2014年3月31日月曜日

6時45分。春分を過ぎて、急に外は明るくなっている。

この写真は、朝の6時45分の私のLDKの部屋の写真。窓から見える外の様子を背景にして、真ん中にテレビが見える。左には私のパソコン、電気スタンド、椅子等。上のほうに少しエアコンが見える。下のほうは、丸テーブルを囲んでいる4つの椅子のうちの1つの椅子が微かに見える。右の窓の下には、5つの鉢、ごみ箱が見える。
 
今は、7時になった。外はどんどん明るくなって、陽射しも強くなっている。昨日の小雨と強い風が嘘のよう。そういえば、昨日の夕方からは、雷もなった。あれが春雷でしょうね。陽射しの強さに、あわててテレビの後ろのカーテンを閉めた。ついでにテレビもつける。テレビでは、明日からの消費税の変更時間をやっていた。

2014年3月30日日曜日

都庁の姿は、高くそびえたつようで、存在感がある。

今日は風が強い。しかし都庁は、少しぐらいの風はなんでもないように建っている。手前が第2庁舎。向こう側が、第1庁舎。もう私には、都庁はなじみのある風景になった。春や秋は西側の細い公園で本を読む。写真の手前の下の林のようなところで。そして、ここの食堂にも良く行っている。上にある展望台にも行った。第1庁舎にも、第2庁舎にも展望台がある。昔、女の子とこの展望台にある喫茶室に行った。なんか贅沢な気分でコーヒを飲んだのを、覚えている。

今日は朝から少し雨、風は強かった。新宿公園では桜が咲いていた。

3月最後の日曜日の新宿公園。目には桜の花が咲いていたのが識別できたが、写真では見えないか・・・。人間の目は桜の花を、デフォルメして見ているのかな。
 
今日は、朝から少し雨だった。しかし風が強かったので、傘をさしているのは大変。傘をたたんで歩いた。それでも濡れるのが、気にならない程度の雨降り。新宿公園では桜の花が、3月末なのに木を薄く桜色に染めていた。ことしは咲くのが早いなと思ってみていた。

桜の花が咲いていた。ことしの桜は、早い。

昨日、中幡小学校のプールに行く前、6号坂上公園の桜が、木いっぱいに咲いていた。7分咲きぐらいか。ことしは、どこの桜も、今年は早いようだ。

2014年3月29日土曜日

プールから上がって、帰り道、、道端の家に、鉢の桜の花が咲いていた。

プールから上がって、帰り道、、道端の家に、鉢の桜の花が咲いていた。綺麗だったので、写真をとった。

今日は土曜日、中幡小学校のプールで、14往復(70m0)泳いだ

土曜日か日曜日、中幡小学校のプールと、渋谷区民センターのプールのどちらかに、週替わりで行っている。今日の土曜日は、中幡小学校のプール。写真奥から入って、地下2階にあるプールに行って泳ぐ。今日は14往復(700m)を泳いだ。

中幡小学校のプールに行く途中で、木蓮の花が咲いているのを見た。

中幡小学校のプールに行く途中で、木蓮の花が咲いているのを見た。建物の名前を見たら、渋谷区幡ヶ谷区民センターとある。
 
実は木蓮の花をみおるたびに、役30年前、女房の両親と家族で行った新宿御苑を思い出す。ちょうど木蓮の花が咲いていたから、今の季節だ。御苑を散歩していたら、4歳ぐらいだった上の娘が、走って前に行った。私も追いかけたが、前のほうで誰かが、池の中から子供を引き上げている。うちの娘だった。お礼を言って、車に戻り、私が着ていたセータを脱いで、濡れているものを脱がせて、娘をセータに着替えさせた。ただそれだけだが、いつも木蓮の花を見るたび思いだす。

梅原猛の人類哲学を読んだ。草木国土悉皆成仏が21世紀を救うという。

梅原猛の人類哲学を読んだ。草木国土悉皆成仏が21世紀を救うという。「人類」、「哲学」、若い人の心をとらえる言葉だ。私も若い時から、この言葉に魅かれ、考えてきたと思う。デカルトやハイデガーやニーチェなども出てきた。ギリシャ哲学もでて来る。こういうのに魅かれてきた、明治以来の日本人のバンカラ学生の系譜が良くわかった。
 
トインビー、ハンチントンと若いときの梅原猛は対談したらしい。「新しい文明の原理」は「お前たちが考えるのだ」と言われたとか。そういう問題の問いかけに答えようとした、あるいは考えるヒントを模索したのがこの書と思う。梅原猛を読んでいて、凄いなと思うのは、世界の一流と言われる人たちと、委縮することなく対談し、自分の問題意識を作っていくことだ。
 
その世界の一流と言われる人たちの問いの答えが、「草木国土悉皆成仏」という言葉にあるのではないかと、この書は言っている。この言葉は天台本覚思想を端的に表しているそうだ。天台本覚思想、あるいは天台密教の完成者は、良源だそうです。比叡山延暦寺の天台密教は、最澄の始めた天台宗と、空海の真言密教を合体させたものとか。
 
「草木国土悉皆成仏」という言葉は、確かに日本独特のものだそうで、この考え方が、新しい文明を作っていくものだと私も思う。若いときは、私も「私の考え」がすべてだと思っていた。しかし経験を重ね、私の考えは、沢山あるうちのワン オブ ゼンに過ぎないと思うようになった。遅かれ早かれ、みんな考えがそういうところに向かっていくのだと思う。そして、それに向かって、私たち日本人を速めてくれるのは、「草木国土悉皆成仏」という言葉を、私たち日本人はどこかで習ったからからだと思う。
 
「草木国土悉皆成仏」という言葉に表される、私たちのスタンスは、新しい世紀を切り開くための条件になるのかも知れない。しかし一方、私は思った。「草木国土悉皆成仏」だけでは、新しい世界観は作れない。そこに新しい世界観を創るための、新しい言葉が居るのだと思う。それはなんだろう。
 
そのとき私は、2つの言葉を思い出した。1つ目は「間主観」という言葉。数学は多数決で、決まるという岡潔の言葉を思い出した。何が正しいかと言って、それはみんながどう思うかによって決まるとか。2つ目は「動的平衡」ということば。砂浜の形は変わらないけど、構成する砂はいつも変わっている。それに「ゆらぎ」。万物はいつもゆらいでいるのかも知れない。この2つの言葉に、新しい文創る原理が、あるような気がする。、
 

2014年3月28日金曜日

夕焼け小焼けの赤とんぼ。大正12年作曲した草川信がここで教べんをとったらしい。



恵比寿に行って、仕事が終わって、外に出た。少し歩くと長谷戸小学校のところに出る。入口のところを見たら、「夕焼け小焼けの赤とんぼ・・」を、大正12年に作曲していた、草川信は、東京音楽学校を出て、この小学校を教べんをとったとあった。その碑がこれである。2つ思った。1つ目は、昔も良い歌が作られていた。2つ目は、昔は教べんをとっていた人が、作曲もしたのか。

今日恵比寿に行った。梅の花が見事に咲いている木があった。

 
今日は仕事で恵比寿に行った。少し早目の行ったので、仕事で行った先の周りを散歩する。家の庭には、シクラメンや海棠や椿などいろいろな花が咲いていた。どれもきれい。また少し歩いたら梅の咲いている木があった。それで写真を撮ってみる。その写真がこれだ。

この席で私の1日をスタートをする。

この写真が私のパソコンのある席。ここに、ほぼ毎朝座って1日を始める。窓からは、NTT東日本ビルとオペラシティ―ビルが見える。冬は寒かったが、今は春で、窓をあけても気持ちのいい季節になった。
 

2014年3月27日木曜日

私の部屋の窓の外に、NTT東日本の本社ビルとオペラシティビルが見える。

これが私の部屋から、西西南の方向をみたところ。左側がNTT東日本のビル。右側がオペラシティビル。これをほぼ毎朝見ている。夜電気がついているのを見て、「まだ仕事をしている」などと思っている。昔、私がNTTの本社にいたときに比べ、夜仕事をしている人が少なったような気がする。WEBの時代になって、うまく使いこなす人は、効率的に仕事をするようになったのだろう。私など何もITが良く理解できてないないものは、今の時代なら落第生になっているのかも知らない。いや、当時の私も落第生だったのかも知れない。

2014年3月26日水曜日

初めてブログに写真を乗せた。TWITERにもつなぐ。

私のパソコンのある部屋から、外を南側にみた写真が下の通りである。写真が横になってしまって、今は直せない。これをどうしたら直せるか、そのうちわかるだろう。私の人生は、人の倍ぐらいかかってようやく、普通の人みたいになるから、そのうち同じレベルに、つまりちゃんとした写真になると思う。
 
今日ブログに、写真を乗せる方法を教わった。そしてこれを、TWITERに乗せる方法も教わった。だからその方法でやる、最初の記事がこれになる。私にとっては、記念すべき記事になった。これを毎日積み重ねていこう。続ければ、そのうち上手になるだろう。TWITERにもつなごう。
 
 

2014年3月25日火曜日

もうすぐ8時。朝5時半に目が覚めて、6時に起きてから今まで何をしたのだろう。

もうすぐ8時になる。目が覚めたのは、5時30分だった。6時に起きた。いろいろやったと思うけど、あっという間にもうすぐ8時になる。今まで何をしたのだろう。すぐ時間がたってしまった。朝起きて、メールのチェックをする。そのあと、少し仕事をした。メールの返事を書いた。そのあと少し考えごとをする。

時間を見たら、7時を過ぎていた。水を飲み、高血圧の薬を飲む。薬を飲むのは、最近忘れなくなった。そして朝食を作る。下ごしらえしてある大鍋を出して、小さい鍋にいれた。これに煮干しやら、わかめや、卵や、肉や、今日はご飯もいれる(たいていいつもは、ご飯を別に茶碗によそり、納豆などで食べている)。それに「万寿のしずくも、小さいカップに半分いれ、日にかけた。それから、紅茶のバックをを湯呑茶碗にいれて、T-FATでお湯を沸かす。梅干しを小皿にとり、そのうちにTーFATのお湯がわいたので、お湯を湯呑茶碗にいれる。火にかけた大鍋の火をとめて、しばらくして、味噌をとかし、それから、大きな茶碗によそる。そして、私の朝食を食べた。少し食べすぎだと思いながら。

それからブログを打つために、また、パソコンに向かった。もろもろであっという間に時間が過ぎてしまった。こんない、やることが次から次へとあって、そしていつの間にか死んでしまったら、幸せなのかもしれない。最悪は(私は最悪のときが多いのだが)、やることがあるのに、何もしないで時間が過ぎてしまうこと。それが私の「恐れ」だと思う。だから、いつの間にか時間がたつって幸せな状況なのかも知れない。おかげで、最近、私の朝の体操を端折ることが多くなった。これはなんとかしなければ、と思いつつ。

友だちがこのオフィスに来た。20年近くぶりに会い、そして話した。

別な友達から電話番号を聞いて、電話して、メールをして、友達にこのオフィスに来て貰った。会ったのは20年近くぶりだと思う。今日、14時30分に来てくれた。その友達は、代々木上原、このオフィスに比較的近いところに住んでいる。ほぼ同じ世代だから、何かしら病気を持って居る人が多いが、この友達も、神経系の病気を持っていた。歩くのが、少しおっくうらしい。神経系の病気は、原因が良くわかないから大変だ。

14時30分に来て、19時過ぎまで話す。あらためて、この人の才能を感じた。50歳でNTTをやめ、それから不動産事業を始めている。不動産事業も、ありあまる不動産をベースに初めたわけではない。しかし、本人曰く、幸運もあり、周りの人におされながら、それなりに成功してきた。そして少子高齢化もあり、不動産事業の将来性に見切りをつけ、ほとんどの不動産を売って、現金化したとか。たぶん、自分の健康に対する、不安感もあったのだろう。

不動産事業では設備の更改などは、なんでも自分でやるようにしたらしい。そのための資格も、沢山とってきたとか。それは凄い。なるほど、この人の実行力を感じた。不動産事業を通じての、多くの人との出会いも聞く。そうかこの人は、周りの人に何かをやる人だと思わせ、そして実際にやってきた。それならみんな、この人と長いつきあいをしたいと思うだろう。

この人は、気取らない人だ。そしてやらなくてはいけないと思ったこと、やるべきことはけれんみなく行う。ある意味素直な人生だ。長い間離れていたが、言われてみると、そういう人生を送ってきたのが分かる。そうだ人生に難しいことはないのだ。正しく思い、その通りにやる。それがこの人は、やってきたのだなと思った。それもやるにあたっては、この人の才能をつかいながら。

本当は「私の仕事を一緒にやろう」と誘おうと思った。お金に困っている人ではないので、私の仕事の意義を語りながら。でも神経系の病気なら、しょうがない。若干は、私の気持ちもほのめかしたが、あまり具体的に語ることはしなかった。この人は今、自分の病気をいろいろな先生に診てもらいながら、検査など調査中らしい。その結果を聞いてから、場合によったらまた話そうと思った。

いつのまにか19時すぎまで語りあい、この人は帰った。私と一緒に仕事をしている人たちを懐かしいもという。次回は私が今一緒に仕事をしている人も含め、昼食をたべながら話そうと思った。結論はあわてない。「待てば海路の日和あり」という言葉の意味が、この年になってやっとわかって来たから。

2014年3月24日月曜日

8時近くの太陽は、もう燦々と輝いている。

今日は5時30分におきた。はじめにパソコンの前に座り、メール等のチェックをする。春分の日も過ぎて、明け方は明るくなった。今、8時近くの太陽は、もう燦々と輝いている。これまで、朝食をたべて、その他もした。昨日した洗濯物も、たたんで、所定のところにいれる。テレビの天気予報によると、今週は温かくなるとか。さあ、今週もはじまる。いろいろな人に会う、そして私にとってはたぶん激動になるであろう、1週間が始まる。

2014年3月23日日曜日

今日は、渋谷区民センターのプールに行って泳いだ。プールをあがると、花壇に咲く春の花を感慨深くみた。

昨日20時ころから23時ころまで、2週間に1回の私の食べる料理の下ごしらえを、3つの鍋にした。昨日は作るまでやり、作ったものは熱いので、大鍋が冷めるのを今日の朝までまつ。それで今日の朝は、3つの鍋から、5つのタッパーに、なるべく等分になるようにとり、それを冷蔵庫の冷凍室にいれた。そして残ったものは、全部大鍋にいれて、これは冷蔵庫の冷蔵室にいれる。そのほか、なにかやることがいろいろあり、いつの間にか11時になっていた。

昨日から今日にかけての泊の仕事は、珍しく忙しく(いつもは余裕があるのだー笑)朝9時のメール報告まで、目いっぱいかかってしまった。それで今日の朝は、2週間に一回の料理の下ごしらえのかたづけもあるし、朝食もあるしで、時間がどんどんたっていく。今日は友達が、ここに14時30分に来る日だと思っていたので、その前にプールに行かねばならないとも思い、焦ってやったが11時になってしまった。

玉川あとの緑道を、初台から幡ヶ谷まで歩き、渋谷スポーツセンタへ行く。そして、プールで泳いだ。時間もないからと、水泳は10往復(500m)で終わる。そういえば、若いときは30往復だった。それがいつの間にか、20往復になっている。そして今は、いろいろ理由をつけて10往復になってきた。でも10往復でも泳ぐと気持ちがいい。爽やかな気分になった。そしてプールをあがって着替えた。

プールの受付の若い人も、親切だ。プールを出て玄関に来たら、花壇が目につく。パンジーは冬でも咲いているが、一緒にパンジーのほかの春を思わせる花も沢山咲いていた。名前も書いてある。でも覚えられないな、今度時間に余裕のあるとき、名前をメモして行こうと思った。花を見て感慨深くなるのは、年をとったからかな。

幡ヶ谷の駅にでて、初台ま一区間電車に乗った。そして初台の駅をおりて、オペラシティ―へのエスカレータに乗る。広場では、女性がビオラかな、笛を吹いていた。リズムをとっている。帽子を深くかぶっていて、顔は見えないが、なぜだか綺麗な人だろうと思った。だってあのリズムで体を動かす様子は、とても自然で気持ちよさそうだもの。そして急いで家に帰った。家では友達を迎えるための、部屋かたずけをする。

来ると思っていた友達がなかなか来ないので、よくメールを見たら、来るのは明日だった。やっぱり、私は生来のおっちょこちょいだ。これはたぶん、母親に似たのだろう。母親はおっちょこちょいだったし、その分ズーズーしくしないと生きていけなかった面もあり、ズーズーしくもあった。父親もおっちょこちょいだったのかな。

父親は3歳のとき父を亡くし、5歳のとき母を亡くした。だから、親から学ぶべきことで、学べなかったことが多いと思う。その二人の結晶が、私だ。「不完全なところが多いのは、しょうがない」などと、私は自分を慰めながら、ここまで生きてきた。だから、ここまで良く生きたと思うし、それにつきあってくれた、死んだ女房には感謝している。姉は・・・。うーんこの世を生きた戦友だな。まあ、いろいろな人に世話になりながら、ここまで歩いてきて、これからもあるて行く。

昨日、女房とそのお父さんが眠るお墓に、行ってきた。そして、親戚で中華の昼食をした。

昨日は、杉並にある本仏寺に行きました。そこには、お父さんが眠る墓があります。その隣がちょうど空いていたので、買って八木家のお墓をつくり、女房もそこで眠ってもらうことにしました。と、言っても、手続きや、お金の払い込みは、全部、娘がやりましたが。私は娘に聞かれて、家紋などを教えただけでした。

私は長男で、水戸にあるお墓を守らなければならない立場です。が、子供が娘二人だけで、この先どうなるかわからないので、男の子が二人いる弟に、お墓を守ってもらうことにしました。それはいけないという意見も、弟の奥さんの実家からはあったようです。でも、紆余曲折ありましたが、結局そういうことに落ち着きました。私が死んだら、今度作った杉並の墓と、水戸の墓に半分ずつ、私の骨を分けてもらおうと思います。だって、女房も心配ですけど、父母も心配ですからね。死んでしまったら関係がないのかも知れませんが、なんとなくそう思ったので。

私は、今いるところから、20分ぐらい歩いて、「中野坂上」に出て、そこから丸の内線で、「新高円寺」に行きます。そこからお寺に徒歩で行きますが、私の今の家と、お寺は案外近いので、早くついてしまいました。そこへ、弟さんが奥さんと一緒に、女房のお母さんと、その妹さんと、私の下の娘を車に乗せて、きます。上の娘も電車で来たのですが、弟さんの車と着いたのが一緒になりました。

お寺に掃除代も出すのですが、みんな上の娘がやっています。そして、みんなでお父さんのお墓と、女房のお墓に墓参りしました。いい天気だし、気持ちが良かったです。

その後、赤坂に行って、みんなで何かあると良く行く、中華の店で、昼食をしました。女房の弟さんが、全部やってくれるので、私は食べるだけ。私の何もしない人生を、象徴するようですが、「まあ、これが私の人生」と割り切っています。その意味では、このメンバーでの食事は、私にとっては昨日も気が楽でした。この店の食事は、高いのだと思いますが、とてもおいしい。出てくるのは少しずつですが、おなかもいっぱいになりました。そして、最後はデザート。食事が終わって、私は新宿に戻りました。

2014年3月21日金曜日

今日は、永井荷風の「墨東綺譚」で有名な「玉の井」に行って来ました。


 私は、今日は墨田区東向島に行ってきました。「初台」、「馬喰町」「東日本橋」「浅草」「東向島」と乗り継ぎます。そして、私より年上のかたと東武線「東向島」駅(旧名「玉の井」駅)で待ち合わせ、周囲を散歩してきました。ここは永井荷風の「墨東綺譚」で有名な私娼窟街「玉の井」のあったところです。

 私は入社してすぐ、ここを管内に持つ向島電話局で、働きました。田舎から東京に出てきて、まだ西も東も分からない状態で、この辺を右往左往していましたので、懐かしいところです。生きているケーブルを、切ったり、狭い道を電話機の故障修理で車で入っていったら、だんだん道が狭くなっていって苦労したり、そのほかいろいろなことがありました。
 
 自分の駄目さ加減に、辟易したところでもあります。「青春時代が夢なんて、後からしみじみ思うもの。青春時代の真ん中は、道に迷っているばかり・・」。歌の文句じゃないけれど、道に迷ってばかりいる青春時代だったのを思い出しました。
 
 玉の井界隈を散歩して、京成「曳舟」駅まで行って、向島電話局なども見ます。そして曳舟通りそばのとんかつ屋に入って、食事をしました。そこから「向島百花園」に行って、白髯神社のわき通って堤通にでます。ここは40年強前、私が電話局から墨田地区管理部に行kって、初めて電柱と、そこを通るケーブルの支障移設設計をしたところなので、懐かしかった。
 
 私が、初めて電柱の支障移設の設計をしたところにいったら、そこには電柱がもうなくなっていました。ほぼ40年前の話ですからね 。仕方がないのかも。「曳舟」駅もここ堤通も、偉く喫茶店の少ないよころでした、堤通と明治通りが交差するところに、ようやくデニーズが見つかります。このデニーズに入って、ケーキを食べて、コーヒを飲みました。
 
 店を出て、明治通りを、白髯橋を通って、隅田川をわたっていきます。風の中を、隅田川の上を歩くなんて、私たちも酔狂だなと思いながら、川を渡ると、そこは台東区です。山谷の中心、泪橋を通って、南千住まで出て、そこで、ご一緒したかたと、わかれ、また、我が家に戻ってきました「
 
 

昨日の小雨が嘘のように、今日の空は晴れ渡っている。

昨日は世話になった人の送別会があったが、小雨だった。外にでたら、寒いぐらい。今日も5時半ぐらいに起きたときは、曇っているような感じだった。でも8時の今は晴れている。きょうは、11時ころまでに東向島に出かけるが、暑くなるかも知れないと思った。外では、小鳥の鳴き声も聞こえる。5鉢の鉢に水もやった。

友だちも、やることはやって、今日は忙しくなるといいながら、少し早く帰った。この後は少しの時間、私がやる。何かあったら、対応もしなくてはいけないが、たぶん何もないだろうなと思った。3連休の最初は、幸先が良い。

昨日は、お世話になった人の送別会があった。

私と同学年の人が、今年の3月で会社をやめるので、送別会をした。私はこの人には、この会社に来て世話になっている。そしてこの人はやるべきことはやるので、私が担当のこの人関連の仕事をするときは、やりやすかった。この人の、言うことはわかりやすい。

ここに来たときにこの人を見て、たぶん頭が良いのだろうと思っていた。なぜならこの人は、なんでも簡潔にすましてしまうので、この人のやることは簡単に見えてしまう。でも難しいことを、簡単にやってしまうのは、プロの味わいと私は思ったのだ。それにこの人は、それを威張らないのが良い。

送別会には30名ぐらい集まった。大勢の人が集まったのは、みんなこの人を、好きなのだろう。あるいは好きではなくても、嫌いではないのだと思った。会は賑やかに進む。いろいろな演し物が続いた。上善如水を、この人を見るたびに思う。この人は私より早く生まれているので、もうすぐ67歳。このあと何をやるのだろう。

この人の趣味は広い。歌をグリークラブでやっていて、それも結構、忙しいらしい。奥さんとも、小コンサートもやっているらしい。海外旅行は3回/年、国内旅行は1回/年をする予定とか。元気なうちに全部やってしまおうと、急いでなんでもやりたいらしい。広島生まれで、原爆を体験したおかあさんが新聞に載っていたのを、見せてもらったことがあるが、こういう人生もあるのだなと思った。

この後この人には、どういう人生が待っているのだろう。私のように死ぬまで、じたばたする人生を送る価値観は、持っていないんだろうと思った。能力を持ちながら、それをあくどく出すことをしないのが、この人の魅力であり、欠点かも知れない。でもここの最初の仕事で、この人が苦労しながら前に進んだのを、今回の送別会のこの人の話から知ることができた。

2014年3月20日木曜日

昨日、渋谷でほぼ30年前、同じ職場にいた懐かしい人たちと懇親をした。

昨日は、夕方渋谷に行って、ほぼ30年前一緒だった人たちと、私も含めて8人で懇親をした。一番偉かった人ももうすぐ80歳だがお元気で、また気さくでもありストレスもなくお話ができる。偉くなった人も多いが、昔に戻ってみんな楽しく話せた。このメンバ^ーは不思議と、威張りたがる人はいないように思う。おかげで、みんな言いたいことを言っていたと思う。なにか、久しぶりに会うとは、思えないように話が弾む。楽しかった。

一部の人で2次会に行った。話が盛り上がったと思う。おかげで、家についたのは午前様になってしまった。午前様になってしまったなんて、女房が死んでから初めてかも知れない。こんなメンバーで、久しぶりにあっても、盛り上がってしまうなんて、凄いなと思った。いろいろなグループで集まれるって、私も幸せものかも知れない。

2014年3月19日水曜日

今日は良く寝て、7時に目が覚めた。外はいい天気。花が萎れた5つの鉢に水をやった。

昨日は仕事で友達が来ている。破滅型の私は、一人でいると自分で自分のリズムを作れないときがある。そういう私が、友達が来たら友達のリズムに合わせて、今日は私のリズムを取り戻した。昨日は、22時前に寝たが、今日目が覚めたら7時。もう外は明るかった。気持ち良く目覚めて、ブログを打ち始める。5つの鉢の花は、奥の私が名前をしらない、ピンクの花だけが咲いているが、あとは花が枯れた。でも来年のために、球根ができるかも知れないと思って、花が枯れて、葉の緑だけなった5つの鉢に水をやる。

私は、私の両親からDNAと、生きる術を引き継いでいる。父親は、日露戦争後の満州で働いていた両親を、小さいときに亡くなってしまって、その後は親戚に預けられて、新潟の水原で育った。小さいときの父親は懸命に、生活の術をいろいろ覚えたと思うが、両親から教えて貰うのとは違うと思う。だから、そういう父親が頼りにしたと思う格言を、私は父親から沢山聞いた。

母親は、茨城出身の両親の元、川崎で生まれた。母親の両親は、水戸の近所の少し歴史のある家に生まれているらしい。母親のお母さんは、頑張り屋だったそうだ。やっぱり早くに父親を亡くしたが、母親の母親が家をきりもりしたらしい。だから母親の兄弟は、みなそれなりにやってきた。そのなかで、これはいとこから初めてきいたとき、私にはショックだったが、母親は兄弟のなかで一番頭が悪かったらしい。でも言われてみると、それも良くわかった。そういう意味もあって、「母親も良く生きてきた」なと思うこともある。そのときは、まるで私みたいじゃないかと思った。

そういう父母の遺伝子と、生活の術を貰った私が、今、ここに生きている。そうなんだ、私は両親を初め先祖から受け継いだ、もろもろを引き継いで、今があるのだ。だから還暦を過ぎた今、それに私の環境を、少しでも反映させるように頑張らなければと思う。

みんな人は、それぞれの歴史を背負って、生きている。みんな違う人生を、背負って。だから、みんなそれぞれに波乱万丈の人生で学んで、結果この地球という存在に、貢献していけることは凄いことだと思う。私もその一齣として、頑張れねばと思った。

2014年3月18日火曜日

テレビを買って映した。これで私の生活は、どう変わるのだtろう・。

テレビを買った、3日前に宅急便で届いて、設置したが点かない。マンションの受付の人に聞いたら、そのままつければ点くそうだ。それで。昨日もう一一度、設置にチャレンジしてみることしている。説明書を読んだらCAFカードをテレビに付けないうまく行かないことが分かった。なんだそうとか思っ、、やったが、やはりうまく行かない。おまけにCAFカードをなくしてしまった。うーん、私が小さい時から、ものを良くなくしていたのを思い出す。

今日、友達が来て、私がCAFカードを失くしたこととかの経緯をみんな聞いていた。そして何やら、探したり、作業をやっている。CAFカードテレビの中にあったらしい。そしてテレビは映った。そうか、私はこんななくしものの多い人生を送ってきたのだと、思い出す。

私はだいたい、何もできないのだ。会社を作ったのも、人と会うとその人たちから、学べるからという理由も大きいと思う。そうだ、私はいつも誰かと一緒にいないと、やっていけないのだ。ありがたく、「人の良さ」を学ぼう。私は足りないことが、多い。私の両親から、生きるすべを学んだが、私の両親も生きるのに苦労していたから、それを私は身に着けた。そしてこんなときは、思い出す。「
親のないこのように」という歌を。親があっても、こう苦労しているのだから、親のない子はもっと苦労しているだろうなと思いつつ。私たちは、今の場所から前に一歩一歩進むだけだ。それしかできないから。

2014年3月17日月曜日

この前までの寒さが嘘のように、今日も晴れていて暖かい。もうすぐ春だ。

今日は、雲一つなく晴れ渡っている。昼マンションに来ると、部屋のなかも温かく感じた。電気炊飯器にコメをいれて炊き始める。玉ねぎと4つのキノコが入った炒め物を、ねぎもいれて炒めた。餃子も焼く。これらを昼食にした。お湯をTーFATでお湯をあたためて、紅茶を飲む。ご飯が炊きあがるのには50分かかったので、これは夕食に食べることにした。今日は、納豆を買ってている。ねぎも買ってきた。夕食が楽しみだ。

窓の下の、5つの鉢は、チューリップやヒヤシンスの花は枯れた。今も咲いているのは奥のピンクに花だけ。手前のワンダー(クローバの大きいものに見える)は、これらの花束に緑のアクセントをつけるために、入れてあるのでこれも変わらない。チューリップやヒヤシンスは花は枯れても、葉の緑は変わらない。球根はできるのだろうか。晴れると、これらの植物も気持ちよさそうに見える。

昨日、中幡小学校のプールで、10往復(500m)泳いだ。

昨日の午前中は、パソコンゲームに嵌まってしまった。午前中、目覚めてからずーっとして、気が付いたら、14時半になっている。朝食は食べたが、昼食も食べずにゲームをしていた。私の今日の予定とは、かなり違っている。絶対、私の血圧対策の週1j回水泳はしなくてはいけないと思い、あわてて最低限のことをして15時、中幡小学校のプールに向かった。

プールでは、時間もなくなっていたので、10往復(500m)泳ぐ。いつもはもっと泳ぐことを目標にしているが、私の血圧対策の水泳としては、これだけ泳げば十分だ。中幡小学校のプールから出て、すっきりした気分で家まで戻る。歩く時間は20分ほど。新宿の高層ビルに向かって歩く。あれがオペラシティビル、あれがパークホテル東京の入るビル、あれは東京都庁ビル。高層ビルは遠くても近く見える。でもそのうち時間が解決し、それらが近くなって、家に着いた。

今日は、パソコンゲームで時間を費やしてしまったので、予定が狂った。それで、家に帰って、それからやるべきことを、7項目もメモして、だんだんつぶしてレ点をいれていく。もちろんブログを書くのもいれたが、これだけ3つのうち2つを書くのを、今朝に回してしまった。書くのは時間がかかる。そして今、終わった。やるべきことを、メモすると全部できるな、と思いながら。

一昨日午後ボランテア勉強会で、OODAループ理論の話を聞いた。

一昨日のボランテア勉強会は、14時から17時まで行われた。いつものように、15時までは、参加者の近況報告。そして15時から昨日の講師から、OODAループについて話を聞いた。私はOODAループという言葉は、初めてだが、ここでウイキペディアをもとに解説すれば、次のとおりである。

OODAループは、朝鮮戦争航空戦についての洞察を基盤にして、指揮官のあるべき意思決定プロセスを分かりやすく理論化したものである。すなわち、監視(Observe)- 情勢判断(Orient)- 意思決定(Decide)- 行動(Act)のサイクルを繰り返すことによって、健全な(早い)意思決定を実現するというものであり、朝鮮戦争にも航空操縦士として参加したアメリカのボイド大佐(1917.1~1997。3)により提唱された。

これが、今もアメリカ軍の機略戦コンセプトの中核的理論となっているとのこと。ひとことでいうなら、現場のことは現場にまかせて、早く決断することで、相手をうわまわれというものだった。そのための良い決定の仕組みを追及するものが、OODAループと思う。

講演者は、ボイド大佐が好きなんだと思う。講演からは、そういうものも含めて、熱が伝わってきた。だから、OODAループは一見難しい理論であるが、OODAループが目指すものが講演から伝わってくる。そうか、講演するときは、この熱がなければいけないのだなと思った。

2014年3月16日日曜日

昨日は、ゆる体操の講習会。注目されると、体は自分を自然に矯正しようとするらしい。

家を8時半に出て、京王新線「初台」まで歩き、「新宿」からJRに乗って「新大久保」まで行きます。土曜日の朝でも、いつもよりは人は少ないとは言え、新宿界隈にはもう人がいっぱいいました。新大久保から10分ぐらい、JRに沿って東側を高田馬場方面に歩くと、そこに大久保スポーツセンタがあります。

そこまで、新大久保のコリアンタウンの賑わいを楽しみながら、ぶらぶら行きました。ここで第3土曜日、歩け歩け協会主催のゆるウオーク(ゆる体操)の教室があり、私は6年間、ほぼ毎月、この教室に行っています。

最初の3年ぐらいは、秋葉原から御茶ノ水に行く途中の、日本歩け歩け協会の事務所があるところで、この教室はやっていました。私の友達は、歩け歩け協会の指導員をしています。私は6年半前、脳溢血で倒れて頭蓋骨を外す手術をしました。

その私に、友達は「年寄向きの体操があるから、リハビリにために練習に来い」と言ったので、行き始めたのです。リハビリになりました。教室での練習が終わると、不思議に歩きが楽になるのです。だんだん齢を取るとともに、私の足は悪くなっていくようではありますが・・。

先生は、女性の元市民ランナーでもある、小松美冬さんと言うかたでした。初の先生との出会いで感じたのは、この先生はどこに行っても、みんなに可愛がられて、うまくやるだろうな。そしてそういう性格に甘えず、なんでも一生懸命やる人だな。何よりも、この先生は“威張る”のを、拒絶する雰囲気がある。いい人だな、と思いました。

そのうえ、ゆる体操の理念がいいのです。人間が持っている“自然治癒力”が、ゆる体操のベースにありました。私は小さいときから父親に、自然治癒力が大事だと、何度も聞かされていましたから、この理念は、私にフィットしたのです。

昨日の教室は、2月が大雪で中止になったこともあり、特別な教室になりました。この「ゆる体操教室」は、いつも楽なのですが、その中でも楽だったと思います。その内容は、体は注目されると自分で自然に、自分の歪みを矯正しようとするので、自分の体に注目すると良いというものでした。そして体への注目の仕方は、さするという行為だそうです。教室では特に下半身を中心に、さすり方を教えてくれました。

小松美冬先生は、前からですが昨日も言っていました。体は自分を一番知っている。私たちの限られた経験でできた知識で、体に命令してはいけない。体に「どうしたいの」と聞いて、体が答えるようにやって見ると良い。それはそうだな、と思った。そして帰りは、昨日も行くときよりも体が軽くなっている。

2014年3月14日金曜日

電気炊飯器を買って、米を買って、ご飯を炊いて食べた。

電気炊飯器を昨日買った。一番安いものを選んで、かったのだが、部屋のなかにおいてしまえば、安さなんてわからない。そして今日は、米を買った。水加減はいい加減だけれども、炊くとおいしそうなご飯ができる。これに野菜等の具と卵をカレー煮したものを、茶碗のよそったごはんと一緒に食べた。食べ終わってそのままだと良いのだが、しばらくして、残りのご飯を茶碗によそって、わさびの粕漬けで食べる。粕漬けで足りない分は、ふりかけのりを出してきて、食べた。

ご飯はおいしいから、これから食べすぎるかも知れない。ご飯を食べないで、4kgぐらいやせたが、また太るのかも知れないと思った。

昔読んだ船井幸雄さんの、「超効率的勉強法」を引っ張り出してきて、また読んだ。

この本は昔読んで本棚にあったのだけれども、どんなことが書いてあったか忘れてしまった。ただ、私の本棚から、この本が私を見ている。これからは楽に生きたいなと、最近思っていたので、その気分もあって、この本のタイトルに惹かれて読んで見た。フリーな時間が前より少なくなって、読書量は激減した私だが、隙間の時間で読んでみる。読んだら、中身を思い出してきた。ビックリする人がたくさん出てくる。

そうか、これは船井さんレベルの人には、超効率的なのだろうが、内容にビックリするだけの私には、ちっとも効率的ではない。しかし、前回読んだとき、読み終わって、わからないなりに、温かい気持ちになったのを思い出した。それに今回は、昔より少し、ビックリに抵抗感がなくなっている。そうかこれはビックリに抵抗がなくなるまで、繰り返し読まなければならないんだろうな、と思った。

4人の人と船井さんの対談、それに4人の人と児玉さんという(昔、船井本社にいた)女性がインタビューをしたものが載っていました。この本を読むと、8人のビックリ人間とお付き合いすることになります。この人たちは、船井さんが、きっと本物だろうと思うけど、十分にはわかってない人たちということですから、私などまだエゴが多く浅薄な人間には、今回もだいたいわかりませんでした。でも私の世界観をまた少し、変えてはくれたとは思います。以下に8人の人を、私なりの理解で、簡単に紹介してみます。

船井さんが対談する最初の人は、イハレアカラ・ヒュー・レン博士です。イハレアカラ・ヒュー・レン博士ーーハワイの秘法で究極の「人間正常化システム」でもある、ホ・オポノポノを駆使して、触法精神障害者のハワイにある病棟を、劇的に良く変えた人。ホ・オポノポノの流儀により、誰の診察もせずイハレアカラ・ヒュー・レン博士は、変えました。自分の心に聞いたそうです。この問題の原因は、私の心の何に問題があって起こるのですか。これこそ究極の、自己責任の追求。他人がなした行為の問題を、自分の心の何に問題があるのか。そう考えることによって、人の心が変わっていく。へー、こんなことがあるのか、と昔の私は思った。そして、私が毎月している、肢体不自由児の水泳お手伝いボランテアで、試してみている。少しだけだけど、私がやっても本当に、私が面倒を見ていた子の心が変わった気がした。そうか、人はみんな心の深い奥底ではつながっているのか。でも感動しつつ、私はまだホ・オポノポノを良くわかっていない。

対談の2番目の人は飛鳥昭雄さん。飛鳥さんは河内出身。船井さんとは高校が一緒で、後輩のようです。飛鳥昭雄ーーこの世はプラズマでできているという。これで説明すると、UFOも説明できるし、地底人間も説明できるらしい。アメリカのロズウェル事件も説明ができるとか。何回聞いても分からない。ただ飛鳥さんは、アメリカを中心として、独特の情報ネットワークを持っているらしい。私がわかったことは、「飛鳥さんの笑顔が素敵だ」ということだけ。

対談の3番目は、井出治さん。物理的には、常識の塊のような私などから見ると、ありえないフリーエネルギーを研究している人らしい。井出治--昭和24年生まれで、立命館理工学部を出て、セイコー電子に行った人。この年齢もキャリアも、私と似ている。だから経歴は凄く良くわかってしまう。その後フリーエネルギーを研究して、日本緑十字社フリーーエネルギー研究所所長になった。フリーエネルギーがわかると、UFOも、月の裏側の話も、ご自身も偶然経験したというテレポーテーションも説明がつくらしい。そうでしょうね。私たちが金科玉条にしてきた「エネルギー保存の法則」を、覆す(永久機関も可能となる)フリーエネルギー理論で行くと、なんでも説明ができるだろうと思ってしまう。私は今も、良く分かっていない。この本を読んで、ただ一つ正確に思い出したことは、私たちが今なじんでいる、交流システムを作ったテスラに、私が興味を持ったのは、前にこの本を読んでからだのことだということだけ。

対談の4番目は、ジュード・カリバンさん。イギリスの女性である。ビジネスウーマンとしても、スピリチュアルな面でも、大成功しているとか。ジュード・カリバンーーこの人も、笑顔が素敵だということ以外は、理解できなかった。動植物とも話ができるらしい。同じ霊性の大きいT少年の同席を要望したらしいが、この少年も動植物と話ができるらしい。私はこういう人たちとの会話で、盛り上がってしまう船井さんが、この人も宇宙人だなと思ってしまった。ジュード・カリバンさんは、いろいろ言ったが、私の印象に残ったのは、「問題が起こったのと同じ次元で考えていても、問題は解決しない」という、アインシュタインの言葉だけかも。私たちの身の回りにおける問題は、私たちを今までとは違った次元に、私たちを連れて行ってくれる、キッカケなのかも知れないとも。

次は児玉さんのインタビュー。最初に登場するのは、七沢賢治さん。七沢賢治ー昭和22年生まれだから、私と同世代。小さいころから、知らないうちに何回も脱魂していたらしい。自分は病気かと思っていたらしいが、それがこの人の原点のような気がする。波動学者、言語学者、宗教研究家、発明者で、泊家神道の継承者でもあるらしい。言霊が出てくる。発明したQESは、人の量子エネルギー的歪を電磁気エネルギーで調整しているらしい。量子脳理論がベースになっているらしい。わからないことだらけだが、その考えを人間の健康に生かしているなんて、この人は凄い。ただ凄い世界があるんだな、と思っただけなのが、私の今のレベルなのかも知れない。

インタビューの2番目は、土田裕三さん。土田裕三ー昭和17年生まれ、早稲田大学から日立系の会社に入ったが、25歳のとき交通事故に会い、生死をさまよった。それでそのとき土田さんを助けてくれた、針きゅうの師になる。波乱万乗の人生が、始まったわけだが、この人の精神はわかるし、素敵だ。もの凄く努力すれば、こうなるかも知れないと思う。いわく「患者さんが治る喜びから、命がけで仕事ができる」。喜びが今の時代は、私たちの最大のモチベーションになるのかも知れないと思った。そう思っていたら、最後に信じがたいことが語られます。『・・実は39回ほど死んだことがあるんですよ・・』『・・「お前また生き返ってきたのか。何回もやられたらたまらんよ」と言われました(笑)』。ふーん。神様は生きていて欲しい人のことは、生かし続けるのかもしれないな。などと、異次元の世界に引きづりこまれて、私も考えていました。

インタビューの3番目は、加治将一さん。加治将一-昭和23年生まれ。今は小説家。私はこの人の本は、何冊か読んだ。歴史的なことを書いているのが多いが、その内容は通説から考えると、奇妙奇天烈である。しかし、読んでみると、不思議と私が得た知識に照らし合わせても、内容に矛盾がなかった。歴史に興味ある私としては、この人の歴史を扱った小説に、今、嵌まっている。曰く「支配者が作った舞台を壊していく、作家としての仕事観」。歴史に関する本以外も、この人はたくさん書いているが、この人のスタンスは、『宇宙に善悪はない、基準は「そこに愛があったのか」』。それで、私はこの人の「アルトリ岬」も読んだ。」
 

 インタビューの最後、4番目は、若松俊男さん。若松俊男ー昭和18年、中国・大同で生まれ、敗戦で引き揚げ、福井県で育った。科学者、発明家。発明では1000件超える特許を持っていて、日本のなかで図抜けているとのこと。敦賀高校では、ほとんど学校の教室に行かず、図書館にばかり行っていた。卒業式では単位不足で、落第させられると思っていたそうです。校長先生は若松さんが用務員のオッチャンと思っていた人で、若松さんが図書室に行っていたのを、毎日見ていました。その校長先生が、卒業式の場で、みんなの採決をとり、賛成圧倒的多数で、卒業できたとか。へーこんなことが昭和37年のころは、あったんだと、私は思いました。それにしても、若松さんは天才です。インタービューの内容を見ると、その天才ぶりがわかりました。こういう人たちが、何人もいる日本って捨てたものではないな、と私は思います。前読んだときも、今度読んだときも、私の心は温かくなりました。

今回、この本を読んでみて、改めて世の中には、私のわからないことが沢山あると思いました。そういう意味では、私はこの世から学ぶべきことが、まだまだ沢山あるのだと思います。なんでも公理、定理から出発し、これはありえないなどと思うことは、やめにしようと思いました。自分で新しい定理を作ることはできませんが、人の功績は先入観をもたずに、見ていこうと思います。そう、わからないなりに、意義ある読書となりました。

2014年3月13日木曜日

昨日確定申告をした。今日の外は曇り。

昨日、準備が済んでいたわけではないが、基本的なことは終わって、確定申告のため、蒲田青色申告会に行った。自分のやるべきことで、足らないのは何かを聞くために。蒲田青色申告会は、昨日から予約なしで、行った順番になっていた。混んでいて2時間ぐらいまたされたので、外に出て変わりつつあるところもある蒲田駅界隈を散歩した。

自分の番が回ってきた。担当の先生は、「ここまでできているのですか」と言って、いくつか私に聞きながら、その先をやってくれた。そして先生を変えて、その先生がe-taxを入れてくれる。それで、昨日で確定申告をするのは済んでしまった。あとは税金を納めるのが、のこるだけ。もう銀行が閉まっていた時間なので、今日これから納税をするが、それで終わり。

昨日で確定申告が終わるとは思っていなかったので、それは望外だった。そして、死んだ女房のお母さんの家に電話する。そしたらお母さんが、お母さんの妹さんが来ていると言った。この妹さんには、私はいつも生活のアドバイスをされてていて、もう頭があがらない。蒲田から、東急多摩川線の武蔵新田にある、お母さんの家に行った。そして雑談する。雑談が終わって、妹さんが持ってきてくれた、パンと新しいソニーのラジオを貰っ帰った。お母さんとこの妹さんには、やたらと貰ってばかりいるが、気配りの弱い私はしょうがないなと思いながら帰った。今度、新宿でおいしいものを買って、それをお土産にしようと思う。

今日は6時30分に目覚めた。外は曇りだった。5鉢の花は、奥のさくら草のようなピンクの花を残して、枯れたかそれに近くなってしまった。茎はまだ緑。それで水をあげた。

2014年3月12日水曜日

テレビのサザエさんの漫画のように「今日もいい天気」だ。

今日も外は晴れている。ラジオの天気予報では昨日より今日は4~5度、暖かくなると言っていた。まったく天気予報を思わせる天気となっている。テレビのサザエさんの漫画のように「今日もいい天気」だ。ん、これは古いのかな。私はいつの間にか、古いことを言っていると思うので、注意しよう。

窓のしたのチューリップの花は、全部花弁が落ちた。ヒヤシンスの花は、ピンクから赤に変わったものと、紫色の花が、まだあでやかに咲いているが、あとは枯れ始めた。向こうのピンクの小さい花は、変わらず咲いている。手前のワンダーの緑は、変わっていない。急にゴンドラの歌を、思い出した。「・・花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき・・」。でも花のときもあったのだ。それが一生だよと思う。

昨日は、東日本大震災から3年目になった。ラジオでは、たくさんの放送が流れている。たぶんテレビも。いろいろある。女房のお母さんの妹さんから、この前も、「テレビと炊飯器ぐらい買え」
と言われた。それで昨日は新宿のヤマダ電機にいって、値段を見てきている。安いのを選んで買えば、2つで3~5万円で手に入るのを確認してきた。私は消費税の安い今年度のうちに、これらを買おうと思っている。

大震災は、体験的に私たちに、安定はないということを教えてくれた。この世は、動的平衡が支配している。変化がないように見えて、細かく見ると、動いている。その上に、私たちは乗っているのだ。変化こそ、私たち常態なのだと思う。いうではないですか。「・・祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり・・・」。今日も、変化のうえでサーフィンをするように、元気で生きていこう。

2014年3月11日火曜日

誰かが、死んだ私の女房の写真を見て、学校の先生みたいだと言った。

何週間前だか忘れた。誰が言ったかも忘れた。私の女房の遺影をみて、学校の先生みたいだと誰かが言った。誰かが、私の部屋に入って、女房の遺影を見たのだ。そのとき思わず、「その通り」と思ってしまった。女房は、私にとって先生みたいだったかも知れない。厳しい先生だったかもしれないけど、私にはちょうどいい人だったと思う。わたしのような、奇天烈な人間と良く付き合ってくれた。あ、付き合ってくれてはいないかも知れないが、一緒にはいてくれた。

上の娘が、女房が死んですぐ、おととしの12月のうちに、ユニクロのヒートテックの上着を買ってきてくれた。「お母さんが、お父さんにこれを買ってくれと言っていたから」と、言って。私は女房に、だいたい文句ばかり言われていたが、ときどき、思いついたように親切にしてくれた。それから、そのヒートテックは、私のいつもの普段着になっている。こんなところも、学校の先生みたいだと言えなくもないな、と今日も朝、女房の写真を見ながら思った。

朝食をいつものようにして食べた。

冷蔵庫から大鍋を出してきて、2週間に一回作っている大鍋の中の煮物を、小鍋にいれる。卵と肉と餅も続けていれた。味噌をだしてきて、準備をしたうえ火をつける。お湯をわかすため、Tーfatに水を入れて沸かし始めた。机の上にコ―スターをいくつかおいて、その一つに、梅干しを小皿にとって置く。「万寿のしず」と高血圧の薬を飲む。テーバックを、コースターの上においた赤い湯呑茶碗に入れた。そして、Tーfatで湧いたお湯を湯呑茶碗にいれる。そのうち、小鍋で煮たものが煮えて、日を止めた。そこにシャモジと大きなスプーンを使って、味噌を溶かす。それを大きな茶碗に、シャモジを使っていれた。これで、朝食の準備完了。

机の前に座る。「一杯のお茶は、今日の難逃れ」などと思いながら、お茶をを飲んだ。大きな茶碗にいれた、今日の朝食のメインを食べる。梅干しも食べた。これは女房のお母さんの妹さんが、去年梅干しを大きな容れ物に買ってきてくれて、それから毎朝の私の習慣になっている。大きな茶碗に、いれた熱い食べ物も、食べ終わった。これで1日の朝食は終わり。味噌が、シチューだったり、カレーだったり、醤油等にも変わるが、基本はこのパターン。小鍋にわかめや煮干しも入れるときもある。餅の代わりにインスタントラーメンを入れるときもある。こうして私の朝が始まる。

これから、私が生きている間、これが続くのだろうなと思った。継続は力だから、これが長く続くなら、いいなと思いつつ。

早朝、耳を澄ますと、世の中が静かに動いているのがわかる。

朝早く起きて、パソコンの前に座る。すぐそばを走る高速道路を、自動車が走っていく音が聞こえる。いろいろな人の想いをこめながら、人間社会は、静かに動いていくのだろう。人間社会って大きなシステムだなと思う。

2014年3月10日月曜日

筑波にいる姉と、福島にいる友達に電話をした。

昨夕、筑波にいる姉と、福島にいる友達と電話で話した。私はだいたい、あまり電話をしないので、姉や友達から怒られる。それで思いついて、姉と友達に電話した。話は二人とも、私の体の不自由さを、指摘するものになる。私は6年半前、長野で脳溢血で倒れて、長野の友達の助けもあって、救急車で病院に運ばれ、翌日、頭蓋骨を外す手術をした。その影響で、若干、足に後遺症が残り、足を引き摺って歩いている。

姉は、「病院に行って先生に相談しろ」と言った。「もうお金を残す必要はないから、ときどきは、いいところに外食に行って、栄養のバランスを取るように」とも。昔から姉は、私に干渉しないで、自由にさせてくれた。見方はいろいろあると思うが、私には献身的な女性であったように思える。私に説教くさい話は、ほとんどしたことがなかった。だから安心して、電話をしている。でも昨日は違った。私も生き方を、心配される齢になったかと思った。

福島県いわき市に住む友だちに電話した。友達は夕方18時ころはいつも、近所の「スパーリゾートハワイ」のお風呂に行っている。だから出ないと思ったけど、電話したのだ。20時ころ、私の携帯電話が鳴る。友達からだった。着信履歴にあったから、電話したという。私は「用事はないけど電話した」と言った。この友達とは、幼稚園のころからの付き合いだ。私とまったく、性格も生きるスタイルも違う。関係ないかもしれないが、私は血液型Bで、この友達はA型だ。この友達は、何をやってもうまいか、器用にこなす。

今は原発事故で追い出されたが、15年くらい前に、楢葉の山に自分でログハウスを作ってしまった。蕎麦打ちもうまい。そういう友達から見ると、私の生きざまは、ちゃらんぽらんらしい。いろいろ意見を言われた。でも電話するときは、意見をいわれるのを覚悟していたから、言われても予想の範囲内。我慢?して聞いた。良く、この友達の福島の家に遊びにいくが、1泊目は普通に過ぎるが、2泊目は喧嘩になる。毎回、不思議と同じパターンだ。でも、私もこのようにうるさく言われるのが、ありがたいと思う年になった。

ヒト⇒人⇒人間に成長するという。そういう意味では、ようやく最近私も、人の間に住める、人間になった。人の意見を自然に聞ける齢になったから。そう私たちは、一人では生きていけないのだ。人から、「エネルギー」や「意見」をもらいながら生きている。電話ができる、姉や友達がいるなんて、私も幸せものかも知れないと思った。

2014年3月9日日曜日

小さな5鉢の花が散り始めた。

朝起きると、窓の下においてある、5鉢の花が少し、散りそうな気配を見せていた。赤いチューリップの花びらは、最初に散り始めている。そして、5鉢のなかで、一番存在感を示していた黄色い4つのチューリップの花も、花の先が少し萎れてきた。あわてて水をやる。ここまで少しの水を、1回/2日やってきた。日当たりのいい場所に置いたので、少し暖か過ぎたかもしれない。黄色いチューリップの4つの花のうち、2つの花が、水をやったとき、私が触ったら散ってしまった。

ヒヤシンスの花も、蕾の最初は地味だったけど、今はあでやかに咲いている。ピンクと紫と白い花が、3つの球根の先についた茎と葉の先端に、2房ずつついているのだ。地味なつぼみから、ピンクの花の例でいえば、ピンクの花が咲き、だんだん濃さを増していき、1房はあでやかに赤く、1房は遅く咲いたでまだピンクに咲いている。しかし、これも最初にあでやかに咲いて、今は赤い花になったものから、枯れる様相を見せてきた。

花は枯れ始める様相を見せても、葉は緑。植物も生きているのだなと、私に思わせた。ヒヤシンスの奥、チューリップの隣のピンクの花は、名前がわからないけれど、まだ咲いている。花をみながら、大げさかも知れないけれど、栄枯盛衰を思った。「奢れるもの、久からず」。みんなに栄枯盛衰はある。私も昔の栄光も恥ずかしさも忘れて、目の前のことに一生懸命取り組むだけだ。窓の下の花は、私にいろいろなことを思わせてくれる。

2週間に1回の煮ものを大鍋でした。

昨日から今日にかけて(つまり深夜)、大鍋で2週間に一回の煮ものをした。材料を、昨日17時
頃買ってくる。すぐ料理を始めようと思ったが、夕食をしたり、メールをしたりしたら、遅くなってしまった。深夜に料理をするのは、ここに来て初めて。一昨日は友達が来て、遅くまで起きてたので、これがこれから習慣になってしまうかなと恐れた。

料理は、順調に進んで(といっても、毎回のことだが2時間半かかる)大鍋と、小鍋に煮た煮物ができあがる。これを、4つのタッパ―にとり、大鍋のものを少なくして、小鍋のタッパ―にとった残りを大鍋に入れた。冷やして、明日の朝、大鍋とタッパ―を、冷蔵庫にいれる。予定より遅れ気味だが、とりあえず昨日の目標は終わった。料理をすると、無心になれて良い。女性は、だいたいこれをしているから、男より「女が利口に見えてきた」になるのだなと思った。

男と女の違いは大きいが、それぞれ違う使命を持って、この世に生を受けたのだと思う。そして、私は寝た。今日の朝は、スケジュールの遅れが少し気になるが、寝ざめは爽やか。大鍋のものも、タッパ―のものも大体冷えたので、朝の料理分をとってから、冷蔵庫にいれた。大鍋は蓋を裏返すと、冷蔵庫に入る。

2014年3月8日土曜日

今日は、土曜日。プールに行って泳いだ。

今日は土曜日、午前中、寝たり、メールを打ったりして過ぎた。そして午後1時を過ぎて、あまり時間がなくなったと思って、家を出る。渋谷区民スポーツセンタに、歩いて行った。途中は、玉川上水あとの緑道を歩く。よくぞ江戸時代に、43kmの玉川上水を作った。ここに上水を作った、玉川兄弟は偉かったと思いながら。

渋谷区民スポーツセンタのプールの受付の人は、親切だ。私が失敗をしても、リカバリーのサポートをしてくれる。プールに入って、時間がないのでいつもより少なく、10往復(500m)だけ泳いだ。気分は上々。帰りは、京王新線「幡ヶ谷」駅まで歩いた。

京王線に乗って新宿まで来て、それから会社に行った。来ているメールを見て、必要なものは返信メールを打ったが、今日、やろうと決めたことの半分もできない。しかし、時間が来たので、仕事を終わりにして、家に帰った。

目的を持って、大勢があつまると、そこに熱気が生まれる。

昨日は、3人でこのオフィスに泊まった。3人で仕事の勉強をする。そこに友達がもう一人来た。16時40分ぐらいに来て、翌日1時ぐらいまで、話をして、友達は車で、自宅に帰った。3人集まると、熱気があっていいが、4人集まると、さらに熱くなる。とは言っても、私は人の説明のときに居眠りをしてしまった。その説明をしていた人が「あ、八木さんの頭がシステムダウンを起こしてしまった」と言っている。私は「上手いことをいうな」と、思いながら眠っていた。

それでも途中から、目が覚めてまた、会話に参加する。人間は、人間から刺激を受けて活性化するものだなと思った。友達が1時過ぎて、車で帰っていく。それから私たちも寝た。それにしても、いつも11時ころ眠るのに、昨日は友達1人増えて、ほぼ8時間の長時間、夕食も食べたが、話し続ける。ふーん私たちも、60歳を過ぎてるのに、みな若いなと思った。

2014年3月7日金曜日

この世には、愛と恐れしかない。

ジレンマにぶつかったとき、人はそこから抜け出そうとして悩む。確定申告の日の締め切りをまじかに控えて、私の今の状態は、そういう状態。死んだ女房が、「あなたには、こういう仕事は向かないのよ」と言っていたのを思い出す。私は普段、簡単なことをしないでいて、追い込まれてから悩む。バカじゃないかと思うが、それを繰り返しながら、逃げずにそこにいると、しばらくすると、そこに収まりどころが見えてくる。そんな繰り返しの人生が、私の人生・・ちょっと私は、繰り返しの周期がが人より長いのだと思うが(笑)。まだまだ「悩んで、大きくなる」ぞと思う。なんのために。わからない。私の来世のためにだろう。

風呂に入ったとき、私は鏡に写る自分の顔を見た。この顔は「恐れの顔だろうか。愛の顔だろうか」と思う。恐れは生まれた時から、あったろうなと思った。そのときガイドしてくれたのが、両親だと思う。人は生まれるとき、両親を選んで来るというが、それはわかると思った。それぐらい、両親のガイドは大きい。知らない間に私は、両親の影響を受けてきた。いい点も悪い点も。だから自分を反省するということは、両親の生きざまを、反省しているのだとも思う。

私のメンターにあたる人は大勢いたと思う。両親、姉、弟。結婚してからは、女房。女房は、普通ではないこんな男と一緒で、いろいろな思いがあったのだろう。でも私には、その女房から学ぶことは多かった。女房は有難かったと思う。私がこうして普通に生きてられるのは、女房のおかげだった。私は今もこうして、生きているんだもんね。

先輩諸氏に、同僚、後輩の皆様か。いろいろ教えてきてもらった。それに友達からは、たくさん学んできたし、今も学んでいる。いろいろな人から、学んできたなと思った。娘の2人の行動は、私のやって来たことの、裏返しだと思う。彼女らに不満があるなら、それは自分に不満があるのと一緒だ。まったく「鏡の法則」だね。

風呂上りに鏡を見て思った。「恐れ」の人生より、「愛」の人生のほうがいいな。私はこれから
、「愛」を持ってこの世に対処していこう。しかしふと思った。「恐れ」があるから、私たちの行動のエネルギーができるのかも知れないと。そこから逃げるために、私たちは哲学を作り、自分なりの生き方を作っているのかも知れない。そういう意味では、「恐れ」は、私たちの創造力の、源泉なのかも知れない。うーん。わからなくなってきた。・・・しょうがない。わからないときは、「生きていることを持ってヨシ」としよう。

2014年3月6日木曜日

ソフト開発では、アルゴリズムが人間の思考回路に似せられれば、良いソフトができると思う。

朝4時に起きて、あるソフトを使ってみる。「これは私に難しいな」と思った。まず、私にその業務知識が不足している。でもソフトを使ってみたら、現場で何をしているか、少しわかってきた。そうなのだ。ソフト開発する人は、対象とする業務を分かった上で開発に臨まなければいけない。しかも生半可ではいけないのだ。現場の人がやっていることは、「要するになんなのだ」を理解しなければ、ならない。そういう意味では、ソフト開発者は、現場の人を超えて業務の意味を理解しなければいけないのだ。現場の人は、体感的に業務を覚えてしまって、「要するになんなのだ」がわからないことが多いから。

しかもソフト開発者は、それをソフトの文脈に置き換えなければならない。その文脈は難しく、資格の国家試験があるぐらいなのだ。だから、普通のソフト開発者は、ソフトの文脈を分からない人を、馬鹿だと思う傾向がある。しかし、開発したソフトを使う人たちは、その馬鹿な人たちなのだ。その人間の馬鹿さを理解できないと、使い勝手の良いソフトは作れない。ソフト開発者には、神のようなスキルが求められるのだ。

その作る人と、使う人のギャップを埋めるのが、実際にソフト開発者が作ったソフトを使ってみることだと思う。身内の第3者に使ってもらうのが、ベータテストだ。これを通過すると、お客様に実際に使ってもらう。これが試用試験だ。この間に、お客様の声をいかに聴けるかが、ソフト開発者の能力の違いなのだろう。お客様も、ソフト的に見て本質的なことを言ってくれないことが多いから。聞く力は人間力だと思う。

安易に、お客様を馬鹿だと言ってはいけない。馬鹿だと思った相手からは、学べないから。いろいろなレベルがある、お客様から学べる力。そして無意識にしている、人間の思考のアルゴリズムを理解する能力。これがソフト開発者には求められる。まったく私たちの人生と似ているなと思う。完全に生きることを、できる人がいないのと同様に、誰がみてもいいソフトはないのだと思う。しかしいかに完全に近いかが、ソフト開発会社の差になっていると思う。

使い勝手という微差が、ソフト会社の明暗を分けている。私たちの人生も、同じなのだろうと思った。できる人と、できない人の差は、微差なのだ。その微差を少しづつ良くしていく過程が、私たちが、人生を生きる目的なのだろうと思う。そう、この世が駄目でも、来世があるのだ。だから、年をとっても成長しようと、私は思う。

2014年3月5日水曜日

今日は1日霧雨だった。そしてこの季節の最後の寒さを演出している。

今日は、朝起きた時から、小雨だった。雨が降るとまだ寒い。この前晴れたときは温かかった。「もう3月で春も近いな」と、私に思わせる。しかし、ここに来て霧雨が続いて、冬の冷えをぶりかえさせた。温かさがあると、寒さが余計に感じられる。夜寝る布団の中での寒さが、冬を思い出させた。

でも会社に行くと、人が大勢いて、ニギヤカ。寒さはない。そして、また家に帰ってくる。すると途中も、家の中も寒々としていた。これが、この冬の最後の寒さかも知れない。三寒四温を繰り返しながら、春が来て、その先には涼しさを求める夏がある。家のたった一つの花たちは、今日も寒さの中で、春が来るのを告げていた。そして夕方、雨がやんだようだ。

2014年3月4日火曜日

パソコンの音を、スピーカから出した。

朝6時に起きた。時計は5時を指している。カーテンをあけて外を見ると、今の6時の明るさだ。部屋を出て大きな時計をみたら、6時を指している。私が寝る前、私の時計を合わせるのを、1時間間違えたのだ。外の明るさは正直だなと思った。

パソコンに向かうと、昨日泊まった友達が、スピーカをパソコンにつないでユーチューブの音をスピーカで聞かせてくれた。最近のパソコンは進んでいる。携帯電話機の進歩も驚きだ。友達は、タブレット端末で、テレビを見てる。携帯電話機の1セグを使うと見れるのだそうだ。パソコンの進歩と、携帯電話機の進歩が、現代を象徴している。私はIT音痴でなにも使えないが、これらを使えないと、時代にとりのこされるのだろうと思った。

この友達は、今地元の町内会長をしている。町内会長をしてわかったことは、今やパソコンスキルは必須だそうだ。パソコンのスキルレベルで、町内会の役員のやることが決まってくるという。それは、動いている町内会では、そうなんだろうなと思った。会社も同じである。英語はできなくても、問題はないが、パソコンの“できる” “できない”の差は大きいそうだ。時代は大きく変化している。友達は、今の若い人はどうなんだろうと言っていた。そうだ、今度4月13日に、高校の先生をしている人と会うから、高校生の実情はどうなのか聞いてみよう。

窓の下の5鉢の花々は陽射しをあびて、気持ちよさそうに咲いている。赤いチューリップの花は、花びらを散らしてしまったなと思った。黄色いチューリップは4つ花を咲かせている。ヒヤシンスの花も、蕾は地味だったが、花を咲かせると華やかな色になってきた。むこうのピンクの花の鉢も、咲いている。ワンダーの緑は、大きなクローバみたいだ。窓の外には、NTT東日本の本社ビル、オペラシテ―ビル、高速道路、マンションの下には、新宿の下町が見える。ここパソコンの前に座って、また、日が差してくるのを感じて、世の中の変化大きいが、それでも明るく回っているとも思った。、


2014年3月3日月曜日

朋あり遠方より来る。

友だちが16時に、このオフィスに来てくれた。それぞれの「来し方」を語り合う。話が弾んでしまって、21時まで5時間も、友達はいた。そうか、ここにも話していて楽しい朋がいる。コーヒを飲んだ、お菓子を食べた。夕食代わりのパンも、電子レンジで温めて食べる。そして何よりも、この人からでなくては、聞けない話を聞いた。なんて人と話すと、新しい発想を、考えかたを学ぶことができるのか。朋っていいなと、改めて思う。

今日税理士事務所の人が来た。

今日は2つの目的で、税理士事務所の人が2人、私たちのオフィスに来た。1つは担当として、私たちのオフィスを見ておく。もう一つは、税理士としての、私たちのサポートをする。2つの目的とも達成して、帰った。

1つ目の目的のためには、私たちは部屋を案内した。そして仕事の内容も、概略説明をする。コーヒーを飲み、お菓子をたべ、話をするのもした。2つ目の目的のため、こちらの通帳のコピー、領収書のチェックをする。そして、このあと私たちがやらなければならないことを整理し、アドバイスもしていった。来てもらうと、とても安心する。

今日から、月曜日。仕事を通じていろいろな人に会うのが、始まる。

朝、早く目が覚めた。4時から本を読み始める。亡くなった船井幸雄さんの本を。タイトルは「超効率勉強法」。昔読んだ本なので、内容を忘れてしまったが、読んだら、びっくり人間がたくさん出てきた。どの人も、船井幸雄さんをびっくりさせた、本物人間のよう。そういえば、昔読んで良くわからなかった記憶がある。しかし、こういう人たちがいるというのを知ったのは、良かったと思った記憶も。そして、今回も似たような感想。

朝の体操も、私の決めた長い時間のセットをそれぞれした。朝食を作り、食べる。着替えて、それも含めて洗濯を始めた。今、机の前に座ってパソコンを始めている。外では、昨日からの霧雨が降っていた。おかげで、外気温は低い。オペラシテ―ビルの向こうには、富士山がいるのだろうが、それはビル影。手前では、鉢植のチューリップやヒヤシンス花が咲いている。

今日は月曜。会社にいくと大勢の人に会える。そして、その喧噪のなかで、また1週間が過ぎていく。マイペースが作れないなら、人のスケジュールに乗るのも一手と、なにかに書いてあった。私は、66年間ほとんどそうしてきたような気がする。だから私は、サラリーマン生活を、一応まっとうしたのかな。

2014年3月2日日曜日

大田区矢口の女房の実家にいった。

今日(3月2日)は日曜日。日曜日は、気分がなんとなく自由だ。12時から1時間、お風呂に入って(私は長湯で、お風呂の時間は長い)、それからキノコや玉ねぎやいろいろな野菜と肉をフライパンで痛めて、昼食を準備した。そして、食べて、その後、お母さんのところに電話。「前に言っていた時間より遅くなって、今日は15時ころ行きます」。

「初台」「明大前」「渋谷」「多摩川」「武蔵新田」と、京王線、井之頭線、東横線、多摩川線と4つの線に乗って、武蔵新田にある、女房の実家に行った。頼んでいたものと、私の矢口のマンションに来ている郵便を受け取る。ついでにお茶を飲み、お菓子を食べた。私は女房が死んで、このお母さんと、お母さんの妹さんに、凄く甘えている。いい大人になって、しょうがないなと思いながらも、甘えるしかないから、やっぱりしょうがない。

お母さんの家で、用事を済まして、お茶を飲んで、お菓子を食べて帰る。帰りに武蔵新田駅そばで、三井住友銀行の通帳に記帳。それから、渋谷まで来て、横浜銀行の通帳に記帳。そして私の今いる家に帰って、お母さんに電話した。そしたら電話の向こうから声がした「東一さん、忘れ物したでしょう」。あわてて、自分の身に着けているものを探して、財布がないのに気が付いた。「来週、また取りに行きますので、とっておいてください」。私は昔から、なくしものは多い。また、やってしまった。なくしものが多いのは、なぜだろう。

今日は、朝から霧雨。オフィスの花たちも春を感じさせるように、咲いている。

朝6時前に起きた。食事を作って食べたり、昨日泊まった友達と話しながら、あっという間に時間が過ぎる。そとには、霧雨が降っていた。窓の下には、春を思わせる花が咲いている。名前を見たら、「チュ-リップ」2鉢はすぐわかったが、あとはクローバみたいのが「ワンダー」、もう一鉢が「ヒヤシンス」。そうか、この花がヒヤシンスかと思った。むこうの春らしいピンクの花をつけている、花はなんというのだろう。名札がみつからないので、わからない。まあ、そのうちわかるか、らいいかと思った。

元私の上司も出る、新内の発表会で、神楽坂に行った。

昨日、神楽坂赤坂神社で、敦賀若狭掾「新内お弾き初め」があった。ここでの一部で、私のME時代の元上司が浄瑠璃を語る。それを聞くため、昨夕は神楽坂に行った。前にお誘いを受けて、計画していたので、予定通りの行動。元上司の出番の時間には、少し早めの15時30分についたので、それまで神楽坂界隈を散歩しょうと、考えた。が、降っていた霧雨が、気温を下げていたのだと思うが、外は寒くもあったので、気が変わり散歩はやめて、まっすぐ会場に向かった。

赤城神社につくと、入り口に梅の花が咲き始めていた。この前の二度の大雪が終わって、温かさにむかうのだろうか。あちこちで梅の花を見る。神社には梅の花が、似合う。「お弾き初め」は地下1階で開かれているが、会場に入り新内を聞き始めた。浄瑠璃(謡いー今のボーカルのようなもの)、三味線(伴奏)、上調子(三味線で弾くが、伴奏の三味線の音を盛り上げる役)の御三方が、演台の上を彩っている。

どれも人情物。物語だが、その背景には、江戸時代の実話があったのだろう。その実話に、その時代の人の思いも結晶化させて、新内の作者たちは物語を作っていったのだと思う。浄瑠璃を語る人たちのあの抑揚に、その味わいを出そうとする、演者一人一人の努力を感じた。そしてこの新内にも、日本の文化を感じる。

私の元上司は、「三勝半七」の浄瑠璃を謡った。「三勝半七」は、大阪で元禄時代にあった、茜屋半七と島の内の遊女美濃屋三勝の心中事件が題材らしい。死はすべての人の思いを、結晶化させる。いろいろあろうが、みなまでいうな。そういう思いもあるが、そこを言ってしまって、人の心を突き詰めるのが、浄瑠璃。江戸の文化は、ここに集約されるような気がした。元上司は7~8年も新内に挑戦してきて、最初のやっと聞いている感じから、安心して聞けるところまで、上達してきたように思える。そして終わって、元上司の知り合いの人にも多く会って、赤坂神社をあとにした。

私はそのあと、聞きにきていた知人と、コーヒを飲み、ケーキを食べながら、ME時代のこと、今の仕事のことなどを話した。そして蕎麦を食べ、地下鉄「お江戸線」に乗って帰った。

昨日、足立肢体不自由児者の水泳お手伝いボランテアに、電車でいった。

昨日、足立肢体不自由児者の水泳お手伝いボランテアに、電車でいった。毎月1回のボランテアに、私はいつも車で行っている。しかし私が、実質新宿に住むようになって、ボランテアは電で行くのほうが便利になった。私が大田区矢口の私の車を取りに行って、その車で足立区のボランテア会場に行くより、足立区竹ノ塚の駅で、友達の車に拾ってもらったほうが、時間的に楽なので、これからはこのパターンが多くなるのかも知れない。

8時に家を出て、京王新線「初台」の駅、岩本町、秋葉原で日比谷線に乗り換えて、東武線「竹ノ塚」駅に行った。途中、トイレや途中の街をきょろきょろしていたら、思わず時間がたっていて、9時25分。車で来ている友達の携帯電話に電話したら、一緒にボランテアをしている奥さんや、一緒に乗っていく別な人も含めて、出発するスタンバイ状態だという。あわてて、車に行って乗って、ボランテア会場の竹ノ塚うきうき館まで行った。

日比谷線、東武線は20年ほど前、4年間も通ったところなので、電車でくると懐かしい。梅島の駅、竹ノ塚の駅、昔もこんなふうだったな、などと思った。あのころ、梅島駅下のプールに毎週行った。いくつかの飲み屋さんも思い出す。あのラーメン屋さんは、今もやっているのかな。足立商工会議所青年部での活動、終わった後、そのメンバーで北千住の安い飲み屋さんで、飲んだことも思い出した。ここには、そのほかの思い出がたくさん。それこそここには、当時の私の波乱万乗の生活があった。そういう昔を思い出していたら、あっという間に時間がたってしまう。非人情の世界も、ここまでにしようと思った。

竹ノ塚うきうき館で、肢体不自由児者、おかあさんたちと私たち15名が、輪になってご挨拶。その後、着替えてプールに入った。6年半前の長野での、私の脳溢血の手術後、私は私の体の不自由さをいつも感じている。それが、昨日はひどかったようだ。プールに入る前、肢体不自由児の子にシャワーかけるとき、その子に抱き着かれたら、後ろの壁に倒れてしまっている。水泳が終わって、プールをあがるとき、子どもと一緒に私もプールを出ようとしたら、私は体のバランスを崩して、またプールのなかに潜ってしまった。

それを見た、友達は私を心配してくれた。別な友達は、こういう整体院があると教えてくれる。女房をおととしの12月なくして、私は孤独なはずだが、こういう活動を通じて、人と触れ合うことができるのは有難いなと思った。

終わって昼食。いつもの店に行って、5人でお寿司を食べた。5人とも同世代。話はあちこと飛ぶが、この会話は楽しい。そのあと私は竹ノ塚駅まで送ってもらって、電車に乗る。御徒町で多慶屋によって買い物をして、それからこの後の用事のため、神楽坂へ向かった。