これがデータセンタの、サーバで処理される。


それをBフレッツ回線で左側にある、お客様(運送会社様等)の事務所のパソコンに送り、このパソコンで、右側の車のリアルタイム情報が見られるようにしている。実は情報には、上り、下りがあるし、情報の内容ももっとあって、こんなに単純ではないが、概略を言えばこういうことになる。


私が初めてGPSを身近に使いだしたのは、まだ私がNTTーMEにいたころの2000年からだった。電話機等の局舎の外の設備に関する、NTTの「故障修理支援システム」の開発に、私も2000年から参画する。このときから、GPSと私のふれあいが始ったのだ。当然に外の電話機の修理には、車が利用されているが、この車両の位置を、システムで管理するようにしている。


1999年にIモード通信がドコモから出され、それまでの携帯電話機機が、回線交換(昔の電話の普通のタイプ)中心であったのに、携帯電話にもパケット通信が使われだした。当時ドコモは、このパケット通信を利用した、位置情報のビジネス支援に、積極的になる。そしてこのころから、センタで出先の車両等の位置を知るための通信料が、携帯電話のパケット通信r利用で、格段に安くなったのだ。


この頃は、デジタル地図も安くなってきたし、2000年5月からは、GPSのSA信号(セレクティブ・アベイラビリティの略で、GPSを運用していた、アメリカがわざといれていた誤差信号)もなくなった。SA信号がなくなったときは、先行して電話機の故障修理支援システムを運用してところでは、急に故障修理車両の位置が正確になったと驚いている。


そういう意味では、GPSが使われ、車両の位置が、安い通信料で使われだした最初から私は、GPSにかかわっていることになる。それは考えの浅い私でも、GPSに関して少しは知識がついたのだった。、

物流会社向けにITを提供してしているIT会社も、GPSを利用している。

写真は、私が勤める会社の、受付を写真に撮ったもの。私は60歳を過ぎて、運送会社向けのIT企業に勤め始めた。この会社のシステムは、トラック等を管理するため、GPSをを使っている。写真手前が商用車のミニチュアで、奥にGPS付き車載装置本体等が写った。奥には車載装置本体のほか、GPSのアンテナや携帯電話のアンテナや、通信機器等も写っている。


GPSの利用例としては、マイナーかも知れないが、至るところでGPSが使われているということで、紹介させていただいた。車に乗る各種センサーも進歩している。携帯電話網も進歩した。だからこのシステムは、GPSだけが特徴ではないのだが、GPSを使っていることは、大きな特徴になっている。



2014年5月22日木曜日

今日の朝の食事も、私の体重減量のため、ご飯抜き。

写真は、私の朝の食事。左の大きなお椀は、2週間に一回下ごしらえしたものに、ひき肉と卵と豆腐をいれて温め、味噌仕立てにしたもの。写真右上は、お茶パックを入れて、お湯を注いだ、赤い茶碗。写真右下は小皿に梅干しを置いたもの。こういったものを、私は毎朝食べている。

いつもはこれに、ご飯に納豆と長ネギとオクラと鰹節を混ぜたものとか、ふりかけ海苔を掛けたものがあるが、2日前から私の体重減量のためやめた。こうしてみると、いつもはやはり食べ過ぎだなと思う。

味噌汁には、温めるとき「万寿のしずく」をいれている。お茶か紅茶かジャスミンテーも、女房が生きていた時から、毎朝飲んできた。「一杯のお茶は、今日の難逃れ」、と、会社で女性がお茶を飲みながら言うのを聞いたとき、「そうか、日本の家庭にはこういう言葉が受け継がれてきたのか」と感動したから。あれは20年前頃だった。

梅干しは、女房のお母さんの妹さんが買ってきてくれて、「東一さん(私の名前)、毎日1個梅干しを食べなさい」と言われた。それ以来梅干しを買うのと、毎日1個食べるのが、私の習慣になっている。

今日食事後、体重を測った。朝食を食べたのに79kgを切っている。これは、私の昔の体重だ。3日前、シャワーを浴びている。この時体重を測ったら80kgを超えていて、私は結構ショックを受けた。それから炭水化物を、食べないことに決めている。このまま炭水化物をとらないと、体重が減るだろうと思った。3ケ月前に電気炊飯器を買う前には、6ケ月間ぐらい、食事で炭水化物を食べていない。そしたら、体重が75kgを切った。そんなに、食べる量は減らしていないのに。体重計をみたとき、「本当か」と思った。もう一度また、それに挑戦してみようと思っている。

2014年5月21日水曜日

今日も夕飯に、自分で作ったシチューを食べた。

今日も、下ごしらえをした食材に、鶏肉、豚肉にシチューを加えて、煮て夕食にした。写真は、そのシチューを撮ったもの。このほか、納豆に、オクラと鰹節を加え辛子と醤油で、食べた。ほかに、「たっぷり枝豆揚」もたべる。実は大食いの私は、最近太りすぎていた。そこで、昨日から痩せるため、ご飯を炊かないで、おかずだけを食べることにしている。




3ケ月ぐらい前まで、炭水化物をシャットダウンしていたら、沢山食べても、あっという間に5kgやせた。ついでに顔まで痩せたのだろう。勧める人があって、そのあと電気炊飯器を買い、ご飯を食べるようにした。そしたら、このご飯がおいしく、食べすぎたのでしょう。また体重が6kg増え、昔より太ってしまった。




ご飯(炭水化物)を食べないと、沢山の食事をしても、むりなく痩せられる。今日はもう、痩せたように思うぐらいおなかがへっこんだ。あと3日ぐらいは続けようと思う。そのとき、お風呂で測る体重が楽しみだ。




以上で今日の話はおしまい。話は変わるが、2週間に一回、私は食事の下ごしらえをしている。そのとき(3日前の日曜日)入れてた食材を、列挙してみて、毎日の私の食べている食材の数を数えてみたい。


「しいたけ」「昆布」「鰹節」「ざらめ」「大根」「蓮根」「筍」「にんにく」「ゴマ」「人参」「ごぼう」「玉ねぎ」「長ネギ」「りんご」「とまと」「ジャガイモ」「サトイモ」「サツマイモ」「カボチャ」・・・「キャベツ」「白菜」・・・「セロリ」「青梗菜」「小松菜」「ホウレンソウ」・・・「にら」「ピーマン」



新宿区のはずれ、西新宿でも外は雨がしとしと降っていた。

朝5時30分に起きる。外はしとしと雨が降っていた。それで部屋から北の方の写真を撮ってみる。左下に見えるハンガーは、私の洗濯物の干したもの。雨がしとしと降っていたけど、濡れてはいないので、慌てて取り込んだんだ。

写真の真ん中のビルの谷間で、並んで駐車している車のの向こうに、走って小さく見える車があるが、これは水道通りを走っている車。この車が走っていくとき、シャーという音が聞こえる。車の走る音が、私たちを取り囲んでいるんだと思った。

2014年5月20日火曜日

カーナビはGPSを使っている。カーナビが最初に、大々的にGPSを使った、



<私は車の運転で、か―ナビの便利さを堪能している>






この写真は、私の車のフロント部分の写真で、主にカーナビを中心に撮った。か―ナビは便利で私も、初めてのところに行くときは、目的地を設定し、あとはカーナビのガイドに従って行っている。今は知っているところに行くときでも、目的地設定するようになった。カーナビがする着く時間の推定は、行き先の混雑具合によりややずれるときがあるが、わかれば気にならない。





カーナビのなかった昔は、本になった地図を片手に、行ったものだが、カーナビをつけてからその便利さ(カーナビがたいていの私の頭脳の代わりをしてくれる)には、昔と比べて雲泥の差を感じる。サービスのきめ細かさを知ると、カーナビは日本人に向いていたのだろうと思った。




<カーナビはGPSを使っている。また、電子地図を使っている>






このカーナビは、自分の位置を知るためGPSを使っている。GPSが価格が高くて装着できなかった(あるいはそれ以前で、GPSがアメリカで軍用に研究されていただけの)ときは、、カーナビの開発に当たっては、位置を知るための方法はジャイロ等を使う自律航法だったようだ。が、今ではGPS利用の他律航法とのハイブリッドが当たり前になってしまった。




1981年にホンダが最初に、カーナビを作ったときは、ジャイロを利用していた。また電子地図もなかったので、5インチの白黒画面の表面に地図のフィルムを載せていたそうです。しかし、1993年アメリカによって、位置を知るための技術GPSの運用宣言がされた。そのときから(ジャイロや車測パルスなどから自車の位置を計測する)自律航法と、(GPS衛星の位置から自分の位置を計算する)他律航法の、ハイブリッドがカーナビの世界では当たり前になる。そしてそのアルゴリズムは、複雑な道路事情も凌駕するように、人間のさまざまな工夫が織り込まれて行きた。


平行して電子地図が開発され、ここに道路周辺の情報が組み込まれていく。メモリーの進歩と、コンテンツの進歩も重なり合って、今では凄いとしかいいようのないレベルに達した。電子地図は、さまざまな情報を階層構造で保有している。それがカーナビ周辺で働く人の努力とあいまって、凄さを発揮しました。そしてそのコンテンツは空間情報と呼ばれるまで広がっている。コンテンツの進歩はどこまで進むのでしょうか。


この地図を作るのは大変で、各カーナビメーカの技術者は苦労したようです。最初はカーナビメーカごとに電子地図を作っていましたが、そこには悲喜こもごもがあって、今は基礎となる地図を作るのは、少しのグループに集約されました。


<カーナビの出荷量は、PNDも含めると世界中で年間約5千万万台、GPS受信機も同じ数出荷されいる>


矢野経済研究所の調べでは、ロシア圏、東欧圏を除く世界の主要国のカーナビの2013年の出荷量は、1700万台、これとは別に、画面が5インチ以下のPND(パーソナル・ナビゲーション・デバイス)の出荷量は2400万台。だから、これを合わせて、世界中のカーナビの出荷量を推定すると、5千万台弱だと思う。1台あたり、平均して10万円とすると、5兆円/年の市場が、ここにはある。大きい。車の世界の年間出荷数は、乗用車が5000万台、商用車が2000万台だから、世界の車の約6~7割に、カーナビがついていることになる。


日本のカーナビ出荷量の累積数については、国土交通省が調べたものがある。1997年3月の、それまでの累積出荷量は200万台だった。出荷量は年々増えつづけ、2010年からは、年間500万台を超える出荷量となっている。車自体の出荷量は、年によって増減があるが、2013年は乗用車が460万台、トラックが80万台だった。つまり、ほぼすべての売れた車に、カーナビが付いていたことになる。


<カーナビの技術は、日本が世界を牽引した。そしてカーナビはGPSと電子地図の世界を一変させた>


カーナビの技術は、日本が世界を牽引した。あれは何年ごろだったろう。1台50万円のカーナビが出てきたときは、その安さにビックリした。役者は三菱電機であり、ソニーだった。それからカーナビが普及期に入ったと思う。こういうのを利用するのは、買う人も作る人も日本は優れていると思う。扇子やトランジスタラジオの利用が、世界に先駆けているように。


カーナビの普及機は、ちょうど携帯電話機にGPSが、標準装備される前だった。初めにGPSの民生利用が大々的に行われたのは、カーナビだったと思う。カーナビの7普及にあわせ、劇的にGPS受信機チップも安くなり、電子地図も安くなって行った。つまり世界の、GPS受信機チップや。電子地図の低価格化を、日本が牽引したのだと思う。


日本は不思議な国だと思う。日本人はイノベーションは向いてない性格にも思える。しかし、いつの間にかイノベーションをしてきた。GPSを構想し、GPS衛星を打ち上げ、GPS衛星の状況を観測する基地を世界5か所においているアメリカは、GPSの利用で、日本に先を越されたように思ったのではないか・・・。これはなんなのだろう。

朝起きると、部屋の東側に西新宿の高層ビル街が見える。

写真は、今日(5月20日)、朝5時30分、私の部屋から東側に向かって撮ったもの。右側の高いたてものは、新宿パークタワービル。左の高いビルは、住友不動産西新宿6号館、向こうの上の方、真ん中から左に見えるのは、東京都庁の2つのビル。その右側に微かに見えるのは、NSビルとKDDIビル(右の新宿パークタワーに接して見える)。

毎朝、この西新宿の高層ビル街を見て起きる。今、私は不安定な中で、生きているが、このビル街を見るたび、「みんな生きてる、友達なんだ」という言葉を思い出す。今の状況に負けずに、今の自分の場所に居続けよう。

2014年5月19日月曜日

もう百日紅の花が咲いていた。夏もそこに来ている。

今日の昼、マルエツプチから、水道通りの向こう側の西新宿小学校を撮った。なぜ撮ったかというと、写真の真ん中に小さく見える木に、赤い百日紅が咲いていたから。写真では小さくて見えない。でも百日紅の花が咲くなんて、もう夏なんだと思った。

2014年5月18日日曜日

ふどう通りを通って、幡ヶ谷不動をみながら中幡小学校のプールに行き、10往復(500m)泳いだ。

私の住む西新宿のオフィスから水道通りを西に行き、山手通り(環状6号線)をわたる。5mぐらい北に行って、そこからふどう通りに入り、プールのある中幡小学校に向かった。山手どおりから30mぐらい入って右手に、幡ヶ谷不動’(荘厳寺)がある。それで通りから荘厳時を撮ったのが、上の写真だ。


つくべき時間もあったので、ゆっくりできない。今度少し早目に来て、この境内をゆっくり見てみようと思った。ウイキペディアで見たら、江戸近郊の三不動は、成田不動、高幡不動に幡ヶ谷不動とある。この「ふどう通り」は、江戸時代前半にできた荘厳寺の参道あったdらしく、下町の商店街みたいだ。


通り沿いの家々にある、鉢植えの花などを見ながら歩く。そのうち仲幡小学校に着いた。プールに入る。にこやかな受付の女性に、迎えられて入り、着替えた。プールでの泳ぎは、10往復(500m)。これだけ泳げば、私の血行も良くなる。あがって、また「ふどう通り」を歩いて帰った。

晴天の下、日比谷公園の西南の角地の噴水は、おしゃれだった。

昨日の「流通楽座」15周年記念パーティを中座して、私は日比谷公園の中を歩いて、丸の内線「霞が関」駅に向かった。日比谷公園の西南の角に、噴水があったので、その写真を撮る。日比谷公園は、あちこちがしゃれているなと思った。晴れのときは、凄くよくわかる。

ほぼ40年前、私の職場はこの近所にあったので、日比谷公園は、良く来ていてなじみのあるところである。しかしそのときは、その素晴らしさを、味わうことはしなかった。そうか、どんなことも目の前にあるのに、気が付いていないだけなんだと、思いながら歩く。

日比谷図書館のあるビルで、ボランテア勉強会の創立15周年イベントあり、私も行った。

昨日「流通楽座」創立15周年を祝う会に参加するため、日比谷公園に行った。これはそのときの写真で、日比谷公園を撮ったもの。日比谷図書館のあるビルで、私もほぼ毎月参加しているボランテア勉強会の「流通楽座」の創立15周年を記念する、講演会と、記念パーティがあった。

「流通楽座」は不思議な会である。なにか、参加者には不思議な人が多くて、これまで私は、良い影響を受けることが多かった。

会は、おもしく進む。イノベーションを語る、講演も凄く面白かった。日本に留学したアジア人が、2年いても日本人の友達ができないという話は、ありうるし、考える出来事でもある。私は用事があって、講演会だけ聞いて帰った。

2014年5月17日土曜日

東京都庁にワシントンホテル。

写真は昨日16時20分頃、(東京都)議事堂南の交差点から、西側を撮ったもの。右側に少し見えるのは、東京都庁。その手前にはNSビルがある。写真左側に高く見えるビルは、ワシントンホテルのビル。私はここを6年少し、通勤している。ここの道路(水道通り)の街路樹は、写真ではそんなに感じないが、下を歩くと、少し鬱蒼としていて、歩いて気持ちがいい。

ここを歩きながら、いいところを歩いているといつも思っている。そして、ここが最近の私の地元になった。新宿だけど、そばには新宿公園もあり、ここはいいところである。死ぬ前に私が、新宿にいるなんて夢にも思わなかった。


2014年5月15日木曜日

今日の外は、霧雨

今日朝6時半に、オフィスの窓から、オペラシティとNTT東日本本社ビルを撮った。写真の一番下側に見えるのは、オフィスのあるマンションのテラス。少し濡れていた。今日は霧雨。しみじみと外を見る。私も楽な人生を過ごしてきた。それはいけないこと。なんだか、私のそばにいて私から迷惑を受けた人たちを思い出した。死んだ女房や、沢山の人たち・・・。こんな日は、少し反省が多くなる。

2014年5月13日火曜日

新宿公園の緑の中から、西新宿の高層ビル群が見える。

緑の新宿公園から南側を写真に撮った。真ん中向こうに、高く見えるのは、新宿パークタワービル。ここは、緑の中から見上げると、西新宿の高層ビル群が見える。東側には、東京都庁の高いビルも見えた。

新宿公園は、木々の緑の真只中だった

今日、夕方、オフィスに戻るとき、そばの新宿公園に寄った。ここに寄るのは、少し寄り道するだけでいい。新宿公園は、桜の花などの春の花も終わって、木々の緑の真只中だった。もう5月も中旬。一年中で今が一番が一番いい季節なのかもしれない。

ここには、熊野神社もある。日本のカメラ製造の発祥の地もある。今度そこに寄って、写真を
とって来よう。公園の西側には「十二社通り」もある。ここは江戸時代から、水が出るのでにぎわったそうだ。


春から夏に向かう朝。しとしと降る雨を外に見ながら、物思いにふける。

部屋から外を見ると、5時半なのに夏至に近くなってもう明るい。雨がしとしと降っていた。写真は私がパソコンに向かって座っている机がある部屋から南側の写真をとったところ。私の机は、ひさしのない部屋にあるので、外の様子がすぐわかる。今日は「しとしとピッチャン」の雨。

風が強いときの外は凄い。ここに来て、なんだか四季を余計に感じるようになった。外を見ながら、物思いにふける。私たちの生き様ってなんだろう。たぶん、自分はこうあるべき。周りの人は自分を、こうあるべきと思っているのではないか。そういう思いから、ここに向かって走ろうと決めて、無我夢中で走る。それを繰り返しながら、私の人生を送ってきた。それを通じて、私は私の、この世の修行をしているのかも知れない。

だから、私たちの行動は、自分という主観からとら見た、周りの人が決めているように思う。自分は周りの人を、そんなに深く見ていないのにね・・・。自分の考えで、自分を縛って、生きているのが、この人生なんだろうなと思う。そういう意味では、お付き合いする周りの人は大事だと思った。今の私は幸せなんだと思う。というのは、私一人だと、「小人閑居して不善をなす」が、人とあうことによって、私をイメージしそれに向かって元気に生きているから。

2014年5月11日日曜日

「肢体不自由児の子の水泳お手伝いボランテア」の後の、昼食で情報交換

写真は、昨日行った「肢体不自由児の子の水泳お手伝いボランテア」の後の、食事が終わったところ。ボランテアの後、いつも有志で食事をしている。この場で、それぞれの最近の動きを聞くが、いつも参考になっている。みんな65歳近辺で、NTTグループにいたが、まだみんな現役。そして、みんなそれぞれのやり方で、人生を生きている。

このボランテアは月1回行っており、もうすぐ22年が経過する。始まったころは、私も44歳だった。長く続いている。なぜ、長く続いたかと言うと、肢体不自由児の子のお母さんたちに、熱意があったからだと思う。私たちはそれにレスポンスしただけ。

それは最初は、いろいろあったけど、慣れてくると、毎月1回のボランテアは、いつものようにやるだけで、そんなにエネルギーは使ってないと思う。それより、このボランテアで触れる、肢体不自由児の子や、お母さんたちに学ぶことは多い。このボランテアがあったから、私の人生も、良きものになっている気がする。