2014年2月28日金曜日

中幡小学校のプールで泳いだ。眠くなった。

明日は朝、足立区竹ノ塚まで行って、肢体不自由児の、水泳お手伝いボランテア。夕方は神楽坂で、元上司も演じる新内を聞く予定。二つの予定で、1日がつぶれてしまう。それで、時間のゆとりのある今日、プールに行くことにした。オフィスのあるマンションから徒歩15分ぐらいのところにある、中幡小学校にあるプールに行くことにする。WEBで調べて、電話した。今日はやっているという。これで決まり。14時過ぎ、会社からオフィスに戻り着替え。家の中にある、チューリップなどを見ているうちに15時。

オフィスを出発して、中幡小学校へ向かって歩く。途中に渋谷区の、リサイクルセンターがあった。リサイクル作業をしている人は、シルバーセンターの人らしい。それは丁寧な仕事だろう。それでこの値段か。安いと思った。展示されているものは、種類は少ない。私が当面ほしいと思っている、椅子はなかった。それに、風呂周りのものもない。でも新しい部屋のものをそろえるなら、ここのものを買って、ベースを作るのが良いと思った。まあ、寄り道もほどほどにしよう。今度は時間をとって、この時間に来てみることとし、そこを切り上げた。

水道道路(私の歩く道は水道道路らしい)を下りて、中幡小学校に向かう。私はこの細い道が好きだ。路次を歩くと、この町に来たと思える。この前の8日は雪の中を、この道を歩いた。転んだけど、積もった雪の柔らかさが気持ち良かった。そこから少し歩いて、中幡小学校に着く。そしてプールに行った。

プールでは水の中の体操を、30人ぐらいのおばさんたちが、若い女性の指導のもとでしている。確かにこの時間やるのは、プールの利用率をあげるためにも、このおばさんたちの運動のためにもいいなと思った。私は16往復(800m)泳いだ。途中で、水のなかの体操を終えたおばさんたちが多く、泳ぎ始めてプールは混む。しかし、泳ぎ終わった私は、プールを出て、トイレに行ってシャワーを浴びた。そして着替えて、外へ出る。そこから新宿のほうへ向かって、ぶらぶら歩いてオフィスに戻った。泳ぐと、凄く眠くなる。戻って、夕飯を作って食べたら、ますます眠くなった。





都庁で昼食は、最近の私の昼食のスタイル。ここで友達と話しが進む

今日は12時になって、友達と都庁の食堂に出かけて、昼食を食べた。去年の1月ぐらいから、だいたい週に2回ぐらい、ここに来ている。ここで友達といろいろな話をしてきた。食事をすると気分がかわるのだろうか、話題の幅が広がる。今日はこの会社で、私たちがいる価値はなんだろうということだった。やれるのは、なんだろうということ。注意しなければならないのは、何かとということだった。

朝パソコンのある机に座る。窓からはNTT本社ビルとオペしテ―ビルが見える

朝8時、パソコンのある机に座る。窓からはNTT本社ビルとオペラシテ―ビルが見える。そばには、友達が持って来てくれた、チューリップ等が咲く鉢が、5つある。別な一緒に仕事をしている友達が持ってきてくれた、ラジオもその隣にある。カラスは6時から鳴くが、今は小鳥の囀りが聞こえる。

朝起きてから、昨夕、洗濯したものを、この朝干した。食事も作って食べた。(私の)世はこともなし。これは幸せなのかも知れない。でも、人間には波乱万乗が待っている。今日も、その波乱万乗に飛び込んで行こう。そこで、自分の仮説は確認したり、違っていることを反省したり。私の場合、違っていることが多いかな。ふと、思った。私の仮説の大部分は、父親の仮説。父親は小さいときに、両親を亡くしてしまったから、仮説が多いのだろう。その検証を私がしている気がしてきた。

生きて行くためには、やらなければならないことが、たくさんある

朝、5時半に起きた。外はまだ暗い。チューリップの花等が、植木鉢で咲いている。今日は私一人だ。孤独なのかも知れない。また人と会うと、その人たちから元気をもらえるのだろう。今日も一日、元気でいこうな。だって生きて行くためには、やらなければならないことが、たくさんあるもの。

2014年2月27日木曜日

船井幸雄さんが死んだのをWEBで知った。

 一昨日、船井幸雄さんが死んだのをWEBで知った。ある人のメールを見てたら、故船井幸雄さん
とある。え、船井幸雄さんが死んだのか。そういえば、ここ数年病気と闘いながら、本を書いてきたからなと思った。船井幸雄さんの本は、読んだ私をエンカレージしてくれるので、ここ20年ぐらい私の愛読書になっている。それで昨日、WEBで検索したら、やっぱり死んだのが、確認できた。

そうか病気になってから、ここまで生きてのは辛かったろうなと思う。でも船井幸雄さんは、超人だからまた復活するのだろうな、とも思っていた。死んだのを確認できてから、ここまでの船井幸雄さんの、人間社会への思いやりを思った。でも死んだら、そんなことからも、船井幸雄さんは解放されたのだろうとも思った。船井幸雄さんはいろいろなフォーラム等を開催して、日本人社会に影響を与えて来たと思う。これからはそれもなくなるのかと、寂しさも感じた。でもあとは、日本人が自ら考えていきますからね。なんだか急に、「ケセラセラ、後のことなど誰も知らない」という言葉を思い出した。「お疲れ様でした、あとはゆっくり休んで下さい」。父親が死んだときと同じく、そういう感想を持った。

何か私を、動かしたものがあるのだと思う。私は最近、本を読むのが少なくなったが、数日前、思い出して船井幸雄さんの、「超効率勉強法」という、昔読んだ本を引っ張り出してきた。もうこの年になって、後は効率的に人生を生きたいなと思ったから・・。副題に、「決め手はよい師、よい友づくり」とあった。そうだろうな、人は自分のメンターとなる人から多くを学ぶ。その人をどうやって得るか。本を読みながら、年をとったらそれが肝腎なのだろうな、と思った。

私の読書人生は、私を豊穣の世界に導いてくれたと思う。いろいろな人との出会いが、読書通じてあった。しかし、最も影響を受けた人を3人選んだら、次の3人になると思う。山本七平、馬野周二、船井幸雄の3人に。どの人も、読んだ私の胸を熱くして、私を変えた。

船井幸雄さんとの出会いは、20年前。乱読の私は、本屋で気になる本があると買った。そうして船井幸雄さんの本に、出会っている。そのなかに、コンサルタントをしているとき、会社を始めたいという人が居ると、その人に次のようにアドバイスしているとあった。「①やりたいですか。②やると根明になれますか。③失敗したとき責任をとれますか。全部イエスならゴー」と。ほー、会社設立のノウハウによるチェックではなく、考え方、感じ方のチェックか。そして、そのとき私の体験から、私がその時一番感じていた、“根明”になるという言葉に出会ってから、私は船井幸雄さんに嵌まった。

私が20年前勤務していた足立区で、肢体不自由児に対して月1回の水泳お手伝いボランテアを始めた。そして、もう21年半になる。ボランテアを始める前に、参加者が輪になって挨拶をするが、最初の私は顔が引き攣っていたらしい(隣の人に、「八木さん顔が引き攣っているわよ」と言われた)。この子供たちと一生行動を伴にしなければならないお母さんたちを思ったら、このお母さんたちが可哀想になってしまったのだ。でも2回目のとき、お母さんたちの顔を見て不思議に思った。みんな明るい顔をしている。そして3回目のとき、お母さんの代表の方に言った。「みなさんの明るいのが、わかりましたよ。愛するもの(この場合は肢体不自由児者の我が子)のために一生懸命やっていると、人は明るくなるのですね」。まあその時、「八木さん、そうおっしゃいましてもね、ここにいるお母さんたちは、一度は自殺を考えた人ばかりなんですよ」と言われtで、ぎゃふんとなったが。

というわけで、人間の心理の不思議さに、感心していたところに、“根明”という船井幸雄さんの言葉に出会って、それからすっかり船井幸雄さんに嵌まってしまった。もっとも霊的なことも語る、船井さんに、この人はこういう人なんだと思いもしたが。でも、そういう話も、半ば信じるようになって、私の今になっている。そういう船井幸雄さんが、死んだ。まさに「巨星、落つ」という感じだった。でも、船井さんは日本人に十分与えもした。あとは、日本人が自分の道を切り開いていくだけだ。だから「ケセラセラ、あとのことなど誰も知らない」なのだと思ったのだ。

2014年2月26日水曜日

朝、このオフィスに先輩が来た。

昨日、先輩から電話があった。(先輩)「作った会社はどうだ」。(私)「100点とは行ってない。60点ぐらいか」。(先輩)「100点をとるのは無理だ。存在できていれば良い」。(私)「そうだと思う」。(先輩)「私の言ったことは、社長に話してくれたか」。(私)「自分のことで社長に相談したいことがあって、それが心配だから、先輩の話はしていない」。(先輩)「お前は、自分のやりたいこと、好きなことばかりをやってきて、人のためにやったことはない。話してみろ話せば、人生に新しい展開が生まれる。道は開ける」。(私)「それはその通り・・・」。

(先輩)「ところでお前の新しいオフィスに顔を出してみたいな」。(私)「明日は、9時半から11時まで、お客様が来るので、その前後なら良い」。(先輩)「それでは、8時半にお前のオフィスに行く」。(私)「それでは、その時間オフィスで待っている」。先輩といっても、1年先輩なだけ。今、私の66歳に対し、その人は67歳であまり変わらない。でも、その人とは私が20歳のときに、松戸市胡録台の独身寮で、一緒になってから、ずーっと私は1年後輩。NTTでは、直接の後任に3回もなった。

それにその人は、口は悪いが面倒見は良い。私はときどき、私のような人間が、良くここまで生きてきたなと思っている。だいぶ周りの人に迷惑をかけ、助けられて来たと思っている。助けられた人として、父母や姉や女房を思い出すが、その次ぐらいに思い出すのは、この先輩たちだ。まあ、私の耳の痛いことを、いつも言ってくれる人だが、ありがたい人だとも、思っている。そして、その先輩が、今日の朝、私のオフィスに来た。

私のオフィスに先ほどまで私も含めて3人いたが、一人が所要ででかけたので、2人で対応した。もう一人の人も、「私と同期入社」で、この私の1年先輩も知っている。一緒にコーヒを飲む。先輩は、部屋を一通り見る。部屋のあるマンションの6階の窓から、外を見る。「いいところだな。今度ときどき来る」。それは歓迎する。

「先輩の話を、社長に話した件とその結果」のことも話した。動くと、人に話すと、道は開ける。確かにそうだ。行きつくべきところに、行きつく。一歩前進して。私は足が悪くて、足を少しひきづっている。私は6年前に倒れて頭蓋骨を外す手術をした、脳溢血の後遺症だと言っている。本当はどっちが原因で、どちらが結果なのか知らないが。その私の足のひきづるのを見て、先輩は「ライオンに追いかけられれば、いっぺんに直ってしまうのだろうな」という。「なるほど、そうだ」などと、私も思ってしまう。

だいたい、この先輩と話すと、こういう話の展開になる。当たり前の話をしているだが、少し先輩は、視点を変えてくる。話しは面白くないものになるのだが、それはまた、私の考える幅を広げてくれているような気がする。先輩は帰った。丈夫そうな足で。みんな、死ぬまで自分のやりかたを、押し通すしかないなと思いながら、私は見送った。

3人で泊まって、昨日夕は仕事の勉強会をした。

昨日、オフィスに3人が泊まって、勉強会をした。一人の人が、今いっている会社のお客様サポートチームに行って、お客様対応の勉強をしている。その人が、遠隔監視ツールの使い方も含めて、残りの人に教えてれくた。私など、その会社に一番古くからいるが、サポートに関して、何も覚えてきてない。話を聞きながら覚えることは、前途多難だと思った。

でも66年生きてきて分かったことは、やり続けるとなんとかなるということ。あきらめないことが、大事だ。少なくとも昨日は、そこで何を議論しているかが分った。還暦を過ぎたら、もう一度生まれ変わったつもりでやろう。私は還暦前の人生で、やり残したことが多い。だから今回も新入社員のつもりで、やり直すだけだ。

最初に電電公社の電話局に入ったときも、結構、文化ショックはあったと、私は思った。生まれたときも、初めて学校に行ったときも、初めて社会にでたときも、人はみんな、文化ショックに遭遇しながらそれを乗り越えて行く。そう考えれば、今なんか乗り越えられるはずだと思った。急に思い出したが、最初に電話局にいったときの、私の言動も、ひどかった。やっぱり、親を思い出してしまう。そう私は、あの親たちの子ともなのだ。

2014年2月25日火曜日

オフィスに戻ると、チューリップの花が咲いていた。

昼前、自分のオフィスに戻ってきた。部屋はいつものたたずまい。でも、部屋を入ると目の前に、チューリップがあった。この花はこの前の土曜日(2月22日)、この部屋に来た人が、持ってきてくれたもの。あまり部屋を飾ることに熱心でない、私は思いもつかなかった。しかし、その日から、この花も私の家族の一員になっている。「2~3日に一度ずつ、水を少しづつあげるね」、と花に私は言った。

この前来た人のお土産は、バスケットに小さい鉢が5つ入っていた。2つがチューリップで、2つは私が名前を知らない、春の花。1つはクローバ。それが入口の真ん前の部屋にある。部屋に生き物のある生活。生かすという責任もできるが、それはそれで楽しい。そう「・・・みんな生きているんだ、友達なんだ・・・」という歌を思い出させる。みんな、この世に生を受けて、一生懸命生きているんだ。私も頑張らねばと思った。

夜明けの空に下弦の月が見える。少し離れた左側に星が見える

朝6時少し前に起きた。良く眠れている。窓から南のまだ暗い空を見たら、下弦の月が見えた。その左側の少し離れたところには、星が一つ見える。あれは明けの明星だろうか。昔の人は、あれをいつでも見ていたのだろうか。なぜか、冷たい水を使って、炊事しているお母さんの姿を、想像してしまった。今の日本は便利になったその分、こういう自然の移ろいを、見る機会が少なくなってきたのだろうな。

私の父親の両親は、日露戦争のあとだと思うが、満州に行った。その私から見たらおじいさんは、満州で警察をしていたらしい。そして、父親が3歳のとき亡くなった。その後、私のおばあさんにあたる人は、朝鮮に行って助産婦をしたらしい。そして、父親が5歳のとき亡くなった。父親が91歳で死んだとき、少ない遺産相続のため、戸籍を取り寄せたら、二人とも大連の満鉄病院で亡くなっている。朝鮮の真上が満州で2つは近いんだと、この時知った。話は長くなったが、私の家は朝鮮の価値観だと思うが、男尊女卑の価値観があり、男は何もしないほうが良いという考え方がある。そういう価値観のもとで、私は家のことは、何も覚えないで育ってしまった。父親は苦労したからだろう。男は何もしないほうが良いと言って、私は能天気に、楽な育てられ方をした。・・・話が長くなってしまったが、要するに私は、何も覚えないで育ってしまった、自分勝手な男だということ。・・・それを説明するため、長くなってしまった。

だから、家のことをしていた女性は、今凄いと思っている。私は八木家イデオロギーのもとで、やや人工的に育てられてしまった。そういう目で見ると、昔の女性は、家事洗濯に精をだし、自然の移ろいも感じていたのではないかと思う。バーチャルな時代になり、世の中が人工的になって行く中、朝の月、明けの明星をみたら、変なところに感想が行ってしまった。

6時半には明るくなっ来た。7時にはすっかり明るくなっている。そして今7時半、もうまるで昼のよう。外には小鳥のさえずりも聞こえる。人間の世界のあゆみとは別に、自然の移ろいは厳然とあるなと思った。日本に、四季のあることに感謝。

2014年2月24日月曜日

渋谷区民スポーツセンタ、行って、泳いだ。少し足がつった。

昨日は日曜日。土日いずれかプールに行っているが、土曜日は用事があったので、昨日プールに行った。渋谷区民スポーツセンタは、年末からのプールの工事が終わっている。それで昨日は、私の家からほぼ同じ距離にある、中幡小学校のプールではなく、渋谷区民スポーツセンターに行った。玉川上水あとの緑道を歩いて行こうと思っていたが、いろいろあって、結局、京王新線で初台から幡ヶ谷まで、電車で行く。そして、歩いた。

プールでは最近16往復泳いでいる。しかし昨日は、時間がなかったので10往復(500m)泳いだ。2往復目で、足がつるではないか。前の日、パソコンゲームをして、ほぼ徹夜。あまり寝てない。ああいうことをすると、足がつるのかと思った。でも騙し騙し、10往復する。私の体の気分は良くなった。

私には、若い時から悪い癖があって、パソコンゲームにすぐ嵌まる。上海、麻雀ゲーム、将棋、最近はフリーセル。あっというまに24時間ぐらいたってしまうから、ゲームのたちは悪い。その間、食事もしない、あまり水も飲まないでやっている。ときどきこんなことで、私も良く生きてきたなと思う。これにはまるのは、前世でこういうことをやり残してきたんだろうかと思ったっりする。いやになるほどやれば、そのうち終わると思うが、いやにならず、惰性でやり続ける。きっとゲームへの、私の逃避もあるのではないか。

ともかく、昨日の私は体調不良だった。泳ぎ終わって、幡ヶ谷から新宿に出て、会社に向かう。ワシントンホテルの中にある、千円床屋にいって、頭を短くしてもらったが、その短い時間でも寝てしまった。そのあと、会社に行って、メールなど見て、それから家に帰った。

朝6時半ごろ起きた。昨日下ごしらえをした、朝食を食べた。

朝6時半ころ起きた。トイレに行って、それから急いでやるべきことをする。一段落して、昨日下ごしらえしたもので、朝食を作った。昨日下ごしらえをした大鍋から、野菜類を小さな鍋にいれ、その小さな鍋に、少し水をいれ、肉を入れ、卵をいれ、餅をいれ、そして火をかける。煮えたところで火を止め、味噌を溶かした。平行して、梅干しを小皿にとり、別にお湯を沸かす。「万寿のしずく」を飲んで、今日飲むべき、高血圧の薬もとって来た。お湯で紅茶をいれて、小鍋のものを、比較的大きな私用の食器にとり食事。私の毎朝の、これが食事風景になった。

昨日は17時半から、20時過ぎまで、いろいろな野菜を大鍋にいれて煮た。そして半分近くをタッパ―に入れて、冷ましてから冷凍庫にいれる。大なべは、冷蔵庫にいれた。そのままでは、冷蔵庫に入らないので、蓋を裏返しにして居れた。2週間に1回の、この食事の下ごしらえを作るのは、私の習慣になりつつある。ここに来て今まで、これで2週間、朝食と夕食を作るのを済ましてきた。料理をするのは、楽しい。だって、包丁を持つと、たいていの野菜は、私の言うとおりになってくれるものね。女優の壇ふみのお父さん、壇一雄が必要に迫られたからだとは言え、料理に傾倒して言ったのも分かった。

冷蔵庫に大鍋の蓋を裏返ししていれるのも、友達に教えて貰ったものだ。この人も、私のメンターの一人と思う。たいてい、私のやっていることは、私の親がやっていたことを、マネしたものである。小さいとき、仕出し屋に「でっち奉公」に行った、父親は料理はうまいほうだった。「ジャガイモは乞食にむかせろ、サトイモは大名にむかせろ」などの、父親から聞いた言葉を思い出しながら、私は料理をしている。つまり、私たちは親からかなりの部分を学んでいるのだ。でも、「親は子を育てたというけれど、勝手に赤い畑のトマト」という言葉もあるとおり、それは親からだけでなく、遺伝子を通じて、先祖代々から学んでいるのだろう。私たちができることは、そこに自分の経験を付け加えること。守破離という言葉があるが、還暦を過ぎた私は、親や先祖から「離れて」覚える「離」の世界に、これから入っていこう。そのとき学ぶべきは、親などを離れて、先輩や友達や後輩など、私のメンターである人たちだと思う。

ときどき、歌謡曲を思い出す。「・・時には、母のない子のように、海を見つめていたい。だけど心はすぐ変わる。親のない子になったなら、誰にも愛を話せない・・・」。すごく良くわかる。親がないということは、学ぶべき人がすぐそばにいないということである。そして、初めての体験に出会って、心が驚いたとき、その驚きを共有すべき親がいないということである。まったく「この世には、愛と恐れしかない」のである。私の父親は、5歳までに両親をなくした。父親の人生には「恐れ」が多かっただろうな、と思う。そして私は人の人生を、私の人生を考えてしまう。

ところで、「還暦を過ぎて、経験を積んでどうするの」とも思う。私の経験が、私の子供に伝わっていくわけではない。うーん、わからない。でも心の奥底で、世界はつながっているのかも知れない。分からないことだらけだけど、少なくても分かっていることが一つだけある。それは、私の心が何かをやりたがっているということ。そうだ、耳を澄ませて、自分の心がやりたがっていることを、感じとって、それをこれからもやりたい。

2014年2月23日日曜日

明治維新のとき、日本の人は朝鮮をどう見ていたか。

昨日は14時~17時まで、会社で約12人が出席するボランテア勉強会「流通楽座」がありました。それまで一緒に食事をしていた若い友達と別れて、私は、その勉強会に出席することにします。一通り出席者が、自分の近況報告をして、昨日の講師の話が始まりました。ここで講師は、「明治維新の人が、考えていた、見ていた朝鮮」(正確なタイトルは忘れてしまった)の話をしています。凄く、面白かった。講演中、眠ることが多い私ですが、この日は思わず2時間以上の間、夢中で聞いてしまいます。

最近、日中韓の間はギクシャクしていますが、背景には、こういうお互いの理解や考え方の違いがあるのだと思いました。話は古事記、日本書紀で作られた、私たち日本人の歴史観にまでさかのぼります。

「日出ずるところの天使、日没するところの天使に・・・」これは7世紀の人、聖徳太子が、隋の煬帝に送った手紙と、私は聞いていましたし、そう理解していました。こう書けば、隋の煬帝は怒るかもしれないなと。しかしこれとほとんど同じ文章を、紀元前2世紀、北の匈奴の冒頓単于が、当時の中国、漢の皇帝に手紙で送っていたそうです。そうかこれも、日本書紀の創作かと思いました。藤原不比等(藤原鎌足の子で、日本書紀を取りまとめた人)もやるな。私も、というか普通の日本人ほとんどが、そう思っていたと、私は思います。

こういう歴史的事実が、講師から次々と説明されていって、それが奇妙に納得のいく内容なのです。高句麗の広開土王の話も、任那の話も、神功皇后の話も、江戸時代の朝鮮使節使の話等も。どれも考古学が明らかにした事実とのことでした。こんな話を聞いたら、私も思わず一生懸命聞いてしまいます。そうか、私の日本の歴史理解のかなりの部分が間違えていた。ネット右翼も、日本書紀で作られた、間違った歴史理解のをベースに、自分の意見を作っているのだろう。

そして明治維新直後の、オピニオンリーダの日本人たちがどう考えていたのか。それが話されます。西郷隆盛は征韓論で有名ですが、自分が朝鮮に行けば、殺されるに違いないと言っていたそうです。それをきっかけに、日本は朝鮮にせめていけばいいとも。こういう考え方をする人が、日本人にいるから、日本人は、世界からみればミラクルなんだと思います。そして、だから西郷隆盛は、周りの人から人気が高いだなと思いました。

どこにも完全な考え方なんかない。でもその人がその行動するには、その人の理由があるのだ」と、思うしかありませんでした。「その人の理由」は、その人の勝手であることが多いと思います。気が付いたら、私たちは直していくしかないなと思いました。日中韓が、お互いに正しく、自分のポジションからでなく、総合的に正しく理解する。そのうえで、これから徐々に相互理解が深まっていけばいいな、と思いました。

昨日私のオフィス兼自宅に40歳の友達が来た。花を持ってきた。

昨日12時、若い友だちが、私のオフィスに来た。お祝いに花を持って。2年ぶりぐらいかな。人と会うと、良い。その人から受ける、エネルギーで自が活性化するのが分かる。おまけに花を持ってきてくれた。花を持ってくるなんて、望外だったので、これからどうするか考えて見る。それにしても、豪華できれいだった。「高かったでしょう」と、ケチな私は聞いてしまっている。

初めてこの人に、会ったのは10年前ぐらい。そのときからこの人は若いけど、私は学べると思った。それが今も続いている。この人は、行動がダイナミックだ。だから私もいた、そしてこの人が今おられる、NTTの仕事のやり方は、合わないかも知れない。でも粘り強く、仕事に取組み、プライベートの時間も作っていた。自転車で汗を流す。ダンスで汗を流す。汗を流すことはいいことだと思う。煎じ詰めると、血行が良くなると思った。

この人が来るというのを、一緒に仕事をしている友達に言った。「このオフィスに、人が来るのはいいね。そのたびに部屋を綺麗にしようと思う。いつも人が来ると、この部屋は綺麗であり続ける」。そしたら友達が言った。「確かにそうだ。この部屋でまずやらなければいけないのは、部屋から生活の匂いを消すことだ」。なるほど、人がくることをきっかけに話が弾む。

花を持ってくると、部屋が豪華になる。私は、「これから2~3日に一遍水をやろう。置く場所は外のほうがいいのかな。いやそうすると、ここに来る人から見えないな」、などと考えた。生き物がこの部屋にあると思うと、生活が変わるのかもしれない。

そして二人で部屋を出て、ワシントンホテルまで出かた。そこのビリースタンドという店で、カレーを食べ、オレンジジュース飲む。前にしていたように、後ろの韋駄天尊の祠を見ながら、時間を過ごした。そこでその人が、自転車やダンスをやっているのを聞く。そして時間が来たので、お店を出た。

2014年2月22日土曜日

私の還暦以降は、新しい人生を生きようと思っているが、さあ、どうかな。

朝5時半に起きた。外はまだ暗い。今日は曇りなのかなと思って、外を見た。NTT東日本本社ビルの上に半月がきれいに見える。ああ、今日も晴れなんだと思った。最近、早起きでなくなったのが多くなって、今日のように早起きすると、勘違いする。日は長くなっているので、この時間も明るくなっているはずだと、勝手に間違えたのだ。

最近バタバタしていたので、朝の私の運動をさぼることが多くくなっている。久しぶり(1週間ぶりぐらい?、この前大体の日やっているとこのブログで書いたばかりなのに、舌の根も乾かないうち、さぼることが多くなっていた)に全部やろうと思った。朝の運動4セットのうち、3セットを済ませ、朝食をつくり飲み食べ、昨日泊まった友達と話す。そして、今またパソコンに向かった。外は雲が少し多いけど、太陽で明るい。気持ちがいい。カラス以外の鳥の声も、聞こえてきた。

今日は、若い(と言っても40歳になる)友達が、ここに12時に来る。人は見栄えが大事だ。あまり見栄えを気にしてこなかった、私の人生ではある。しかし60歳を過ぎた、還暦以降は新しい人生が始まったと思って生きていこう、と思い始めた。今日はどうかな。

2014年2月21日金曜日

朝の食事を作る。そして陽射しのなかで食事をした。

今日は目が覚めたら6時半だった。あわててやることをしてから、食事を作った。冷蔵庫からいろいろな野菜を入れて煮た、大きな鍋を出してきた。そして小さな鍋を出してきて水をいれ、大きな鍋からお玉で、大きな鍋のなかのものを入れ、さらに肉をいれる。そこに、冷蔵庫から出してきた豆腐をいれた。いつもここに、シチューかカレーをいれる。あるいはインスタントラーメンやそばや餅をいれている。でも今日は、そのままこの小さな鍋に火をかけ10分ほど煮た。

煮ているあいだ、梅干しを小皿にいれ、沸かしたお湯でお茶をいれた急須で、お茶を入れる。そして小さな鍋で煮たものに、今日は塩をいれて、大きな茶碗に盛った。高血圧の薬を飲んで、お茶を飲み、梅干しをたべ、大きな茶碗で、小さな鍋で煮たものを食べる。これが毎朝の行事みたいに、なった。朝のいっぱいのお茶は、「今日の難逃れ」になるらしい。そして梅干しも毎日食べている。

部屋には、太陽の日が射す。今日も1日が始まった。ある意味健康的な1日を初めていると思うが、食い意地がはっている私は、これにお菓子を一袋食べてしまった。ストレスがたまると、食べて解消していると思う。これは、最近の私の心配。ここに来て、ストレスが出てきたのかなと思った。

WEBから学ぶ。ストーリテリングの技術

私は時間に余裕があるとき、WEBを見ている。今日は、小早川拳次さんの、ストーリテリングの技術を見た。ストーリには、3つの要素が必要だという。①困難との遭遇 ②メンターとの出会い ③障害の克服、そして成功。なるほど、それは私も聞きたい。そして、これは私たちの人生そのものではないか。

私は子供のころから、意外なことにたくさん出会っている。これは「①困難との遭遇」にあたるだろう。そしてメンターとは、たくさんあって来たような気がする。親もそうだったような気がする。そして大勢の人に教えてもらっている。それら、一人一人の方が、私のメンターだったと思う。だから私は「②メンターとの出会い」もたくさん経験している。そして「③障害の克服、そして成功」。私の人生で、これを求めるとしたらなんだろう。何が障害を克服することになって、そして成功したんだろう。

きっと成功したことは多い。66年間も生き続けてきたのだから。それをこれから、考えてみよう。そしてまだ失敗し続けてることも、きっと多いと思う。それをブレークスルーするためには、私にこれから、どんなメンターが必要なんだろう。私の人生を振り返るための、良い考え方が見つかって、良かった。そう思った。これから、これで私の人生の振り返りをしてみよう。

2014年2月20日木曜日

目が覚めた。今日は良く寝た。空は晴れ渡っている。

目が覚めた。外は明るい。時刻は6時半を過ぎているなと思った。時計を見たら7時。そうか、今日は良く寝たな、と思った。昨日は11時半に寝ている。一度、4時半に目が覚めてトイレに行った。これは1時間半ごとのREM睡眠と、NONREM睡眠を3回。そして、もう一度寝て、その睡眠を1回。私が寝ている時間が、計算した睡眠時間より、少し長いのは、長い時間の分だけ、うつらうつらで、寝ても覚めてもいない状態(瞑想状態も、これ)。それで、毎日、説明がついているが、今日も説明がつく。結局1時間半ごとの睡眠を4回した。これだけ寝れば、十分。

7時半にパソコンの前に座った。外は明るい。雲はところどころに、かすかに見える程度で、青空が広がっていた。先週の金曜日から(2月14日)から翌日にかけて降った雪は、道路などのはじのほうに寄せられた、ものが残っている程度。マンションの6階の部屋から下に見える、屋根屋根には、雪はもうない。今日の天気は、もうすぐ春を感じさせる。空が明るいと、気持ちも晴れ晴れする。

一昨日と昨日は、仕事で私が泊まり当番、電話がいつもより凄く多く、良く寝れなかった。今日は友達が、泊まりをしてくれたので、私はその分、良く寝たのだと思う。友だちに聞いたら、電話は1本だけ。しかし、朝もその継続の電話があり、友だちが情報の橋渡しをしていた。ここに夜間、運送会社様の事務所の人から、システムに予想外のことが起こったときに、電話が来るが、運送の雪の影響もだんだん少なくなっている。システム的には、少なくなったが、まだ輸送の現場はテンヤワンヤしている。特に長野などの雪の多いところでは。輸送の現場は、この大雪の影響を、多大に受けたのが仕事を通じて分かった。

2014年2月19日水曜日

失敗すると親と似たんだなと思う。成功すると、自分は凄いんだなと思う。

喜びも悲しみも幾歳月。いい言葉だなと思う。ここまで66年も生きてくれば、いろいろあるさと思う。でもあるとき気が付いたのだ。自分がうまくいかないときは、親と似てしまったと思う。成功すると、私の才能はやっぱりあるなと思って、親のことなんかちっとも考えない。これって自分勝手だなと思った。

でも最近考えが、変わった。失敗したときは、凄く自分を考えている。そういうときに親を思い出した。親もいいやつだったけど、こんな点があったな。それが今の私の失敗の原因につながっている。そう思うことは、私が親を総合的に、感じていることなのだ。うまくいって、有頂天になっているときの自分は、小さい。自分が小さいときは、ちっとも親を思い出さない。でも悩んで大きくなるときの自分は、親との一体感を感じている。そうか、親って凄いじゃないか。

全然、話が違うが、「親は子を育てたというけれど、勝手に赤い畑のトマト」。これも)笑ってしまった。親と子か。子は「親の言うこと」は聞いていないけど、子は「親の背中」は見ている。そうだろうな。関係がありそうで、関係はない。関係なさそうで、関係がある。それが親子だろうなと思った。

どういう時に疲れて、どういうときは疲れないのか。

仕事で、一昨日の夜と、昨夜は忙しかった。でも、疲れ方には差がある。一昨日は、そんなに処理した件数が多いわけではない。しかし、疲れた。なぜ疲れたか、理由がわかった。一昨日は、この対応で良かったかと、自分への反省、がっかり感が強かったのだ。それで、処理件数は少なくとも、自分のていたらくを、思ったときに疲れたのだ。

昨夜は処理件数は、一昨夜より多かった。でもそんなに疲れてない。一昨夜の経験があって、こうすれば、ああなると状況が読めたのだ。そうすると、行動していても、そんなに疲れない。思った。忙しいことが疲れの原因ではない。自分へのがっかり感が、自分を疲れさせるのだ。そして、一昨夜のがっかり感があったから、昨夜は元気がでたのだろうとも。

幸不幸はあざなえる、縄のごとしというな。だから悩んだからこそ、次のよろこびは大きい。人は達成感を感じるために、生きているのだ。でも悩まなければ、達成感もない。私も悩みながら、達成感を感じていこうと思う。「みんな悩んで、大きくなった」。うーん、世間ではやまる言葉は、いいなと思った、

2014年2月17日月曜日

電化製品はなんでも進歩している。季節は春に向かって、明るくなった。

今日4時半に起きた。パソコンに向かって、昨日やり残したことを済ます。その後、着替えて、それも含めて3日分たまったものを、自動洗濯機に入れた。自動洗濯機は、私たちの子供のころに比べて、大きく変わったものの一つだと思う。便利になった。戦後の私たちの、子供のころに比べれば、なんでも大きく変わったから、特別なものではないかも知れないが、ビックリするものの一つだろう。炊事・洗濯は、昔は大変なものの代名詞であったが、今は独身者が簡単にできてしまう。朝ごはんの準備もした。そして食べる。

6時過ぎて、窓をあけた。明るくなっている。6階の窓の下に見える、低い屋根たちの上の雪もだいぶ減って、雪がないところもあった。昨日も今日もいい天気だからな。昨日はそばに見えるNTT東日本本社ビルの微かに上を、昼過ぎの太陽が通過していったのを見て、ビックリした。今までは、太陽がNTT東日本本社ビルを通るときは、ビルの向こう側を通って、この部屋は日が陰ったから。春が近づいて、太陽もずいぶん高くなったのだ。

6時40分、低いビルの間を、太陽が顔をだし、朝焼けだった空を、太陽が支配するようになった。「今日もいい天気」。なんだか、「さざえさん」の歌を思い出す。「手のひらを太陽にすかして見れば、真っ赤な血潮が・・・」。やなせたかしの歌も思い出した。雪が降った、先々週と先週の2回は、「雪は降る、あなたは来ない・・・」を歌いながら、雪の中を歩いた。随分、天気によって、気分が変わる。今週は、明るい太陽のもと、元気が出せそう。

2014年2月16日日曜日

先週の木曜日、思ったような、60点のような1日が過ぎました。

今頃、先週の木曜日(2月13日)のことを書くのは、なんですが、今日はたくさん書いているので、ついでにこれも書こうと思いました。先週の木曜日は、川崎の東扇島に車で行きました。ドコモの電波微弱対策のためです。ドコモモバイルの人が、東扇島まで来てくれて、工事をしてくれました。お客様とドコモの間にたつ、会社の人間として、立ち合いをしたのですが、工事は順調に終わりました。これは順調に終わったのですが、あとで渡されたものが見当たらないので、これから見つけるため、動こうと思います。

 
その後、先輩のところに午後お邪魔しようと思って、予約していたのですが、時間ができたので、少し早く車で行って一緒に食事をすることになりました。食事をしながら話をすると、話の展開が私が予想したものとは違う展開になりました。時間を過ごすのは、順調にいきましたが、話して良かったことと、良くわからないことが錯綜した話し合いです。

その後、女房のお母さんのところに、予定の時間14時30分に行きました。私はお母さんの妹さんに、特に女房が死んでから、凄くお世話になっています。生活のパターンも影響受けているし、何よりも生きる心構えについて、私は影響を受けました。その妹さんが、お母さんのところに行ったら、いたのです。いろいろ言われて、都合が悪くなると逃げる癖のある私は、腰を浮かせ気味になりました。要は、「会社を作ったら、足元をみられるようなことをしたらいけないよ」ということです。この前は、だから靴もいいものを履きなさいと言われました。この妹さんは、私がいい加減にしている部分を、指摘してくれるので、ありがたいと思っています。

この日はいろいろなことがありましたが、要は人生は思ったようにはいかない。それでも生きていくことには価値がある。そういうことだと思いました。

電車で席を譲られました。譲った女性の顔が素敵なのに、思わず見とれてしまいました。

先週の水曜日(2月12日)、23時ごろ、渋谷駅から「みなとみらい」行きの、東横線に乗りました。少し混んでいる電車です。優先席近くでたっていると、座っていた、たぶん30前ぐらいの女性が、私に席を譲ろうとしました。席を譲られる齢ではないと思っている私には、意外な展開だったのだと思います。条件反射的に、「いいです。いいです」と言って、遠慮しました。その人も、それ以上言っては悪いとおもったのか、それで終わりました。

本当は、譲られた私は、「私も譲られる齢なのか」とショックなはずですが、実は譲ってくれた人の顔に思わずみとれていたのです。うーん、その人の美人という範疇に感じたのではなく、その眼の光の強さに見とれたのです。これはどこかで見たことがある。誰の顔だったろう。でもこの人は良い顔をしているな。なにか全部、この世のできごととは思えず、幻想的な感じでした。

私が多摩川でおりるとき、その人はまだ座っていましたが、私は「ありがとうございます」と言って降りました。その女性も「いいえ」と言います。少し小柄ですが、スタイルも良かった(私もへんなところばかりを見ている)。何か夢みたいな、時間が過ぎていきます。これは芥川龍之介の「杜子春」みたいな世界だなと思いました。最近不思議と、今までわからなかった、紀元前の中国の人、荘子のことがわかるようなきがするのです。この日も荘子の世界のような、不思議な感じに襲われました。

昨日、新宿スポーツセンターで泳いだ

昨日、たぶん中止だろうと思いつつ、「ゆる体操」教室に行ったが、やっぱり中止だった。少し体をあたためたり、やはり「ゆる体操」教室に来た人と話したりして、10時40分頃、すぐ近くにある、新宿スポーツセンターのプールに向かいました。

雪が深くて、人がほとんど通らないところを歩くと大変です。それでも、11時15分ころ新宿スポーツセンタについて、プールで泳ぎました。最初の暖かいシャワーは、冷えた体に気持ち良く感じられます。それから、泳ぎました。プールは外の雪のせいで、普段より空いているようです。

ほら、だから「人の行く、裏に道あり花の山」なんだと、思いながら。途中でプールを上がってトイレに行ったこともあって、11時55分の休憩の笛がなったときは、私の泳ぎは、いつもより少ない9往復(450m)です。でも私の高血圧対策には、これだけ泳げば十分だと、私はそのままプールを上がってしまいました。

あがるとき着替えていると、外人が娘を二人つれて着替えにあがってきました。日本語を話していたから、お母さんはたぶん日本人だろう、などと勝手に想像しながら。後ろには別な外人が、英語を話しながら、二人で着替えています。へえ、新宿スポーツセンターの国際色は、豊かだなと思いました。娘を二人つれていた、外人はさきにプールを出ています。

でも私は、娘のヘアキャップを忘れていたのに気が付いたので、それを持って、外の外人のところに行き、「これを忘れていませんか」といいました。その外人はニッコリ笑って、「忘れました。ありがとうございます」と言います。なんてことのないことながら、どこの国の人もいい人たちだと、私は思いました。

昨日、同じ「ゆる体操」教室に行っている人から、良い話を聞いた。

 
昨日10時前、新大久保から雪道を、大久保スポーツセンターに行った。いつも第3土曜日の午前中に、「ゆる体操」教室があるので、参加するために。きっと中止だろうな、と思いながら、雪の中を歩くのは、いいだろうとも思ったのもあっで行った。着いたら、案の定中止、教室には誰もいなくて、部屋が広々と感じられる。しかし、そこにもう一人、生徒さんが来ていていた。そして60分、話をする。

この人は昭和20年3月生まれ、吉永小百合とまったく同じ日に生まれた。私は変なところで記憶力が良くて(?)、一度聞くと、その人の生まれ年などは覚えているのです。この人はマスターズのマラソンの日本記録(65歳以上?)をもっているそうで、話していて楽しい。仙台生まれで、福島大学卒業、葛飾区金町に家を持ち、サラリーマン生活を終えた。が、お母さんが仙台にいたので、介護のため、仙台に帰る。

2年ほどまえ、お母さんがなくなった。でも仙台は、生活するのにいいところなので、夫婦でそのまま仙台で生活。今は金町の家には娘さんが、一人で住んでいるそう。そして、この人は月に一回ぐらい、東京に来て、東京と仙台の生活を両方楽しんでいる。(こんなことまで、お前に言われたくない、というその人の声が聞こえてきそうだが、私は勝手に”まあいいか”)

この人は、東北大学が社会人向けに開いた教室(私は教室の名前は忘れた)に行ったとか。終わってOB会を作ったが、OB会でときき集まっているそう。そのOB会で、その人も3回話した。内容が「体をゆるめると、新しい世界が広がる」ということ。なるほど、“体の力を抜いて”と、良く云うものね。「理論編」「実践編」「理論+実践編」の3回をやったとのこと。その人の体験談も含めて、話をしたらしい。

お話すると、聞く人の目の色が変わっていくのが、わかるらしい。それは楽しいだろうな。自分の経験を、他の人とも分かち合える。それって、素晴らしいと思う。その人の話す笑顔が、よけい素敵に見えた。「ゆる体操」の教室は、やってなかったが、ここへきて良かった。そう思えた、お話だった。

今日は良い天気。もうすぐ春だと感じさせる。

今日は5時30分ごろ起きた。部屋の電灯をつける。6時から朝のネットワーク監視で、サーバやお客様の拠点パソコンにピングを打ったりして時間が過ぎた。夜の仕事は、やることはあまりないので、こういうことをすると、少し自己満足できる。基本的に、異常なしが続いているが、こういう基本動作は、必要なのだろうと思う。

6時半過ぎて、外はあかるくなってきた。6時45分になって、外を見たら太陽が東の低いビルの上に上ってきたのが見えた。マンションの6階の窓から見ると、低い建物の屋根のうえには、雪が見える。が、今日は凄く良い天気なので、これらの雪もすぐ消えていくのだろうと思った。

私の部屋は、12時過ぎにNTT東日本の本社ビルやオペラシティの建物のせいで、日が差さなくなるときがあるが、午前中は、太陽の光が気持ちよく部屋にはいる。明るく、暖かくなると、もうすぐ春ですね、と思う。一昨日、昨日の雪は、暖かさの前触れだったのだろう。これから、どんどん日が長くなっていく。やっぱり、年をとったら春が来るのは良いと思う。そして、この部屋も寒かった冬を超えて、これから暑い夏に向かっていくのだろう。今、10時半少し前。外は明るい。私のこの部屋での、初めての春、夏の体験が始まる。

昨日は雪の新宿界隈を、歩き回った。

<昨日目が覚めると、雪交じりの雨だった>

昨日起きると、一昨日の雪が雪交じりの雨になっていた。昨日は、いつもより遅く、朝7時過ぎに起きている。外が静かで良く眠れるようだ。先週の雪は、金曜日降って、土曜日もより強く降っていたが、今週は先週より少し暖かくなったのだろうか。

人から話を聞いたら、新宿では、こうだったが、場所が違えば、雪の状況は変わっているようだ。先週、雪が積もったなかを歩いて、私たちが地球のうえで生きている、というのを実感したので、今日も外の様子をみるため、出かけた。

<家のそば、初台のあたりを歩く>

まず初めに、水泳お手伝いボランテアが中止になったので、行く予定をたてていなかった、大久保スポーツセンタでの「ゆる体操」教室。中止である可能性が高いから、その足で新宿スポーツセンタに行って、プールで泳ぐ。そして会社に行って、メールなどを見る。こうすれば、1日の予定が、だいたい埋まる。

8時40分、西新宿の家(初台に近い)を出て、初台の駅に行った。雪がそのころは、雨に変わっていて、道路はグチャグチャに近い。気をつけないと、ぬかるんだ道路で、転ぶ。初台の駅に行ったら、京王線のダイヤは乱れていたが、電車は本数が減りながらも、走っていた。

<大久保スポーツセンターに行った>

新宿に出て、新宿でJRに乗り、新大久保に行く。ここで降りる。新大久保は、コリアンタウンもあって、いつも人でにぎわっているが、さすがに昨日の人は少なかった。

ここから、大久保スポーツセンタに向かう。途中の道路は、人通りが少なくて、道も踏み固まっていないので、苦労しながら歩いた。雪に足がとられる。大久保スポーツセンタまでは、いつも10分ぐらいで着くが、昨日は25分ぐらいかかった。着いたのは9時40分。寒さで、足が凍える。途中では、太さ3cmぐらいの木が折れて、道に落ちていた。

<ゆる体操教室は休みだったけど、同じく教室に来ていた人と話した>

「ゆる体操」教室は、案の定、中止。しかし、部屋のなかは暖かかった。ここで少し温まって、足の凍えをなくそう。それから新宿スポーツセンタに行こうと考えた。そしたら、受付で休んでいた、やはり「ゆる体操」教室があるかも知れないと思って、葛飾区金町から来た人が、出てきた。この人は昭和20年3月生まれで、吉永小百合と同じ日に生まれている。

この人も、「ゆる体操」教室のホームページで、参加のエントリーはしていないらしい。「朝8時頃、小松先生からセンターに電話があって、センターは中止と告げられたらしい。参加のエントリーをしていなかったので、連絡が来なかったのだろう」と言った。この人から、たくさん話を聞いた(私も喋ったかな)。いい話が多い。あっという間に60分たっていた。体も暖かくなっている。

<新宿スポーツセンターのプールで泳いだ>

別れて、私は新宿スポーツセンターに向かった。途中の雪道は、人通りも少なくて、歩くのに凄く苦労する。雪の中に足を踏み入れると、冷たい水が、私の足をとらえる。新宿スポーツセンタに着いたときは、また手足が凍えていた。プールに入る前に浴びる、シャワーの暖かさが気持ち良い。11時30分過ぎころから泳いだ。9往復(450m)泳いだところで、11時55分。笛が鳴って、プールは休憩。私はもうこれでいいと思って、あがった。

<昼食を食べた。そして会社に来て、雑用もした>

外に出ると、若い人たちがする雪かきが進み、少し歩きやすくなっている。「高田馬場」駅に向かう
途中に「サイゼリア」があったので、ここで昼食を食べた。昼食を食べて、良い時間が過ぎると思いながら本を読む。そしたら、眠ってしまった。「え、もう13時30分」、あわてて、「高田馬場」駅に歩き、JRに乗って、新宿駅南口から、地下道を通り都庁そばにある、会社に行った。そしてメールを読むなど、雑用をこなし、近くの家に戻った。

2014年2月14日金曜日

雪がたくさん降っている。明日の水泳お手伝いボランテア中止のメールを出した。

今日は、朝から雪がふった。今21時30分。今も少しだけど雪が降っている。窓の外の手すりには5cmぐらい雪が積もった。夜もこのまま降りつづければ、明日の朝はもっと積もっているのだろう。外は雪景色。先週の今日も降った。そして今週も。今年は雪の当たり年なのかな。

明日、足立区肢体不自由児者の水泳お手伝いボランテアがある。もう、参加者のみんなにメールして、出欠もとってしまった。明日は車で集まってくる人がほとんどなので、来れない人が多いだろう。そこで昨日22時ころ、理事長さんで、明日参加する人のお母さんに電話して、中止を決めた。

今日朝、みんなに中止のメールを出した。続々、了解の回答とコメントが寄せらてくる。参加予定で返信のなかった人には、電話で話した。「心配していたので、中止の連絡を貰えて良かった」という声が、携帯電話の向こうから聞こえる。参加予定の私も含めた8人全員に、これでボランテア中止の連絡ができた。みんな心配していたらしい。昨日のうちに、参加予定の人から、「延期したほうが良いのではないか」とのメールが入った。今日の朝も、「明日いけないかも知れない」と、メールが入っている。私の中止メールを出すのが遅かったかも知れないが、早く「中止を決断」して良かったという、メールの声も多かった。

そうかボランテアメール出す掛(つまり私)は、天気予報で動きがあったとき、敏感に反応しなければ」ならないのだ。私は反応が鈍いので、幹事には向かないのかも知れない。そういう人間が幹事をして、鈍さのまずいところうを少しづつ覚えていく。私の年齢で、それはもう遅いのかもしれない。でも私は、このまま勉強を続けようと思った。

昔、青年・婦人だった人が8人集まった。

 もう昨日になる。40年前出会って、そのとき1年間一緒に行動した人が、飯田橋の懇親会場に集まって懇親した。40年前私たちは、電電公社の組合、全電通本社支部で、青年・婦人として活動している。そう40年前は、私たちも20代で若かった。組合だけど、思想性はあまりなかったような。少なくとも私は、これと言った思想性はなかった。でも、エネルギーに任せて、いろいろな行事をしていったような気がする。バックに哲学のない、行動は危うかったと思うが。

 でも昔が懐かしくなるぐらい、昔はいろいろやった。みな違った性格だったが、それぞれにクリエイティブだったと思う。このメンバーでやると、自分ひとりではできないと思うようなことができた。週刊ポストにも、我々がメーデのデモのとき掲げた、「ストップ インフレ」という言葉を書いた横断幕が載った。いくつもの行事や会議をこなしている。それはそれは、いろいろな行事をこなした。

 このメンバーで、ここ5年以上、毎年2月に集まっている。久しぶりに集まると楽しい。ここに来ると、みんな全能ではないが、組み合わさると、なにかができると思える。そうだ私たちは、部分的には、何か爆発的な能力を持っているのだ。それを探し求める旅路が、これからも死ぬまで続くのだと思い起こさせる。このメンバーは、そういう自分を思い出させてくれる。昨日も楽しい数時間となった。次回はまた来年の2月・・・・。

2014年2月12日水曜日

何もしないのに、忙しい1日が過ぎて行く。

今日は、人形町に行って、そこの会社にいる人とあった。久しぶりでもあったので、懐かしかった。午後からは会社に戻り、メールをみたり電話をしたり。そして日が暮れた。

アウトプットはほとんどないのだが、明日も忙しい。車で川崎の東扇島に行く。それから蒲田で、人に会いに、車でその人のいる会社にいく。夕方は40年前に一緒に行動した人(私もいれて)8人と、飯田橋で懇親会。用事が続くときは続くもんだと思った。

プールに行った。会社に行って、メールを打ったり「、雑用もしたり、そして昨日も1日が暮れた。

昨日は、建国記念日で祝日。11時を過ぎて、プール行った。家から歩いて20分のところにある、中幡小学校のプールへ。もう35年も毎週プールに行っているから、私はいろいろなところのプールに行っている。初めてのプールに行くと、プールが冷たく感じるときもあった。もっとも、しばらく行っていると、それもそのプールの個性と感じられるようになるが・・・。ここ中幡小学校のプールは、初めから違和感がなかった。きっと、このプールは、私と相性がいいのだろう。

ゆっくり泳ぐ(私はゆっくりしか、泳げないのだが)。いつものように、平泳ぎとクロールをかわるがわる泳いだ。クロールは、顔を右にあげたり、左にあげたり、1往復するごとに変えている。今日はいつもより短く10往復(500m)でやめた。これだけ泳げば、私の高血圧対策には十分。今日は予定が多いので、短い時間で泳ごうと、思ってきたのだ。

考えて見ると、横着な私が、いろいろなことをしている。毎週の水泳。毎朝の運動。どれも私の病気対策で、やらないと私の体の調子が悪くなるので、自然に続いてしまう。そうか、私のような短気な性格(短気というのは、きっと私の心に余裕がないのだろう)でも、こうして長く続いているのは、私の病気のせいだ。高血圧という病気が、結果として私の人生を、少しは有意義なものにしてくれている。だから逆説的だが、私は病気に、感謝しなければいけないだろうなと思った。何故か斉藤一人さんの「病気は神様が、これでもわからないかと頭をたたいているのだ」、という言葉を思い出す。そうなんだろうな。神様はいるかも知れない。

家に帰って、部屋のレイアウトを変えた。それから会社に行って、昨日やり残したメールなどを打つ。昨日は、雑用をだいぶした。忘れっぽくなった私は、その日やるべきことを、箇条書きにしている。が、昨日はほとんどの項目に、済の記、レ点が入った。

2014年2月11日火曜日

外にはまだ雪が残っている。

ここ東京に、大雪が降ったのは3日前。朝7時30分窓をあけると、もう雪がなくなると思ていたが、外にはまだ雪が残っていた。車の通る道路には、雪がなくなているが、わきによせられた雪はかなり残っている。マンションの6階から見ると低い屋根の上には、雪があって雪のある風景を作っている。雲の中には、太陽が少し光って見えた。この天気だと、雪景色も長持ちするかも知れない。新宿初台のあたりは、低い家並も多い。こんなところに、今住み始めたなんて、夢のようだ。

今日は祝日で、火曜日だけど休み。思わずのんびりしてしまったが、今日のやることはいっぱい。土曜日行きそこなったプールにいこう。会社にも行ってやるべきことがいくつかあるので、それもやろう。本棚も動かしたいな。今日はやることが、いっぱいあるような気がする。全部できるかな。

2014年2月10日月曜日

昨日友達が来た。話した。エネルギーを貰った。

昨日、友達がこの部屋に来た。たくさん話した。昔の共通の知人が話題にたくさんでた。どの人も懐かしかった。しかも私には目的があって。元気もでた。人と会うと、私が活性化するのがわかる。心理的に活性化すると、体も活性化すいるようだ。

友達と1時間半以上話したが、飽きない。でもいつまで話してもきりがないからと、友達は帰った。そうだ、私が会社を作ったのは、この会社に集う人で、話しお茶を飲むのも、目的の半分ぐらいだ。お茶も飲んだ。こういうこともできるから、私は会社を作ったのだな、と改めて思った。人は接すると、エネルギーを他人から貰える。そしてまた元気づく。そしてこうしながら、肉体は老齢化して行って、そして人は死ぬのだろう。私も死ぬまでの間、いろいろな人に接して、エネルギーを貰って生きていこう。

雪景色が見える

朝起きて、いろいろしたあと、7時30分窓のカーテンをあけて外をみたら、まだ雪景色だった。外にはオペラシティも見えるし、NTT東日本の本社ビルも見える。それらは雪はなかったかのようだが、マンションの下に見える低い屋根の上には雪が見える。白に包まれた、景色はあまり雪に見舞われていない私には、清々しく感じられた。一昨日の土曜日は、朝から雪が降っていた。東京全体が雪で埋まった。一昨日の私は雪の中を動き回って、雪の柔らかさを感じている。昨日は雪がやんでいたが、雪はかなり残っていた。そして今日の朝の雪景色。今日は晴れ間が見えるから、この雪景色が見えるのは、今日いっぱいかもしれないな。

、ジュディカエル・ペロワという人のギター演奏を聞いた。雪の中の江東ティアラで。

一昨日(平成26年2月7日)は、樋浦さんのご主人が3日間主催する、ギターフェステバル(イースト・エンド・インターナショナル・ギター・フェステバル)の中日だった。フェステバルでは、1日目と2日目の夕方は、フェステバルの一環として、コンサートを開く。中日の昨日は、19時から江東テアラの小ホールで、ジュディカエル・ペロワという人のギター演奏だった。

この人は1973年生まれのフランス人。顔はイタリア人みたいな、あるいは移民の子供のような?。7歳からギターを始め、14歳から数々の国際コンクールで優勝している。今は、フランスのどこかの学校のギターの教授をしている。弟子たちも、数々の国際コンクールで優勝している。なるほど、凄い経歴だ。フランスの怪物が再び来日と、パンフにあるが、怪物という言葉がぴったりする。

去年この人のギター演奏を、初めて聞いて驚いた。この人がギターを弾いたら、会場の空気が変わった。本当に、そう感じたのだ。えっ、これがギターの音色なの。澄み渡った音。濁りは全く感じない。1つ1つの音を大事にする。この人のギターを弾く姿勢が、会場のスミズミまで、空気をピーンと張りつめたものにした。そこに浸っているのが、気持ち良かった。

今日はどう感じるのだろう、そう思いながら聞いた。2回目の一昨日は、リラックスしながら聞けている。あ、このメロディは聞いたことがある。これはヘンデルが作ったものか。そして次々メロディが変わる。上手な人のギターを聞くと、何を聞いてもいいと思ってしまう。このギターの音を聞けているだけで良い。心地良い雰囲気を味わっただけの、演奏会だった。そしてジュディカエル・ペロワが、何回もアンコールに答えた後、21時ころコンサートが終わった。

江東ティアラを出ると、まだ雪が降る外へ出た。今日のギター演奏に、この雪景色は似合うなと思いながら歩いた。新大橋通りの雪道を、猿江恩賜公園の間を歩く。江東ティアラの周りの雪景色といい、この通りの雪景色といい、まるで童話のようだ。そして地下鉄都営新宿線「住吉」の駅につき、電車に乗った。

2014年2月9日日曜日

これから2週間の朝晩にたべるのを、料理の下ごしらとしてした。たくさん料理をした。

昨日はいろいろなことがあった。まず、昨日は雪が降っていた。外を見ると雪が降っていて、窓の外の手すりのところには、1cmぐらい雪が積もっている。そして、食事をしてブログを書いた。終わって、買い物に出る。昼食を食べて、12時半からは、3時間程度かけて、鍋でたくさんの具をいれて、煮ものを作った。そして煮たものを、パックに詰める。残りは鍋ごと冷蔵庫にいれた。パックも冷蔵庫にいれる。これがだいたいこれから2週間分の、私の朝夕の食事の下ごしらえになっている。朝夕の食事では、鍋のなかから1食分だけ、別な小さな鍋にいれて、卵や肉ももいれて、カレーかシチューか味噌等をいれて食事にしている。

食事で炭水化物や糖分をとらないと、5kgは努力しないでやせる。去年10月に読んだWEBにそう書いてあったので、炭水化物や糖分を、それ以降食事でとらないようにした。大食漢の私は、食事の量は減らさなかったが、1ケ月に本当に5kg痩せてしまった。体重が、78kgkから73kgに下がった。痩せるって本当なんだ、と思った。最近はインスタントラーメンやうどん、そば、餅を、食事のときは、一緒に食べるようになったが、体重は1~2kg増えただけ。

16時に、少しの時間だけ泳ごうと家を出た。雪はまだ降っていて、積雪が30cmぐらいに増えている。雪の中を私の今いるところから20分かけて、プールのある中幡小学校に歩いて行った。いつもより少ないが、雪の中でも歩いている人は多い。道路を下に下りて、もうすぐ中幡小学校に、近い雪の中で転んだ。気持ち良く感じる。この年になると、恥も外聞もなくなるから不思議だ。雪はつもっていて、転ぶとその雪に直接触れられて気持ちがいい。中幡小学校の入口で声をかけられた。プールを手伝っている20歳ぐらいの若い男性に。「これから玄関のところの雪かきをする。プールは17時まで障害者の人が使っているので、一般の人は17時からしか使えない」と言われた。私は「17時から泳ぐと次の予定に間に合わないから、今日は泳ぐのを中止する」と、言って幡ヶ谷の駅にでた。雪の中を歩くのは、気持ちがいいと思いながら。

幡ヶ谷駅から、都営新宿線の住吉の駅に出た。ギターの演奏会のある江東ティアラに行くために。ここの小ホールで、会社の樋浦さんという女性の、ご主人が主催してイースト・エンド・インターナショナル・ギター・フェステバルを実施している。昨日の19時からはその一環として、フランス人のギターリストの演奏会があるのだ。幡ヶ谷でプールに入れなかったので、住吉駅には少し早くついた。地下鉄駅の地下で、張ってあるパンフを、ゆっくり見て歩いてから外に出た。雪が降り続き、雪が積もって行くなかを歩く。猿江恩賜公園のわきを通る。静かななかを歩いて、いくのは幻想的でもある。そして江東ティアラについた。

会社の樋浦さんもいた。樋浦さんは車椅子に乗っている。私は冗談を言うのが好きだし、会社で樋浦さんもいつも冗談を言って笑っている。そういうこともあて、樋浦さんに近寄って、「樋浦さんが車椅子に乗っているのは冗談ですか、本気ですか」と、私は半ば冗談で聞いた。樋浦さんは「八木さんは、私が腰が痛がっているのを知っているものね」と言った。腰痛がひどくなって、車いすがないといられなくなったらしい。そうか、そんなにひどくなったのかと思った。

少し待って、コンサートが始まった。ときどきこうして、一流の演奏家に触れるのは良いと思いながら聞く。そして、何回かのアンコールがあって、演奏会は終わった。21時ころ、江東ティアラを出た。雪の中を住吉の駅に出て、それから都営地下鉄新宿線に乗って、初台の駅に着いた。東京オペラシティを出たところが、雪が溶けていて滑りやすくなっている。そこで私はまたすべって転んだ。今日は良く転ぶ日だと思いながら、22時ころ家についた。

話が最初のころに戻るが、私の今日の料理で使った、具を次にあげる。これらを皮を剥いたり、切ったしながら煮ていくので、最初から最後まで数えると2時間以上、煮ていることになる。良く煮るので、具は少し大き目に切っても、柔らかくなる。
1.昆布と鰹節を鍋の中にいれた水の中にいれた。これにガスの火を弱火でかけた。
2、砂糖をいれた。唐辛子をちぎっていれた。
3.蓮根と筍の水煮を、良く洗っていれた。
4.大根とごぼうとニンジンを切っていれた。
5.玉ねぎとねぎを切っていれた。
6.リンゴの芯を抜きいれ、ニンニクを切っていれた。
7.焼き海苔を何枚かかぶせた。
8.最初に切って、雪の中の窓の外に干していたシイタケ、エリンギをいれた。
9.ジャガイモ、サツマイモを切っていれた。
10.さといも、カボチャ、山芋を切っていれた。

これで最初の鍋はいっぱいになったので、次を2回に分けて煮た。
11.キャベツ、青梗菜を切った。
12.にらを切った、もやしはそのまま。
13.セロリ、ピーマン、なすを切った。
14.オクラとインゲン豆を切った。

これらを煮て、パックにいれたり、鍋のまま冷めてから冷蔵庫にいれる。私はこれにほぼ毎朝・夕、肉をいれたり、卵をいれたり、カレーやシチューのルーをいれて食べている。だから、私は野菜不足になっていないと思う。これは、アメリカのダラスに単身赴任で、5年間もいた人のやったことをヒントに、初台にきて、最初のときからしている。

2014年2月8日土曜日

講演「物の流れから地域を考える」を聞いた。そして同時に出された本の、出版記念パーティにも出席した。

昨日は、浜町で講演会があったので、聞いてきた。講演のタイトルは「物の流れから地域を考える」、講師は東京海洋大学の教授を今度やめられる苦瀬先生。建設技術研究所国土文化研究所が主催する講演会だ。ロジステックスがテーマの講演である。会場のホールには約100名が集まっていた。

史記を読んでも、紀元前の昔から戦争に勝つのは、ロジステックスを重視したほうだというのがわかる。それぐらい、戦争ではロジステックが重要だった。ロジステックは普段、当り前に行われているが、その優劣は異常時に特に現れる。東日本大震災のときも、ロジステックスがどう行われているか、その良否が顕著に現れたと思う。

東日本大震災のときの、トラックの燃料不足は大きく報道された。異常時は特に、その情報の伝達方法が問われる。私が勤務している会社は、ロジステックのうち、運送車の運行について、その位置をリアルタイムに把握する等のシステムを作って販売している会社である。だから会社の業務が大いにロジステックスに関係している。私は建設技術研究所様とも、おつきあいもしている。それで講演会参加となった。

講師の苦瀬先生は、大学の授業のほか、数々の国や区の審議会等の委員もしており、ロジステックスに様々に関っている。そのアプローチは、現実的で面白い。別なところの講演で、前に防衛庁の話もしていた。そのときから、この先生を私は面白いと思っている。防衛庁はロジステックを抜きには、考えられない。戦前から(いやその前からも知れない)、今の防衛庁には、戦争に関するロジステックのノウハウは蓄積されているのだ。この先生は目の前に現れた問題だけでなく、防衛庁に話しを聞いて、ロジステックを考えている。歴史的に考えている先生だ。

講演で印象的だったのが、3つあった。一つは苦瀬先生が、物流、ロジステックを歴史的に考えていること。二つ目は、江戸時代から、三方と言って、土方、船方、馬方という、現場の3つの汚れ役(大事な仕事でもある)があって、苦瀬先生は3つとも経験しているということ。三つ目は、物流ーロジステックは江戸時代から、ルートの開発だけでなく、港の整備等のハード面の開発、それとそれを担う人々を組織する制度面の開発も行われてきた、総合ビジネスだということ。

一つ目の歴史は、特に江戸時代の物流ににフォーカスしている。つくずく首都に江戸を選んだ、徳川家康は偉かったと思う。徳川家康は豊臣秀吉に、江戸を押し付けられたというのが、本には書いてあるが、徳川家康は江戸を押し付けられたとき、快哉を叫んだのではないかと、苦瀬先生はいう。それにしても、江戸を開発してきた、徳川家康と関かわってきた日本人は偉かった。

二つ目の三方に、どれも苦瀬先生がかかわってきたというのは、こうだ。早稲田で土木を勉強し(これが苦瀬先生がロジステックとかかわった最初らしい)、国土計画という会社に入って5年働いた。これが土方。再度大学で勉強し、東京商船大学(今の東京海洋大学)に先生として入ったが、これが船方。そして、物流ーロジステックと、今関わっているが、これが馬方。なるほどね。

三つ目の物流が総合ビジネスだ、というのは良くわかっった。江戸時代の河村瑞賢が、裏日本と表日本の航路を開拓したというのは、中学校のとき習って知っている。その航路開拓のためにはたくさんやるべきことがあったのだと、講演を聞いて良くわかった。

物流ーロジステックは、いつの時代にも、人が大きく動くためには、欠かせないインフラビジネなのだ。この目に見えない世界は、わかりやすくみんなに知らせなければいけない。そして、みんなに物流のことを、考えてもらわなければいけないと、苦瀬先生は主張していると思える。東京のなかに、次々と大きなビル群が出来て行くが、ビル群の地下にトラック等が動ける、物流設備もたくさんある。それらに苦瀬先生は、たくさん関わってきていて、それらの一端を今回の講演で、聞かせてもらえた。面白かった。そして、最後にそういう観点での、防災の話も聞けた。

講演が終わって、建設技研の会議室で、出版記念パーティがあった。今回新たに、建設技術研究所偏著、苦瀬先生監修の「物流から見た道路交通計画ー物流を、分ける。減らす・換える」が出版されている。その出版記念パーティだ。10人の建設技研の人の名前があがっているが、半分の5名の人は、何度も光英システムに来てもらっている。一緒に講演を聞きに行った、光英システムの社長と、もう一人の人と、私も参加した。書いた人がひとことずつコメントしたが、苦瀬先生は、原稿が建設技研から渡されたび、真っ赤に添削したらしい。そして苦瀬先生に物流のことを教わるより、日本語を教えてもらったとも。この記念パーティに出席して良かったと、思った。

私は毎朝、長い時間(90分以上)、布団の上で運動をしている。

私は毎朝、長い時間(90分以上)、布団の上で運動をしている。毎朝と言っても急ぎのときもあるし、前日パソコンゲームなどで遅くまで起きていて、朝の運動を端折るときが1/3の日ぐらい、これまであった。時間を短くするときも、まったくやらなかったときもある。しかし、2/3の日は、やり続けている。それには理由がある。私は6年半前、脳溢血で倒れ、頭蓋骨をはずす手術をした。私は(奇跡的に)生き返ることができたが、後遺症が少し残っている。それは少し足が、思ったように動かないことだ。それが、朝の運動をすると軽減される。最近つくづく体の血行が大事だと思うようになったが、朝の運動をすると、その血行が良くなるようだ。

やることは、4つにわけている。まず、1つ目のセットが足裏揉みだ。これは導引術の本で学んだ。足裏をもむと、足の血行がよくなり血圧対策になるらしい。私の体の良くないことが、足裏に顕著に出ている。右足裏の外側に魚の目ができるなど、そこに血があまり行ってない。だから、そこは時間をかけて揉んでいる。足指の根元もときどき割れて、痛くなる。そこも丁寧に揉む。その他いろいろなところを揉んだり、のばしたりすると、あっという間に40分たつ。そして仕上げは、足首ゆっくりまわしだ。これは「ゆる体操」を習って覚えた。股関節が柔らかくなるらしい。私は特に、左の股関節が硬いので、左足の足首ゆっくりまわしは、右の1.5倍ぐらいの回数をやる。

次の2つ目のセットが、真向法の4つの体操だ。これは前に、当時の鈴木都知事が、テレビで真向法をやっているのを見て、その体が柔らかいことに驚いたのを、覚えている。私は真向法の体操に、導引術で覚えたことを混ぜている。どの体操をやっても、私の体の硬いことに、がっかりするが、まあ年だから、これ以上硬くなるのを、止めようと今は思っている。座った状態から、足は座ったまま、上半身を後ろに倒すのが、真向法の最後の体操だ。これは、友達が体にいいからやれと進めてくれた。確かに体にいいと思う。しかし、腰に負担がかかるようで、やると少し腰がいたい。それでこのセットの締めくくりは、立った状態から、上半身を腰のところで前に折りたたむように曲げ、手指を床につける。これをすると、腰が伸び、足の裏側が伸びていい。この体操は腰痛になったとき、導引術の本を見てやった。この2つ目のセットにとりいれた。

 第3セット目は、筋肉体操である。腹筋20回、腕立伏せ20回、スクワット20回、それにスワイソウ(腕振り体操)200回をする。結構キついが、筋肉は毎日使うべきと思う。短い時間でできるが、体にはいい刺激を与えている。

 第4セット目は、高岡英夫さん著の「内臓を揉む運動」を読んでから、これをしている。はじめに「寝ゆる、黄金の3点セット」をする。それから「気持ちよく体操」で、胸とお腹をさする。そして足を伸ばして、呼吸。胸を開いて呼吸、そして背中も開いて、大木を抱いた気分で呼吸。それからお腹ペコ、ポコ体操。それから半跏趺坐になって、背中から腎臓を押しながらお腹をペコポコさせる。そして肝臓を、両手を組んで背中から押しながら、ペコポコ。なんだか気持ちがいい感じがする。

 これだけすると、90分を越える。通勤が60分以上かかっていたときは、時間がなくてできないことが多かったが、今は通勤が10分。だから朝の運動に時間をかけられるようになって、やっている。それでも年は年で、からだの力は衰えているが、やれば少しは、からだが若返るだろうと思ってやっている。この運動をしてから、30年以上、毎週プールにいかないと、血圧が上がってしまったが、1週間プールに行かなくても耐えられるようになった。

 と言いながら、これを昨日書いていたが、昨晩、途中でパソコンゲーム730分と思ってしたら、いつの間にか12時間していた。だからパソコンゲームは、私には鬼門だなどと思いつつ。だから会社に行って、机に座りながら寝て、今ブログの続きを書いている。当然、今日の朝の運動はなし。おかげで、会社に行くときも、行ってからも、私の今日の足の調子は悪い。

2014年2月5日水曜日

昔の知人と会った。私の新しい会社を紹介するために。

私が作った会社は、目的の一つが、65歳以上の人で何かをやりたいということ。65歳過ぎれば、人と話すのが減る人が多いから、そういう人たちで会えればいいな、と思ったのだ。なにしろ65歳過ぎて、やることがなくなって、「毎日が日曜日」ではつまらないでしょう。それよりは、みんなが集まれる会社を作れれば、それはいいでしょう、と思った。それが私が65歳を過ぎて、会社を作った最初のきっかけだった。そういう意味もあって、この会社の勤務条件がそんなにいいわけではない。でも一人よりは、みんなで話したほうが良い世代だから、コーヒを飲めて話すことが出来れば、「それで良い」という人が多いのではないか。そう思って会社を始めた。が、実際のところは、すぐ来てみようという人は少かった。

電電公社入社同期の人2人に声をかけて、今の会社を立ち上げたのだが、2つ返事みたいに「いいよ」と言ってくれた二人は別格だったと思う。本当は、別な人にも声をかけたのだが、みんな断られてしまった。新しい会社での自分の身分、仕事の内容、仕事の将来性等、わからない事だらけだから、無理もない。今一緒にやってくれているお二人は、私と電電公社の入社が同期で、気心がしれているから来たのだと思う。「あいつができるなら、俺にもできるだろう」という気持ちもあって。

なかなか来る人はいないという、結果が見えてしまえば、それはそうだなと思う。いつも会う人って、それは自分の人生をきめてしまうものね。それはみんな慎重になるなと思う。だから来てもいいかどうかは、本人が決めるので、私ができることは、こういうところでこういう仕事やる、勤務条件はこうだということぐらいだ。それをどうしたら魅力的なものにできるか、それを考えるのが、これからの私の仕事なのだなと思った。それにここにいることが多い、私の人間性にもかかっているのだと思う。私が一緒にいて、楽しい人か、良い人かどうか。

それが伝手で、ある人と今日、このオフィスであうことになった。この人は、私の知人でもある。昔は、よく一緒に飲みにいった。如才ないが、正義漢でもあって面白い人である。昨日携帯電話で、久しぶりに話して懐かしかった。去年の9月で、前の会社をやめたという。それなら、私の会社に来て、一緒にやったほうが良いと私は思うが、そう思うのは私の勝手なのかも知れない。今日の朝10時にオフィスに来てくれるということになった。

10時10分前ぐらい、ピンポーンと音がなって、玄関に出るとこの方4がいた。久しぶりにあっても、全然、変わっていない。この部屋に来てくれたのを、ありがたく思っていた私は、まず部屋の中に招じ入れた。世間話をして、このオフィスの構成を話、それから私の会社の概要等を話す。仕事の内容を話、見て貰い、そして私がどうして、この会社を作ったのかを話した。お茶を飲み、人間から刺激を受け続ける、本当はそれが会社を作った目的だとも。

あ、という間に11時半になっていた。私は昔から喋りすぎ。人の饒舌を喜ぶ人はいない。なんどもそう思っているのに、今日も饒舌だった。だから話に説得力がなくなるのだ、と思ったが、もう終わってしまったことだから、しょうがないなとも思った。この方は、「検討し結果は電話する」といった。「それは待ちましょう」と思った。この人もユニークな人であったし、今も変わらない。この人も一緒にやれたらいいなと思いつつ、別れた。

2014年2月4日火曜日

インターネットが世界を変えるーWEBで資本主義について書かれているのを読んだ。 

今日はWEBで、資本主義について書かれているのを読んだ。私は中田俊之さんから、メールを送って貰っている。そこに資本主義に関することが、書かれていたのだ。WEBは、世界を拡げてくれるとつくづく感じている。urlをクリックするとそこには、新しい世界が広がっているんですもんね。その中田さんの薦めあって、鶴見さんと言う人のブログで、電通のPR戦略を読んだ。面白かった。そして私の66年間の人生も、これに操られるように、生きてきたなと思った。

電通のPR戦略をひとことで言うと、「消費は美徳だ」という餌を、私たち「迷える子羊」たちに与える戦略だ。熱せられたフライパンの上の豆のように、私たちはあわてて、電通の薦めるものに、群がったのが、戦後日本の現実だったと思う。それを象徴する、「三種の神器」もあったなと思った。戦後のもの不足の時代に、電通のこの戦略は、日本人の(つまりは私たちの)価値観を作ってきた。

しかし、ここに来て流れが変わってきたように思う。「狭い日本、そんなに急いでどこに行く」という、キャッチコピーもあった。本屋にいくと、神や仏の教えも沢山でてきている。今の若い人たちは、ハングリーでなくなり、新しい価値観を作っているようだ。その中の一つが、今に世の中の大勢になるような気がする。それを後押ししているのが、WEBだ。みんなが知ることが、最大の民主主義の形かもしれない。WEBって凄いなと、改めて思った。

1989年、ベルリンの壁が壊されて、共産主義がなくなった。戦前の朝鮮で生まれ育ち、通産省の技官で課長にもなった、馬野周二さんは本で、「西洋イデオロギーの双生児の、一方の共産主義が倒れれば、次は資本主義が倒れる」と言った。それは20年以上も前の話だが、今これから現実になっていくような気がする。

私たち団塊の世代は、どっぷりアメリカが主導する資本主義でできあがった、価値観のなかで育った。しかし歴史という大きなスパンでみれば、それは荘子の言う、「胡蝶の夢」だったのだろう。これから違う価値観が待っているからと言って、別な価値観で生きた私たちは卑下する必要はない。私たちは、私たちの与えられた条件の中で、夢中に生きて来た。また新しい波が来たなら、その波に雄々しく立ち向かっていこう。そう思った。

鶴見さんのブログには、日本の古くからの価値観として、近江商人の哲学もあった。「買い手よし」「売り手よし」「世間よし」の三方得。そうだろうな、みんなが良くならなければならない。そのためには、まず自分が良くならなければならない。一生懸命、「自分の追い求めるものは何なのか」、考えてこれからも明るく生きていこう。そう思った。

2014年2月3日月曜日

人を動かす技術、それがコピーライテング技術

日本は「言霊の幸わう国」という。ほかの国のことは知らないが、確かにそうなんだろうと思う。秀逸な和歌、俳句、川柳を読むたびに、短い文章なのに、情景が目に浮かんで来てしまうことに驚く。「田子の浦、うち出でみれば、白妙の、富士の高嶺に雪は降りつつ」、「古池や、蛙飛び込む、水の音」、「タンスにゴン、亭主元気で、留守がいい」。最後のは、私が感動したものだが・・・。私は女房にばかにされていたので、こう思われているのは、私だけではないんだと思って、感動のあまり、歩きながら笑いながら、何度も口ずさんでしまった。ゴンは名誉なことと思うが・・・。

短い言葉で、人をうならせてしまう。日本語はその面白さを知った人たちで、作り上げられてきたように思う。そういう蓄積、歴史に乗って、私たちも日本語を使っているなんて、今ありがたく思う。言葉を使うことによって、人がよりよく生きる術をみつけられるような気がして。般若心経を解説していた本を読んでいたら、梁塵秘抄に書かれていた言葉が出てきた。「ウン、日本人はこんなふうに、般若心経を理解していたの」と思った。今もって私にはわからない般若心経だが、これは言いえて妙だなと思った。

小谷川幸次さんが、WEBでコピーライテイングに関して発信している。感心したので、そこから引用してみる。「古今東西、人を動かすコピーライテングには秘密があった」。そうなんでしょうね。そしてキング牧師、ケネディ、坂本竜馬、ナポレオン、オバマ、ヒットラーの映像が出てきた。どの人にも、夢を追う情熱を感じる。それが人を動かすのだろう。「焼野原になっても、言葉の力だけで億万長者になるとしたら、それはコピーライテングしかない」。関係ないかも知れないが、焼野原という言葉から、日本も戦争による焼野原から立ち上がってきたのだなと思った。そしてそこには、私たちが日本のイメージを作ってきた、コピーライテングがたくさんあったのだろうとも思った。

実は、私がブログを書き始めて少したつが、ある人から「タイトルを、上手にみんなに見せることが必要」と言われた。なるほどと思った。私は短歌を作る人に、今感心している。1日に何首も作る人が、私のそばにいて、その人の短歌を読むと、その人の心象風景が読めてしまうので、言葉の力ってすごいなと思っているのだ。難しい言葉ではない。たくさん作るので、ありふれた日本語を紡いでいるだけだ。うーん、あのように私のブログの内容を、ひとことで表現できたらいいなと思った。そして、あまり難しく考えるのはよそう。そう意識して、たくさんチャレンジしていけば、そのうち何とかなるだろうと思った。

2014年2月2日日曜日

仕事を少し広げた。

私の今の仕事は、システムの夜間監視・夜間お客様申告対応である。あまり人がやりたがらない仕事だと思う。だから、これをキチンとできれば、やっていけるのではないかとも思っている。「人の行く、裏に道あり花の山」という、株の言葉が私は好きだ。それは私の納得した、私の仮説かもしれない。その仮説を検証したいから、私は会社を始めたのかも知れない。会社を始めた理由は、いろいろあるがこの理由も、その一つだ。

仮説の検証には、いろいろやって見ることも必要だと思う。そして、仕事の幅を少し広げる話がある。それをこの2月1日から始めた。昨日は一人で、泊まって対応した。初めての仕事は、少し緊張する。しかし、昨日、お客様から来た電話は1件だけで、簡単なものだった。簡単にできた理由は、いろいろある。システム導入から時間がたって、システムが練れてきた。お客様もこのシステムに慣れてきた。昨日は、運が良かっただけかもしれない。この先、やり続けるといろいろなことが起こるだろう。そういう山と谷を何度も乗り越えられれば、本物になっていくのだと思う。

そういうチャンスに恵まれた、私たちは幸せなのかも知れない。人生は波乱万乗だ。その波乱万乗が、当たり前と思えるようになったら、我が人生も楽しくなるような気がする。みんなそれぞれの人生を、精一杯いきているのだもの、波乱万乗はあるさ。うまく行くことばかりでなくとも、結局うまく行くと思う。いまはそう信じて、目の前に起こることを、ひとつずつ乗り越えて行こうと思う。幸先の良い今日は、その波乱万乗の始まりだ。

2014年2月1日土曜日

プールに行った

今日は、渋谷区の中幡小学校のプールに行った。プールに行くと、いつも25mのプールをだいたい16往復(800m)泳いでいる。今日もそうした。泳ぐと、血行が良くなるようで、体の調子が良くなる。ここ35年、ほぼ毎週1回、いろいろな区民プール行った。私は血圧が、若いころから高く、1週間に1回、プールに行かないと、血圧があがって、いてもたってもいられなくなるので、土日のいずれかは大体行っている。行かなかった週は、体調が悪くなったので、週の途中でも、翌週の中間に行った。だから、この35年間、ほぼ毎週行っているといえる。

渋谷区の中幡小学校は、私が今いるところを出て、だいたい20分ほど歩くと行ける。11時過ぎに、晴れた空の下を、ぶらぶら周りのお店などを見ながら歩いて、小学校まで行った。そして案内に従って、地下2階にあるプールに入る。プールの受付の、女の子が「いらっしゃい」と言った。若い女の子はいいな、と想いながら(笑)、プールに入って泳いだ。前よりスピードは遅くなった。距離も若いときは30往復(1500m)泳ぐのが普通だったが、年をとって短くなっている。でも私の血圧対策には、この距離は十分すぎるほどで、今日も気持ちよく終わった。

帰りは、また20分ほど歩いて帰った。途中のお店で、気になっていた今川焼を6個×50円買う。私はケチなので、値段が安いと気になるのだ。途中公園によって、食べながら一度読んだ斉藤一人さんの本「カンタン成功法則」を読んだ。今川焼6個を食べ終わって、本を読むのもやめて、座っていた椅子から立つ。2歳ぐらいの小さな男の子が、お母さんと一緒に遊んでいたので、「こんにちわ」といった。子供は可愛い。そのあとマンションに帰ってきて、また食事をして、泳いで疲れたので、寝た。寝終わったら、凄く気持ちが良かった。

斉藤一人さんの「簡単成功法則」を読んで、こんな風に思った

簡単成功法則という、斉藤一人さんが書いた本を読んだ。私はここ5年ぐらい斉藤一人さんの本を1年に3冊ぐらい読んでいる。この人の本を読むと、私の心が落ち着くから、といのが理由だ。斉藤一人さんの本は読みやすい。2~3日ぐらいで1冊をよんでしまう。いくつかの理由がある。字が比較的大きい。言っている内容には、違和感なくついて行ける。みんながこう思えば、いい社会になるだろうと思う、前向きな考え方だ。

一作年より前は、だいたい1週間に1冊は本を読んでいた。9年前ぐらいからは、読書感想文を書き始めている。読書量はそんなに多くないが、読書が私の習慣にもなってきた。読書が、私の人生の一部になっていたように思う。でも一昨年の12月に、女房が死んで、その読書が止まった。一人で生活すると、こんなに女房はいろんなことをやっていたのかと思う。炊事、洗濯、それに仕事。結構忙しく毎日が過ぎてしまった。それに去年は、趣味で会社(儲からない会社でも良いと思っているから、なかば趣味なんだと思う)を作ってしまっている。これも忙しかった。だから読書をしなくても、時間は過ぎていく。女房の死は、私の生活の激変だったから、読書をしなくなったのも割り切れた。

でもようやく、ここにきて私の生活のリズムが安定してきたのだと思う。読書をする気になった。しかし、これからは読書の量を減らして、作者も選ぼうと思った。いままでは雑食のように、どんな本も読んだように思うが。そのとき本屋にいったら、この本が目に留まって、斉藤一人さんの本なら買おうかと思った。それにタイトルが、簡単成功法則で、今の私の気分にピッタリである。私は若いころから、短気だった。そして年をとって、その短気に輪がかかったように思う。簡単に、成功する法則ね。これはいいね。本を買ってきて読んだ。

そして、思った。なるほど、これなら成功するかも知れない。「大我で生きろ」という。思うように事が運ばなかったら、小我になっていないか、反省しろという。大我で生きれば、宗教の嫌いな神様が応援してくれると言う。「大我で生きていく」ということなら、私も簡単にできそうな気もする。それに神様の応援というのも、周りの応援で生きようと思う、私の今の気分にピッタリだ。そういえば、私は若いころから、波にもまれながら沈まない、プランクトンのように生きようと思ってきたな、と思った。その考えにも近い。

自分の「圧」をあげろともいう。見栄をはる。押し出しを良くする。やりすぎると失敗するが、そう努力することは必要だと思う。それが人間を変えていく。進歩させる。なんのために、私たちは生まれてきたのか。変化するため、進歩するためなのだと思う。一歩上の自分を目指して。それには無理も多いのだと思うが、それが私たちの生活の波乱万乗を生み、私たちを「生きた」という気分にさせる。「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」。きっとそうだ。狂って生きる。私は本当はなにもわからないから、そう生きようと思う。

人間関係を征するため、こうしろということも書いてあった。なるほど、それはそうだ。そして最後には、「大笑いしながら、成功まで歩いていける」とある。なんて、幸せな境地なんだ。そして、気が付くと、みんな当たり前のことばかりでしょう。昔どこかで聞いたことが、あることばかりでしょう。長く生きてきて、思ったことがあることばかりでしょう。なぜか、「胡蝶の夢」を思い出した。「答えはあなた自身が持っている」という言葉を思い出した。斉藤一人さんの本を読むと、幸せな気分で、本を読み終わることができる。