2014年4月30日水曜日

矢口小学校前を通って、矢口渡駅に出た。

女房の実家からの帰りには、東急多摩川線「矢口渡」駅にでた。私のマンションから、東京に向かう時は、私は「矢口渡」駅に出る。写真は駅そばの矢口小学校を撮ったもの。右側が小学校。学校の向こうは校庭だが、今日は祝日であるにも関わらず、野球の練習をしていた。看板の向こう、写真左側は、矢口農園。ここでは米まで作っている。

横断する第一京浜国道の信号の都合で、「矢口渡」駅には、私は3つのルートで行っていた。矢口の小学校の前をとおるのは、その一つのルート。このルートでは、この道の右側に少し行ったところにある、矢口渡駅に向かう。

なんといっても、この道を通る時の思い出は、学校の玄関前を通ると、先生と沢山の生徒に「おはようございます」と言われることだ。学校に入ってくる生徒に言うのだが、ついでに私たち通勤のものにも声をかける。やけくそでもいいから、あいさつされると気分が良いものだと思った。

武蔵新田駅が最寄の女房の実家は、花がいっぱい

写真の右側は、武蔵新田駅から5分ぐらいの女房の実家。植木鉢がたくさんあったので、写真に撮った。手前の家の玄関のところにも、向こう右側の家の向こうにも、花がいっぱい。91歳のお母さんが手入れをしている。お母さんは91歳にもなって、元気だ。私はまだ世話になっている。

東急多摩川線「武蔵新田」の駅に行った、

ここは東急多摩川線「武蔵新田」の駅。写真左側に駅があって、駅をでたところで、写真を撮った。ここの駅とさらに左側の蒲田方面に行った「矢口渡」駅の間に、私のマンションがある。もう23年前からここに住んでいる。この駅はなんだか懐かしい。

線路の向こうに行って、ぶつかって、少し左に行ったところに女房の実家がある。そういう意味では、ここには35年以上前から来ている。私も女房の実家のそばに、マンションを買ったのだ。

武蔵新田の駅周辺も少し変わったけど、それぞれの店に世話になった。どの店もコメントしたくなるけど、やっぱりやめよう。長くなってしまう。

2014年4月29日火曜日

東横線「多摩川」駅で、田園調布に向かって、写真をとった

東横線「多摩川」駅で、田園調布に向かって、写真をとった。ここは地元だから、懐かしい。ここでいつも、多摩川線に乗り換えていた。

「忠犬ハチ公」像あたりの、渋谷の混雑は、さすがに人でいっぱいで凄い。

京王新線「初台」駅から「明大前。に出て、そこから井之頭線に乗って渋谷の出た。渋谷駅で東横線に乗る。この写真は、途中の「忠犬ハチ公」像あたりの、渋谷の混雑を撮ったもの。左の青い木の下あたりに、「忠犬ハチ公」像がある。さすがにここは人でいっぱい。

オペラシティビルの中庭では、管楽器を吹く人たちが、ジャズをやっていた。

オペラシティビルの中庭では、管楽器を吹く人たちが、ジャズをやっていた。そしてそれを、大勢の人が、手拍子をしながら見ている。こんな空間が、オペラシティビルの中にあるなんて、おしゃれでいいなと思いながら見た。

みんなみんな、大いに狂えと思う。演奏する人も、見る人も。見ている人は、自然発生的に見ているのだろうか。それとも、見に来ているのだろうか。やっている人たちは、ストリートパフォーマに見えた、

オペラシティビルの中庭の、丸い鉢には、春の花がいろいろ植えてあった。

オペラシティビルの中庭の、丸い鉢には、春の花がいろいろ植えてあった。見てたらなんだか楽しくなったので、写真に撮った。

オペラシティビルから、白いつつじと、その上の方にNTT東日本本社ビルが見える。

今日は、今私がいる京王新線「初台」から、女房のお母さんのいる東急多摩川線「武蔵新田」に行った。行く道すがら、いくつか写真を酔ったので、それぞれ短くコメントする。

こも写真は、オペラシティからNTT東日本を撮ったもの。本当は、下右側に見えるつつじがきれいだったので、それを撮ろうと思いました。そしたらその上に見えた、NTT東日本本社ビルいれようなどと思います。そしたら、写真のような構図になってしまい、白いつつじは小さくなってしまいました。

2014年4月28日月曜日

レイモンド・チャンドラーの長いお別れ、をテレビで見た。

写真は、家にあるテレビ撮ったものである。ヤマダ電機で一番安いものを、この3月に選んだのがこれであった。私はテレビを見ると。夢中になって見てしまって、あっと言う間に時間がたってしまうので、あまりテレビは見ないようにしている。せいぜいニュースぐらいを見るようにしてきた。

しかし、昨日はテレビで、レイモンド・チャンドラーのロンググッバイをやっていたので、思わず見てしまった。私は、結構本は読んでいる方だと思うが、外国人の書いたものは、ほとんど読んでいない。しかし昔、一度レイモンド・チャンドラーの本を読んだら、面白くて何冊かを続けて読んでしまった。外国人が書いたものの、翻訳ものはたいてい面白いと感じない。しかしレイモンド・チャンドラーの翻訳ものが面白かったのは、たぶん翻訳者もこの本を面白いと感じて、翻訳したからだろうと思った。

テレビでは、舞台を終戦直後の日本に置き換えている。あんなに夢中で読んだのにと思うほど、ストーリは覚えていなかった。しかし、出ている役者が、みな上手である。そうだ。なんだかわからないけど、私が魅かれた雰囲気はこれだったと思った。

レイモンド・チャンドラーの小説の主人公の、探偵フィリップ・マーロウ(もちろんテレビでは、日本人になっていたが)の、気質を私は好きだったのだ。理解されることなんて、期待していない。しかし、だからと言って、ニヒリズムでもない。その考え方は、凄く前向きなのだ。

そうだよ、自分を振り返ればわかる。人が人を理解してするはずがないと思った。自分に感心のあることだけに、誰も考えを集中させるから。だからと言って、考えを投げてはいけない。投げたら、良い人生になっていくわけがない。この読書の以降、私はこのフィリップ・マーロウの生き方を、私の生きるスタイルの目標としてきた。

今でも思い出すレイモンド・チャンドラーの言葉がある。「強くなければ生きていけない。優さしくなければ生きていく資格がない」。それから私は、「優さしって本当は、なんだろう」といつも考えるようになった。そして、昨日の役者は、みな上手で、私を触発するには十分だった。


2014年4月27日日曜日

新宿駅南口から都庁までの地下道。そこにプロムナードギャラリーがある。


昨日、15時過ぎ、新宿駅南口から都庁やワシントンホテルに出る地下道を通った。地下道の都庁近くにプロムナードギャラリーがある。昨日はフォトコンテストで優秀だったものが飾られていた。たくさん張られている。そのうちのフォトコンテストの説明と、展示されていた1点を撮った。


私は昨年9月まで、5年間、ほぼ毎日、内容が変わる展示物を見ながら、この地下道を歩いた。そうここで、展示する人たちのさまざまな思いを感じながら。人の数だけ、さまざまな思いがあるから、この世は素晴らしいと思うようになった。私も、さまざまな思いに1つを付け加えている。そして遅いかもしれないが、思ったらなんでもやってみようとも、思うようになった。

2014年4月26日土曜日

写真は幡ヶ谷駅の、新宿方面に向かうホームから、改札からのエレベータや階段を撮ったもの。ここから、新宿へでる。

中幡小学校の入口から、学校の全体がみえた。

プールをあがって、またふどう通りを、(今まで行ったことがなかった)西へあるいたら、中幡小学校の入口があった。写真は中幡小学校の入口から、学校の全体がみえるようにとったものである。学校の作りはシンプルで、なぜか私はなつしい感じがした。

中幡小学校のプールへ行くのに、ふどう通りを歩いた。そして今日は14往復泳いだ。

今日は、土曜日なので、プールに泳ぎに行った。今いる西新宿3丁目のマンションから、山手通りの新宿4丁目交差点まで水道通りを200m程度あるき、そこから山手通りを10m位北へ行くと、ふどう通りに入る。ここをぶらぶら歩いて中幡小学校まで行った。。

写真はふどう通りを撮ったものだ。空いているようにも見えるし、それなりに人通りがあるようにも見える。ずーと商店街だった。いろいろなお店が下町風にあって、結構バラエティがある。水道通りを歩くと、幡ヶ谷不動入口というのがあったから、それにちなんで、ふどう通りと名付けたのだろうが、幡ヶ谷不動は見つからなかった。

ふどう通りをくねくね曲がったり、坂道を下ったり、道が細くなったりしながら15分ぐらい歩く。そうしたら、見慣れた中幡小学校についた。中幡小学校のプールの入口で、20歳前ぐらいのスポーツをやっていそうな体型をした、おまけに妖艶なと言っていいような美人の女性に「こんにちは」とにこやかにあいさつをされた。その女性は、自転車でふどう通りを行ってしまったが、私も66歳なのに、妙にどきどきして、素直な気分になれない。私はああいうタイプの女性に、あこがれみたいなものを感じるのだろうかと思った。

中幡小学で、地下にあるプールに行って泳ぐ。14往復(700m)泳いだら、笛がなってをプールをあがった。




2014年4月25日金曜日

携帯電話機にGPSが使われるようになって、GPSの使用量は爆発的に大きくなった




GPSの説明をどこからはじめたらいいのかは、本当は読む人の事情によって変ると思いました。が、今回の私の説明は、GPS(正確にはGPS受信機のアンテナですが、私の「GPSの利用」の説明ではGPSと呼びます)の代表的利用の仕方から始めたいと思います。利用の仕方は、10回ぐらいで説明することになるでしょうか。

<GPSは、地上高約2万kmを飛ぶ約30個のGPS衛星を使って、誤差1~10mぐらいで自分の位置を見つけるシステムです>

GPSはグローバル・ポジショニング・システムのそれぞれの頭文字をとったものです。GPSは私たちの身の回りのあちこちで使われ、GPSと言う言葉も多くの人の知るところとなりました。GPSは「アメリカのNASAが、地上高約2万kmの上空に約30個のGPS衛星を、地球の周り(バラバラの位置)に打ち上げ、これを使って誤差1~10mぐらいで自分の位置を見つける」システムです。

アメリカのNASAが軍事用に作ったシステムですから、軍事用には勿論使われました。しかし、GPSの運用開始をアメリカが1993年発表してから、以降徐々に、民生用としての利用も花盛りになっています。最初は海の上にいる船がどこにいるのかわかる等で、GPSの効果が大きいことを確認できていたのですが、今はそれ以上の非常に大きな数のGPSが、カーナビや携帯電話機等で使われるようになりました。

位置測定にあたって、宇宙区間にはさまざまな測位の誤差要因がありますが、これをなくすため、工夫が重ねられています。そして高精度GPSでは、誤差が1cm以下にまで精度が上がりました。上空2万kmの衛星を使って、この精度ですから奇跡的とも言えますね。

<携帯電話機にGPSが使われるようになって、GPSの使用量は爆発的に大きくなった>

写真は、友達がIフォンで使ってグーグルマップ上で自分の位置を確認したところを、Iフォンだけを撮ったものです。携帯電話機で自分の位置を、GPSで把握できるようになりました。携帯電話機のサービスでは、「自分の位置関係のサービスも多彩」になってきています。

携帯電話機の世界での出荷量は20億台/年(契約数は75億台超)に迫ってきました。つまり全部の携帯電話機にGPSが搭載されているとすると、GPSチップの値段がいくらかは知りませんが、100円とすれば2000億円/年、1000円とすれば2兆円/年の市場が、GPSチップ販売の前にあるわけです。この量は、GPSチップのビジネスを変えました。

<携帯電話機にGPSが搭載されるようになった理由は・・・>

私たちが119番(消防)や110番(警察)に電話をすると、受付台で受付する人に

は、かけた私たちの位置も自動通報されています。私たちが119番や110番に電話するときは、慌てていますから、これは大変便利でした。勿論、私たちの位置情報は個人情報でもありますから、周知されることは拙いのですが、119番や110番は、特別ですから認められていたのです。

昔の電話(今も普通に使われていますが)は、固定電話だったので、これが難なくできました。しかし、携帯電話機が増えて、国内では2000年には固定電話機の数を超えています。それに連れ、119番や110番にかける人の半分以上が、携帯電話からかけるようになりました。そうすると、携帯電話機は動くので、そこから通報された119番や110番で受付する人は、かけてきた人の位置の特定で苦労することになります。それを解消するため、携帯電話機にGPSを搭載するのを標準にすることにしました。

<アメリカでE911の法律が定められ、日本でも携帯電話各社がGPS搭載を約束しました>

日本の119番や110番に対応する、アメリカの電話番号は911です。E911のEはエンハンスドのことで、強化されたという意味合いでしょうか。E911には2つポイントがあります。1点目は携帯電話機の発信内容に、位置情報を示すものをいれること。2点目は、近傍の911センターに電話すること。

このE911は、米連邦情報通信委員会(FCC)によって、2005年発令されました。はじめるにあたっては、「個人情報保護」「技術的に難しい」等の抵抗もあり、いろいろありましたが、今はこの内容でアメリカは動いています。

また、日本では2007年、携帯電話各社が、E911と同じ内容の「緊急通報位置通知」システムを運用すると、報道発表しました。119番や110番の受け入れ態勢(受付台の変更が必要)もあるため、すぐすべての体制が出来たわけではありませんが、今は全部運用されています。

<携帯電話機の数は、圧倒的に多いため、携帯電話機で利用されたことがGPSビジネスを一歩進めました>

携帯電話機の数は、2014年、世界の人口をこえました。携帯電話機は、そのインフラ設備が作りやすいこともあって、もう世界中で一人一人に使われる時代になったのです。ここでGPSが標準搭載されたという出来事は、GPSの民生利用にドライブをかけました。

量の増大は、質の変化をもたらしました。一つ目は、GPSと相性の良いデジタル地図と

ともに、安価になったことです。GPSは、もうコモデティ化してきました。二つ目は、その使われ方が私たちの生活と密着した形で、進歩し始めたことです。位置情報に関する人間の知恵は、GPSを軍用、高級なものでの活用から、どこでも、誰でも使うものに向けて発揮されるようになりました。しかも通信と融合する形で。

<GPSも含み、GNSSと言う言葉が使われるようになってきました>

GPSはアメリカが、軍用に作ったシステムです。GPSの技術も、NASAの周辺で育ちました。そして当初はGPSビジネスも、NASA周辺にあったのです。しかし、GPSは自分の位置情報を計算するのに、GPS衛星からの(誰でも受けられる)無線電波を利用するので、誰でもGPSを利用できました。アメリカの敵国まで利用できるのです。

アメリカに頼るだけなのはいやだとして、成熟度は別にして、ロシアは「グロナス」という同じ仕組みを構築してきました。ヨーロッパは、「ガリレオ」というGPSと同じような仕組みを、今作り始めています。中国でも、北斗(コンパス)というGPSのようなシステムが構想され、建設が始まりました。

だから、これらを総称して、GNSS(グローバル・ナビゲーション・サテライト・システム)と言います。専門家のあいだでは、GPSに代って、GNSSという言葉が使われ始めました。もうGPSの仕組みは、世界のインフラになってきました。まして民生利用が、これだけ進めばもうGP、は、軍事技術とだけ言えなくなったと思います。

2014年4月21日月曜日

ハナミズキが咲いていた。

玉川上水あとの緑道を通ると、いろいろな花に出会える。ハナミズキは夏に向かう春に見られるが、綺麗に咲いていた。初台と幡ヶ谷の真ん中あたりに。それで写真に撮った。

花壇に咲く春の花は、もうすぐ終わりか。

玉川上水あとの緑道に見えた、花壇を写真に撮る。写真真ん中上に、小さく見えるチューリップが1本だけ見えた。他のチューリップの花は咲き終わっていた。パンジーなどの花は、まだ元気に咲いていたが。

江戸時代にできた玉川上水あとの緑道を通ってプールに行った。そして10往復(500m)泳いだ。

昨日、初台にあるオフィスから幡ヶ谷にある、渋谷区スポーツセンタのプールに歩いて行った。江戸時代につくられた玉川上水あとの、緑道を歩くのである。写真は緑道を、初台から幡ヶ谷方面をに向かって撮ったもの。こういう緑の中や、商店街を見ながら渋谷区スポーツセンタまで歩いていく。プールでは10往復(500m)泳いで、あがった。泳ぐ距離は忙しいせいだと言いながら、だんだん短くなっていく。それから新宿まで京王新線に乗った。

GPS(GNSS)は、広い範囲の技術の集大成だ。それがカーナビや携帯電話機で使われている。





雑誌「トランジスタ技術」で、「GPS技術の仕組みと応用製作」が特集されたのは、2008年2月号で、もう6年前になる。「八木さん、こういうのがあるよ」と言われて、トランジスタ技術をいつも見ている人から見せてもらったのは、2008年だ。GPSをこんなに丁寧に説明した本は、私の知る限りない。これを見たとき、2000年からGPSを仕事で「かじっていた」私としては、「こういう説明が、ほしかったのだ」と思った。

しかし、これはGPS受信機だけの説明で、GPSの一部に過ぎない。GPSは「天文学」も「ロケット技術」も「電波技術」も、その他広い範囲の技術を網羅した、広い知識体系なのだ。GPSを初めて構想し、その仕組みを作るマップを書いた人は、天才だったと思う。それぞれの細部は膨大だが、それのどれが欠けても、(GPS受信機のアンテナの)位置を計測できないのだ。

そしてマップに従って、人々の英知を結集することができたGPSは、つくずく凄いと思う。なぜ、人々の英知を結集できたか。一つは軍事用にアメリカが作った仕組みなので、金に糸目をつけなかったこと。また、カーナビや携帯電話機に使われて、みんなが使うようになり、大きなお金が、GPSの周りを流れ始めたからだと思う。

私は悩んだ。GPSをどこから説明すればいいのか。たぶんどこから初めても、どれも正解だと思う。しかし、一つ一つが精緻なので理解が難しく、私も理解できたときは感動した。それを再度勉強し、説明していくことで、私も成長できる。そう思った。しかし、どこから初めても、細かく説明すると難しくなってしまう。みんなが知りたいことは、細かいことではなくて、「要するに、GPSって何」なのだろう。

細かく説明しなければ、面白くない。しかし、細かく内容に入ってしまうと、GPSの全体像が見えなくなってしまう。しばらく私も、GPSの「全体と細部」の説明のなかで、彷徨わなければならないなと思った。そして、書く私も悩んでいるのに、わかりやすいものが書けるはずもないなと思いながら。

GPSって要するに何なのだろう。「(地上2万kmを飛ぶ)人工衛星を使って、自分の位置を知ること」。そういう欲求から、始まった。そのためにいろいろなアプローチがあったと思うが、今のGPSが生き残った。

GPSは、Global Positionning Systemの頭文字をとったものである。GPSはアメリカが作ったものだが。別にこの仕組みはアメリカ独占ではないだろうということで、最近専門家のなかでは、GNSS(グローバル・ナビゲーション・サテライト・システム)という言葉が使われ始めた。でも今は、実際あちこちで使われているということで、GPSはダントツである。

つい、説明を始める前の、私の独白が長くなってしまったが、書くのに悩むほど、GPSは、広がりをもっている。説明のため勉強することが、私を鍛えてくれるくれるだろうと思う。長い旅を始めよう。今前に進めないのは、長い旅を始めるまえの逡巡だと思う。

2014年4月20日日曜日

私的勉強会「流通楽座」で、「通信販売の動向」を聞いた。

西新宿のマンションにあるオフィスから、東南側を見て写真を撮った。このマンションの周りには、この写真に見えるように緑が沢山ある。昨日17時30分ころ、会社であった私的な勉強会「流通楽座」で「通信販売の動向」を、講義してもらって聞いた。それが終わって、会社から7分~8分のところにあるマンションに帰ってきて、写真をとったのである。少し勉強会で私も知恵熱を出したが、このマンションに帰ってきて、周りの景色を眺めつつ、頭を冷やした。



昨日の14時からの「流通楽座」には、14人の人が集まった。そして昨日のテーマは「通信販売の動向」。しかし14人が近況報告したら、近況報告だけで、1時間半かかってしまった。どの人の話も、面白い。いろいろな経験を持つ人がいて、それぞれが味わいを出すので、近況報告だけで時間がたってしまうのだ。そして昨日は、話題が多かったのなとも思う。



「通信販売の動向」の話は面白かった。世の中は、WEBも拡大し、宅急便も「時間指定ができる」などますます便利になったし、これらを利用する通信販売が、これから小売りの主要手段の一つになるように思う。通信販売は、もう「安物買いの、銭失い」とされることもないほど、製品の品質も良くなった。だからこのタイミングで、通信販売ビジネスで注目されている新しい価値、文化も含めてその動向を聞けるのは、私も幸せなんだと思う。


講師の方も面白い。IBMに入社し、やめて会社を作って運営し、会社を売った。会社を運営したので、何回も修羅場を経験していると思う。でも不死鳥のように、蘇がえってきた。今は中国・韓国に行ってビジネスをしている。その今のビジネスが、「通信販売の動向」につながっていた。


この方は才能がある人なんだと思う。会社経営をしていて、つらい思いをしているはずだが、昨日も明るかった。そして何よりも感心するのは、資料が分かりやすいということと、ビジネスを人間の習性、文化から語っていること。もう「通信販売」は、やくざなビジネスではないのだ。そこで育まれている新しい価値観を、私たちは理解しなければならない。このときに、才能ある人が見た「動向」を、網羅的に聞けるなんて良かった。


この人は、今も中国・韓国に行っている。自分の価値が見つけられれば、どこにでも行って、周りを納得させ、自分でリアルにビジネスをしてきた。たとえ、それがうまく行かなかったとしてもやれば、その結果で自分を反省できる。うーん、この人は男だなと思った。本当の男は、お話はやわらかい。普通の人目線が、話の根底にある。威張って、筋肉もりもりが男の典型ではないのだろうと、この人を見ていると。


2014年4月18日金曜日

GPSの切り口は多い。まるで巨象のよう。





GPSの世界では、今、30個あるGPS衛星のうち一つのGPS衛星が間違えた電波を発出しており、日本の朝の5時から8時ぐらいの間、GPS受信機の位置が1~2km程度ずれている現象が発生している。それで最近の私は、GPS受信機の位置の誤差発生による影響について、何もできないのにGPSを考えるようになった。

私は思い悩むと、25年前、NTT本社で担当課長として、日比谷にいたことを思いだす。そこにいた2年間、思い悩むことが多くて週の半分は仕事で会社に泊まっていた。そして私のパソコンが置いてある机に座って、外を眺めると、そこにはNTT東日本本社ビルとオペラシティ―ビルが見える。世が世なれば、私も今あの灯りのなかにいたのかも知れないと思った。のっけからタイトルと違って恐縮だが、写真は4月17日(木)の夜11時のNTT東日本本社ビル’写真左側)とオペラシティ―ビル(写真右側)である。

話をGPSに戻す。GPSの切り口は沢山ある。その技術の拡がりは、まことに大きいので・・・。「衛星(人工衛星)を使って、自分の位置を知ることができないか」なんて、誰が考えたんだろう。知れば知るほど、GPSには「現代技術の粋が集まっている」と思った。GPSはアメリカのNASA等が軍事用として、金に糸目をつけないで開発した成果なんだろう。

1.どういう原理でGPSはできているのか。 2.その原理を生かすために、どんな仕組みができているのか。 3.GPSはどんなところに使われているのか。 4、カーナビや携帯電話でGPSはどう進歩したのか。 5.GPSの仕組みを作るため、宇宙技術、ロケット技術、その他の沢山の技術がどう利用されているのか。 6.GPSとともに、デジタル地図などの周辺技術はどう進歩してきたのか。 7.GPSは、今どんなことに悩んでいるのか。

それぞれの項目について、話題がいっぱいある。GPSは巨大な象のようだ。「群盲、巨象をなでる」と言う言葉もあるが、同じようにGPSを理解するためには、私たちも群盲のように、部分を理解しなければならないと思う。しかし部分に入っていくと、全体が見えなくなる。だから、全体を把握できるマップを持ったうえで、部分を精緻に理解することが必要になるのだろう。

私たちは、全体と部分の理解を、交互に進めて行かなければならないと思う。その繰り返す作業を、これから私はやって行こう。進めていく過程では、道からはずれることもあるのだろうが、それでも進もう。「日暮れて道遠し」と言う言葉に、これまで66年間以上を生きてくる過程では、何度も同感した。今回も同じ感じだろうなと思うが、やり続けるとなんとかなる、と言うのも66年間生きてきて実感したことの一つだ。そしてこれからGPSという、巨象に挑戦してみようと思う。

2014年4月16日水曜日

私たちから見るとGPSシステム異常が起こっている

「これで分かったGPS」というタイトルで、10人ぐらいの人で本を書いたのは、もう10年ぐらい前になる。写真は、その時の本の表紙だ。ITS推進会議の位置情報アドホックに集まった人で、GPSの勉強をしていたが、その勉強の結果をまとめたものがこの本である。



みんなが、それぞれ苦労したと思うが、まとめる人は、またいっそう苦労したのではないかと思う。著作権の問題があり、「文章は自分たちで書いたもの」、「絵、写真は自分たちが、書き、撮ったもの。あるいは原著者に了解をとったもの」にする必要があった。それのすべてに、まとめる人が気配りすることは、大変だったように思う。



GPSはグローバル・ポジショニング・システムの英文字の頭文字をとったものだ。GPSはNASAが宇宙に打ち上げた約30個のGPS衛星を利用して、地上にいる私たちが持つGPS受信機の位置を計算するものである。GPS衛星までの距離を、GPS受信機への電波の到達時間から計算しているのだ。そして、三角測量の原理で位置を計算している。


GPS衛星は高度約2万kmを飛んでいるのに、その計算結果は、カーナビや携帯電話機で使われているもので、10m以下、平均3m程度の誤差である。高精度のGPSに至たっては、誤差が2~3mm程度。地球の大きさ規模の凄く大きな空間を利用しているのに、精度は人間の大きさに近いところで精度は高い。これもやってみたら、分かったという、側面も大いにあるのだろうと、思った。


GPSは語りだすと、キリがないと思うほど、奥が深く広い。この本のタイトルのように「これでわかったGPS」などというのは、GPSに僭越な気がしないでもないぐらい。これからGPSを、このブログで語って行こう。そうすれば自分のGPSの勉強にもなるから。それが良いなどと思いながら、ヨシ! やりきろうと思った。






2014年4月15日火曜日

新宿パークタワービルに向かっていたのが。振り返るとそこは新宿中央公園

写真は「水道通り」から北に向かって撮った写真。新宿中央公園が写っている。今まで新宿パークタワービルに向かっていたのが、振り返ると水道通りの向こうに新宿中央公園が見えたので、写真を撮った。ここの右側は、東京都庁。左側は十二社通り。

新宿中央公園を北の方に歩くと、十二社通り側に熊野神社がある。前に新宿公園を散歩したら、日本の写真工業発祥の地とかで、小西六カメラの最初のカメラ工場があったところもあった。この公園は、散策するたくさんのエリアがある。公園のあちこちに咲く、いろいろな花もきれいだ。

東京パークタワーのわきを通った。なんだか植えてある木までしゃれて見えた。

この写真の手前の道(水道通り)は、今、私の通勤ルートになってしまっている。写真の奥に見えるのは、東京パークタワー。手前に見える木などがしゃれて見えたので、写真を撮った。私は毎日、このビルのわきを通っているのに、その感激はもうなくなって、ここを歩くのが私の日常になってしまっている。

今は新宿に来ると、家に戻ったという感じになる。


一昨日、アメ横で、福島高専のときの同級生と懇親し、終わって少し用事を足して、初台に帰ってきた。写真の左下に見えるのは、都営バスの車庫。向こうに高く見えるのは新宿パークタワー
真ん中の明かりの見えるマンションは、私のマンションの手前隣のマンション。


ここに来ると、帰って来たなと思う。私も65歳を過ぎて、新宿にいるようになるなんて思わなかった。ここまで来ると安心するようになるなんて。


これまで私が住んだところを思う。生まれてから20歳までは、福島県いわき市常磐湯本町八仙で育った。炭鉱の長屋である。電電公社に入って、松戸市胡録台の独身寮に住んだ。ここに7
年間。それから転勤で、土浦市岩田、つくば市花園に2年半いた。転勤して結婚して、世田谷区千歳台の社宅(小田急線「祖師谷大蔵」が最寄駅)に住む。ここには15年いた。


そして平成3年から、大田区矢口のマンションに住む。ここには20年少しいた。そうか私が一番長くいたのは、大田区矢口なのか。そして今は、大田区矢口のマンションも継続して私の所有だが、ここ新宿にいることが多くなった。京王新線「初台」の駅をおりて、オペラシティ―のビルの中を通って帰る。ふーん、住んだところは、それぞれいろいろな思い出があるが、私の歴史でもあるなと思った。

アメ横では昼酒が、当たり前に見える。


ここは、一昨日のアメ横の15時半ぐらい。みんな座ってお酒を飲んででいる。ここでは昼でも、お酒を飲んでおかしくないところだ。昼酒が当たり前に見える。人通りも多い。昔みたいに、ぐでんぐでんに酔った人はいなくなったと思った。みんな、おしゃれにお酒を飲んでいる。

一昨日アメ横の中華料理店で、福島高専の同級生で懇親した。

一昨日、上野アメ横にある写真にある中華料理の店「楼蘭」の3階に行く。そして福島高専のときの同級生7人で、懇親した。約50年前、一緒に勉強した人たちで、ここ4年ばかり、1年に二度集まっている。一昨日は、16時から19時までの予定で話した。

16時にはみんなそろい、少し早目に始まり、そして懇親の場はカラオケができる部屋だったが、カラオケを誰もせず(結構歌が上手い人は多いのだが)、話だけが盛り上がる。そして、結局20時近くまでいた。久しぶりに会うが、どの人も魅力的。みんなの昔の話を聞いたが、どの話もダイナミックで面白い。

私は昔からおとなしくて、あまり行動的ではなかった。でもこの場にいると、そんなことも忘れさせてくれる。そうなんだ、私の原点はここにあるんだ。みんな優秀で、話も面白い。こういうメンバーで集まるなら、何回でもいいなと思った。


2014年4月13日日曜日

鉢の中で、つつじが、たくさんの蕾を膨らませていた。

中幡小学校のプールで、10往復(500m)泳いで、今週の泳ぎを完了した。中幡小学校から水道通りまでは、家々の間を歩く。そうすると、どこの家にも花が植木に植えてある。いろいろな花が植えられていて、日本人は花が好きなのだと思った。だって、これらの花の手入れは、肥料をやったり。水をやったり、大変だものね。

写真は、植木鉢のつつじが、沢山の蕾をつけていたので、撮った。あちこちの家に、いろいろな種類の花が植えてあって、これらを見るだけで、華やかな春を感じる。

6号坂上公園から、水道通りを望む。ここから中幡小学校に向かって水道通りを曲がる。「

この写真の場所は、水道通りと、6号坂通りの交差点にある公園「6号坂上公園」。写っている道路は、水道通りだが、左側が新宿で、右側は渋谷区を西に向かう。この大きな木は、桜の木で、先々週来たときは、満開の桜の花がきれいだったが、今はもう葉桜。中幡小学校へは、ここから水道通りを手前側に曲がる。

中幡小学校まで歩いて行き、小学校のプールで泳いだ。

今日は日曜日。1週間に1回プールに行っているが、昨日は用事があっていけなかったので、今日行った。先週は渋谷区民センターだったので、今日は中幡小学校。オフィスの入っているマンションが面している水道通りを、西新宿3丁目から、幡ヶ谷まで20分程度歩く。

写真は水道通りの様子。この通りは、甲州街道から1本北に入って、甲州街道に並行している。西新宿の高層ビル街は、昔、淀橋浄水場だったから、この水道通りを通って、渋谷区に水を運ぶため、水道の本管が通っている(か、通っていた)のだろうと思った。

渋谷の駅は人でいっぱい。

昨日は、東急多摩川線「武蔵新田」の駅から、東横線「多摩川」駅に出て、乗り換え「渋谷」駅に出る。そして、渋谷の駅で、この写真をとった。向こうに高く見えるビルは、「ヒカリエ」。渋谷の混雑ぶりは、この写真には撮れなかったよう。

渋谷から井之頭線に乗って、「明大前」駅から、京王新線にのり、「初台」駅に出た。「初台」駅のそばには、今日のねぐらの私のオフィスがある。最近、初台の駅で降りると、自分の家に戻ってきたと思うようになった。

ボランテアが終わって、私の車を駐車場に戻した。

これが私の愛車。昨日ボランテアが終わって、車で大田区矢口まで戻り、駐車場に
車を置いた。ここから近くの多摩川線「武蔵新田」駅に出て、昨日のねぐらの新宿に戻る。

ボランテアの帰り、多慶屋と御徒町公園によった。そこでは春の匂いを感じる。

昨日は、肢体不自由児の水泳お手伝いボランテアで、足立区竹ノ塚うきうき館に行った。友達が
私も含めて6人、子供達は5人。ボランテアは、無事に終わって、何人かで食事をして帰った。

車で行くので、帰りは御徒町の多慶屋によって買い物。ついでに近所にある御徒町公園によった。写真は、御徒町公園で撮った写真。ボタン桜は今が満開だった。春の草花もあり、天気も良く「春のにおい」を楽しめた。

2014年4月12日土曜日

「新丸子」から「武蔵小杉」を見た。そしてせっかく蒲田方面にきたからと、次々に蒲田での用事を足した。

日本医大附属病院からの帰り、東横線「新丸子」の駅から、「武蔵小杉」の駅を見たもの。写真では小さく、武蔵小杉の駅のプラットフォームが見えるが、実際にはすぐそこに見える。

そこから多摩川線「武蔵新田」駅のそばにある、私の車の駐車場行き、車に乗った。そして先輩のいる会社に、車で行く。先輩を車にのせて昔の松竹蒲田撮影場のあとにできた、アロマスケアでとんかつを食べた。そばにある蒲田青色申告会にも行き、その後先輩を会社まで送り、矢口の自分のマンションに行く。そしてミニ引っ越しで一部の荷物を車に積んだ。そして、武蔵新田の女房のお母さんの家による。たくさんいろいろ貰って、新宿「初台」に車で戻った。

日本医大武蔵小杉附属病院に行った。今日の血圧は、いつもより下がっていた。

昨日は、午前中、武蔵小杉にある日本医大附属病院に行った。この写真は、その病院を撮ったもの。私は6年半前、長野で脳溢血で倒れ、救急車で運ばれ、そこで頭蓋骨を外す手術をした。その長野での入院を終え、東京に戻って通いだしたのが、この病院の、脳神経外科。

女房の死んだおとうさんが、丸山ワクチンの丸山先生に、生前懇意にしていただいていたので、お父さんが病気で入院したときも、丸山先生がいた日本医大の付属のこの病院にしている。それで、私までこの病院にお世話になってしまった。

私はここでお世話になっている、吉田先生を信用している。この病院に最初にきたとき、吉田先生は「何のかんのと言っても、薬はなるべく少ない方が良い」と私に言った。この言葉が薬嫌いの私の心の、琴線に触れたのだと思う。今日は、温かったせいか、血圧は低くでた。上が154.下が90だったのだ。これは標準からみれば、高いかも知れないが私としては低いのだ。

新宿の住宅展示場。その近所で会社の歓迎会を開いた。

この写真は新宿の住宅展示場の一部。もう3日前になってしまった。この近所で、会社の歓迎会を行った。大勢の人が集まる歓迎会は、さまざまな学びを、私に与えてくれる。会は面白かった。

2014年4月8日火曜日

朝、起きて考えた。いいブログってなんだろう。

今、朝の7時20分。いい天気だ。今日は温かくなるらしい。天気予報が言っていた。写真は部屋から西側をみたところ。オペラシティ―ビルが左上に見える。あの真ん中右上に見えるのは、たぶん新国際劇場の三角屋根だろう。オペラシティビルの下、写真の真ん中を横に走っているのは、首都高速道路。右側に小さく見えるのは、都営バス(駐車場)。

最近、写真が単調になってきた。私も私なりに忙しく、つまり「心が無」くなってきているのだろう。ふと思った。こんなブログ、誰も興味をもっては読まないだろうなと。自分がブログを読む時を、逆に考えればわかる。せっかちな私は、いいか悪いかを、一瞬にして判断してしまう(それがあたっているか、どうかはわからないが)。そして悪いと思ったら、読まない。

いいブログってなんだろう。きっと次のようなブログかなと思った。①「わかりやすいこと」。②「考え方の切り口が面白いこと」。③「読むと自分の世界が広がること」。④「安定した「不安定」・・・私が助けてあげないと、これは持たないと思わせる、共感させること」。

ネット社会の良さは、結果がすぐわかることだろう。自己中心のブログを書く、と誰も読まない。読まないのが数字でわかる。人のせいにしたがるが、人のせいにしても何も解決しない。そう悟ったとき、反省が始まる。反省しても、すぐそれへの回答がでるわけではない。しかし、反省は解決への第1ステップだ。反省で、自分の考え方を再構築することが出来れば、それが解決への第1歩となる。

やり続けるしかないな。そして、こんなに自分を反省することができるなんて、ネット社会は素晴らしいと思った。

2014年4月7日月曜日

月曜日の20時の、NTT東日本本社ビルとオペラシティ―ビル

月曜日の20時の、NTT東日本本社ビルとオペラシティ―ビル。さすがに月曜日の20時はみんな働いている。頑張れ。きっと無駄も多いのだろう。だけど、それでも、動けば成長するはずだから。・・・こう考えるのは、古いのかな。

私の部屋の本棚。

これが私の部屋の本棚。本棚に挟まった上のほうには赤坂山王の日枝神社で貰った、破魔矢がある(破魔矢の上のほうは写真からはみ出している)。その赤いぶらさがりの陰に、女房の遺影がある。私の部屋には、女房の遺影があるから、結局私も悪いことが出来ないで来た。いや、私の能力もあって、悪いことが出来なかっただけかも知れない。悪いことをするには、能力がいるからね。

本はもっとあったけど、結局なくなったりした。今はこの2つの本棚に入るほどしか残っていない。
10年前から、1週間に1冊本を読み、その読書感想文を書いてきた。しかし、おととしの12月、女房が死んで、それからほとんど読書をしなくなった。

1週間に一回読書感想文を書くのは、大変だった。でもだから、少しは成熟した今の私がいるような気がする。書くため、少なくとも「いいところ」は2度読んだ。そして読書は、同じ本でもすればするほど理解が奥深くなる。

本のタイトルを見ると、同じ本をまた読みたくなる。そういう気持ちが強くなったら、また読もう。そして読書感想文もまた書こう。

朝のNTT東日本本社ビルと、奥にオペラシティ―が窓の外に見えた。

今日月曜日朝5時前に、オフィスから西南に向かって、窓の外を写真にとった。朝のNTT東日本本社ビルと、奥に見えるオペラシティ―。さすがに、月曜日のビルの明かりはほとんどなかった。このビルを見るたびに、私が25年前NTT本社で担当課長をしていたときお思い出す。

良く会社に泊まった。あの2年間は土日も含めて、半分は会社に泊まっていたのではないか。自分の周囲(上司も地方の組織も含めて)に較べ、自分の能力がなかったから良く泊まった。あのころは若かったから、体力もあったからだろうなと思う。

25年前通勤で朝、会社に行くとき会社のそばの交差点に行くと、会社に行きたくないな思った。しかし、無理に行った。先が良くわからないとき、ただそこにいると、結局なんとかなっている。そういうのを繰り返して、今の自分があるのだろうなと思った。そう誰も波瀾万丈を経験しながら、そういう経験の積み重ねで、自分の人生を作っている。私は特別だった思っていたけれど、最近は自分も含めてみんなの特別が、それが普通なんだと思うようになった。

2014年4月6日日曜日

夜20時、窓から暗い外を見た。


夜20時、窓から南へ向かって、暗い外を見た。写真を撮ってみる。たてに点が並ぶのは、ビルの各階の電気の明かり。真ん中の右上に、横に小さく見える明かりは、高速道路の明かり。どこも人が息づいており、人間のダイナミズムを感じる。

今は朝8時。朝起きたとき少し寒かった。寒いとヒートテックの上着を着る

今は朝8時。朝起きたとき、冬ほどの寒さではないが、少し寒かった。寒いとユニクロのヒートテックを着る。この服は、女房が死んだとき、上の娘が、「お母さんがお父さんに買ってあげるようにと言っていた」と言って買ってきたものだ。死んだ女房は、私に少しうんざりしていたと思う。でもときどき、私を心配してくれて、いろいろ買ってきてくれた。

寒いとこのヒートテックの上着を着る。その暖かさ以上に、女房の私への心配りを感じて。そして上の娘の、気持ちも感じる。というようなことを言うと、「ヒョッテいるわね」という女房の声が聞こえそうだが。

朝5時少し過ぎ目覚めたとき、外は霧雨だった。でも8時過ぎの今、晴れてきている。天気予報で
は、午後からまた天気が崩れると言っていた。運ぶものがあって、今日は外に出なければいけないが、その仕事は午前中に済ませてしまおう。

2014年4月5日土曜日

甘夏を食べる。こうして私の人生は過ぎていく。幸せってなんだろう。

松山の友達が、送ってくれた、この直径8cmぐらいの大きなミカンをこれから食べる。私の別な友達と私で、もうすでに合計15個以上食べている。甘夏と八朔を掛け合わせたものらしい。友達のお父さんが持つ畑で採れたもので、売り物ではないので形は悪いけれど、味は濃くて結構おいしい。皮は3mmと厚いので、剥くのが大変。これを食べると、のこりはあと22個。

食べながら、私は思った。生きるために食うのか。食べるために生きるのか。そしてまた思った。確か焼き魚だったと思うが、幸せを感じるのは、「子供らが、うましうまし、と言うて食うとき」。子供が喜ぶと、自分も嬉しい。人が喜ぶと、自分も嬉しい。なんだか、何が自分の喜びの原点なのかわからなくなった。

玉川上水あとの緑道を幡ヶ谷で歩く。そして渋谷区民スポーツセンタのプールで泳いだ。

この写真も、私のブログの最初の写真と同じように、横になってしまった。顔を横にしてみると、これは京王新線「幡ヶ谷駅」そばの、玉川上水あとの緑道。ちょうど桜の時期で、写真をとった15時ころは、天気も良かったので、道に段ボールを敷くなどして、花見と称して焼肉を食べたり、缶ビールを飲む人も大勢いた。

私はここを通って、渋谷区区民スポーツセンタに行く。プールの券を買い、受付の人に見せて、ロッカーのカギを貰い、水着に着替えた。そしてプールに入る。プールでは10往復(500m)泳いだ。ここのところ、いつも時間がなくなっているので、これだけ。でも終わるとなぜか、体すっきり。快い疲れが、けだるく残る。血行が良くなっているなと思う。きっと今日も気持ちよく眠れる。

2014年4月4日金曜日

新国立劇場にオペラシティー。ここに私の心を拡げる空間がある。

17時ころ初台の駅に戻る。雨が降ってきた。そうか、さっきまで、晴れていたのに。女心に春の空。変化の象徴に女性を使うのは、女性に失礼かもしれない。初台の駅に着いて、いつもは通らない、(新国立劇場に出る)中央口を出た。降りると向こうには、1年以上前3度ぐらい行って、コーヒを飲みながら本を読んでいたマクドナルドがある。

そこから、いつも通るオペラシティ―に戻る。写真の左側は、新国立劇場。右側は、オペラシティー。屋根の高さは、私たちの心を、拡げてくれる。今度はここを、ゆっくり歩いてみよう。そして、オペラシティ―を通って、家に帰った。

浜町公園の花壇は、春の花で賑やかだった。そして16時ころ花見の準備をする人が大勢いた

浜町公園の花壇には、春の花が賑やかに咲いていた。パンジーなどの花は色鮮やか。ここを歩くと、春の暖かさを感じる。写真の上のほうのブルーシートは、これから始める花見のために敷いたもの。先に来て留守番の人もいる。1グループ(20人ぐらい)は、16時ぐらいなのにもう花見を初めていた。

35年前、浜町公園の下を走るトンネルの道路の下を走る通信ケーブルを動かす計画をたてた。

浜町公園の向こう側をあがったら、隅田川に出た。上を高速道路が走る。常磐道にいくとき、私がいつも車で走る道路だ。上流側の向こうに小さく見える橋は両国橋。左側の上のほうに小さく見える桜は浜町公園の桜。

この浜町公園には思い出がある。私が最初に係長になったのは、電電公社千代田地区管理部施設課線路係長。そのとき通信ケーブルがいろいろな理由で支障になったとき、そのけ^ブルの移設なども計画する。浜町公園を建設するとき、予定地の下を走るトンネルの道路の下を走る通信ケーブルを動かさなければならなくなった。

ここは千代田地区管理部と、台東地区管理部の境目で、対象通信ケーブルは私の所属する千代田地区管理部のものだった。それで私が動くことになる。だから、ここに来るたび、そのときのことを思い出してきた。そう昔は、私はいろいろ経験したと思う。

浜町公園を歩いた。赤い桜の花が咲いていた。

今日の午後、都営地下鉄で浜町へ行った。少し仕事をするので。16時ころの浜町公園をあるいていたら、写真のようにきれいな桜があった。特にこんな赤い桜の花は初めてだと思う。晴れた空の下、この桜は目立っていた。

都庁周辺では、ほんの少しの桜の花が散った。


都庁の桜の花で、少し散ったものがあった。タイルの上に散った桜が少し見える。昨日も一昨日も雨だったが、散った桜の花は、ここ新宿都庁ではあまりなかった。ここに見えるぐらいか。7分咲きでほとんどの桜の花は散っていないが、早めに咲いたものが、少し散ったのだと思う。

都庁で綺麗な桜の花が咲いていた。

今日15時前の都庁第1庁舎と第2庁舎の間の桜。晴れていた。ことしも桜は綺麗だ。昨日も一昨日も雨が降ったが、散った桜は少なかった。

写真の真ん中より少し右に、小さく黒く見える建物は、NTT西新宿ビル。私は電電公社、NTTにいたから、ついNTTのビルには目が行ってしまう。あれダイナミックループ(NTTの会社を表すシンボル)が見える。そうかあれは、NTT西新宿ビルかと思った。昔、あそこで局長をしていた知っている人もいた。


都庁舎第2庁舎、2階の風景。

一昨日の都庁第2庁舎2階。向こうにタリーズコーヒが見える。友達と、都庁で昼食をした。最近は週に2日ぐらい来ている。このタリーズコーヒで、喫茶したこともある。

話は変わるが、一昨日は私のオフィスに私も含めて5人の人が集まって、お話をした。18時から結局、20時になってしまった。それから4人で勉強会をしたから、昨日の2時になってしまった。